2012/02/18 - 2012/02/18
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滝山氏照さん
普門寺(ふもんじ、東京都日野市本町)創建は応永5年(1398)義雲和尚の開基と伝えられますが、もとは現在地の西、本宿と呼ばれる付近にありました。
元亀元年(1570)、現在の甲州街道が整備されてのに伴い、現在の地に移されました。
2023年11月14日追記
日野市観光協会のホームページによれば下記の通り紹介されています。
『普門寺は真言宗智山派で高幡不山明王院金剛寺の末寺に属していた寺院です。
創建は室町時代のはじめ、応永5年(1398)僧義雲の開基と伝えられ、もとは現在地より西、本宿と呼ばれる付近にありました。元亀元年(1570)、現在の甲州街道が整備されたのに伴い清有の代になって現在の地に移されています。
牛頭天王社(八坂神社)の別当寺として社務をつかさどっていましたが、明治維新政府の神仏分離によって、別当は廃されました。しかし、現在でも墓地の中程、八坂神社神職を務める土渕家の墓所には石の鳥居があり神仏習合の珍しい姿を見ることができます。
本堂の右手には八幡石と呼ばれる、大石が置かれています。これは伝説によると、寛文4年(1664)、当時の住職に夢の中で「高倉の北の一つの塚に大石がある。そこはもと北条氏が八幡宮を勧請、宝剣1振、矢2筋を納め、武運長久を祈ったところである。しかるに北条氏没落の後は、誰知るものとてなく、農夫がこの霊地を汚して困るから、当山に移し奉れ」とのお告げがあり、ここに移したのだそうです。
この時の大石運搬の遷座祭には、日野宿中の人々が飯の炊き出しをしたりして、大騒ぎだったと伝えられています。
明治初年には境内の広さが850坪、堂宇も広く、日野小学校(日野第一小学校の前身)創設の際、本堂は仮校舎となりました。その後、明治11年(1878)には堂宇も取り払われ、日野小学校校舎が現在の公民館の場所に新築されるに伴って、境内のほとんどは学校敷地と折半となりました。』
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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