2012/10/02 - 2012/10/02
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belleduneさん
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11時から桂離宮を見学した後、お昼ご飯をいつも立ち寄る美々卯で食べてから、修学院離宮へ向かいました。
桂離宮とここもかの名棟梁・安井清さんが修復をしました。安井清さんの本を読んでから、ここへ出掛けると見る観点が違うと思います。 3時からの見学なので、少し早く散歩しながらと思っていたのですが、叡山鉄道の修学院前駅からの道を途中で間違えたらしく、2度も地元の方に訊ねて、何とか辿り着くことができました。快晴の下、朝から日焼けの1日でしたが、周囲の風景を眺めながら、歩くのは良いものです。帰りは外国からの旅行者達と一緒に話しながら帰ってきました。
1日で桂離宮と修学院離宮を見て歩くのは、ちょっと疲れましたが、日本の棟梁の技が見られるのはとても素晴らしいことでした。
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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下御茶屋御幸門から下離宮へ入ります。
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花菱紋の透かし彫りが施された板戸の御幸門
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柿葺きの屋根
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御幸門に続く竹材の塀
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門を入った内側の塀
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更に下御茶屋中門を通ります。
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欅掛け模様の付いた扉
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寿月観は、池を掘った土を斜面に盛り上げ、石垣で土留めした高みに建っています。
開口部を大きく開いて、縁側を広く取った開放的な茶室建築です。寿月観の紅殻の壁が青葉に引き立ち、紅葉に映えて四季其々に周囲と調和しています。
歌集「修学院十境」の中の「寿月観」には、最後の一句に「人間亦有り広寒宮」とありますが、広寒宮とは、月の世界にある宮殿ということで、寿月観が月世界をイメージして建てられたことが推測できます。 -
一の間、二の間、三の間を鉤の手に配し、前面には明かり障子をたて、濡れ縁をめぐらせてあります。屋根は、杮葺きで、一の間は寄棟造り、二の間、三の間は、入母屋造りとなっています。
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後水尾上皇御幸の折、御座所に当てられた重要な建物でしたが、創建当時のものは享保以後失われました。文政年間に再興されています。
写真の扁額は離宮の創始者・後水尾上皇の宸筆です。 -
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二の間との境の襖には、岸駒の筆による虎渓三笑の墨絵があります。写真では見えないのですが、その上の欄間は、板目も鮮やかな杉板に花菱模様を透かし彫りにしてあります。北山丸太の長押には全て曲水に水葵の釘隠しを付けてあります。
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一の間は、十五畳で、内、北西隅の三畳を栃框の上段とし、その西に一間半の床を付け、北には脇床と飾り棚があります。脇床は琵琶を置いていたところで、琵琶床と言われています。
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飾り棚は、天袋と地袋に一重の棚が付けられています。その天袋には、飛ぶ鶴が、地袋には、岩に蘭の絵が美しい彩色で描かれています。
共に原在中の筆。 -
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中離宮へ
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中御茶屋表門
寛文8年(1659)に第八皇女朱宮(あけのみや)光子内親王のために造られたのが、現在の中御茶屋の前身です。
当時朱宮御所、音羽御所と呼ばれ、のち林丘寺となりましたが、明治18年、林丘寺門跡より客殿、楽只軒、旧境内内の略半分を宮内省に奉還して、修学院離宮中御茶屋とされました。 -
細かい仕事です。一枚板に鑿で彫り込んであります。
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中御茶屋中門
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楽只軒は、朱宮御所の最初の建物で、古図によるとその頃から前面に池庭があったそうです。南側に広縁を設け、廂を深く出し、床を低くして、庭と座敷の繋がりを密接にしています。
女性の居間の特徴と見られる中敷居の肘掛け窓が庭に面して開いています。 -
客殿は、東福門院の女院御所にあった奥対面所を延宝6年(1678)東福門院が亡くなられた後、天和の初めにここへ移築されました。
入母屋造り、栩(とち)葺きの堂々とした宮殿建築で、南側と西側に畳縁があり、その外廻りは、3本引に板戸と明り障子をたて、拭板の回り縁を廻らせてあります。 -
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二重の垂木の深い廂に縦格子の欄間が続いています。
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一の間西側の畳縁突き当たりには、引き違い杉戸があり、右に放下鉾、左に岩戸山が描かれています。裏側には、二枚続きの大きな船鉾の絵があるそうです。
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一の間は、十二畳半で、その北側に一間の床の間、続いて、一間半の飾り棚があります。大小五枚の欅の違い棚が配され、霞棚と呼ばれています。
地袋の小襖には友禅染めの帳場の図が美しく描かれ、引き手は雲形の七宝を嵌めた羽子板形となっています。
地袋上の右手が三角棚となっていますが、その小襖には、更紗模様に振り振りの引き手が付いています。随所に見られる飾り金具には全て中央に葵登燃えの紋が配されてて、徳川家の権威を示しています。 -
霞棚横の床の間の貼付けには、雲形に金の砂子を散らして、和歌とそれに因んだ絵の色紙を連ねて、腰張りは金と群青の菱形繋ぎ模様となっています。
