2012/06/11 - 2012/06/11
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こまちゃんさん
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6月11日からの続きです。
外灘源33を見終えたこまは、そのまま外灘の方へと向かって行きます。
先ずは黄浦公園には上がらず、中山東一路からビルを狙って行きます。
33号から18号辺りまでは、公園の堤防から狙うと木々が多くて上手く撮れません。
その後の若い番号の方は、堤防からの距離が程よくカメラに収めやすいので、黄浦公園の堤防に上がって撮りました。
1号から33号は、一部飛び番号ながら「25棟(気象塔を入れて)」有るので、結構距離がありました。
暑さも伴ってかなりフラフラ。。。
(飛び番号なのは、過去にビル統合したりした結果ですので、ここで紹介する建物の番号は1つも漏らしていません)
ただ、夕刻に曇天の中で撮りましたのでかなり暗い感じになっていますが、日陰が無いので、逆に建物が良く判る方だと思います。
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外白渡橋のたもとに出来たテラスから、雲に隠れた太陽をパチリ!
では、外灘のビルを見に(撮りに)出掛けましょう! -
黄浦公園を北側から入ると、最初に出会うのがこの「人民英雄記念塔」。
色はかなり戻していますが、そのままだと空まで黄色かったです・・・ -
そこから、浦東開発区の全景をパチリ!
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オマケで、そこからの「約300度パノラマ」をパチリ!
近い場所が沢山入るので、繋ぎが上手取れず良い加減ですが。。。 -
では、ビルの方へ向かいましょう!
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・・・と思って歩いていると、暫く降りるところが有りません。
此処からビルまでは遠く、写真もままならないので、道へ降りる為には、暫く堤防上を歩いて和平前まで行かなければならないようです。 -
公園下の飾り付け。
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花で彩られています。
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移動式の売店も、小綺麗なタイプが増えました。
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さて、ここから降りて、BUND 33#のペニンシュラまで行きます。
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外灘33号/BUND 33#
半島酒店(ザ・ペニンシュラ上海)
住所は中山東一路32号です(一つの住所でひとまとめに出来ないほどの広さですが・・・)
http://baike.baidu.com/view/5607296.htm
ここは元々、先程参観してきた英国領事館の敷地で、別の建物がありました。
その起源は1849年で、1870年に焼け落ちました。
1873年に漸く新しいビルが建築されます。
1966年に英国領事館の移転で閉鎖となり、暫くは上海市政府の機関事務管理局が使っていましたが、2003年、新黄浦集団に置換後、19世紀スタイルのコロニアル式建築として再建され、半島大酒店として2010年に開業しました。 -
外灘29号/BUND 29#
東方匯裡銀行大楼(Banque de l'Indochine)
http://baike.baidu.com/view/213597.htm
1914年(大正3年)に、フランスの東方匯裡銀行(インドシナ銀行:Banque de l`Indochine)による建造。
1956年、上海市政府不動産管理下により管理され「東方大楼」と改名し、上海市公安局交通局が使用。
現在は光大銀行が使用。 -
外灘28号/BUND 28#
格林郵船大楼(Glen Line Building)
http://baike.baidu.com/view/3060558.htm
1868年、ドイツの禅臣洋行この土地を買い取り、上海に2つめのビルを建設。
第一次大戦後、怡泰公司(格林郵船公司)が買収し、1922年に7階建てのビルを建設した。
1951年3月、上海人民広播電台(上海ラジオ局)が使用権を得て引越、現在は、上海文化広播影視集団(同局の映画部門)が使っています。 -
外灘27号/BUND 27#
怡和洋行大楼
http://baike.baidu.com/view/5129319.htm
1818年に詹姆士馬地臣(James Matheson)が広州へ来て商売を始めた後の1832年、馬地臣洋行を開始しました。
