2012/09/14 - 2012/09/17
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ヌールッディーンさん
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首里城の最も重要な場所である御庭は、それを囲んで正殿、北殿、南殿、番所そして奉神門によって囲まれており、内部には首里城や琉球王国に関する展示があり、首里城観光のハイライトとも言うべきところです。
ちなみに、正殿の奥には本来さらに建物が続いていましたが、2012年現在では再建中でした。
このエリアは、手短に見るだけなら30分もあれば足りるかもしれませんが、じっくり見るなら1.5〜2時間くらいは確保した方が良いかもしれません。
(DSCF3282)
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御庭(うなー)
奉神門をくぐると、正面に正殿、右手に南殿と番所、左手に北殿となっています。
庭の四方を建物が囲む形式は紫禁城などの中国の宮殿の様式とよく似ていますが、磚が帯状に敷かれているのは首里城に独特のスタイルです。
(DSCF3230) -
南殿(左側、二階建て)と番所(右側、平屋)
南殿は1621〜1627年頃創建され、数度の焼失・再建の後、1712年頃再建されたものが戦前まで残っていました。
かつて内部は和風のつくりだったとされており、節句などの佳節の際に日本式の行事が行われたり、薩摩藩の役人を接待する場所としても使われるなど、日本からの影響が強く現れた建物になっています。
中国のような朱色の建物が連なる中、これらの建物だけが塗装されていないのは、こうした建物の性格が反映されているようです。
なお、現在の建物は外観を再現していますが、内部は資料が十分でなかったこともあり復元はされていません。
番所は首里城の行政施設の表玄関として、登城してきた人々の取次を行っていたところです。
建物の内部は南殿同様に和風の造りだったとされています。
(DSCF3075) -
北殿
北殿の創建は16世紀初期で、現在再現されているのは1712年頃再建されたものです。
北殿は首里王府の行政施設として使用されたほか、中国からの冊封使の接待所でもありました。
南殿が日本的な色彩が濃いのに対し、北殿は中国的な色彩が濃く、これらの間に正殿があるというのは、琉球王国の立ち位置を少々的に示しているようで興味深いです。
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正殿
正殿は国王が政治や諸儀式を行う際に出御する城内で最も重要な建物です。
和風建築に見られる唐破風がまず目につきますが、紅の派手な色彩や随所に見られる龍の姿は中国からの影響の強さをも感じさせます。
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正殿の会談は「ハの字」型に広がっています。正面から何となしに見ているだけだと、長い階段が続いているかのように錯覚してしまいます。
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大龍柱
中国の宮殿や寺院などでは柱に龍が巻き付いている彫刻が施されていますが、首里城の場合、龍の彫像が独立して建てられています。
これは首里城に独特で他の場所には恐らくない特別なものです。
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大龍柱
首里城の龍のほとんどすべては1対になっており、阿吽の形をしています。龍を探しながら建築を見るのも楽しいでしょう。
(DSCF3298) -
唐破風の妻飾りは火焔宝珠(中央部)のほか、阿吽の降龍などが描かれています。
唐破風の上にある龍頭棟飾は釉薬のかかった焼物でできており、これは屋根の両端にあるものも同様です。
なお、梁を支える柱にも阿吽の龍の絵が描かれています。
(DSCF3237) -
御差床(玉座)
正殿は3階建てで、1階(下庫理)は国王が政治や儀式を執り行うところ、2階(大庫理)は国王、王族、神女らが儀式を執り行うところ、3階は通風のための屋根裏部屋となっています。
1階と2階に御差床(玉座)がありますが、こちらは1階の御差床です。
後ろには階段があります。
(DSCF3260) -
2階の御差床。
玉座の前に1対の金龍柱があったり、玉座の基壇部分にも絵が描かれているなど、1階よりも煌びやかになっています。
(DSCF3048)
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