近江八幡・安土旅行記(ブログ) 一覧に戻る
筆不精のため、新旧交る旅行記のアップ…。<br />半年以上前の旅記と進行中の旅記づくりを進めています。<br /><br />さて、当時のこと…本格的な夏になり、暑い日が続く中、歴史ある近江のまちを訪れました。<br />汗だくになりながら歩いた旅記の第1弾です。

滋賀県・東近江2012(その1/2)★近江八幡のまちなみ~栄華の安土城跡

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2012/07/24 - 2012/07/24

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ころっつ

ころっつさん

筆不精のため、新旧交る旅行記のアップ…。
半年以上前の旅記と進行中の旅記づくりを進めています。

さて、当時のこと…本格的な夏になり、暑い日が続く中、歴史ある近江のまちを訪れました。
汗だくになりながら歩いた旅記の第1弾です。

同行者
一人旅
交通手段
自家用車

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  • 近江八幡は、京阪神都市圏の喧騒から少し離れた場所にある都市。<br />町の基礎は戦国時代に豊臣秀吉の甥、秀次が八幡山に城を築き、炎上した安土城下から住民を移して整備したものです。<br />JRの駅からは少し離れた八幡山下に昔ながらのまちなみが残っています。

    近江八幡は、京阪神都市圏の喧騒から少し離れた場所にある都市。
    町の基礎は戦国時代に豊臣秀吉の甥、秀次が八幡山に城を築き、炎上した安土城下から住民を移して整備したものです。
    JRの駅からは少し離れた八幡山下に昔ながらのまちなみが残っています。

  • 近江八幡の地名の由来となった日牟礼八幡宮の前に車を止めて散策をスタート。<br />琵琶湖からの水運を引き入れるため、城下の町人町には運河が整備され、それが今に残っているものです。八幡宮のすぐ南にに架かる明治橋からの風景です。

    近江八幡の地名の由来となった日牟礼八幡宮の前に車を止めて散策をスタート。
    琵琶湖からの水運を引き入れるため、城下の町人町には運河が整備され、それが今に残っているものです。八幡宮のすぐ南にに架かる明治橋からの風景です。

  • 八幡堀にはかつては琵琶湖からの船が絶えず往来していました。

    八幡堀にはかつては琵琶湖からの船が絶えず往来していました。

  • 橋の横から堀に降りていくことができるので、堀沿いの道を散策します。休日を中心に八幡堀には水郷めぐりの船が運航されており、往時の水運をしのぶことができます。

    橋の横から堀に降りていくことができるので、堀沿いの道を散策します。休日を中心に八幡堀には水郷めぐりの船が運航されており、往時の水運をしのぶことができます。

  • 近江八幡は近江商人を多数輩出したことで知られるまち。堀端に並ぶ白壁の蔵は、ここが商都であることを如実に伝えてくれます。

    近江八幡は近江商人を多数輩出したことで知られるまち。堀端に並ぶ白壁の蔵は、ここが商都であることを如実に伝えてくれます。

  • 町を東西に横切る堀に沿って散策していきます。今日は真夏の平日の午前中のためか、観光客はほとんどいません。

    町を東西に横切る堀に沿って散策していきます。今日は真夏の平日の午前中のためか、観光客はほとんどいません。

  • 堀沿いの遊歩道はきれいに整備されています。とても静かな町です。

    堀沿いの遊歩道はきれいに整備されています。とても静かな町です。

  • 八幡堀の南を走る県道沿いにある近江兄弟社。近江八幡をはじめ、近畿地方の多くの洋風建築を手がけた建築家ヴォーリスが創業した製薬メーカーで、皮膚薬メンタームで知られています。

    八幡堀の南を走る県道沿いにある近江兄弟社。近江八幡をはじめ、近畿地方の多くの洋風建築を手がけた建築家ヴォーリスが創業した製薬メーカーで、皮膚薬メンタームで知られています。

