2012/03/26 - 2012/03/26
507位(同エリア1193件中)
滝山氏照さん
「御祭神乃木稀典命は幕末から明治という近代国家建設の激動の時代をすごされました。
日清戦争・日露戦争等における軍人としての活躍はもとより、詩歌の素養に優れ、学習院院長として深い慈愛と質実剛健の心をもって後の昭和天皇をはじめ多くの生徒を指導された教育者でもあります。
妻・静子夫人もまた常に将軍の思いを察せられ、忠孝・質素・仁愛の志篤く内助の功を尽くされました。
大正元年9月13日、乃木将軍は静子夫人と共に明治天皇に殉じられました。
至誠一貫の御生涯は、多くの国民の共感するところであり、その「忠誠」の精神を永世に伝えようと大正12年11月1日、数多くの崇敬者により当社は創設されました。
昭和20年5月25日空襲により本殿以下の社殿が焼失しましたが、全国の崇敬者の熱意により、昭和37年9月に復興されました。
御祭神の御事蹟か文武両全・夫婦和合の神様として崇敬されていますが、その根源にあるのは、日本とは我々一人ひとりの精神の中にあるという御神訓であり、神としてお祀りされている由縁であります。」
(東京乃木坂 乃木神社パンフレット)
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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乃木神社
東京メトロ千代田線「乃木坂」下車、すぐに神社があります。 -
「乃木坂」由来
乃木大将が殉死された大正元年9月以降「乃木坂」と改名されます。 -
乃木神社案内
御祭神
乃木稀典命(のぎまれすけのみこと)大正元年9月13日明治天皇に殉死
乃木静子命(のぎしずこのみこと) 同年同月同日乃木稀典命に殉ず -
周辺地図案内
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一の鳥居
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乃木神社案内図
神社に旧乃木邸が隣接しています。 -
乃木神社之碑
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乃木神社参道
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乃木講誓詞之碑
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二の鳥居
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「勝守」
お守りの案内でしょか。 -
拝殿
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さざれ石
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正松神社(境内摂社)
御祭神 玉木文之進命(たまきぶんのしんのみこと)
吉田松陰命(よしだしょういんのみこと)
説明によりますと玉木文之進は幕末長州萩の学者で松下村塾の開祖であり、その塾を引継いだのが甥に当たる吉田松陰ですが、乃木稀典は松蔭の弟弟子であったことから萩の松蔭神社から二柱の御分霊を請受け境内に鎮祭した縁の神社です。 -
正松神社
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教育の碑
説明によりますと明治40年1月に学習院院長になった乃木稀典に生徒心得の為に明治天皇より賜った御製とのことです。 -
境内及び社務所
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「乃木夫妻瘞血(えいけつ)之処」石碑
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説明板
殉死した時の血がついたものを埋めた所だそうです。 -
旧乃木邸門
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旧乃木邸表玄関
旧乃木邸は明治35年(1902)新築され、大正元年(1912)9月13日明治天皇御大葬の日、明治天皇に従って殉死するまで当家に住んでいました。 -
御供待所
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乃木稀典生涯説明板
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乃木稀典と辻占売少年像
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説明板
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旧乃木邸
軍人の家らしく飾りけなく合理的に造られています。建坪は168m2、木造平屋、日本瓦葺で傾斜地を巧みに利用して建物全体を半地下構造にしています。 -
乃木稀典夫妻殉死の部屋
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建物へは立入禁止
地震の影響を受け母屋へは立入禁止となっています。 -
乃木家祖霊社
乃木家祖先と子息たちの霊を祀っています。
因みに長男・勝典は26歳で、二男保典は24歳でそれぞれ戦死しており、乃木夫妻と共に青山墓地で眠っています。 -
庭園
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馬小屋
乃木稀典の愛馬「壽」号の小屋です。当時のロシア側将軍が愛用したアラビア産の馬を贈られ、後に個人用として愛用したそうです。 -
壽号馬小屋
一部レンガ造りとなっており、乃木稀典の愛馬に対する深い気持ちが表われています。
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