2012/09/01 - 2012/09/08
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ヌールッディーンさん
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横山家は初代・横山宗右エ門が加賀の国(現在の石川県)から江差に渡り、鰊漁と鰊の加工(干数の子、身欠き鰊、肥料)と販売を生業としたところから始まりました。
明治になると鰊の漁場が北上し、道南では不漁となっていったことや北前船が廻航しなくなっていったため、5代目の時に米雑穀の問屋に転業し、7代目になると包装資材の薬工品問屋に転業し、現在は8代目になっているようです。
住宅は江戸時代末期頃(約180年くらい前)に建てられたもので、奥にある蔵は200年以上は経過していると考えられています。
この建築は単に江戸時代末期の蝦夷地の廻船問屋の家屋というだけではなく、江戸末期から明治頃の蝦夷地には近江商人やそれに使用される北陸や東北の人々が多く渡来していましたが、横山家も北陸から来ている点や、鰊とその加工品を北前船の交易ルートを利用して売り捌いていたこと、明治以後の鰊漁と北前船の辿った運命など、江差と蝦夷地の歴史を非常に濃縮して映し出してくれる文化遺産です。
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母屋と4つの蔵が連なっており、奥行きが非常に深い作りになっています。
間口が狭く奥行きが深い構造は、京都の町屋のスタイルを踏襲しているとされます。北前船による交流があったため京都の文化が蝦夷地にまで流入していたとされ、横山家住宅にも随所に京都の様式が取り入れられています。
京都でこうしたスタイルが採られたのは、道路に面した間口の広さに応じて税金が課されたことが大きな要因であったとされています。江戸時代の蝦夷地では本州とは税制は異なっていたと思われますが、それでも同じ形式が受け継がれているのが興味深いです。
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母屋に隣接して増築された家があります(写真右側)。こちらは現在蕎麦屋さんにもなっていますが、こちらも100年以上経過しているそうです。
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京欄間。
この建物には京都風の箇所が随所にあるそうですが、その代表的なもののひとつがこの京欄間です。
北前船の交易路を通じて上方の文化が入ってきていたそうですが、横山家の
家主も鰊漁の時期が終わると上方(京都や大阪)に着物などの買い物や芝居見物などのために出かけていたそうで、京都の文化への憧れが表現されていると考えられます。
江戸時代末期の蝦夷地の高文化がどのようなものだったのかが垣間見えて興味深いところです。
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玄関を入ると土間があり、畳の間は手前が手代が仕事をする部屋で奥は生活の空間になっています。
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土間から畳の間に上がる部分は座りやすいように畳の間の側に傾いていました。
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居間では明かりをとるため、部屋の上部にガラスの障子が使われています。このガラス障子と天窓は廻船問屋の建築としては日本初のものだそうです。
ガラス窓などの新しい技術にも敏感に反応し、取り入れていることに感心します。
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弓張り提灯。
部屋の上部の取り出せる位置に提灯が並んでいました。
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背負い金庫。
非常時(特に火事の時)に貴重な金品を入れて持ち出すための金庫です。総桐製で、家紋と屋号が入っています。
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壱番蔵の扉。
母屋に近い側から一番→四番の番号が付いています。壱番蔵は文庫倉で貴重品が保管されていた倉庫です。ちなみに、二番蔵と三番蔵は米を保管していたそうです。
漆喰の壁や扉で防火対策もしっかりされています。
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4つの蔵には風雪から守るための「のざや」という屋根がかけられています。
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蔵の内部。
現在は団体客が訪れた時に食堂代わりに利用しているため、テーブルなどが置かれています。
明治以降の倉庫とは構造が異なっているように思います。
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海側に行き、4番蔵をさらに超えたところは「刎ね出し」と「穴」と呼ばれる部分になります。前者は2階部分で、この写真でいうと左側の道から入ります。後者は1階部分で写真の右側の道から下っていきます。
「刎ね出し」は2階部分が突き出していて窓があります。用途は様々ですが、漁家や廻船問屋では物置や荷物の積み下ろしなどに使っていたようです。
「穴」には門があり、海からの荷物用玄関といったところでしょうか。
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刎ね出しと穴の外観。
2階の刎ね出しは1階より突き出ていますね。
海側の出入口は現在は国道に面していますが、これは昭和40年頃に埋め立てて作られたものだそうで、それ以前は直接海に面していたそうです。
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海に面して並ぶ「刎ね出し」。
鰊漁の網元の家は明治初め頃まではこのように連なって並んでいましたが、その後の不漁により衰退し、次々と姿を消してしまいました。
横山家の住宅はこうした網元たちの豪邸のひとつであり、往時の様子を現代に伝える貴重な資料でもあるのです。
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