1840年、アヘン戦争でアヘンを売買した事で追放されますが、アヘン戦争の終了と共に再度戻ってきて、1842年、香港に馬地臣銀行の本部を建てました。翌年、中文の名前を「怡和洋行」と改名。
1898年、匯豊銀行と組んで「中英銀行公司」を立ち上げ、中国各地の鉄道に融資(京瀋(北京−瀋陽),滬寧(上海−南京),滬杭(上海−杭州),広九(広州−香港)など)し、同時に資材調達まで手掛けたので、各鉄道の監督権を得ていました。
第二次大戦時、日本の三井銀行が占用しましたが、戦後の1946年に取り戻したものの、全盛期の勢いは無くなって衰退しました。
1955年、上海市外貿局が占用することになり今に至ります。
最近この建築物には、2010年に美食倶楽部「羅斯福」が入りました。
http://cn.sonhoo.com/info/443281.html
豪華なレストランのようですね。 -
外灘26号/BUND 26#
揚子大楼(Yangtze Insurance Building)
http://baike.baidu.com/view/5129330.htm
1920年に建設され、揚子水火保険公司が権利を得ました。
1957年に上海市政府の不動産局により管理され、中国農業銀行へ使用権を与え現在に至ります。 -
外灘24号/BUND 24#
横浜正金銀行大楼(Yokohama Specie Bank Building)
http://baike.baidu.com/view/4445336.htm
1924年に横浜正金銀行(Yokohama Specie Bank)が作った近代西洋スタイル建築。
第二次大戦後、中国中央銀行が移ってきましたが、1949年には、中国人民銀行の華東支店の事務所となりました。
1956年、上海市紡績工業局が引っ越し事務を執りましたが、後に中国工商銀行上海支店となります。 -
外灘23号/BUND 23#
中国銀行大楼
http://baike.baidu.com/view/5129304.htm
1937年、外灘建築の中では、唯一中国独自で手掛けられたビル。
上海で一番の完成度を誇る摩天楼の一つ。
1941年、汪兆銘(汪精衛)が貯蓄銀行として営業していた場所で、反日戦争に勝利後、中央銀行に返還され業務が再開されましたが、翌年1946年、中国銀行が引っ越してきて営業することになりました。
現在は中国銀行上海支店。
【汪精衛】
http://baike.baidu.com/view/40135.htm
孫文に従事した親日派の首領で、中国国民党の副総裁。
袁世凱統治時代にフランスへ留学し、日本にも留学しています。
戦時中も日本が有利になる方向に働きかけてくれた人ですが、抗日戦争中はベトナムに逃げるしか有りませんでした。そこで日本に投降したそうです。 -
外灘22号/BUND 22#
和平飯店北楼(沙逊大厦(Sassoon House))
現フェアモント和平飯店
http://baike.baidu.com/view/125641.htm
1929年、イギリスのサッスーン銀行に属する不動産会社が、資産240万元を投資して、南京東路口の外灘20号に高さ77mで10階建てのビルを建てました。
低層には数軒の銀行を配し、上層はサッスーン個人の豪華な邸宅にしていました。
1952年に市政府が介入し当該部署の管理下としました。
1956年に和平飯店として開放し、1965年には、南手の外灘19号の「匯中飯店」は開放した後、名称を「和平飯店北楼南楼」と呼ぶようになった。
1992年、世界ホテルグループに於いて、世界著名ホテルに名を連ねた。
約3年の大改装を終え、2年前に改装オープンした和平飯店は、開業した時に「???」と思ったのですが、なんと、アメリカのフェアモントリゾートと合弁していました。
名前も、「フェアモント・ピース・ホテル(Fairmont Peace Hotel:漢字表記は同じで和平飯店)になって居ました。
http://www.fairmont.jp/peacehotel/
中にも入りましたが、4億ドルもかけて改装した割りには大した事はしてないみたいでした。
同じアールデコですが、以前の古風な風格がなくなっちゃったので、逆に安モンに見えます。 -
外灘19号/BUND19#
和平飯店南楼(匯中飯店)
http://baike.baidu.com/view/765522.htm
1906年建設のこのホテルは、旧名匯中飯店と呼ばれ、上の和平飯店南楼です。
上海に現存するホテルで一番古いものとなります。
足跡を更に辿れば、1850年代初頭、3階建ての中央飯店としての開業まで遡ります。
フランス租界時代の中で、一番優れた外資系ホテルでした。
1865年、匯豊銀行が上海に出来た際は、ホテルの一角で1874年まで営業をしていました。
1903年に名前を「匯中飯店」に改名し、1947年、華商大慶公司が土地の権利を買収したが、1952年に廃業。
1965年、和平飯店と名を連ねて「南楼」として営業を再開し、その後は、諸外国の様々な式典などを開催する、由緒あるホテルとして名声を残しました。 -
和平飯店を南北ペアでパチリ!