  • メンタームに貼られているエンブレム。本社の壁にも掲げられています。

    メンタームに貼られているエンブレム。本社の壁にも掲げられています。

  • 八幡堀から南にある重要伝統的建造物群保存地区を歩きます。八幡は城下町を作る際に碁盤目状の町割がされており、道沿いには昔ながらの町屋が点在しています。

    八幡堀から南にある重要伝統的建造物群保存地区を歩きます。八幡は城下町を作る際に碁盤目状の町割がされており、道沿いには昔ながらの町屋が点在しています。

  • まちなみのシンボル的な風景となる新町通り。電柱も撤去されており、八幡城が築かれた八幡山を正面に望むことができ、通りの両側には平入の建物が立ち並んでいます。

    まちなみのシンボル的な風景となる新町通り。電柱も撤去されており、八幡城が築かれた八幡山を正面に望むことができ、通りの両側には平入の建物が立ち並んでいます。

  • 重要文化財の旧西川家住宅をはじめ、内部を見学できる住宅もあり、商人の生活ぶりをうかがうこともできます。

    重要文化財の旧西川家住宅をはじめ、内部を見学できる住宅もあり、商人の生活ぶりをうかがうこともできます。

  • こうしたまちなみには、昔ながらの丸ポストが似合います。

    こうしたまちなみには、昔ながらの丸ポストが似合います。

  • 軒を連ねる町屋は、今もその多くが日常生活の場として昔から変わらず利用されているそうです。

    軒を連ねる町屋は、今もその多くが日常生活の場として昔から変わらず利用されているそうです。

  • そして、近江八幡には昔ながらの町屋だけでなく、明治期から昭和初期の近代的な洋風建築も点在しています。こちらはかつて警察署として使われていた建物で、現在は郷土資料館として活用されています。<br />市街地を東西に貫き、江戸時代に朝鮮通信使が江戸往復の途中に琵琶湖を見るためにわざわざ通ったという朝鮮人街道に面して建っています。

    そして、近江八幡には昔ながらの町屋だけでなく、明治期から昭和初期の近代的な洋風建築も点在しています。こちらはかつて警察署として使われていた建物で、現在は郷土資料館として活用されています。
    市街地を東西に貫き、江戸時代に朝鮮通信使が江戸往復の途中に琵琶湖を見るためにわざわざ通ったという朝鮮人街道に面して建っています。

  • その朝鮮人街道を挟んで向かいにある建物も市の郷土資料館となっています。<br />江戸時代天保年間に建てられた商家で、明治時代になってからは当時の八幡町に譲渡され、小学校や役場、そして市立図書館として使われていた由緒ある建物です。

    その朝鮮人街道を挟んで向かいにある建物も市の郷土資料館となっています。
    江戸時代天保年間に建てられた商家で、明治時代になってからは当時の八幡町に譲渡され、小学校や役場、そして市立図書館として使われていた由緒ある建物です。

  • 商人の町として栄えた面影を残す白壁の土蔵が、市街地のあちこちに点在しています。

    商人の町として栄えた面影を残す白壁の土蔵が、市街地のあちこちに点在しています。

  • 県道沿いにある西川勘五郎邸。<br />内部は未公開ですが、外観からも大きく立派な屋敷であることがうかがえます。

    県道沿いにある西川勘五郎邸。
    内部は未公開ですが、外観からも大きく立派な屋敷であることがうかがえます。

  • 明治時代に建てられた洋館・白雲館。明治橋の交差点にあり、現在は観光案内所として利用されています。屋根に瓦を載せた和洋折衷の建物で、かつては学校の校舎だったそうです。

    明治時代に建てられた洋館・白雲館。明治橋の交差点にあり、現在は観光案内所として利用されています。屋根に瓦を載せた和洋折衷の建物で、かつては学校の校舎だったそうです。

  • こちらは近江八幡に英語教師として赴任し、その後さきの近江兄弟社の事業や数々の洋館を手がけたヴォーリスが建築した旧八幡郵便局の建物です。近江八幡には、このようにヴォーリスが設計した洋館が今も所々に残っています。

    こちらは近江八幡に英語教師として赴任し、その後さきの近江兄弟社の事業や数々の洋館を手がけたヴォーリスが建築した旧八幡郵便局の建物です。近江八幡には、このようにヴォーリスが設計した洋館が今も所々に残っています。

  • 至るところに昔ながらの土蔵や立派な甍を持つ建物が立っています。

    至るところに昔ながらの土蔵や立派な甍を持つ建物が立っています。

  • 碁盤の目状になった通りを歩き回ります。

    碁盤の目状になった通りを歩き回ります。

  • 汗だくになり散策のスタート地点に戻ってきましたので、最後に日牟礼八幡宮に参拝しました。ここは平安時代に創建されたという古社ということです。

    汗だくになり散策のスタート地点に戻ってきましたので、最後に日牟礼八幡宮に参拝しました。ここは平安時代に創建されたという古社ということです。

  • 桧皮葺きの立派な拝殿が正面にあります。

    桧皮葺きの立派な拝殿が正面にあります。

  • 拝殿の右手には能舞台が残っています。<br />これで近江八幡の散策を終え、次の訪問地である安土に向かいます。

    拝殿の右手には能舞台が残っています。
    これで近江八幡の散策を終え、次の訪問地である安土に向かいます。

  • 次に向かったのは、特別史跡・安土城跡です。<br />安土城はいわずと知れた織田信長が築いた城で、「安土桃山時代」にもその名を残しています。琵琶湖のすぐそばにある標高199mの安土山頂から山腹に築かれており、現在は石垣のみが残っています。そのためか、その名はよく知られていますが、あまり観光スポットとはなっていません。辺り一面には水田が広がっており、城下町としての面影は一切ありません。

    次に向かったのは、特別史跡・安土城跡です。
    安土城はいわずと知れた織田信長が築いた城で、「安土桃山時代」にもその名を残しています。琵琶湖のすぐそばにある標高199mの安土山頂から山腹に築かれており、現在は石垣のみが残っています。そのためか、その名はよく知られていますが、あまり観光スポットとはなっていません。辺り一面には水田が広がっており、城下町としての面影は一切ありません。

