2012/09/02 - 2012/09/02
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suomita2さん
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堺駅南口でレンタカーを借りて,国道310号線,府道2号線を観心寺に行こうとしていたが,観心寺に行っても当然秘仏の如意輪観音像はみられないし,気が変わって仁徳天皇陵に20年ぶりにお参りすることにした.10時から仁徳天皇陵前でボランティアさんの説明を聞く.この巨大さには敬服.この時期の大和朝廷の権力の大きさもわかる.1017堺市博物館へ.ボランティアさんに「百舌鳥古墳群を中心とした古墳時代」と「中世末期の自由都市堺」を中心に解説してもらった.写真は禁止で撮れなかったが,古代港に着いた他国の船から並び立つ巨大な古墳が見えたであろう話には感激した.また戦後の混乱期に宅地造成や土砂採取で多くの古墳が失われたことも知った.大仙公園を履中天皇陵まで散歩.履中天皇陵を見た後,仁徳天皇陵を見学した際,ボランティアさんからすすめられた自転車博物館サイクルセンターへ.これがなかなか面白く,自転車の歴史を肌で知ることができたと同時に堺の地場産業に自転車があるということを知った.仁徳天皇陵の周りをドライブし,さらに履中天皇陵にお参りしたらすでに1238.これから千早赤阪村に向かうが,昼食どうしよう..
- 同行者
- その他
- 交通手段
- レンタカー ANAグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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0924堺駅南口でレンタカーを借りて,国道310号線,府道2号線を観心寺に行こうとしていたが,観心寺に行っても当然秘仏の如意輪観音像はみられないし,気が変わって仁徳天皇陵に20年ぶりにお参りすることにした
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目の前がお堀
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大仙公園の百舌鳥耳原由来の像.百舌鳥も耳原も日本書紀に由来する地名だったんだ!仁徳天皇陵造成の時に,しかに悩まされていたとき,一頭の鹿が倒れ,その耳から百舌鳥が飛び出していったという日本書紀に由来すると.私は初めて知った.
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孫太夫山古墳 小さな古墳も合わせてかつては100基あったという.現在は48基しか残っていないと.戦後の混乱期に宅地造成や土砂採取で破壊された者が多い.その中の小さな古墳の一つ
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このお堀,緑のもで埋め尽くされまるでペンキで塗ったよう.危うく中に入るところだった.
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前方後円墳であることがよく分かる.
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仁徳天皇陵にお参り
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ここは前方部の先のところ.この堀の大きさだけでも巨大と思うが,あまりにも巨大で実感がわかない
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イチオシ
堀も3重で,二重目までしか見ることが出来ない.後で回りを車でドライブしてやっと巨大さを実感
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10時からのボランティアさんの説明を聞く.巨大さがよく分かる.そこで自転車博物館に是非行くようにと言われて,あとで訪ねることにした.
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1014 大仙公園内にある小西行長ゆかりの松
「行長と直接関係があるわけではなく、行長の領地だった熊本県宇土市から贈られたものです。
宇土市が松を贈ってくれた理由については「宇土市で行長没後380年祭が行われたイベントの一環」「堺市博物館開館のお祝い」「堺市制90周年のお祝い」等、いろんな説を聞きました。
松が贈られたのは1980年(昭和55年)で、この年は宇土で行長没後380年祭が行われ、また堺でも博物館が開館した年です。しかし堺市制90周年はその1年前の1979年でした。
なので「市制90周年を祝って1年かけて作られた博物館が開館し、そのお祝いにちょうど行長没後380年祭をしていた宇土が贈ってくれた」とかかなあ、と勝手に想像しています。」
http://www.konishiyukinaga.com/SISEKI/oosaka-3.html -
武野紹鴎(本当は字が違うが文字化けするので,古い区という字が編になる)像 茶人 千利休のいわば師にあたる
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千利休像 自由都市堺であったことを思い出す
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1017 堺市博物館へ
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エントランス.200円.ボランティアさんに説明をお願いする
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面白い円形のつくり.建物は前方後円墳をイメージしていると.たしかに堺市のホームページを見ると,上からの写真でそれが解る.http://www.city.sakai.lg.jp/hakubutu/index.html
ボランティアさんに「百舌鳥古墳群を中心とした古墳時代」と「中世末期の自由都市堺」を中心に解説してもらった.写真は禁止で撮れなかったが,古代港に着いた他国の船から並び立つ巨大な古墳が見えたであろう話には感激した -
次の「堺の産業・文化」「祈り・祭り」コーナーは多くが撮影自由だった.写真が自由なところで昭和初期の阪和電鉄の観光案内
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昭和11年の南海電鉄の観光案内 昭和初期にはこのような観光案内が良くつくられた.以前京王電鉄の観光案内を見たことがあるが同じような作りだった
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イチオシ
この大日如来坐像.なかなかすばらしい.
