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京浜急行横須賀中央駅から米が浜通りを約8分歩きますと、おりょう会館(おりょうかいかん、神奈川県横須賀市米が浜)という葬儀会館があり、1階スペースに幕末を生きた坂本龍馬の妻である和服姿の「おりょう」(1841~1906)の胸像があります。<br /><br />慶応3年(1867)11月、京都で中岡慎太郎と共に襲撃を受け刃に倒れた坂本龍馬は幕末を華々しく飾った人物として周知の通りですが、妻の「おりょう」については認識が浅くとりわけ龍馬死亡後の足どりは知られていません。<br /><br />龍馬と死別した「おりょう」は一時龍馬の実家に身を寄せることになったものの折合いが悪く、京都に出て更に横浜の高級料亭「田中家」で仲居として再出発、持前の美貌と利発さで多数のファンがいたそうです。<br /><br />明治8年に回漕業をやっている旧知の西村松兵衛と再婚し松兵衛の住んでいる横須賀で世帯を持つことになります。<br /><br />晩年の「おりょう」は松兵衛の事業が続かず露天商などをやったりして恵まれない環境に陥りましたが30年以上も当地で生活をしていました。<br />明治39年(1906)1月、おりょうは66歳で息を引き取ります。<br /><br />なお「おりょう」の墓は横須賀市大津の信楽寺にあるそうです。<br />

相模横須賀 幕末を生きた坂本龍馬の妻『おりょう』散歩

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2012/02/20 - 2012/02/20

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滝山氏照

滝山氏照さん

京浜急行横須賀中央駅から米が浜通りを約8分歩きますと、おりょう会館(おりょうかいかん、神奈川県横須賀市米が浜)という葬儀会館があり、1階スペースに幕末を生きた坂本龍馬の妻である和服姿の「おりょう」(1841~1906)の胸像があります。

慶応3年(1867)11月、京都で中岡慎太郎と共に襲撃を受け刃に倒れた坂本龍馬は幕末を華々しく飾った人物として周知の通りですが、妻の「おりょう」については認識が浅くとりわけ龍馬死亡後の足どりは知られていません。

龍馬と死別した「おりょう」は一時龍馬の実家に身を寄せることになったものの折合いが悪く、京都に出て更に横浜の高級料亭「田中家」で仲居として再出発、持前の美貌と利発さで多数のファンがいたそうです。

明治8年に回漕業をやっている旧知の西村松兵衛と再婚し松兵衛の住んでいる横須賀で世帯を持つことになります。

晩年の「おりょう」は松兵衛の事業が続かず露天商などをやったりして恵まれない環境に陥りましたが30年以上も当地で生活をしていました。
明治39年(1906)1月、おりょうは66歳で息を引き取ります。

なお「おりょう」の墓は横須賀市大津の信楽寺にあるそうです。

交通手段
私鉄 徒歩
  • 坂本龍馬の妻おりょう<br /><br />

    坂本龍馬の妻おりょう

  • 説明文

    説明文

  • おりょう会館<br /><br />いわゆる葬儀場です。

    おりょう会館

    いわゆる葬儀場です。

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