2012/05/11 - 2012/05/11
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belleduneさん
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京都の東山七条にある京都国立博物館へ行ってきました。
5月27日まで「陽明文庫名宝展−王朝文化の華」を本館でやっています。
明治30年に開館した当時は、帝国京都博物館と言われていました。現在、正門横にある常設館は立替工事中で、この正門辺りも近寄ることができませんでした。
本館の設計は、片山東熊で、コンドルに建築を学び、明治建築の代表的な建築( 奈良国立博物館本館、東京国立博物館表慶館など) を設計しました。
正門(西門)とそこから続く煉瓦塀も本館と同じ時期に建てられました。全体が煉瓦で統一されています。
この博物館の辺りを、平清盛、後白河法皇、豊臣秀吉、仏師湛慶、長谷川等伯らが歩いていたと説明書にありました。
本館裏手にある茶室・堪庵には誰も居なかったので、ゆっくり見ることができました。
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄 徒歩
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現在、正門は常設館が修復工事のため、閉鎖中ですので、南門から入ります。
この石垣のうえにある煉瓦塀も正門と同時期のものです。 -
正門から豊国神社へと続く巨大な石塁は豊臣秀吉が天正14年に京都東山に大仏と大仏殿の建立を思いつき、16年から建設が始まりました。この石塁はその遺構です。
大仏は銅の鋳造の予定でしたが、完成を急いだため、木彫り像の表面に漆喰を塗るという手法でした。大仏は高さ16丈あったと言われており、座高は8丈(約24m)位だったそうです。しかし、文禄5年(1596)の大地震のため、漆喰の仏像は大破してしまいました。秀吉は修復はせず、大仏殿も直ぐに撤去していまいました。
博物館裏手から大仏殿の須弥壇址が発掘されています。 -
常設館が工事中のため閉鎖中の正門前
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平常展示館の立替工事は平成25年秋の予定だそうです。
敷地面積53182.85?、地上4階、地下2階、谷口建築設計研究所の設計になります。 -
片山東熊の設計の本館(特別展示館)
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編集中
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中央奥の煉瓦の建物は、技術資料参考館で、文化財の修復のために使用されています。以前は、収蔵庫として建てられました。内部は非公開ですが、国の登録有形文化財になっています。
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茶室・堪庵は、昭和33年、上田堪一郎氏から当館に寄贈されたもので、江戸時代初期京都の公家文化の伝統を受け継いだ数奇屋造りとなっています。
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玄関
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母屋の八畳の書院座敷の前の広縁
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右が三畳の茶室・堪庵で、奥の土間から上がります。
金森宗和(1584〜1656)が好んだ大徳寺真珠庵の庭玉軒を写したと言われ、間取りは本勝手台目切り(出炉)、下座床は框を横たえた上段の構造となっています。 -
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以前、茅葺きと板葺きだった屋根は現在の場所に移築した際に、銅版葺きに改築されました。
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この庭園の石造遺品は、李朝時代(1392〜1910)の貴人たちの墳墓を飾っていたと思われるもので、広く各地から集められたものだそうです。
大阪山本家の庭園に配置されていましたが、昭和50年に当館へ寄贈されました。 -
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正門側から歩いてすぐのところにあるのが、豊国神社です。
豊臣秀吉を祀る神社で、「ホウコクさん」の呼ばれています。慶長3年(1598)に63歳で亡くなった秀吉の遺体は、遺命により、東山の阿弥陀ヶ峯の中腹に葬られ、その麓(現在の豊国廟太閤垣)に広壮な廟社が造営されました。
後陽成天皇から正一位の神階と豊国大明神の神号を賜りました。 -
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国宝の唐門は、伏見城の遺構と伝えられ、二条城から南禅寺の金地院を経て、ここに移築されました。
西本願寺、大徳寺の唐門と共に、国宝三唐門とされています。
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