2012/06/02 - 2012/06/02
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ゆうこママさん
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久しぶりのアイラブ仏像めぐり。
京都大原三千院と周辺の寺院&蓮華寺を巡ってきました。
オフシーズンとはいえ、三千院はそれなりの賑わい。
けれど、そこから40分ほど歩く寂光院まで足をのばす観光客は、ぐんと減るようです。
寂光院は、建礼門院徳子が隠棲した寺。
彼女は、平清盛の娘として生まれ、皇后の座に登りつめ、遂には安徳天皇の母とまでなった女性。
源平の合戦で平家滅亡後、出家し、大原の寂光院に隠棲。
夫も子どもも家族も全て失ってたどり着いた大原。栄華の極みと没落の果てを味わった彼女の一生は、ドラマチックで女子好み。いや、男性もか。
この旅行記は、期せずして「平清盛」ゆかりの地めぐり第4弾になってしまいました。
行程
京都駅~バス~大原~三千院~勝林院~宝泉院~実光院~寂光院~バス~蓮華寺~バス~国際会館前~地下鉄~京都駅
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線
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-
久しぶりのアイラブ仏像めぐりは、京都大原をうろうろ。
三千院、勝林院、宝泉院、実光院と4ケ寺を巡って、もと来た道を戻り、三千院山門の前を通って、大原バス停へ向かう。
バス停の前の若狭街道を渡って、そのまま坂道を降りていくと、寂光院への道となる。
シャッターを降ろし、朽ちたような建物が数件並ぶ小道を通り抜け、 -
川を渡り、少し広い道路を渡ると、寂光院を示す石柱が道案内。
-
大原の里は、田植えが終わり
-
大原名物シバ漬の原料のシソの植え付けも終わり、まもなく梅雨入りだ。
-
京都駅からバスで1時間以上もかかるが、京都市。
旅先で見る広報板って面白い。 -
農上り祈祷のお知らせ。
6月3日ということは、明日ね。
神明神社に草生町の皆さんが集まって、田植えが無事終わったことを感謝し、豊作を祈願するのだろう。 -
田畑や家並みの続く道をてくてく歩くと、やがて土産物屋の並ぶ一角が見えてくる。
その手前に小さな滝を発見。 -
「落合の滝」と言うそうで、建礼門院徳子の歌が残っているよう。
ころころと小石ながるる谷川の河鹿なくなる落合の滝 -
【大原西陵】
ほどなく、高倉天皇皇后徳子の陵(大原西陵)。
皇后徳子とは、建礼門院(けんれいもんいん)徳子のこと。 -
【大原西陵】
建礼門院徳子は、平清盛の娘として生まれ、武家の出にもかかわらず皇后の座にまで登りつめ、遂には安徳天皇の母となった女性。
1155年、清盛と時子(二位の尼)の間に誕生。
1171年後白河法皇の猶子(形式上の養子みたいなもの)となり、入内して女御となり1172年、高倉天皇の中宮となる。徳子17歳、夫の高倉天皇はまだ11歳であった。
1178年、平家念願の皇子を出産。1180年高倉天皇が譲位し、徳子の子(つまり清盛の孫)が安徳天皇となる。 -
【大原西陵】
多くの観光客は、ここは素通り。私も次の行程が気になる時刻だったので、残念ながら素通り。 -
【寂光院】
寂光院は、594年(推古2)聖徳太子の創建と伝わり、1097年頃に良人上人が再興された天台宗の尼寺。
この寺を多くの人が訪れるのは、壇ノ浦での平家滅亡後、清盛の娘、建礼門院が隠棲し、その生涯を閉じたと伝わる地だからだ。
権力争いの道具にされ、栄華と没落の極みの両方を味わった悲劇のヒロイン建礼門院徳子。
多くの女性が訪れたくなるのが分かる。 -
【寂光院】
ここでちょっと、源平や徳子に関する復習。
平安末期、天皇家や藤原摂関家は、権力争いや不倫がもとで泥沼の内輪もめ状態。
そんな中、平清盛は、この内輪もめが元で起こった保元の乱・平治の乱で武功をたて、日宋貿易による豊かな財源をバックに、急激にのし上がる。
武士の時代の胎動期だ。
1167年、武士として初めて太政大臣となり、翌年には妻、時子方の甥が高倉天皇として皇位につき、1172年には娘、徳子が高倉天皇の中宮となって、清盛の天下は絶頂期を迎える。