ついでに中山東一路の標識も入れておきました♪ -
いつもここに居る警官。
警戒厳重です。 -
外灘18号/BUND 18#
麦加利銀行大楼(麦加利:Johe Ma ckellar)
http://baike.baidu.com/view/1891595.htm
最初はイギリスの渣打銀行(ロンドンのStandard Chartered Bank)のアジア本部として1923年に建設。
現在は、2002年より上海珩意不動産(上海久事公司)が、保存とメンテナンスを条件に権利を借り受け、改修終了後の2004年から、ブランドショップのテナントとして利用されており、「BUND18」と名付けられています。
歴史的に重要なので「優秀歴史建築」に指定されている筈ですが、金になればお店にも貸すんですね。故宮の中にスタバやマクドを入れていた件も似ていますが、その問題は、北京市民の故宮保存協会からのクレームで、外部企業は全て撤去されました。
今利用しているホテルのビルも、元々は銀行の由緒ある建物だったらしいのですが、上海のこのやり方ってマジでカスレベルですね・・・。 -
外灘17号/BUND 17#
字林西報大楼
http://baike.baidu.com/view/5734950.htm
1924年に建てられた。
当時としては外灘で一番高いビルでした。
当該新聞社は、1850年に中国で最初の英字新聞「北華捷報」を創刊しました。
1951年には「桂林大楼」と改名。
現在は、アメリカの生命保険会社のAIAが入る「友邦大厦」と改名。 -
外灘16号/BUND 16#
台湾銀行大楼
http://baike.baidu.com/view/213968.htm
台湾が日本統治されていた時代、日本が造った銀行。
同じくして、1911年に上海にも支店を置いた。
その後1924年に、印度式建築の先代ビルを建て直し、現在の台湾銀行大楼となった。
日本が関与していることで、基本的にはドイツ建築設計だが、日本の近代西洋建築の風格を取り入れられている建造物。
現在は招商銀行ビル。 -
外灘15号/BUND 15#
华俄道胜银行大楼
http://baike.baidu.com/view/1436706.htm
1843年、中国で上海が開放された年に造られた道契所建造物の一部分。
イタリアのルネッサンスのヴィンテージ風建造物。
1899年、华俄道胜银行が上海支店として参入し、「道勝大楼」や「華勝大楼」と呼ばれるようになった。
1926年、华俄道胜银行は外国為替投資に失敗したため、パリ本店がきちんと整理したものの、中国各地の支店も次々に破産する羽目になった。
巨額の紙幣を発行していたものが全て紙くずになり、無数の中国人民の資産を脅かすこととなった上に、中国政府にも巨額の借金を残した。
現在は、中国外匯交易中心のオフィス。 -
これなに!?
外灘15号と14号の間にある「外灘公共服務中心」。
http://sh.sina.com.cn/news/2010-02-02/0154132025.html
住所は「中山東一路15号甲」となるようです。
「幸福任港・外灘公共服務中心」と謳っているので、「外灘で何か知りたくなったらここで!」って事かな?
外灘の観光用パブリックサービスセンター的存在。
昨年(2011年)に完成したばかりって、外灘は万博に間に合わせておきながら、インフォメセンターは間に合わなかったの? -
外灘14号/BUND 14#
上海市総工会大楼
http://baike.baidu.com/view/2901400.htm
19世紀末にイギリスの企業が建てたビルで、後にドイツが買い受けて銀行として利用。
第一次大戦後、ドイツ企業の財産を没収し、交通銀行上海支店により管理されることになった。
1928年には、全国の政治中心が北京から南京へ移った事を期に、色んな企業が南京方面へ移ってきた。その時、交通銀行の本部も同様に移ってきた。
1947年には、外灘建造物の統制が計られ、このビルも現在の6階建ての優美な姿に再改修される。
1951年、交通銀行本部が北京へ移ったのを期に、現在の上海市総工会に使用権が渡った。 -
外灘13号/BUND 13#
上海海関大楼
http://baike.baidu.com/view/1287403.htm
1845年に建設。当時は「江海北関」などと呼ばれていた。
1853年、「小刀会」の動乱時に破壊され、1857年に修復されたものが現在の形となった。
大きな時計台は、1893年の手直しの際、登頂部に設置されました。
その後、1925年に再改修された際も原形を保持して現在に至ります。 -
外灘12号/BUND 12#
匯豊銀行大楼
