2012/05/13 - 2012/05/13
401位(同エリア885件中)
滝山氏照さん
JR武蔵野線東所沢駅より徒歩20分滝の城(たきのじょう、埼玉県
所沢市城)を訪問しました。
戦国時代後期、関東管領上杉氏の重臣で武蔵国守護代として多摩・入間・高麗郡を支配していた大石氏の築城といわれています。
天文15年(1546)河越夜戦にて主家の山内上杉憲政(うえすぎ・のりまさ、1523~1579)が小田原北条氏康との戦いに敗れたため、大石定久(おおいし・さだひさ、生没不詳)は北条氏の軍門に下り、氏康三男氏照(うじてる、1540~1590)を養子として迎い入れ以降氏照は大石氏の旧領を継承する事になります。
上述により滝の城は氏照の支配下に置かれ、永禄7年~天正5年(1564~1577)の氏照の野州(現栃木県)出兵には当城は陣揃えの地となっています。
その後氏照が滝山城から八王子城に本拠を移転した事により滝の城は北関東を結ぶ重要な連絡地点となります。
しかしながら天正18年(1590)小田原城開城後は徳川家康の江戸入部により関東は家康の領土となりその後滝の城は廃城となります。
地勢的には東南方に柳瀬川、北方に東川が流れてこの両川に挟まれた台地に築城された当該城は北東への展望が極めてよく自然の要害堅固な縄張を持つ戦国時代の典型的な城跡となっています。
本丸は柳瀬川寄りの高さ25mほどの崖上に位置して、本丸を囲むようにして二の丸、三の丸、物見櫓があり、めまぐるしいほど高い土塁と深い空堀が連続して造られております。
2023年6月15日追記
現地にて入手の手製パンフレットによれば下記のように説明されています。
『 滝 の 城 跡
(滝の城の歴史)
滝野城は平山城式で別名本郷城といい、戦国時代に築かれ、築城者は当時武蔵国の多摩・入間・高麗郡を支配した大石氏である。
14代大石遠江守定久(法名道俊)の時、主君の上杉憲政が天文15年(1546)4月20日の河越夜戦で小田原の北条氏康と戦い敗れたため、定久は氏康に降り氏康の三男氏照を養子として家督を譲った。
以来滝の城は北条氏照の持城となり、永禄7年~天正5年(1564~1577)の氏照の野洲(栃木県)出兵には滝の城は神揃の地になったといわれている。氏照はその後、天正15年に八王子城に移ったので、滝の城は八王子と北関東を結ぶ重要な連絡地点となった。しかし、天正18年(1590)7月小田原落城後は関東一円が徳川家康ぼ両国となったので、滝の城は廃城となった。そして、城地の主要部は保存されて今日にいっているのである。
(滝の城跡の現状)
滝の城跡は総面積8万7千m2、東南方に柳瀬川、北方に東側が流れ、この両側に挟まれた台地上に築城された自然の要害堅固な縄張りを持つ戦国時代の代表的な城跡です。本丸は25mぐらいの崖上にあり、その本丸を囲むように二の丸、三の丸、物見櫓跡、土塁、空堀が残っています。往時は北側の県道に沿って人家の間に外堀があり、北に大手門、南に搦手門、西に二重堀跡等があり、北東には城名ゆかりの滝がありました。
又、昭和61年、平成元年、平成16年の3度のわたり所沢市による発掘調査が行われ、深さ8m、上幅13m余りの堀跡が発見され底の形態は北条氏特有の障子堀跡であることが確認されています。
(滝の城跡横穴墓群)
昭和50年代雨水のため南端の崖から崩れて穴があき、7世紀ごろの横穴墓群が発見された。昭和51年2月に発掘調査がされて、金環やガラス玉等の遺物が出土したが、再び埋め戻されて土留工事が施された。 」
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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「滝の城まつり」幟
JR東所沢駅を出ると沿道には「滝の城まつり」と染めた実行委員会の幟がはためいています。 -
「滝の城まつり」ポスター
向かう沿道にポスターも掲示されています。5/20開催で武者行列・模擬合戦(北条VS武田)・天神太鼓・剣舞他の催物が予定されています。 -
城山公園入口
入口にも幟が多数ひるがえってます。 -
城山神社社標
よくあることですが城跡に神社が建立されているようです。 -
散歩道案内板
木板に本丸への散歩コースが書かれてます。入場するとたちまち空堀があちこちに見られます。 -
大型土塁
早速見事な土塁が迫って来るようです。 -
大規模土塁
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土塁
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二重堀跡
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土塁と空堀
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土塁と空堀
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深い空堀
本丸への案内標の向こうは深い空堀となってます。 -
土塁と空堀
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土塁と空堀
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二の丸跡
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社務所
保存会が用意しているパンフレットを1枚受け取ります。 -
滝の城跡発掘
平成16年12月に外堀の発掘作業時の写真が掲示されています。 -
滝の城推定縄張
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本丸登り口
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土塁と空堀
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土塁と空堀
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土塁と空堀
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土塁と空堀
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土塁と空堀
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土塁
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滝の城址石碑
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滝の城由緒石碑
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城山神社鳥居
低地部に神社鳥居があり、ここから拝殿までは石段を登る事になります。 -
城山神社鳥居
石段を登りますが途中で振返りますとかなりの勾配になっている事がわかります。 -
城山神社鳥居
上りきり本丸に着きますとすぐ古びた鳥居が見えその奥に拝殿が確認できます。 -
拝殿
本丸跡に城山神社が建立されています。 -
滝の城跡公園
公園には野球場の他テニスコートが設置されています。台地状の本丸から急峻な崖が続いており、防御には充分な効果が期待されるところです。 -
外堀の柳瀬川
眼下には野球場があり、その向こうは高架になっている武蔵野線が東西に走っています。
更によく見ると野球場の先には柳瀬川が流れています。かつては柳瀬川を外堀に見立てて滝の城を築城したと思われます。 -
本丸東側
低い土塁が周囲に巡らしているようにるに見えますが実際はどうなっていたのかは不明です。 -
本殿
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境内周辺
拝殿から境内を一望します。中央部は左から本丸跡石碑、説明碑、説明板が見えます。 -
土塁
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四脚門跡
平成2年4月の発掘調査の結果として門跡が説明されています。 -
四脚門跡
発掘後の写真と想像図が掲載されています。 -
土塁
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三の丸
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三の丸説明
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土橋
左右の空堀を従える通路として土橋が造られています。 -
右の空堀
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左の空堀
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三日月空堀
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物見櫓
二の丸と三の丸に挟まれる小高い丘は物見櫓となっており、ここに建てられた施設から敵の動きを確認します。 -
物見櫓石碑
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物見櫓遠景
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空堀
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空堀
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土塁
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高台
底地から高台方向を見上げます。 -
急涯
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土塁と空堀
空堀の底が通路となっています。 -
土塁と空堀
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深い空堀
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空堀
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空堀
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空堀
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空堀
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