「平氏にあらずんば人にあらず」という傲慢な言葉を時子の弟、平時忠が吐いたのは、この頃のことらしい。 -
【寂光院】
清盛は、太政大臣となり、武士が藤原摂関家・天皇家をしのぐ実力者として影響力を持つ時代となるが、平家一門の独り勝ち状態で、トーゼンだけど、周りの妬みを買う。
男の妬みは、怖いからね〜。
平家のひとり勝ちを妬む勢力と後白河法皇とが結び、鹿ヶ谷の僧俊寛の山荘で平家転覆計画を立てる。(鹿ヶ谷の陰謀) -
【寂光院】
ところが、鹿ヶ谷の陰謀は、仲間の密告であっけなく未遂に終わる。
俊寛らは、流罪になるのだが、後白河上皇は、平清盛の長男の重盛の口添えでお咎め無し。
後白河法皇は、なかなか運の強い人だけど、調子に乗ってちとやり過ぎてしまう。
重盛の死後、彼の領地を法皇が没収してしまうのだ。これに激怒した清盛、「おのれ、いい加減にせんか〜」とは言わなかったと思うが、後白河を幽閉してしまう。 -
ところが、後白河法皇の幽閉は、反平家勢力に格好の口実を与えることになってしまう。
1180年、源頼政が後白河帝の皇子、以仁王を擁して挙兵し、全国の源氏に「平家討伐」の宣旨を飛ばしたのだ。
大義名分を得た源氏は、各地でこれに呼応する。
伊豆で源頼朝が、信濃で木曽義仲が、挙兵し、やがて平氏と源氏の態勢逆転の時代が来る。
1181年には、頼みの綱の清盛が病没。
貴族化したお坊ちゃまばかりの平氏は、戦の天才、源義経らにより、西へ西へと追い落とされ、壇ノ浦を最後に滅亡する。
そして、源頼朝の鎌倉幕府樹立により、武士の時代が到来するのだ。
【写真は、寂光院境内の諸行無常の鐘堂】 -
【寂光院】
そんな激動の時代。
徳子ら平氏の女性にも過酷な運命が待っていた。
1185年3月、壇ノ浦にて総大将の平知盛より敗戦を告げられる。
二位の尼(時子)は、孫の安徳天皇を抱いて海に飛び込んだ。
このとき、彼女は孫に向かって「波の下にも極楽浄土の都がありますよ・・・」と言ったそうな。
続いて建礼門院も海に飛び込む。
3月の海は冷たかっただろうな〜。 -
【寂光院入口の御紋 菊に梶の葉】
しかしその時、源氏の武士たちが、まだ波間に漂って沈みきっていない建礼門院を引き上げる。
心ならずも救われた建礼門院は京都に護送され、出家、建礼門院29歳であった。
その後、大原の寂光院に庵を結び、平家の菩提を弔うことに生涯を捧げた。 -
出家の翌年、彼女を気遣った後白河上皇が庵を訪れる。(大原御幸)
【写真 左隅に写る幹は、千年姫小松と呼ばれ、平家物語の大原御幸に登場する。近年の放火火災により枯死】 -
【寂光院】
本堂左手の汀の池(みぎわのいけ)は、平家物語の当時のままのもの。
大原御幸の際、後白河法皇が詠われた「池水に汀の桜散り敷きて 波の花こそ盛りなりけり」に因んで名付けられたとされる。 -
【寂光院】
建礼門院は、1191年、その生涯を閉じる。
臨終の様子はというと、阿弥陀如来の手に繋がる五色の糸を手に念仏を唱え、いよいよその声が小さくなってくる。すると西の空に紫雲が立ち、部屋には、芳しい香りが満ち、天からは楽が注ぎ、やがて息を引き取ったとのこと。
これは、当時の人々の理想の臨終の迎え方。(今も、かもしれません) -
【寂光院】
念仏を唱えるとき心に描いていたのは、三千院の極楽往生院の阿弥陀三尊像だったりして、ウフフ。(当時は、まだ新しい像は金色に輝き、堂内はそれはきらびやかであったに違いない)
http://4travel.jp/traveler/010456/album/10676544/
あのふんわりまろやか系の阿弥陀の手につながり、「だいじょうぶよ〜大変な思いをしたね〜」というメッセージを全身から発する観音勢至の二尊の姿を思い浮かべながら臨終を迎えたのなら、救われる気がする。
やっぱ、最期は癒し系がいいよね。 -
【寂光院 四方正面の池】
さらに妄想は進む。
極楽往生院は、12世紀末に藤原実衡の妻、真如房尼が、亡き夫の菩提のために建立したとのこと。ということは、建礼門院が大原で過ごした時期と重なる。
二人の間に親交があったなら面白いな〜。
たとえば、花摘みに出た門院と真如房尼が出会って、