http://baike.baidu.com/view/125631.htm
匯豊銀行は、1912年に隣接する外灘10号の「美豊洋行銀行」と外灘11号の別発洋行銀行のビルを買い取り、一つのビルとして立て直しました。
第二次世界大戦の最中、日本の横浜正金銀行が占用しましたが、終戦後は、匯豊銀行が奪回し、1955年に匯豊銀行が上海から撤退した際に国有資産となりました。
その際に上海市政府が使用する事となり、名前が「上海市人民政府大楼」に変更されました。
1997年、上海市政府は人民公園前に新設した庁舎に移った為、上海浦東発展銀行が使用権利を買い取り今に至ります。 -
外灘9号/BUND 09#
旗昌洋行大楼
http://baike.baidu.com/view/4431016.htm
1846年、19世紀に極東で有名だったアメリカの貿易商「旗昌洋行(ラッセル商会)」による建設。
1877年、旗昌輪船公司から輪船招商局(客船管理)に売却された。
ラッセル商会:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%AB%E5%95%86%E4%BC%9A
現在は「招商局大楼」とも呼ばれます。 -
さて、ここからは被写体と堤防が近くて丁度良い距離なので、堤防の上から撮影します。
これで建物の変形が抑えられます。 -
外灘7号/BUND 07#
大北電報公司大楼
http://style.sina.com.cn/lei/travel/2010-07-29/152265246.shtml
1908年建設。
新通商银行大楼から現在は泰国盤谷銀行(バンコク銀行)大楼になっています。
3階には、タイの上海総領事館も入っています。 -
外灘6号/BUND 06#
中国通商銀行大楼
http://baike.baidu.com/view/1436694.htm
1897年建設のこのコロニアルハウスで、そもそもは個人オークション業者の持ち物。
1906年に手直しして現在の姿になった際、中国通商銀行が利用権利を受けた。この銀行は、中国人が手掛けた銀行として第一号のもの。
現在も同じ銀行が営業しています。 -
外灘5号/BUND 05#
日清大楼
http://baike.baidu.com/view/1891614.htm
1925年、日本の日清汽船株式会社と一人のユダヤ商人との合弁にて建造された建築物。
反日戦争終了後は中国政府により管理され、招商局として使用。
改革開放後は、上海海運局へ移管される。
1990年、運送業が東大名路へ集中されたことを機に、海運局も東大名路に新庁舎を設けて引っ越しした為、本楼は錦都実業公司によってテナントビルとして改装された。
東部低層には華夏銀行上海支店が在駐し、2006年からは、更に高級レストランが営業できる建物に改修された。 -
日清大楼の屋上。
ここがもし日本だったら、夏は完全にビアガーデンですな♪
(日本じゃなくても飲み食いしてますが・・・(^灬^)
蓮花ビル(ウエスティン上海)、三蔵法師の被っている冠にも見える・・・(’灬’; -
国旗があったので、国旗も一緒にパチリ!
-
外灘3号/BUND 03#
有利大楼(Union Building)
http://baike.baidu.com/view/1436690.htm
1860年、前身は木造のアドビ建築で、建設当時は英国総会の建物でした。
1916年に建て直されて現在の形になりました。
当初は4号だった住所は、後に3号に変更されて現在に至る。
1949年に有利銀行が撤収後は、上海民用建築設計院が1997年まで賃貸していました。
1997年、シンガポールの個人投資会社が買い受けてテナントを募りました。
2004年1月、高級ファッションプラザとして建て替えられ、スパや高級レストランが入っており、「外灘3号(No.3 the BUND)」と呼ばれるようになりました。
4Fには、ミシュラン3星レストラン「Jean Georges French Restaurant(ジャンジョルジュ・フレンチレストラン)」が入っています。
このオフィシャルサイトに、[Jean Georges Shanghai」として情報が載せられています。
http://www.jean-georges.com/ -
外灘2号/BUND 02#
上海総会大楼
http://baike.baidu.com/view/213787.htm
1861年建設当時は、英国総会の建物でした。
俗称として「上海倶楽部」と呼ばれています。
ヒルトンホテルグループは正式に上海久事公司と錦江国際グループの資本を出し合う事で合意し、上海で新たな友好関係を結束させたビル運営会社となった。
