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戦国時代、関東管領山内上杉氏の重臣で武蔵国守護代を勤める中、多摩南部から相模北部にわたって勢力を拡げた大石氏の居城である高月(たかつきじょう、東京都八王子市高月町)城を訪問しました。<br /><br />地勢的には高月城は多摩川の支流である秋川が多摩川に合流する加住丘陵から半島のように突き出した小高い台地上に築かれ、複雑な自然を巧みに利用した要害と言えます。<br /><br />築城時期は定かではありませんが大石顕重(おおいし・あきしげ、1455?~1514)が長禄2年(1458)には既に居住したと伝えられ、その後定重(さだしげ、1467?~1527)が本拠地として居を引継ぎ、永正18年(1521)に同じ加住丘陵東部に位置する滝山城を築き移転するまでの本城となります。<br /><br />自分が訪問した時は城跡に至る路等を案内するものなく、麓の円通寺の社務所で尋ねるも要領を得ず、主要道路を左に入ったところで農作業を終えて帰路につく農家の男性に聞いて入口が判明したしだいです。<br /><br />民有地であり高月城跡を示す案内板等は何もなく、言ってみればほったらかしの城跡ですが、それだけに遺跡が豊富にあると思いきや中央部はいくつかに区画された畑が散在し、周辺は背の丈程の薮が立ち並び行く手を防ぎ進めず、自分の眼に移るものは何もなくがっがりではあります。<br /><br />しかしながら、手が付けられていないだけに往時の城と城を取り巻く周辺について自分なりにイメージを膨らます事ができました。<br /><br />大石氏に関する資料は意外と少ない事もあり、当然高月城についても明らかになっていません。今後の研究調査が楽しみです。

武蔵八王子 関東管領山内上杉氏の重臣守護代として武蔵南部に勢力有した大石氏が滝山城移転前に本城とした多摩川秋川合流の小高い台地『高月城』訪問

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2012/04/22 - 2012/04/22

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滝山氏照

滝山氏照さん

戦国時代、関東管領山内上杉氏の重臣で武蔵国守護代を勤める中、多摩南部から相模北部にわたって勢力を拡げた大石氏の居城である高月(たかつきじょう、東京都八王子市高月町)城を訪問しました。

地勢的には高月城は多摩川の支流である秋川が多摩川に合流する加住丘陵から半島のように突き出した小高い台地上に築かれ、複雑な自然を巧みに利用した要害と言えます。

築城時期は定かではありませんが大石顕重(おおいし・あきしげ、1455?~1514)が長禄2年(1458)には既に居住したと伝えられ、その後定重(さだしげ、1467?~1527)が本拠地として居を引継ぎ、永正18年(1521)に同じ加住丘陵東部に位置する滝山城を築き移転するまでの本城となります。

自分が訪問した時は城跡に至る路等を案内するものなく、麓の円通寺の社務所で尋ねるも要領を得ず、主要道路を左に入ったところで農作業を終えて帰路につく農家の男性に聞いて入口が判明したしだいです。

民有地であり高月城跡を示す案内板等は何もなく、言ってみればほったらかしの城跡ですが、それだけに遺跡が豊富にあると思いきや中央部はいくつかに区画された畑が散在し、周辺は背の丈程の薮が立ち並び行く手を防ぎ進めず、自分の眼に移るものは何もなくがっがりではあります。

しかしながら、手が付けられていないだけに往時の城と城を取り巻く周辺について自分なりにイメージを膨らます事ができました。

大石氏に関する資料は意外と少ない事もあり、当然高月城についても明らかになっていません。今後の研究調査が楽しみです。

交通手段
高速・路線バス 徒歩

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  • 円通寺<br /><br />西東京バスで「高月会館前」下車しますと高月城跡の麓に格式高お寺が眼に入ります。当該寺院は高月城から見下ろす位置にあり社寺の敷地も広く、往時は城主である大石氏居館であったのではないかと想像します。<br /><br /><br /><br />

    円通寺

    西東京バスで「高月会館前」下車しますと高月城跡の麓に格式高お寺が眼に入ります。当該寺院は高月城から見下ろす位置にあり社寺の敷地も広く、往時は城主である大石氏居館であったのではないかと想像します。



  • 円通寺<br /><br />石段を上がると山門が見えます。

    円通寺

    石段を上がると山門が見えます。

  • 円通寺拝殿<br /><br />天台宗の古寺で、延喜3年(903)創建と伝えら、五日市、秋川、福生と転々とし現在地に移ったと言われています。残念ながら訪問時の住職からは高月城との関わりなどの情報はありませんでした。<br /><br />

    円通寺拝殿

    天台宗の古寺で、延喜3年(903)創建と伝えら、五日市、秋川、福生と転々とし現在地に移ったと言われています。残念ながら訪問時の住職からは高月城との関わりなどの情報はありませんでした。

