2012/09/16 - 2012/09/16
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熱帯魚さん
さて、反日ムードが高まっているといわれる昨今、
日本人が多い場所(古北)とか、繁華街(南京東路)とか
を避けて、旧ユダヤ人居住区に久しぶりに行くことに。
地下鉄を乗り継いで、4号線の大連路で下車。
まずは旧ユダヤ人居住区に近い場所にある下海廟を
目指しました。
上海なのに、下海???
と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
ネットで調べたところによるとこんな由来があるそうです。
★★ 上海と下海 ★★
黄浦江の「浦」は、呉方言で小さい川、人工河川を指す言葉でした。宋の時代、呉淞江の排水問題を解決するため、呉淞江の両岸に約5里ごとに呉淞江に通じる水道が作られ、それが浦と呼ばれていました。
当時、呉淞江は虹口区海門路の一部で、南岸に浦があり、上海浦と呼ばれていました。そして、上海浦と向かい合う北岸の浦を、下海浦と呼んでいました。江南では河川を命名するときに、源流の支流を「里」もしくは「上」、下流に近い部分を「外」もしくは「下」と呼ぶ習慣がありました。上海浦と下海浦はこうした位置関係により命名されたのです。
★★ 下海廟について ★★
歴史書によると、下海廟の建設が始まったのは清の乾隆年間のこと。以前は、この一帯は漁村で、漁民が海に出る際、神のご加護を願い、[女馬]祖を祀って小さな廟を建てました。下海廟は俗に夏海廟や義王廟とも呼ばれます。当初は9つしか建物がありませんでした。嘉慶年間に倒壊したため、再建されました。咸豊4年に拡張工事が行われ、光緒25年に再び拡張工事で后殿などが増設されたことから10数の建物を要するようになりました。戦時中の初期に、下海廟は日本軍の砲火で焼け落ちてしまったため、1941年から再建工事が行われました。
今回せっかく下海廟に行ったのに、
なんとちょうど閉館時間で、入れませんでした…残念。
そして次に向かうのは旧ユダヤ人居住区。
ユダヤ難民を受け入れ、東洋のウィーンとも例えられた町並み。
とても素敵なんですが、今は上海人が住んでいて
かなりローカルな雰囲気漂っています。
この町並みなんか好きなんですよね…私。
ということでぶらぶらしてきましたー。
★★ 上海の旧ユダヤ人居住区 ★★
1933年から1941年にかけて、上海は3万人近くのユダヤ難民を受け入れました。虹口区の提籃橋地区の「無国籍難民限定居住区」には、かつて2万人近いユダヤ難民が暮らしていたといいます。ユダヤ難民はこの地で、現地の中国人らとうまくかかわりながら、暮らしていました。ユダヤ人は、理髪店、靴帽子屋、衣料品店、パン屋のほか、バー、ルーフトップガーデンなどの娯楽施設を開設しました。舟山路には、小型商店や小物を売る屋台などがずらりと並び、上海の新聞が「ミニウイーン」と呼ぶほどに異国情緒漂う町並みだったそうです。戦後ユダヤ難民は次々と上海を去りましたが、提籃橋(舟山路、霍山路およびその周辺)には今も、ユダヤ人居住区だった建物が当時に近い形で保存されています。
以前の散歩記:
http://4travel.jp/traveler/blue_tropical_fish/album/10544456/
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
大連路駅を出て、長陽路を歩いていきます。
○ 匯山電話交換所(現:中国電信北外灘局)
所在地:長陽路244号
米国商上海電話公司が1911年8月から1912年3月26日にかけて開設した電話交換所のひとつ。 -
○ 工部局警務処監獄(現:提籃橋監獄)
所在地:長陽路147号
1903年から1935年にかけて、上海公共租界工部局によって建てられた建築。華徳路(長陽路の旧名)監獄とも呼ばれました。長期間、英国の管理下におかれたため、「外国監獄」や「西牢」とも呼ばれていました。1903年5月18日、第一棟監楼が竣工し使用が開始され、それから立て続けに増築され、1935年までに敷地面積60ムール、10棟余りの規模となりました。周囲は5mの高さの壁に囲まれています。
提籃橋監獄はさまざまな時代背景により、多くの著名人を収容してきました。1945年から1948年にかけて、この場所は日本人戦犯を拘留、審判、処刑する場所でした。かつて100名余りの日本人戦犯が収容され、少なくとも13名が処刑されたそうです。 -
長陽路と舟山路の交差点にある旧ユダヤ難民住居。
あとでこちらに戻ってくることにして、とりあえず下海廟を目指します。 -
立派なチケット売り場ができていました!