真「私、昨年夫を亡くしましてね、賑やかな都にいると余計寂しいものですから、大原にまいりましたの」
建「まあ、あなたもですか。私も最愛の夫を亡くし、その数年後には、子どもも家族も皆一度に亡くし・・・・・」
真「それは、お辛い経験をなさったわね、よろしかったらウチの阿弥陀堂へいらっしゃらない?」
というわけで、建礼門院は極楽往生院を訪れ、阿弥陀如来の熱烈ファンになったのでした。
建「我が庵には、このような美しい阿弥陀さまは、坐しませんので、時折おじゃましてもよいですか?」
真「もちろん!未亡人同士、仲良くしましょうね〜」
てな具合で交流が続くのでした。
と、私の妄想は果てしなく進む。
【注:これはあくまでも妄想です。建礼門院の大原隠棲よりも真如房尼の逝去の方が数年早いと、ご教授くださる方がありました。でも、あったらいいなと思える、楽しい妄想でしょ!】 -
【寂光院】
平成12年(2000)5月に放火により全焼した本堂は、平成17年(2005)に復元公開された。往時の姿を取り戻した内陣は、漆塗りの黒い柱に赤、青、金色の極彩色で唐草模様が描かれ、中央には、高さ2mを越えるカラフルな地蔵菩薩像が安置されている。 -
【寂光院】
雪見灯篭は、豊臣秀吉寄進の南蛮鉄で作られた鉄製のもので、伏見城より移設。 -
【寂光院】
大原名物のシバ漬は、建礼門院に仕えた阿波内侍が、里人の貢ぎ物の夏野菜(ナス、キュウリ)を、シソの葉と一緒に漬け込んだのが始まりとされ、これに建礼門院が紫葉(シバ)漬けと名付けたらしい。
また、大原女の装束は、阿波内侍の作業スタイルが起源とのこと。 -
寂光院から大原バス停に戻る途中に見つけた「朧(おぼろ)の清水」という小さな湧き水。
日が暮れ、月灯りに照らされた建礼門院の姿が、この水面におぼろに映ったんだとか。
落ちぶれた我が姿に泣いちゃったのかな〜。 -
【朧の清水】
♪京都 大原三千院 恋に疲れた女が一人
結城に塩瀬の素描の帯が 池の水面に揺れていた
京都 大原三千院 恋に疲れた女が一人♪
この唄は、三千院よりも寂光院のほうが似合っているような気がした。
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この旅行記へのコメント (8)
-
- rokoさん 2012/07/21 18:25:46
- 最期は癒し系がいいですね・・・
- ゆうこママさん
面白いです、花摘みに出た門院と真如房尼が出会ってのゆうこママさんの妄想
惹きつけられました(*^_^*)
>権力争いの道具にされ、栄華と没落の極みの両方を味わった悲劇のヒロイン建礼門院徳子
寂光院
ゆっくり静かに歩きたくなりました。。。
roko
- ゆうこママさん からの返信 2012/07/21 19:51:03
- RE: 最期は癒し系がいいですね・・・
- こんばんは。
>
> 面白いです、花摘みに出た門院と真如房尼が出会ってのゆうこママさんの妄想
> 惹きつけられました(*^_^*)
>
⇒これは、本当に馬鹿げた妄想ですから。
旅行記にも注意書きを添えましたが、建礼門院が大原に来たときには、真如房尼は既に亡くなっていたようです。
でも、そんなことがあったらいいな〜としみじみ思います。
> >権力争いの道具にされ、栄華と没落の極みの両方を味わった悲劇のヒロイン建礼門院徳子
>
⇒しあわせと不しあわせの振り幅の大きな人生、実際のところどうだったのでしょうね。
意外と達観してあっけらかんとしていたかもしれません。
>
> 寂光院
> ゆっくり静かに歩きたくなりました。。。
>
⇒大原は山ひとつ越えると近江なのですよね。
ということは、大原は、rokoさんの庭続き。
自在に歩き、普通の観光客では目にすることのできない風景や植物との出逢いもあるのでは。
独りよがりの旅行記にお付き合いいただき、ありがとうございました。
-
- susanaさん 2012/07/01 17:43:19
- 緑が素敵
- ゆうこママさん、コンニチワ★
大原の街並みも素敵ですし、解説も興味深く読ませていただきました。
それでも、どうしても色深くしっとりとした緑に目が行ってしまいます。
こんな日に訪れてみたいです。
緑好きsusana
