2012/03/07 - 2012/03/07
725位(同エリア1779件中)
滝山氏照さん
東京メトロ半蔵門線「水天宮前駅」より徒歩約10分にある水天宮(すいてんぐう、東京都中央区日本橋)は東京で最も有名な安産祈願の神社です。
当神社の由緒については下記の通り紹介されています。
『水天宮(すいてんぐう)は文政元年(1818)港区赤羽根にあった有馬藩邸に当時の藩主有馬頼徳(ありま・よりのり)公が領地(福岡県久留米市)の水天宮の御分霊を神主に命じて藩邸に御分社を祀らせたのが創めです。
久留米の水天宮は今からおよそ700年程前に創建されたと伝えられております。
かの壇ノ浦の戦いで敗れた平家の女官の一人が源氏の目を逃れ久留米付近に落ちのび、一門とともに入水された安徳天皇、建礼門院、二位の尼の御霊をささやかな祠をたててお祀りしたのが創めです。
江戸時代の水天宮は藩邸内にあった為、庶民は普段参拝できず、門外より賽銭を投げ参拝をしたといいます。
ただし毎月5日の縁日に限り、殿様の特別の計らいにより藩邸が開放され参拝を許されました。
その当時ご参拝の妊婦の方が鈴乃緒(すずのお・鈴を鳴らす晒しの鈴紐)のお下がりを頂いて腹帯として安産を祈願したところひじょうに安産であった事から、人づてにこの御利益が広まりました。
その当時の水天宮の賑わいを表す流行言葉に「なさけありまの水天宮」という洒落言葉があったくらいです。
明治維新により藩邸が接収され、有馬邸が青山に移ると共に青山へ、更に明治5年11月1日現在の蛎殻(かきがら)町に御鎮座しました。
関東大震災では神社も被災しましたが、御神体は隅田川に架かる「新大橋」に避難し難を逃れました。
その後御復興も相成り、昭和5年流れ造りの社殿が完成、時移り昭和42年現在の権現造りの社殿となりました。』
(御由緒 説明)
壇ノ浦合戦で建礼門院に仕えていた官女、按察使局(あぜちのつぼね)伊勢(いせ)も共に入水しようとしますが、二位の尼に「生きて平家一門の霊を慰めよ」との命により生きて九州に逃れます。
伊勢はやがて剃髪して平家一門の霊を祀る日々を送る一方、周辺の人々に請われるまま加持祈祷を行い、慕われた結果尼御前と称され、尼御前神社が造られるに至ります。
その後、久留米藩主有馬忠頼(ありま・ただより)により久留米市内に敷地が寄進され社殿が造られここに水天宮の本宮ができた経緯があります。
安産祈願、子授けで親しまれている東京水天宮は地下鉄半蔵門線、水天宮前下車、水天宮前交差点すぐにあります。
- 交通手段
- 私鉄
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