上海の歴史に興味がある方は行ってみることをお勧めします。
私は以前行ったので、今回はパス… -
○ 摩西会堂(現:上海ユダヤ難民記念館)
所在地:長陽路62号
1927年にユダヤ系ロシア人が共同出資して建てたユダヤ教会(シナゴーグ)。もともとは華徳路会堂と呼ばれていましたが、のちに摩西会堂と改名されました。第二次世界大戦中は、上海のユダヤ難民の宗教活動として使われ、上海最大のユダヤ人社団「上海ユダヤ宗教公会」が堂内に開設されました(1941年に別の場所に移設)。一時期ユダヤ青年組織が館内に創設されたこともありました。
戦後は虹口区神経病防治所として使われ、その後虹口人防部の管理下に置かれました。1階は教会が当時のまま再現され、もともとはユダヤ人学校として使われていた2階は虹口区民防工程管理所が使用しています。3階は中国人とユダヤ人の友好をテーマにした芸術作品の展示が行われており、別館の陳列館には当時のユダヤ難民の生活がパネル展示されています。 -
同上。
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○ 下海廟
下海廟にとうちゃーく!いったん中に入ってみたのですが、係員のおじさんにみつかり、「小姑娘、もう閉館だよ〜」といわれて追い出されました…汗
聞くと4時までだそうです。残念!! -
下海廟の前には、おばちゃんが数名いて、占い?をすすめてきます。「小姑娘、あなた今彼氏がいるけど、ほかの男性からも言い寄られてるでしょ?婚姻について占うわよ」とか言われて…まああたらずとも遠からずか。
とにかく面倒なので逃げました。 -
小区をのぞいてみました。
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再び旧ユダヤ人居住区へ。
○ 旧ユダヤ人住居
所在地:霍山路71-95号
こちらも舟山路のユダヤ人住宅と同じく、1920年代に建てられた欧風建築です。第二次世界大戦中には多くのユダヤ難民が住んでいました。 -
イチオシ
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イチオシ
先ほど下海廟に向かう途中に見えた旧ユダヤ人住居です。さっきは長陽路側から写しましたので、角度が違います。
ふと見るとおやじたちが集まって何かやってますよ? -
将棋のこま?みたいな丸いこまが15個ぐらいあって、それをビリヤードみたく下に落としていくゲームだそうです。こまの上部には数字が書いてあり、「13番落としまーす」とか宣言してから落とします。その番号が落ちなかった場合は、次の人に順番が回っていきます。
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路地裏に行ってみよう。
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こんな感じのお宅が数軒並んでいました。
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ちょっとぽっちゃり目の子猫を発見。
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何見てんのよ!とでもいいたげな…
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イチオシ
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前回は時間が無くては入れなかった霍山公園に行きました。
○ 霍山公園
旧ユダヤ人居住区の碑が立ってます。 -
公園の中にあったこの建物…
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何だろう?と思って説明を読んでみると、
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この建物は、「第二次世界大戦前と第二次世界大戦中、上海人民がユダヤ人難民を受け入れたことに感謝し、虹口区人民政府のサポートのもと、イスラエル政府及びイスラエル企業が出資し修繕した」そうです。
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イチオシ
公園を歩いていたら鳥の鳴き声が聞こえました。
ふと見ると、樹に鳥かごがつるされていました。
シンガポールとか香港とかでもよく見ますね。鳥の鳴き声を楽しむみたいなね。 -
ほかにも5,6個鳥かごがつる提げられていました。
とここで、蘇州の日本人の友人から携帯メールが届きました。「蘇州は商店がめちゃくちゃに壊されちゃってるけど、そっちは大丈夫?」と。蘇州の辺は結構過激な活動が行われているようです。
そんなことを思いながら、ベンチに座って一休み。すると隣のベンチのオヤジたちが何か熱く語ってました。耳をすませると上海語で、「さっぱにー」、「さっぱー」とか連発してるじゃないですか。はっきりとした内容はよくわかりませんが、「日本人(さっぱにー)」と「日本(さっぱー)」について熱く語ってることはわかりました。 -
ということで、相手は私が日本人だということに全然気がついていませんが、まあアウェイなので、そろそろ帰宅することにしました。
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帰り道。
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不思議な雲から光線が出てました。
おわり。
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