2012/02/18 - 2012/02/18
422位(同エリア556件中)
滝山氏照さん
JR日野駅周辺はいわゆる幕末に活躍した新選組に繋がる名所旧跡の一部となっており、その中で宝泉寺(ほうせんじ、東京都日野市本町)は井上家の菩提寺であり、新選組副長助勤・六番隊隊長の井上源三郎(いのうえ・げんざぶろう)の顕彰碑が建立されています。
彼の生家が近くにあり、土蔵を改造した井上源三郎資料館があり、歳三書状、源三郎書状の他近藤勇が源三郎に贈った名刀などが展示されています。
源三郎の兄松五郎は千人同心でしたので、源三郎に天然理心流(てんねんりしんりゅう)を紹介したのは松五郎だと考えられています。
2023年11月15日追記
日野市観光協会ホームページに掲載の当該寺院に関して次の通り記述されています。
『 宝泉寺は、臨済宗建長寺派の禅寺です。開祖は鎌倉建長寺の曇芳同応大和尚、創立は元徳年間(1330年頃)で当初は姥久保(現新町、中央高速が通るあたり)にありましたが火災にあい、その後、現在の地に再建されたといわれています。
本堂は、併催13年5月に新築落慶し、境内も整備し直されています。
本尊は釈迦如来、脇侍に文殊菩薩普、賢菩薩があります。また、「持ち上げ観音」の名で知られている、持ち上げた時に感じる重さによって吉凶を占う、約36cmの馬頭観音の石像があります。この「持ち上げ観音」は鐘付き堂の隣にある観音堂の本尊でしたが、現在は本堂と客殿との間に安置してあります。客殿の南側には、古くから裏山を借景にした趣きある庭園があります。
甲州街道に面した山門は六脚ひのき造り、多数の檀家と近郊の有力者によって嘉永6年(1853)建てられたものです。』
井上源三郎の墓
『宝泉寺墓の奥まった所に井上源三郎の墓所があります。墓所内には新選組六番隊長・副長助勤井上源三郎(戒名:誠願元忠居士)の墓碑が建てられています。
墓誌には、源三郎と共に兄松五郎(戒名:清松軒仁智勇居士)、源三郎の死をみとった康助(戒名:泰岳宗保居士)の名も見られます。』
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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宝泉寺・山門
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宝泉寺・境内
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本堂
正式には臨済宗鎌倉建長寺派如意山宝泉寺といいます。元徳年間(1329)の開山です。 -
宝泉寺本堂・扁額
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イチオシ
井上源三郎顕彰碑
井上源三郎(文政12年〜慶応4年)は八王子千人同心世話役・井上藤佐衛門の三男として生まれ、弘化4年天然理心流近藤周助に入門、名主佐藤彦五郎が本陣内に造った道場で土方歳三と共に稽古に励みます。源三郎は近藤勇の兄弟子でもあり次第に交流を深めます。
文久2年浪士隊に近藤勇、土方歳三と共に参加、その後新選組隊士として源三郎は京都池田屋事件では8人の浪士を捕縛するなど活躍します。
慶応3年新選組が幕府直参に取立てられると副長助勤に昇格、翌4年鳥羽伏見の戦いが勃発しますと淀千本松で官軍と衝突、敵の銃弾を腹部に受け戦死します。享年40歳。
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