2012/09/14 - 2012/09/17
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ヌールッディーンさん
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首里城の御庭に向かう途中、歓会門から瑞泉門へは向かわず、久慶門から城外に出ると円覚寺跡地や龍潭などがあります。
そちらもちょっと寄り道してみたので簡単に紹介します。
(DSCF3192)
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寒水川樋川
龍樋と並んで首里城内の重要な水源で、生活用水のほかに防火用水としても使われていたようです。ここから出た水は久慶門の外の円鑑池に流れ、そこからさらに龍潭へと注がれていきました。
(DSCF3183) -
久慶門
首里城の外郭と内郭を分ける4つの門(歓会、久慶、木曳、継世)のうちの一つで、通用口的な役割を果たしていました。
門の入口が高い位置にあり、城壁も高く積まれているため、下から見ると威厳が感じられます。
(DSCF3187) -
円覚寺総門
円覚寺は第二尚氏王統の菩提寺で、かつては国宝にも指定されていましたが、第二次大戦で破壊されてしまいました。現在は総門(昭和43年)とその奥の放生橋(昭和42年)が修復され、往時を偲ばせています。
仏教の僧侶は琉球王国にとって日本とのパイプ役を果たしていました。円覚寺は琉球で最大の仏教寺院であり、王家の菩提寺として王府より保護を受けていました。
日本とのパイプという外交や通商上の重要な役割を仏教寺院はになっており、琉球王国の交易は基本的に王府が行う交易を中心としていた(それに付随して私的な交易が行なわれた)ことを考慮すると、首里城の内郭のすぐそばに大きなお寺があることにも相応の理由があったと推察されます。
(DSCF3192) -
円覚寺跡地
放生橋は戦後に再建されたものです。総門を通ってすぐに池と橋があるのは何となく中国の孔子廟などを連想させます。
(DSCF3196) -
円鑑池に建てられた弁財天堂と天女橋
15世紀末に『方冊蔵経』というお経が朝鮮王から送られたため、それを収めるために1502年に円鏡池にお堂が建てられました。
1609年の薩摩の琉球入りの際、お堂と方冊蔵経は失われましたが、1621年に弁財天像を祀るお堂が建てられ、これが弁財天堂と呼ばれるようになりました。第二次大戦でこれらも破壊されましたが、戦後(弁財天堂1968年、天女橋1969年)に復元されています。
天女橋は中国南部の橋に似ているとされるアーチ橋です。
(DSCF3201) -
龍潭
今回はあまり時間がなかったので、橋から少し見ただけで、どのくらいのスケールがあるのか自分で歩いて確かめたりすることはできませんでした。
(DSCF3216) -
蛇足ですが、トイレの蛇口がシーサー(?)になってて面白かったです。
(DSCF3225)
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