2012/06/17 - 2012/06/23
38位(同エリア49件中)
しんちゃんさん
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豊臣秀吉が行った「文禄・慶長の役」で韓国の釜山近くに多くの城を築城しました。もちろん日本式の城です。その中で保存状態が一番良く、安土桃山時代の実戦用城郭の遺跡として築城研究の貴重な資料となっている西生浦倭城(ソセンポウェソン)(SEOSAENGPO FORTRESS)を見学しました。日本に残っている城は江戸時代に多くの改良等をしており、ここは石垣の保存状態が良く、学術的にも貴重です。加藤清正が築いた城です。あいにくの大雨ですが、二度と来れないので見学しました。日本では台風4号が本州を縦断した影響で被害も多くでているときでした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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釜山から市外バスにて鎮下行きに乗り1時間10分。最終バス停留所で全員が下りてしまった。取り残されたしんちゃんは下車しようとしました。「どこまで行くのか?」運転手が聞くので、地球の歩き方の「西生浦倭城」の写真を見せたら「まだ乗っていろ」との事。そこから数分この看板のところで「ここで下りろ・城はあっちだ!」と指をさしました。バスの駐車場はこの場所の近くでした。優しい運転手さんでした。雨の中涙が出る!
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看板のある道路を北側にあるくと…
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道は壁に突き当たりここで終わりです。その壁が城壁でした。
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左側の土手に“人が歩いたあと”があるので登ってみたらこんな道路が山の方へ続いていました。歩いている人は誰もいません。
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城壁が途切れたところに道標がありました。「西生浦城」
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城壁の内側に立派なトイレと看板と作業小屋。作業小屋は「西生浦倭城」の管理室と判ったのは見学の帰りでした。
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【蔚山広域市文化財資料第8号
西生浦倭城は、壬辰倭乱勃発の翌年の1593年(宣祖26年)5月より日本軍の先鋒將である加藤清正の指揮の元で築かれた16世紀末の日本式の城である。回夜江の河口に程近い小さな浦を抱えた海抜高度133mの山頂に本城を築き、その東側の傾斜面を利用して複雑な構造の2段、3段の副郭を置き、それより山の麓まで続く外城を配置した。城壁の外側には二重、三重の堀を回した。堀を含む城郭内部の広さは、46000坪近く、堀を除くお城周りの長さは約2.5Km、東西と南北の長さは各々約870mと370mに達しており、韓国の南海岸の各地に散在する倭城の中でも最も規模が大きい。現在、山頂には高さ約5mの天守台の跡があり、お城の内外部からは多数の井の跡が確認された。城壁の場合、外城は外側のみを石積にし、内城は城壁の両面を石で築いた。城壁の地面からの角度は60度程度である。1594年(宣祖27年)からは朝鮮の四*大師がこのお城で四回に亙って終戦交渉をし多くの外交的効果を上げた。1598年(宣祖31年)には明軍の指揮者である麻貴の力を借りてお城を取り戻し、その1年後には日本軍との戦いで戦死した53人の朝鮮の忠臣を祀るため蒼表堂を建てたが、今はその跡地だけが残されている。西生浦倭城は壬辰倭乱の直後から1895年までの約300年間朝鮮水軍の兵營として使われ、同僉節制度が指揮をとっていた。】 -
立派なトイレ
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雨がざあざあ。歩道は舗装され「観光化されているな」と思う間もなく。この坂で舗装は終わり。
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砂利道になってしまった。雨が小川のように流れ運動靴はびっしょり。
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雨水が光っています。憎き雨め!