- ゆうこママさん からの返信 2012/07/01 22:40:59
- RE: 緑が素敵
- こんばんは、ようこそお越しくださいました。
またまた、独りよがりの旅行記にお付き合いいただき、恐縮です。
>
> 大原の街並みも素敵ですし、解説も興味深く読ませていただきました。
> それでも、どうしても色深くしっとりとした緑に目が行ってしまいます。
> こんな日に訪れてみたいです。
>
⇒真夏の濃い緑とは異なり、まだ若い緑は、柔らかくて目にも心にも優しいです。
本格的な梅雨に入り、今頃は、緑の色がすっかり濃くなってまた違った景色になっていると思います。
緑に包まれたお寺と仏像を見に、近いうちに奈良にと思っていますが、暑いかな・・・。
奈良の夏って暑いのですよね。
- susanaさん からの返信 2012/07/02 23:00:13
- RE: RE: 緑が素敵
- > 奈良の夏って暑いのですよね。
暑いですよ〜
冷房なしだと、顔を洗ってファンデーションを塗るまでの間に顔から汗が吹き出します。
関西は全体的に蒸し方が半端ないですが、その中でも奈良と京都は盆地なので、ひどいもんです。
あの中で育ったので、東京の夏が楽チンです。
- ゆうこママさん からの返信 2012/07/03 21:16:44
- RE: RE: RE: 緑が素敵
- 寒いのと暑いのと、どちらがマシかと問われたら、迷うことなく寒いほうを選ぶ私です。
暑いのは、超苦手。
名古屋の夏も強烈ですが、奈良や京都も厳しいですよね。
奈良の灯花会を訪れたとき、夜になっても昼のように蒸し暑かったのに閉口したことを覚えています。
でも、それでも、行きたい奈良です。
といっても、博物館にずっと居たりして・・・
-
- ちょんたさん 2012/06/18 00:27:15
- そうですね。こちらのほうが似合っています。
- ゆこママ様
京都大原三千院・・・よりもこちらのお寺のほうが雰囲気としては、恋に疲れた女が一人で行くのは似合っていますね。
でも、きっと
京都大原寂光院・・では、歌詞が決まらなかった????(笑)
建礼門院と真如房尼とのやり取りは、面白かったです。想像力が凄いですね!!
でも、そんなことがあって、慰めあったことがあると思うほうが安らぎます。あれほどの悲劇を一人で背負うのは可哀想過ぎますものね。
いつも素敵な旅行記をありがとうございます。
ちょんた
- ゆうこママさん からの返信 2012/06/18 21:04:42
- RE: そうですね。こちらのほうが似合っています。
- こんばんは、ちょんたさま
妄想にお付き合いいただき、感謝申し上げます。
>
> 京都大原三千院・・・よりもこちらのお寺のほうが雰囲気としては、恋に疲れた女が一人で行くのは似合っていますね。
>
⇒そうでしょ。
三千院は、広くて、キレイに整えられすぎて、隙がないです。
本当に疲れているときには、向いていないかも。
でも、美仏がいらっしゃるので、私にはベストです。
> でも、きっと
> 京都大原寂光院・・では、歌詞が決まらなかった????(笑)
>
⇒確かに!
唄にするには、「サンゼンイン♪」のほうが、余韻がキレイかな。
チョンタさんは、合唱をなさっているのでしたっけ?
いかがでしょう?
声に出して歌うには、「ジャッコーイン」より「サンゼンイン」ですか?
> 建礼門院と真如房尼とのやり取りは、面白かったです。想像力が凄いですね!!
>
⇒想像力ではなくて、妄想力(笑)です。
自分勝手に妄想するのは、楽しいです。
> でも、そんなことがあって、慰めあったことがあると思うほうが安らぎます。あれほどの悲劇を一人で背負うのは可哀想過ぎますものね。
>
⇒「一人で背負う」。まさにそうですね。
でも、可哀想過ぎる人生だから後世に残る物語になったのでしょうね。
人は、悲劇が好きですから。
> いつも素敵な旅行記をありがとうございます。
⇒独りよがりの旅行記にお付き合いいただき、ありがとうございました。
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旅行記グループ 大原三千院
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