  • 安土城跡には、城の造営時に信長が自らの菩提寺として近くから移築した総見寺という臨済宗の寺院があり、そこが現在城跡を管理しています。<br />大手門跡の登城口で入場料を払い、1段にかなりの段差があるかなり急な段差のある階段を登っていきます。あっという間に全身から汗が噴き出し、息が切れます。

    安土城跡には、城の造営時に信長が自らの菩提寺として近くから移築した総見寺という臨済宗の寺院があり、そこが現在城跡を管理しています。
    大手門跡の登城口で入場料を払い、1段にかなりの段差があるかなり急な段差のある階段を登っていきます。あっという間に全身から汗が噴き出し、息が切れます。

  • 山上にある天主に続く石段。その両側には信長の家臣や臣従する諸侯の屋敷が建てられていました。

    山上にある天主に続く石段。その両側には信長の家臣や臣従する諸侯の屋敷が建てられていました。

  • 大手道を登っていく途中の左手に平地があり、そこが羽柴秀吉の邸宅があったと伝わる場所です。

    大手道を登っていく途中の左手に平地があり、そこが羽柴秀吉の邸宅があったと伝わる場所です。

  • さらに息を切らせながら登っていくと、山上近くに信長の御殿があった本丸跡に到着します。かなり疲れました…。

    さらに息を切らせながら登っていくと、山上近くに信長の御殿があった本丸跡に到着します。かなり疲れました…。

  • 本丸の一番高いところには、石垣に囲まれた30m四方の場所があり、礎石が整然と並ぶ天主跡があります。五層七階、高さ33mもの大きな天主がそびえていた跡地です。

    本丸の一番高いところには、石垣に囲まれた30m四方の場所があり、礎石が整然と並ぶ天主跡があります。五層七階、高さ33mもの大きな天主がそびえていた跡地です。

  • 天主跡から遠望する琵琶湖。現在は干拓されていますが、信長が築城した当時は、三方は琵琶湖の内湖に囲まれ、水に浮かぶ幽玄な姿を見せていたようです。信長も天下統一を描きながら見ていた風景−休憩を兼ねて、その栄華にしばし浸ってみました。

    天主跡から遠望する琵琶湖。現在は干拓されていますが、信長が築城した当時は、三方は琵琶湖の内湖に囲まれ、水に浮かぶ幽玄な姿を見せていたようです。信長も天下統一を描きながら見ていた風景−休憩を兼ねて、その栄華にしばし浸ってみました。

  • 安土城跡には、安土城の建物は一切残っていませんが、近くにある文芸の郷に「安土城天主信長の館」という資料館があり、内部には安土城天主の最上部を復元した建物が展示されています。こちらが安土城の外観ですが、世界ではじめの木造高層建築だったそうです。

    安土城跡には、安土城の建物は一切残っていませんが、近くにある文芸の郷に「安土城天主信長の館」という資料館があり、内部には安土城天主の最上部を復元した建物が展示されています。こちらが安土城の外観ですが、世界ではじめの木造高層建築だったそうです。

  • 復元建物は絵図を基に復元したもので、1992年に開催されたスペイン・セビリア万博の日本館で展示されたものを解体移築したものです。築城後3年というわずかな期間で炎上した絢爛豪華な幻の天主をうかがい知ることができる貴重なものです。

    復元建物は絵図を基に復元したもので、1992年に開催されたスペイン・セビリア万博の日本館で展示されたものを解体移築したものです。築城後3年というわずかな期間で炎上した絢爛豪華な幻の天主をうかがい知ることができる貴重なものです。

  • 天主5階部分は、仏教の世界観による理想郷をあらわした障壁画が描かれています。

    天主5階部分は、仏教の世界観による理想郷をあらわした障壁画が描かれています。

  • 鮮やかな朱色の柱と梁を骨格に、黄金色に輝く八角形の空間が再現されています。

    鮮やかな朱色の柱と梁を骨格に、黄金色に輝く八角形の空間が再現されています。

  • 横にある階段を登っていくと、天主最上階の6階の内部が再現されています。

    横にある階段を登っていくと、天主最上階の6階の内部が再現されています。

  • 覗いて見ると…こちらは四角形の空間で、孔子や老子など古代中国を題材にした障壁画が描かれています。

    覗いて見ると…こちらは四角形の空間で、孔子や老子など古代中国を題材にした障壁画が描かれています。

  • 信長は仏教や儒教の世界観をあらわした空間の中で、天下統一の構想を描いていたのでしょうか。そんなことを思いながら、涼みを兼ねて見学していました。

    信長は仏教や儒教の世界観をあらわした空間の中で、天下統一の構想を描いていたのでしょうか。そんなことを思いながら、涼みを兼ねて見学していました。

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