2012/09/14 - 2012/09/17
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ヌールッディーンさん
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首里城は琉球王国の王府が置かれていた城で、創建は13〜14世紀頃と考えられています。建物は何度か火災で焼失していますが、現在の正殿などは1715年に竣工した建物を再建したものです。
城全体が小高い丘の上に建てられているため、現在の首里城公園の入口から入っても坂を登りながら、いくつもの門を通らなければたどり着けません。
ここでは入口の守礼門から御庭へと続く奉神門まで、見どころが並ぶ最短ルートを紹介します。
(DSCF3231)
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守礼門
首里城にはかつて中山門という門があり、守礼門はそれに続く第二の坊門でした。16世紀の半ば頃に創建されましたが、第二次大戦で破壊されてしまったため、現在の門は昭和33年に復元されたものです。
中国の牌楼の影響が濃厚なスタイルです。
通常は「守礼之邦」と書かれた扁額が掲げられているのですが、私は台風の前と後に訪問しましたが、台風対策のためか扁額はありませんでした。
(DSCF3168) -
園比屋武御獄石門(そのひやんうたきいしもん)
尚真王時代の1519年に創建された門で、この門とその向こうの森が王府の祈願所となっていました。
現在の門は沖縄戦で大破し、1986年に再建されたものです。
(DSCF2997) -
歓会門
首里城の城郭内に入る際の正門です。
門の入口には魔除けのため一対のシーサーが置かれています。
1500年頃創建されましたが沖縄戦のため失われたものが再建されたものです。(以下、首里城に関する遺跡は特に断りがない限り沖縄戦で破壊されたものの再建です。)
(DSCF3176) -
歓会門を超えると、瑞泉門、漏刻門までは少し長い階段が続きます。
首里城全体が小高い丘の上に建っており、入口から正殿まではずっと緩やかな登り坂になっています。
この階段の右側に龍樋という泉があります。
左側に進み久慶門から城郭外に出ると円覚寺の跡地や龍潭という人工池などがあります。
(DSCF3178) -
龍樋(りゅうひ)
龍の石彫刻は1523年に中国からもたらされたもので、この泉の水は王宮の飲み水として使われていました。
(DSCF3009) -
瑞泉門
瑞泉とは「立派な泉」という意味で、龍樋に由来します。
双璧の石門の上に櫓が乗っている形式は日本本土の城門と共通していると言われています。
創建は1470年です。
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漏刻門
漏刻とは中国語で水時計を意味します。
この門の櫓の中には水時計があり、門の奥にある日時計の二つで時刻を測り、太鼓をたたいて時刻を知らせました。
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日影台
1739年から使用を開始された日時計で、漏刻門の水時計と組み合わせて時刻を測定した時計です。
日中は日時計でおおよその時刻を測り、水時計で詳しい時刻を測っていたと考えられています。
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万国津梁の鐘(レプリカ)
1458年に鋳造され首里城正殿前にかけられていた銅鐘です。
沖縄の歴史を学んだことがある人ならば知らない人はいないというくらい有名なもので、「琉球王国は南海の美しい国であり、朝鮮、中国と日本との間にあって、船を万国の懸け橋とし、貿易によって栄える国である」という主旨の銘文が刻まれています。
琉球王国が日中韓から東南アジアまでをまたにかけて中継貿易により大きな富を築いていたことを象徴しています。
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広福門
ここは建物が門の機能を持っているのが特徴で、かつては戸籍などの管理をする「大与座」と寺社を管理する「寺社座」という役所が入っていました。現在はチケット売り場としても活用されています。
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奉神門
「御庭(うなー)」に続く最後の門。
中央の屋根を左右より高くして、三門としたのは中国の建築に倣ったものと言われています。中央の門は国王や身分の高い人だけが通れる門でした。
ここまで来たら、次はいよいよ正殿のある御庭(うなー)で、観光の際にはここから先が有料ゾーンです。
(DSCF3228)
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