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JR武蔵五日市線東秋留駅から徒歩約20分、秋川が多摩川に合流する手前の河岸段丘に神応山・法林寺(ほうりんじ、東京都あきる野市小川東)という臨済宗南禅寺派の寺院があります<br /><br />現在は社寺ですが、かつては戦国時代前期頃に有力豪族の居館であったと推察され、その証としては周辺には土塁が一部残っています。<br /><br />地勢的には曲がりくねった逆V字形の秋川を自然の要害としながらも、往時の豊富な水量を利用して山々の産物等を下流に運ぶ絶好の位置を占めています。<br /><br />対岸は打ち続く加住(かすみ)丘陵の山並みを一望にし、居ながらにして敵の動静を把握すべく物見が可能な有利さは他には見れません。<br /><br />秋川を隔てて対岸には戦国時代に武蔵国守護代として高名な大石氏の居城であった高月(たかつき)城跡、そしてその合流する多摩川沿いに滝山城跡が控えており、大石氏と当館との関係がどうであったのか、またやがて大石氏の後継として入部した小田原北条氏照を中心とする勢力との関連はどうなっていたのか等興味が尽きません。<br /><br />残念ながら城跡又は館としての記録がありませんので、断定する事はできませんが正林寺の外郭には土塁が確認されていますから歴史上のべールが取り除かれて明らかになる事を期待したいと願っています。<br /><br /><br />2022年7月25日追記<br /><br />旧秋川市史」によれば当該寺院について下記の通り説明があります。<br /><br />『 法林寺  小川八九九番地<br /><br />山号を神応山といい、臨済宗南禅寺派に属し、八王子市山田にある広園寺の末寺になっていた。本尊は正観世音菩薩である。<br /><br />寺伝によれば、延喜12年(921)2月21日に開かれたということになっているが、開基は安成院満慶で開山と開創当初の宗派も不明である。その後になって、室町時代の中ごろ、応永年間(1394~1427)大江道弘を開基として再興されたという。<br /><br />大江道弘は長井道弘ともいい、片倉城主(八王子市片倉)で康応2年(元中7年<1390>武州横山(八王子市山田)に広園寺を造営した。応永9年(1402)7月29日、奥州置玉(山形県置賜郡)で戦死しているので、法林寺再興は、それ以前でなければならない。<br /><br />再興の時の開山は法光円融禅師である。禅師は「新編武蔵風土記稿」によれば、康応元年(元中6年<1389>)に示寂したという。この示寂の年が正しいとすれば、応永年間の中興でなくもうすこしその年代は遡り、少なくとも1370年か80年代になるのではあるまいか。<br /><br />江戸時代は寺領として御朱印25石であったが、市内では社寺を通じ一番高い石高であった。延宝年間(1673~80)の火災により、古記録をすべて焼失して、寺の沿革等は詳らかでない。その後復興され現在に至っている。<br /><br />境内には「新編武蔵風土記稿」に「千二百坪」とあるが、今も広大で良く整えられている。庭前に市指定天然記念物の赤松とあらがしがある。この境内は、土塁なども残り中世の土豪の館跡ではないかという説がある。(中略)<br /><br />本尊は正観世音菩薩である。なお明治維新の神仏分離の折鎌倉鶴岡八幡宮より遷座された達磨大師坐一像(木造)がある。市域の新開院の薬師三尊などと同時に来たものであるという。』<br /><br /><br />

武蔵あきる野 10世紀初頭開山の古刹で頼朝側近実務家の大江広元の後裔で広園寺造営の片倉城主長井道弘が応永年間に中興したと伝う『法林寺』散歩

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2012/04/28 - 2012/04/28

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滝山氏照

滝山氏照さん

JR武蔵五日市線東秋留駅から徒歩約20分、秋川が多摩川に合流する手前の河岸段丘に神応山・法林寺(ほうりんじ、東京都あきる野市小川東)という臨済宗南禅寺派の寺院があります

現在は社寺ですが、かつては戦国時代前期頃に有力豪族の居館であったと推察され、その証としては周辺には土塁が一部残っています。

地勢的には曲がりくねった逆V字形の秋川を自然の要害としながらも、往時の豊富な水量を利用して山々の産物等を下流に運ぶ絶好の位置を占めています。

対岸は打ち続く加住(かすみ)丘陵の山並みを一望にし、居ながらにして敵の動静を把握すべく物見が可能な有利さは他には見れません。

秋川を隔てて対岸には戦国時代に武蔵国守護代として高名な大石氏の居城であった高月(たかつき)城跡、そしてその合流する多摩川沿いに滝山城跡が控えており、大石氏と当館との関係がどうであったのか、またやがて大石氏の後継として入部した小田原北条氏照を中心とする勢力との関連はどうなっていたのか等興味が尽きません。

