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京浜急行新馬場駅から徒歩約10分、東海寺(とうかいじ、東京都品川区北品川)は臨済宗大徳寺派の寺院で山号は万松山といい、三代将軍徳川家光が名僧沢庵(たくあん、1573~1645)のために創建した寺院です。<br /><br />沢庵和尚は但馬国(現兵庫県出石)に生まれ、京都・近江・堺と貧困の中で修行を積んで、慶長14年(1609)、京都大徳寺153世住職となりました。<br /><br />その後、江戸幕府が発令した「大徳寺妙心寺法度」を批判したこと(紫衣事件)から幕府の怒りを買い、寛永6年(1629)出羽国(現山形県上山市)上山城主の土岐頼行(とき・よりゆき、1608~1685)預かりとなりました。<br /><br />寛永9年(1632)二代将軍秀忠の死によって大赦礼が出され、幕府より流罪の罪が解かれ江戸に召喚された沢庵は、将軍家光から信頼を寄せられた結果新寺建立となり沢庵が開山として迎えられます。<br /><br />当時の東海寺は朱印領500石を有して、47、666坪(約157,000m2)に及ぶ広大な寺域を有する大禅林であったそうで、全盛期には十七の塔頭寺院が営まれたと伝えられ、その中には下総国佐倉藩主堀田正盛の臨川院・若狭小浜藩主酒井忠勝の長松院・肥後国熊本藩主細川光忠尚の妙解院・丹波園部藩主小出吉親の雲龍院・出羽藩主土岐頼行の春雨庵などの大名家の塔頭もあったそうです。<br /><br /><br /><br />品川区教育委員会作成の案内板には下記のように説明されています。<br /><br />『当寺は寛永15年(1638)に三代将軍徳川家光の信任を受けていた沢庵禅師のために建立されたものです。<br /><br />本鐘は元禄5年(1629)住持天倫宗忽(じゅうじてんりんそうこつ)が撰文し、名工といわれた幕府の御用鋳物師である椎名伊予守良寛によって造られたものです。<br />総高198cm、口径106cm、撞座は竜頭の側面方向に2ケ所、乳は乳の間ごとに縦横5箇ずつ配列されています。』(品川区教育委員会)<br /><br /><br /><br /><br />当寺には老中・下総佐倉初代藩主堀田正盛(ほったまさもり・1609~1651)の墓所があります。<br /><br />正盛は継祖母が春日局(かすがのつぼね)が乳母を務めた徳川家光が第3代将軍となると近習に取り立てられ異常な速さで出世し、寛永12年(1635)には老中に就任、同15年(1638)には相談役、同19年(1642)には佐倉藩に転封11万石の城主となります。<br /><br />慶安4年(1651)家光の死去に伴い殉死を遂げます。<br />

武蔵品川 徳川三代将軍家光が流罪先の上山より召喚後重用した沢庵漬で有名な名僧沢庵和尚のために創建したという『東海寺』散歩

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2012/02/20 - 2012/02/20

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滝山氏照

滝山氏照さん

京浜急行新馬場駅から徒歩約10分、東海寺(とうかいじ、東京都品川区北品川)は臨済宗大徳寺派の寺院で山号は万松山といい、三代将軍徳川家光が名僧沢庵(たくあん、1573~1645)のために創建した寺院です。

沢庵和尚は但馬国(現兵庫県出石)に生まれ、京都・近江・堺と貧困の中で修行を積んで、慶長14年(1609)、京都大徳寺153世住職となりました。

その後、江戸幕府が発令した「大徳寺妙心寺法度」を批判したこと(紫衣事件)から幕府の怒りを買い、寛永6年(1629)出羽国(現山形県上山市)上山城主の土岐頼行(とき・よりゆき、1608~1685)預かりとなりました。

寛永9年(1632)二代将軍秀忠の死によって大赦礼が出され、幕府より流罪の罪が解かれ江戸に召喚された沢庵は、将軍家光から信頼を寄せられた結果新寺建立となり沢庵が開山として迎えられます。

当時の東海寺は朱印領500石を有して、47、666坪(約157,000m2)に及ぶ広大な寺域を有する大禅林であったそうで、全盛期には十七の塔頭寺院が営まれたと伝えられ、その中には下総国佐倉藩主堀田正盛の臨川院・若狭小浜藩主酒井忠勝の長松院・肥後国熊本藩主細川光忠尚の妙解院・丹波園部藩主小出吉親の雲龍院・出羽藩主土岐頼行の春雨庵などの大名家の塔頭もあったそうです。



品川区教育委員会作成の案内板には下記のように説明されています。

『当寺は寛永15年(1638)に三代将軍徳川家光の信任を受けていた沢庵禅師のために建立されたものです。

本鐘は元禄5年(1629)住持天倫宗忽(じゅうじてんりんそうこつ)が撰文し、名工といわれた幕府の御用鋳物師である椎名伊予守良寛によって造られたものです。
総高198cm、口径106cm、撞座は竜頭の側面方向に2ケ所、乳は乳の間ごとに縦横5箇ずつ配列されています。』(品川区教育委員会)




当寺には老中・下総佐倉初代藩主堀田正盛(ほったまさもり・1609~1651)の墓所があります。

正盛は継祖母が春日局(かすがのつぼね)が乳母を務めた徳川家光が第3代将軍となると近習に取り立てられ異常な速さで出世し、寛永12年(1635)には老中に就任、同15年(1638)には相談役、同19年(1642)には佐倉藩に転封11万石の城主となります。

慶安4年(1651)家光の死去に伴い殉死を遂げます。

交通手段
私鉄 徒歩
  • 東海寺・寺名石標<br /><br />参道の先には山門が控えます。<br /><br />

    東海寺・寺名石標

    参道の先には山門が控えます。

  • 古学殿

    古学殿

  • 梵鐘堂<br /><br />

    梵鐘堂

  • 堀田家墓所<br />

    堀田家墓所

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