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臨江庵燈籠.武野紹鴎の百回忌法要の際奉納されたもの.1115に博物館を出る.
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イチオシ
昭和30年頃に保存運動で破壊を免れたいたすけ古墳より出土したかぶと形埴輪のレプリカ.堺市文化財保護のシンボルになっていると
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大仙公園を南へ
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七観音古墳 五世紀中ごろの円墳
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履中天皇陵の処まで行く,あまりよく見えないので後で車で反対側の前方部まで行くことにした
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大仙公園をぐるっとまわり,自転車博物館へ,しかし古墳も広いがこの公園も広い
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世界最古の自転車とのこと
2つの車輪を前後に並べて走るという発想がすごい!木製の自転車。またがって足で地面をけって走りました。
http://www.sakai-tcb.or.jp/feature/12_3.html -
中にはいろいろな自転車が展示.これは堺市より皇太子殿下(現天皇)へ昭和11年献上されたもの
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1861年「ミショー型ボーンシェーカー」
ペダルを回してこぐ“速い”自転車の登場。ペダルの位置と仕組みに注目!
最初に工場で量産された自転車でレースが始まりました。
http://www.sakai-tcb.or.jp/feature/12_3.html -
だんだん前輪の車輪が大きくなる
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イチオシ
1880年頃「オーディナリー」
より速く走るために前輪が巨大化。しかし、急ブレーキをかけると前方宙返りするうえ、乗り降りが難しく、とても危険でした。 -
1885年 「セイフティバイシクル」
前輪と後輪が同じ大きさになり、安全に速く走ることができるようになりました。 -
20世紀「コンフォートバイク」
コンピュータも組み込まれ、変速機やライトが自動化されるなど、誰もがより快適に乗れる自転車が増えています。 -
1920年ごろの日本製自転車
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子供たちの絵
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平成4年中学三年生が最大級の一輪車でアメリカ横断 5248?43日間は世界記録でギネス登録.それにしてもサドルが高い
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1202自転車博物館サイクルセンターを出る
堺大空襲などの死者、堺市の戦没者らの鎮魂を祈念して1971年に建設された、高さ60mの大仙公園のシンボルタワー。内部は非公開だが、階段が設けられており頂上に上ることは可能になっている
Wikipedia -
仁徳天皇両側のもう一つの前方後円墳 竜佐山古墳 孫太夫山古墳とおなじくやや前方部が短くホタテガイ型
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堀の部分を橋でわたる.後円部
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駐車場へ 1215出発
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仁徳天皇陵の周りをドライブ
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1232履中天皇陵の前の道路に駐車し見学
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イチオシ
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堀はやっと垣間見える程度.たしかに天皇家の墓だが,国民の財産でもあるので,失礼にならない程度で見学できても良いと思う
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1238さてこれから千早赤阪村に向かう
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大仙公園前観光案内所ではたくさんのパンフをゲットできる.じつは大阪の観光案内の書籍は一切持っていなかったがこれらで十分であった
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このパンフは優れもの
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大仙公園の簡単な地図が役立った
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堺市博物館のパンフレット
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自転車博物館のパンフレット
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