2012/08/12 - 2012/08/17
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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■夏の車旅⑲ 中山道赤坂宿
夏の車旅記の作成に長~い時間がかかっています。3か月以上も前の旅のことを思い出すことにひと苦労です。ヨロピクー(^3^;)
<走行ルート>
敦賀~白川郷~富山~白馬~安曇野~信州上田~蓼科高原~富士五湖周辺~岡崎~関ヶ原~彦根~東近江~帰宅
※5泊6日、走行距離:約2200km
≪6日目≫・・・・・・・・・・・・・・
▼大垣ひまわりランド/岐阜県大垣市平町地内
▼中山道「赤坂宿」/岐阜県大垣市赤坂町
▼お茶屋屋敷跡/岐阜県大垣市赤坂町
▼関ヶ原ウォーランド/岐阜県不破郡関ケ原町
▼佐和山城跡(清凉寺・龍潭寺)/滋賀県彦根市古沢町
▼彦根城(想い出さがし走行)/滋賀県彦根市金亀町
▼琵琶湖畔「曽根沼」/滋賀県彦根市三津屋町
▼琵琶湖畔「野田沼内湖」/滋賀県彦根市甘呂町
▼東近江「大凧会館」/滋賀県東近江市八日市
▼名神高速八日市インタON/帰宅
◆中山道赤坂宿/岐阜県大垣市
東海道は古くから開けた街道でしたが、戦国大名の領国支配が進むと、軍隊の移動や国内支配のための交通 整備が行われるようになりました。
今川義元は、天文23年(1554)に伝馬の制度を定めました。伝馬とは、兵の移動や物資の輸送に備えて、宿駅に乗り継ぎ用の馬や人足を置くことをいいます。
天正19年(1591)には、池田輝政が、赤坂宿あてに毎日馬46疋を常備するように命じています。
慶長6年(1601)家康は東海道に伝馬制を走め、宿駅毎に伝馬朱印状を出しました。寛永元年(1624)までに東海道五十三次がほぼ完全に整備され、赤坂宿は江戸から36番目の宿となりました。
伝馬の朱印状には「赤坂・五位」と併記され、当初赤坂・御油宿は一宿として扱われていたと思われます。
その後「下りは藤川から(赤坂を飛ばし)御油まで通し、上りは吉田から(御油を飛ばし)赤坂宿まで」と定められ、上りと下りで使い分けられていた時期もあったようです。
◆お茶屋屋敷跡/岐阜県大垣市
慶長9年(1604)頃、徳川家康が中山道沿いに造営した将軍専用の休泊所跡で、創建当時の城郭様式を偲ぶ土塁や空壕の一部が残っています。GWころのお茶屋屋敷跡内のボタン園が有名です。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 自家用車
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■大垣ひまわりランド
夏の車旅6日目。早朝、岐阜羽島駅そばのホテルから出発です。 -
■大垣ひまわりランド
ひまわりランドの幟が目に入ったので立ち寄ってみました。 -
■大垣ひまわりランド
県道50号線(大垣環状線)を挟んだ北と南に植えられた、 25万本のヒマワリが見ごろを迎えています。 -
■大垣ひまわりランド
大垣のひまわり畑は、休耕田を有効利用することで水田農業の振興と地域の活性化を図ることを目的としているそうです。 -
■大垣ひまわりランド
平成2年から毎年場所を変えて実施しており、本年で23回目となるそうです。 -
■大垣ひまわりランド
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■大垣ひまわりランド
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◆中山道赤坂宿/岐阜県大垣市
東海道は古くから開けた街道でしたが、戦国大名の領国支配が進むと、軍隊の移動や国内支配のための交通 整備が行われるようになりました。 -
◆中山道赤坂宿/岐阜県大垣市
今川義元は、天文23年(1554)に伝馬の制度を定めました。伝馬とは、兵の移動や物資の輸送に備えて、宿駅に乗り継ぎ用の馬や人足を置くことをいいます。
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◆中山道赤坂宿
・所郁太郎の像
天正19年(1591)には、池田輝政が、赤坂宿あてに毎日馬46疋を常備するように命じています。
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◆中山道赤坂宿
慶長6年(1601)家康は東海道に伝馬制を走め、宿駅毎に伝馬朱印状を出しました。 -
◆中山道赤坂宿
寛永元年(1624)までに東海道五十三次がほぼ完全に整備され、赤坂宿は江戸から36番目の宿となりました。 -
◆中山道赤坂宿
伝馬の朱印状には「赤坂・五位」と併記され、当初赤坂・御油宿は一宿として扱われていたと思われます。
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◆中山道赤坂宿
その後「下りは藤川から(赤坂を飛ばし)御油まで通し、上りは吉田から(御油を飛ばし)赤坂宿まで」と定められ、上りと下りで使い分けられていた時期もあったようです。 -
◆中山道赤坂宿
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◆中山道赤坂宿
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◆中山道赤坂宿
・赤坂港会館
この建物の前身は、赤坂町の中心地にあたる中山道と谷汲街道の分岐点に明治8年(1875)に建てられた岐阜県警察第2区大垣出張所の第5分区屯所です。 -
◆中山道赤坂宿
・赤坂港会館
昭和7年に赤坂商工会議所として金生山山麓に移築され、その後昭和51年から昭和60年まで金生山化石館として利用されました。 -
◆中山道赤坂宿
役目を終えた現在は、史跡公園として歴史を伝えています。 -
◆中山道赤坂宿
中山道の宿場町として栄えた赤坂宿にあった川港の赤坂港。 -
◆中山道赤坂宿
杭瀬川の豊富な水量を利用した船による運搬は明治年間に最盛期を迎え、300隻を越える船でにぎわったといわれています。 -
◆中山道赤坂宿
・赤坂港会館 -
◆中山道赤坂宿
火の見櫓 -
◆中山道赤坂宿
矢橋式日時計 -
◆中山道赤坂宿
道路に錆びた手押しポンプがありました。 -
◆中山道赤坂宿
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◆中山道赤坂宿
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▼お茶屋屋敷跡
ところ変わって。お茶屋屋敷跡なるものが近くにあったのでちょっと散策してみました。 -
▼お茶屋屋敷跡
慶長9年(1604)頃、徳川家康が中山道沿いに造営した将軍専用の休泊所跡で、創建当時の城郭様式を偲ぶ土塁や空壕の一部が残っています。 -
▼お茶屋屋敷跡
GWころのお茶屋屋敷跡内のボタン園が有名です。時期外れですね。
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イチオシ
▼お茶屋屋敷跡
おーっ、テッポウユリでしょうか。きれいに咲いています。 -
▼お茶屋屋敷跡
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▼お茶屋屋敷跡
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▼お茶屋屋敷跡
なぜに、うさちゃんが…。 -
▼お茶屋屋敷跡
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▼お茶屋屋敷跡
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▼お茶屋屋敷跡
古井戸の跡 -
▼お茶屋屋敷跡
延命地蔵尊 -
▼お茶屋屋敷跡
よくわからんままに出てきました。 -
▼正安寺
お茶屋屋敷跡前にあるお寺です。
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◆美濃国分寺跡近く
関ケ原へ向かう途中にまたひまわり畑がありました。 -
◆関ヶ原ウォーランド
次の旅行記は史上最大の合戦、関ケ原合戦を史実に基づいて再現した『関ケ原ウォーランド』です。
THE END.
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