  • 円通寺<br /><br />寺号の扁額が掲載されています。ここの住職に高月城の登り口を尋ねますが情報得られず独自で探すしかありません。

    円通寺

    寺号の扁額が掲載されています。ここの住職に高月城の登り口を尋ねますが情報得られず独自で探すしかありません。

  • 高月城入口発見<br /><br />円通寺を出て道路を福生方面に移動すると「ホテル高月」看板の小道が見えます。(尚当ホテルは廃業状態です)

    高月城入口発見

    円通寺を出て道路を福生方面に移動すると「ホテル高月」看板の小道が見えます。(尚当ホテルは廃業状態です)

  • 空堀跡<br /><br />小道の左右に小石で積まれた石垣が視野に入り、改変されていますが往時は空堀<br />だったと思われます。<br />

    空堀跡

    小道の左右に小石で積まれた石垣が視野に入り、改変されていますが往時は空堀
    だったと思われます。

  • 登城口<br /><br />やがて左側にやっと通れるほどの小道がありここを入り、登る途中に農作業を終えてきた男性に尋ねますと高月城について親切に教えていただきました。

    登城口

    やがて左側にやっと通れるほどの小道がありここを入り、登る途中に農作業を終えてきた男性に尋ねますと高月城について親切に教えていただきました。

  • ホテル建物<br /><br />空堀跡を隔ててホテルの当建物がありますが、高月城の第3郭と言われています。当然ながら遺構はことごとく改変されています。

    ホテル建物

    空堀跡を隔ててホテルの当建物がありますが、高月城の第3郭と言われています。当然ながら遺構はことごとく改変されています。

  • 登城口<br /><br />今から登る大手通から振返りますと、小道の向こうには廃業となっているホテルの敷地一部が見えます。

    登城口

    今から登る大手通から振返りますと、小道の向こうには廃業となっているホテルの敷地一部が見えます。

  • 登城道の途中景観<br /><br />くねくねした急勾配の小道を登って行きます。(昔の人々の足腰の強さには敬服します)

    登城道の途中景観

    くねくねした急勾配の小道を登って行きます。(昔の人々の足腰の強さには敬服します)

  • 主郭<br /><br />100m四方と思われる広さの主郭に着きます。巡回する路など全くなく、草むらと樹木の間に畑がいくつか見えます。

    主郭

    100m四方と思われる広さの主郭に着きます。巡回する路など全くなく、草むらと樹木の間に畑がいくつか見えます。

  • 主郭<br /><br />枯れた樹木が倒れて足の踏み場などありません。樹間の向こうに秋川の流れが確認できます。

    主郭

    枯れた樹木が倒れて足の踏み場などありません。樹間の向こうに秋川の流れが確認できます。

  • 主郭<br /><br />耕された畑が散見されます、訪問時は作業人の姿は見かけませんでした。

    主郭

    耕された畑が散見されます、訪問時は作業人の姿は見かけませんでした。

  • 主郭<br /><br />戦国時代の城らしく南側は急涯となっており自然の地形を利用した城郭に改めて感心します。<br /><br />

    主郭

    戦国時代の城らしく南側は急涯となっており自然の地形を利用した城郭に改めて感心します。

  • 主郭<br /><br />周囲は土塁などは確認できませんでしたが、土塁かなと思わせる姿が見かけられました。

    主郭

    周囲は土塁などは確認できませんでしたが、土塁かなと思わせる姿が見かけられました。

  • 主郭<br /><br />耕作地以外は全く手が加えられておらず荒れ放題のため接近不可能です。樹木の向こうに秋川が確認できます。往時は秋川とその河岸段丘に広がる平地が一望に把握できる位置に城があった訳で戦国時代にふさわしい城と言えます。

    主郭

    耕作地以外は全く手が加えられておらず荒れ放題のため接近不可能です。樹木の向こうに秋川が確認できます。往時は秋川とその河岸段丘に広がる平地が一望に把握できる位置に城があった訳で戦国時代にふさわしい城と言えます。

  • 主郭<br /><br />耕作地が広がります。史跡指定などされておらず、当然整備もなされてない状況です。

    主郭

    耕作地が広がります。史跡指定などされておらず、当然整備もなされてない状況です。

  • 土塁<br /><br />主郭から帰路の途中に土塁らしきもの発見しました。

    土塁

    主郭から帰路の途中に土塁らしきもの発見しました。

  • 井戸跡<br /><br />主郭から帰路の途中に水溜りがありましたが井戸跡かもしれません。

    井戸跡

    主郭から帰路の途中に水溜りがありましたが井戸跡かもしれません。

  • 秋川一望<br /><br />樹間から秋川の流れと河川敷きが眼に入ります。

    秋川一望

    樹間から秋川の流れと河川敷きが眼に入ります。

  • 高月城跡遠景<br /><br />東高月橋を渡った橋詰から高月城跡を一望します。<br />

    高月城跡遠景

    東高月橋を渡った橋詰から高月城跡を一望します。

  • 秋川対岸遠景<br /><br />秋川を隔てた遊歩道から高月城跡を眺めます。

    秋川対岸遠景

    秋川を隔てた遊歩道から高月城跡を眺めます。

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