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一の間と二の間の南側にある畳縁は、半畳分が食い違っていますが、その境にある杉戸に、親子連れの鯉、手前に大鯉が描かれています。
夜毎に杉戸を抜け出て、池で泳ぐので、金色の網をかかせてそれをとどめたという伝説は有名な話です。 -
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網干しの欄干
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上御茶屋の御成門へ。下御茶屋御幸門とよく似た作りの簡素な門で、欄間には大きい花菱紋の刳り貫きがあります。
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御成門に続く塀は、木賊張り(節目を合わせること)も竹となっています。
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隣雲亭へと上って行きます。京都の町がよく見渡せます。
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上御茶屋の最高所にある隣雲亭は、北から四畳分の板間(洗詩台)、六畳の一の間、三畳のニの間から成っています。床も棚もなく、目立った飾りは何一つありません。自然の景色展望のために設けられたこの亭にとって、細部の装飾は返って邪魔になるだけで、なるべく簡素に飾り気なく、造られました。現在の建物は、文政7年の再興になりますが、池を見下ろす正面の主要部分は殆ど旧規通りとなっています。「隣雲」とは、雲母坂(きらら)に隣るという意を空の雲に掛けたと推測されます。
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隣雲亭の西側と南側には深い廂をめぐらした下は葛石(かずら)で縁取りをした叩きの土間となっています。
洗詩台は、三方を吹き放しとした露台の板の間で、裏手の雄滝の水音を聞きながら、詩歌の構想を練ったところという。 -
土間には、赤と黒の小さい鴨川石を一、ニ、三と埋め込んであり、「一二三石(ひふみ)」と言う遊び心一杯のデザインを見ることが出来ます。
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遠くに京都タワーが見えます。
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左奥に少し見えるのが雄滝(大滝)です。高さ6メートル余りの垂直に畳んだ切石の水落ちを布落ちへと流れていきます。滝の水は音羽川から山腹を横流しに引いてきたもので、滝口から石橋までは石組みも多く、谷間の急流を表し、石橋から下流は、草原で石も少なく、野を流れる小川の風情を見せて、長閑な池に注ぐという。次回訪れる時は、もっとゆっくり鑑賞したいと思いました。
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溶龍池は、約1万1500?と広く、御舟小屋には「歩月」という御舟を格納していました。時には、舟で桂川に舟を漕ぎ出して、月見に興じていたそうです。標高137mのところに約200mの人口ダムを舟遊びのために造ったと聞き、驚きました。
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千歳橋は、窮邃亭のある中島と浴龍池の中島(万松鵜)を結んでいます。
文政7年(1824)に光格上皇のために、徳川家斉がこの山荘を修理した際に、京都所司代として管掌に当たった内藤紀伊守信敦が献上したものだそうです。
切石をがっちり組んだ2基の橋台に東は鳳輩に準えて、宝形造りとして、その上に瑞草を加えた金剛の鳳凰を載せ、西は、寄棟の四阿として腰掛を設けて、両端に大きな一枚石を渡して、勾欄で繋ぎ、屋根を掛けて、廊橋としています。 -
楓橋を渡って行きます。
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楓橋は、元の尾根を切り通した掘割に架かる木橋で、高い橋脚で支えられています。北岸に架かる土橋がわずかな反りを見せて、長くゆったりと架かっているのとは対照的となっています。
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下に千歳橋が木々の合間に見えます。
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宝形造りの小亭・窮邃亭。
文政7年の大修理がされましたが、上・下の御茶屋を通して、創設以来、現存している唯一の建物です。
三間四方の母屋の南と東側は、深い土間廂として、縁を巡らせて、池に面する北と西側には肘掛窓を付けています。
屋根には、菊花紋のある大きな瓦の露盤と切籠形の宝珠頭を載せています。 -
内部は、十八畳の一室で床も飾り棚もありません。西から北に矩折に台目畳六畳の上段があり、黒塗りの框が折れ曲がっているのが、簡素ななかにすっきりとした構成美をみせているという。
上段の間には、落掛を設け、西の窓際一杯に細長い欅の一枚板が渡してあります。 -
室内東北隅には、外部に突き出た一間四方の板間があり、東壁に天袋と地袋を設けて、すのこを張って水屋としています。地袋の戸には、精巧な細工の竹の網代組を張り、崩井形の桟で押さえてあるのが、単純な室内に斬新な井美しさを添えているとあるので、実際に見てみたいものです。
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西浜の景色
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三保島
地形から元は山続きの尾根であったのを島としたものです。島には松が多く、比叡山を富士山になぞらえ、三保の松原に因んで、三保が島と呼ばれています。
西側の西浜の広々とした明朗さとは対照的に幽遠な景観となっています。 -
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御舟小屋が見えます。
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向こうに見えるのは、千歳橋です。
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鴨が何羽かやって来ました。
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この日、一番の関心事は、松に枯葉を掃き集めて、そこに混じっている小石だけを戻し、枯れ葉だけを捨てるという気の遠くなるような作業をなさっていました。
見学者も皆さん、素晴らしい、と感心なさっていました。これこそ、日本人しか出来ない、細かな和の伝統かと傍にいた外国人に説明しました。 -
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