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おおっ!「主郭部大手口」
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説明版からです。【主郭部大手口 この城門は主郭に入る大手口として、残存する石垣の形から築城當時(当時)は、上部に櫓が建てられていたと思われる。門を入ると、正面と右側面が石垣で囲まれた四角い空間がある。これは進入路を折れ、城内の様子が見られない構造になっており、有事の際、四方から攻撃するための仕掛けである。主郭は幾つかの曲輪で構成されており、各々の曲輪の前面には全てこの様な虎口が設けられていたと思われる。】
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韓国に日本の城。420年前のままです。
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建物は無いけれど、420年前とは思えない。雑草の管理もばっちり。
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少々あるくと…
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「内枡形虎口」
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説明版からです。【小廓/曲輪 南側へ突き出して築造されたこの曲輪の周りには、三つの虎口が集中的に配置されている。南側へ開かれた枡形虎口は城の外へ出る主郭部の搦手(からめて)で、東の虎口は下段の大手口へ又、北の平入り虎口は山頂部に繋がる。この様な地點(点)に建てられたこの曲輪は、規模は小さいが三箇所の虎口を同時に守備・統制しながら自ら独立して戦闘を行う機能を持っていたと推定される。】
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「曲輪」
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「平入り虎口」
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見上げるとまだ上に城壁
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ヤマユリ、万里の長城でも咲いていたな〜
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「外枡形虎口」崩れかけた城壁。韓国の方々が修理すると技術が無いために、昔の状態に戻せずに近代的な積み方になるらしい。早く日本の専門家が出向いてあげなければ!
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「山頂部曲輪」
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「夏草や兵達が夢のあと・・」ぴったりの情景でした。
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山頂部に作業小屋と思ったら人が居ました。
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山頂部図面
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この説明文は管理室の看板と同じため省略
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武者登り階段はあるんだが…「天守閣城壁」立ち入り禁止。管理人室から見えるため静かに裏側へ。
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説明版からです。【この曲輪は主郭部の最も中心になる本丸曲輪で、東側と西側には喰い違い虎口と曲輪を配置し、南側と北側には石垣が造られている。北西の隅には天守台と思われる南北約18m、東西約17m、高さ約5mの石垣があり、築城當時(当時)は三重か五重位の天守閣があったのではないかと思われる。】
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左から「馬出し曲輪、天守閣、本丸曲輪、曲輪…」説明版
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「将軍水」井戸は枯れていた
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城壁の上
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東側の城壁
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立ち入り禁止の天守閣城壁。管理人室から見えません。ここまで来て登らない訳が行かない。注意されても登るべき!
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怒られるのを覚悟して「天守閣跡」へ登りました。
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「天守閣跡」説明版。上へ登れば管理室から見えてしまいますが…
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東側の「内枡形虎口」
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西側城壁
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帰りかけたら、小屋から管理人が出てきて「記帳簿に記入して」と指を指すので住所氏名を漢字で書いてきた。ついでに写真を撮らせて貰いました。日本語は話せませんでした。
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城壁の奥に蔚山郡西生面西生里の町並みが見えます。雨も一段落して止んできました。
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蔚山郡西生面西生里の町並み
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見学終了。戻ります。「内枡形虎口」
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「主郭部大手口」
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「主郭部大手口」の東側にお堂があり、二度と来れないので見学!
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お堂のドア
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ドアより内部を盗撮「位牌」のようなものが2個あり。
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下山しながら町並みを撮る。「日本軍との戦いで戦死した53人の朝鮮の忠臣を祀るため蒼表堂」はこの左手畑・藪の中らしい。
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「西生浦倭城」を制覇してきました。
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作業小屋と思っていたのは管理室でした。窓から顔を出したので「アンニョンハセヨ」慶州まで行きたいと本を示したら、「ロッテホテルでバスを乗り換えろ」と言われた。さてロッテホテルがどこにあるのかまったく判らず。町の名前を言われても意味不明。とりあえずバス停留所へ歩いて行きました。このヒントが無ければ慶州までの行き方は苦労したと思う。天下の地球の歩き方にも「西生浦倭城」から慶州までの行き方は書いて無かった。
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バス停留所から山頂の城壁が見えました。雨は小降りになりました。バスに乗ったは良いものの、不安で隣りの女性にこのバスはロッテホテルまで行くのか「Does this bus go to Lotte hotel?」とか何とか話しかけたら「YES!」「あなたはどこまで」と聞いたら「次のバス停で下車します」との事残念。「私はネパール人で結婚してこの辺に住んでいますとの事でした人妻だ!片言の英語も何とかなるものです。乗ること約1時間大きな町に入って行きました。町は蔚山広域市(ULSAN)慶州はまだまだです。その後バスターミナルを探したら、「ここではなくあっちのバスターミナルだ」と言われ道路の反対側バスターミナルへ。慶州行きバスへ乗り継ぎ(約40Km/4900ウォン/390円)慶州へ向かいました。1時間20分掛かりました。パート3完。
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