残念ながら城跡又は館としての記録がありませんので、断定する事はできませんが正林寺の外郭には土塁が確認されていますから歴史上のべールが取り除かれて明らかになる事を期待したいと願っています。


2022年7月25日追記

旧秋川市史」によれば当該寺院について下記の通り説明があります。

『 法林寺  小川八九九番地

山号を神応山といい、臨済宗南禅寺派に属し、八王子市山田にある広園寺の末寺になっていた。本尊は正観世音菩薩である。

寺伝によれば、延喜12年(921)2月21日に開かれたということになっているが、開基は安成院満慶で開山と開創当初の宗派も不明である。その後になって、室町時代の中ごろ、応永年間(1394~1427)大江道弘を開基として再興されたという。

大江道弘は長井道弘ともいい、片倉城主(八王子市片倉)で康応2年(元中7年<1390>武州横山(八王子市山田)に広園寺を造営した。応永9年(1402)7月29日、奥州置玉(山形県置賜郡)で戦死しているので、法林寺再興は、それ以前でなければならない。

再興の時の開山は法光円融禅師である。禅師は「新編武蔵風土記稿」によれば、康応元年(元中6年<1389>)に示寂したという。この示寂の年が正しいとすれば、応永年間の中興でなくもうすこしその年代は遡り、少なくとも1370年か80年代になるのではあるまいか。

江戸時代は寺領として御朱印25石であったが、市内では社寺を通じ一番高い石高であった。延宝年間(1673~80)の火災により、古記録をすべて焼失して、寺の沿革等は詳らかでない。その後復興され現在に至っている。

境内には「新編武蔵風土記稿」に「千二百坪」とあるが、今も広大で良く整えられている。庭前に市指定天然記念物の赤松とあらがしがある。この境内は、土塁なども残り中世の土豪の館跡ではないかという説がある。(中略)

本尊は正観世音菩薩である。なお明治維新の神仏分離の折鎌倉鶴岡八幡宮より遷座された達磨大師坐一像(木造)がある。市域の新開院の薬師三尊などと同時に来たものであるという。』


交通手段
JRローカル 徒歩
  • 法林寺・山門<br /><br />小規模ながら立派な山門とその周辺がなんともともいえません。

    法林寺・山門

    小規模ながら立派な山門とその周辺がなんともともいえません。

  • 法林寺・寺標<br /><br />山号は「神應山」となっています。

    法林寺・寺標

    山号は「神應山」となっています。

  • 法林寺<br /><br />本堂に導く小道が落着いています。

    法林寺

    本堂に導く小道が落着いています。

  • 法林寺・本堂

    法林寺・本堂

  • 法林寺・社務所

    法林寺・社務所

  • 墓地と秋川<br /><br />

    墓地と秋川

  • 秋川<br /><br />秋川の対岸は加住丘陵が川岸に沿って走り、その先には滝山城跡に至ります。

    秋川

    秋川の対岸は加住丘陵が川岸に沿って走り、その先には滝山城跡に至ります。

  • 蛇行する秋川

    蛇行する秋川

  • 蛇行する秋川

    蛇行する秋川

  • 高月城跡<br /><br />秋川の対岸は八王子市で流れに沿って加住(かすみ)丘陵が東西に走っており、秋川に迫り出している高月城がまじかに迫っています。<br />

    高月城跡

    秋川の対岸は八王子市で流れに沿って加住(かすみ)丘陵が東西に走っており、秋川に迫り出している高月城がまじかに迫っています。

  • 秋川と遊歩道<br /><br />往時は現在と異なり水量も豊かで、上流の産物を運ぶ重要な交通手段だったと思われます。

    秋川と遊歩道

    往時は現在と異なり水量も豊かで、上流の産物を運ぶ重要な交通手段だったと思われます。

  • 多摩川合流点から500m<br /><br />

    多摩川合流点から500m

  • 蛇行する秋川

    蛇行する秋川

  • 蛇行する秋川<br /><br />遊歩道から八王子市方面を望みます。

    蛇行する秋川

    遊歩道から八王子市方面を望みます。

  • 高月城(遠望)<br /><br />秋川側から高月城跡方面を望みます。

    高月城(遠望)

    秋川側から高月城跡方面を望みます。

  • 正林寺<br /><br />遊歩道から正林寺を望みます。秋川を断崖と見立てた要害地に見えます。

    イチオシ

    正林寺

    遊歩道から正林寺を望みます。秋川を断崖と見立てた要害地に見えます。

  • 正林寺<br /><br />あたかも石垣に建てられた館跡と見てしまいます。

    正林寺

    あたかも石垣に建てられた館跡と見てしまいます。

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