2012/06/01 - 2012/06/01
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belleduneさん
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弘前市内で明治時代の過渡期文化を少しだけ垣間見ることができました。
今日は、昨日町から眺めていた岩木山へ向かいます。
岩木山で写真のような二重の輪になった虹を初めて見ました。登山をしていると、こういう光景はよく目にするのでしょうか?
水蒸気があると、太陽の位置とは関係なく、太陽を下から見上げる位置でこんな風に見えるのですね。実際はとても綺麗な虹でした。
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- レンタカー JALグループ 徒歩
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まず、岩木山神社へお参りします。
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現存する社殿、楼門は、江戸時代初期から元禄時代に掛けて、代々幌先藩主が造営し、寄進したもので、本殿、拝殿、奥門、楼門が重要文化財指定となっています。
参道は、岩木山への登山道の一つとなっています。 -
この楼門は、寛永5年(1628)に建立されました。
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楼門の正面石段を上がった左右の石垣角柱(高さ八九尺、一尺七八寸)に、狛犬が彫られています。
変わった狛犬だと思っていたら、やはり、津軽四代藩主信政公が当社大造営の時(貞亨3年〜元禄7年)、石工監物氏の二世か三世か、作者は不明ですが、造られたものと言われています。
この石は、ここから西に4?のところにある石切り場から半右衛門という怪力の人が6百貫(約2?)もある石を運んだということです。
新田次郎の小説「強力伝」と同じような話ですね。 -
楼門の向こうに中門、社殿が見えます。
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宝亀11年(780)、岩木山の山頂に社殿を造ったのが起源とされています。
その後、延暦19年(800)に阪上田村麻呂が山頂に社殿を再建し、父の苅田麿を合祀したとされています。現在、奥院が山頂にあります。
中門は、拝殿前に建つ切り妻造りの四脚門で、百沢寺(現在の拝殿)の大堂の門として本殿、奥門と同時に建てられました。 -
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明治の神仏分離以前は、岩木山山頂に阿弥陀・薬師・観音の三つのお堂があり、真言宗百沢寺岩木山三所大権現と称していました。
近世には、津軽藩の総鎮守として、歴代藩主から崇敬されました。
明治以後、寺院を廃して、明治6年(1873)、国幣小社となりました。 -
柱などの軸部は黒塗りとし、木鼻や袖切りなどの絵様部分には朱塗りを用い、蛙股や欄間の彫刻には極彩色を施しています。これは、非公開となっている本殿、奥門と同じ豪華な意匠となっています。
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中門の天井部分
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とち葺き形銅版板葺き、切り妻造りです。
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顕国魂神(うつくりにたまのかみ)、多都比姫神(たつびひめのかみ)、
宇賀能売神(うかのめのかみ)、大山祇神(おおやまつみのかみ)、坂上苅田麿命をお祀りしてあります。 -
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拝殿の屋根部分
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この社殿の奥に、本殿がありますが、残念ながら非公開です。
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岩木山スカイラインの駐車場に停めて、リフトに乗ります。
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リフトからの景色も良いですね。
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リフトを降りて、岩木山山頂(1625m)を目指します。途中にはまだこんなに雪が残っています。
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リフト乗り場が向こうに見えます。
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編集中
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岩木山の登山道から見た火口辺り
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ここで空を見上げた時、二重の虹を見つけました。
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鯵ヶ沢の町が見えました。
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