志としての一致は、「貴重な外灘2号を守り続けたい」と言う事がポイント。
ヒルトンホテルグループのアジア太平洋地区総裁のMartin Rinckは、「No.2 the BUND建築物の歴史的重要性と新古典主義の建築設計は、完璧に古典最上級ホテルの「ウォルドルフ・アストリア」ブランドのイメージに合っている」と述べた。
上海総会大楼は、1971年に改築されて「東風飯店」として運用され、また後にはケンタッキーにも使われて、その後はいたずらに放置されていました。
上海総会大楼ビルは改修後、ヒルトングループ所属のホテルに相応しい形となって、2011年、ヒルトンファミリーが贈るアジア初の最上級ホテル「華爾道夫酒店(ウォルドルフ=アストリア・ホテル)」として正式に開業しました。
http://www.waldorfastoriashanghai.com/ -
ホンマかいな・・・
外観が「No.2 the BUND」そのままなので、そんな感じには見えませんね。 -
うう〜ん、この先の金陵東路の南側にある東方商旅の方が優雅なんだけど・・・
http://shanghai-orient.lessuiteshotels.com/ -
外灘1号/BUND 01#
亜細亜大楼
http://baike.baidu.com/view/64505.htm
1916年、当時人々からは、「外灘の第一ビル」と呼ばれるようになった。
そもそもは、イギリスの兆豊洋行のビルで、「麦克倍恩大楼」と呼ばれていました。
上海の解放後、上海市冶金設計院が使用していました。
現在は「中国太平洋保険公司本部」として使われています。
外灘ナンバーズビルはこれで全てです。
しかし、良く揃ったモンですねぇ。
お陰で、病み上がりの身体がヘロヘロです・・・(X灬X; -
ヘンテコノッポビルの中国工商銀行。
外灘24号にステキなのがあるのに、何でまたビルなんか出来たんでしょ。
大型銀行はお金持ってますよね。 -
こちらが先程No.2 yhe BUNDの所で引き合いに出したホテル「レ・スイート・オリエント外灘上海(Les Suites Orient, Bund Shanghai[東方商旅])」です。
http://shanghai-orient.lessuiteshotels.com/
とても静かでエレガント。 -
跡はもう少し暗くなるのを待ってから、マジックアワーの夜景を撮ってみようと思っているので、黄浦公園の堤防をウロウロ。
-
老碼頭の船。
観光船と警備船が一緒です。 -
こちらは浦東と行き交う為の渡船です。
これ、安くて超便利♪ -
上海外灘は、いつ来ても人でいっぱいです。
どうよ! -
あ!
大切なここを忘れる所でしたね!
外灘気象信号塔(気象台)。
http://4travel.jp/traveler/chinaart/album/10681425/
(この時も同じように曇天でした・・・)
1879年、上海を襲った巨大台風により、黄浦江上を航行する船舶が多大なる損害を被りました。
上海に居た洋行と輪船公司は、気象予報の重要性を痛感し、迅速に気象情報を配信する事が急務とされ、1883年5月27日に開かれたフランス租界の重要会議で提議しました。そこでは海関が出資して、外灘に気象信号台を建設すると決議しました。
当時の気象信号台は、木製の建物で比較的簡単なものでしたが、その後、定期的な気象観測と連絡により、大惨事を招くことは無くなったそうです。
1907年3月9日、当時の信号台脇に、アトナープ式円柱型建築を追加建造し、恒久的な気象信号塔として生まれ変わりました。
世界に2つしか無い建造の一つだそうで、もう一つはノルウェーにあるそうです。
その後、科学の発展と共に必要性が無くなってからは、暫くは水上警察の事務所になったりしましたが、今はバーとして観光客の人気を得ているようです。 -
その屋上にあるカフェ。
-
ここだったら、日清大楼に登った方が良いですね。
あの上から狙った浦東開発区の夜景ってどんな感じでしょうね。
と言う事で、外灘ビル群の紹介は、予定の25棟に対して、「外灘15号甲」の外灘公共服務中心が有ったので26棟になりましたが如何でしたか?
あいにくお天気が晴れではないので、写真が薄暗いですが、逆に影が弱めなので、建物の全体が良く見えていると思います。
この後、空が暗くなるまで待って、少し夜景を撮って帰ります♪
同じビルの夜景も狙えば良かったのですが、何せ病み上がりでもうお腹いっぱいです・・・
その様子は次の旅行記でお送りします♪
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