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『金剛院は高野山真言宗の寺院です。天正4年(1576)僧真清によって開かれ明王院という寺名でした。<br />歴代住持言伝えでは、現在地より南方の丘陵に連なる地に建てられた不動堂が草創と伝えられており、その前身を継承、本尊として不動尊像を安置しています。八王子では小田原北条氏照が八王子城を築いたとされる時期に相前後します。<br /><br />寛永8年(1631)第三世覚常時代に、現在地に伽藍を設けた事が寺伝に記載されていますが、その当時は八王子城落城に伴う旧城下町の移転によって八日市・八幡などが開かれ、旧甲州街道に面した要衛に伽藍を設けました。<br />このような現在の地への移転と伽藍の造営は、「寛永九年大久保長安地割図(写)」の記載から、八王子総奉行大久保長安の陣屋内の東南(巽)の一画にあった太師堂を含む地が、現在の当院の境内にあたっています。<br />このことから恐らく、同大師堂を受け継ぐ形で明王院が移転、同院の不動尊像と大師堂の弘法大師像とを奉安し、金剛院として、新たなる伽藍の開設に至ったものと思われます。<br /><br />当院は昭和20年(1945)八月二日未明、戦火によって諸々の建造物が灰塵に帰しましたが、寛政2年(1790)に寺社奉行所に提出した「境内古絵図(当院所有)」に、本堂、観音堂、鐘楼堂、土蔵、鎮守稲荷社、庫裏、雪隠、馬屋、表門、長屋門、裏門などが間数・坪数などとともに描かれ、往時の伽藍配置が知られます。また<br />伽藍の東側には、天満宮(現天満神社、神仏分離以前は当院の鎮守社)が勧請されておりました。』(慈高山金剛院縁起より一部抜粋)<br /><br />八王子城落城後、徳川家康の命により大久保長安(おおくぼ・ながやす、1545~1613)は代官頭として新八王子の建設に着手しますが、まず取り掛かったことは旧城下町の移転です。<br /><br />長安は新転地を交通の要地である浅川南部の「横山」の地に指定し、この地に旧城下町住民を移動させ、それぞれの区画割には旧北条氏・旧武田氏家臣達を活用します。<br /><br />その中で直接区画割を担当したのが旧北条氏照家臣の長田作左衛門(おさだ・さくざえもん)と言われています。<br /><br />彼は新八王子の町造りに際し、現地について仔細承知しているので、代官頭の長安は新八王子建設には作左衛門のアドバイス等が決定的な役割を果たしたと思われます。<br /><br />今では中央線で南北が遮断分離されていますが、かつての大久保長安が設定した奉行陣屋跡と金剛院とは地理上は一帯でありましたので、長安の定めた陣屋にあった大師堂が現在の金剛院境内にあたる事は当然考えられます。<br />

武蔵八王子 現在の境内に八王子代官頭大久保長安陣屋内の大祀堂があったという『金剛院』散歩

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2012/03/17 - 2012/03/17

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滝山氏照

滝山氏照さん

『金剛院は高野山真言宗の寺院です。天正4年(1576)僧真清によって開かれ明王院という寺名でした。
歴代住持言伝えでは、現在地より南方の丘陵に連なる地に建てられた不動堂が草創と伝えられており、その前身を継承、本尊として不動尊像を安置しています。八王子では小田原北条氏照が八王子城を築いたとされる時期に相前後します。

寛永8年(1631)第三世覚常時代に、現在地に伽藍を設けた事が寺伝に記載されていますが、その当時は八王子城落城に伴う旧城下町の移転によって八日市・八幡などが開かれ、旧甲州街道に面した要衛に伽藍を設けました。
このような現在の地への移転と伽藍の造営は、「寛永九年大久保長安地割図(写)」の記載から、八王子総奉行大久保長安の陣屋内の東南(巽)の一画にあった太師堂を含む地が、現在の当院の境内にあたっています。
このことから恐らく、同大師堂を受け継ぐ形で明王院が移転、同院の不動尊像と大師堂の弘法大師像とを奉安し、金剛院として、新たなる伽藍の開設に至ったものと思われます。

当院は昭和20年(1945)八月二日未明、戦火によって諸々の建造物が灰塵に帰しましたが、寛政2年(1790)に寺社奉行所に提出した「境内古絵図(当院所有)」に、本堂、観音堂、鐘楼堂、土蔵、鎮守稲荷社、庫裏、雪隠、馬屋、表門、長屋門、裏門などが間数・坪数などとともに描かれ、往時の伽藍配置が知られます。また
伽藍の東側には、天満宮(現天満神社、神仏分離以前は当院の鎮守社)が勧請されておりました。』(慈高山金剛院縁起より一部抜粋)

八王子城落城後、徳川家康の命により大久保長安(おおくぼ・ながやす、1545~1613)は代官頭として新八王子の建設に着手しますが、まず取り掛かったことは旧城下町の移転です。

長安は新転地を交通の要地である浅川南部の「横山」の地に指定し、この地に旧城下町住民を移動させ、それぞれの区画割には旧北条氏・旧武田氏家臣達を活用します。

その中で直接区画割を担当したのが旧北条氏照家臣の長田作左衛門(おさだ・さくざえもん)と言われています。

彼は新八王子の町造りに際し、現地について仔細承知しているので、代官頭の長安は新八王子建設には作左衛門のアドバイス等が決定的な役割を果たしたと思われます。

今では中央線で南北が遮断分離されていますが、かつての大久保長安が設定した奉行陣屋跡と金剛院とは地理上は一帯でありましたので、長安の定めた陣屋にあった大師堂が現在の金剛院境内にあたる事は当然考えられます。

交通手段
徒歩
  • 金剛院石標

    金剛院石標

  • 参道<br /><br />参道を通して本堂を見ます。

    参道

    参道を通して本堂を見ます。

  • 本堂

    本堂

  • 本堂から参道を振返る

    本堂から参道を振返る

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