2012/05/01 - 2012/05/01
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TAKEおじさん
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福島へ3日間
大震災、原発と災害復旧がまだまだの福島だが、少しでも復旧の足しに成ればと福島を訪れた。
今回は、三春滝桜を中心に会津若松まで足を延ばした。
本篇は、二日目後半 会津若松鶴ヶ城、御薬園
三春滝桜、紅枝垂れ地蔵ザクラ(中田町)、さくら・はなもも回廊を楽しんだ後、鶴ヶ城の桜がまだ見られるとTVでも放送していたので訪ねた。残念ながら、ソメイヨシノは散っていたが、八重桜は満開で楽しめた。
また、2013年のNHK大河ドラマは、会津ゆかりの新島八重が主人公の「八重の桜」だそうで、鶴ヶ城でいろいろな企画が練られていた。その紙芝居で新島八重の生涯を知ることが出来て、来年の大河ドラマが楽しみになった。
日程
1日目 4月30日(月)
夜 三春滝桜ライトアップ、郡山泊
http://4travel.jp/traveler/stakeshima/album/10666177/
2日目 5月1日(火)
前半 三春滝桜、紅枝垂れ地蔵ザクラ
http://4travel.jp/traveler/stakeshima/album/10666297
後半 会津若松鶴ヶ城、御薬園、いわき湯本泊
http://4travel.jp/traveler/stakeshima/album/10667768
3日目 5月2日(水)
前半 塩屋岬、アクアマリンふくしま
http://4travel.jp/traveler/stakeshima/album/10668426
後半 国営ひたち海浜公園ネモフィラ、チューリップ
http://4travel.jp/traveler/stakeshima/album/10669840
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 自家用車
-
会津へ 磐梯山が見えてくる
三春から会津へ、磐越自動車道で向かうと、車窓から磐梯山がはっきりと見えてくる。 -
磐梯山 磐梯山SAから
磐梯山をよく見たいと思い、磐梯山SAに車を止める。
まだ雪渓が残っている磐梯山が良く見える。 -
鶴ヶ城到着
鶴ヶ城北口から入り、西出丸駐車場に車を止める。平日だったが、駐車待ちの行列が出来ていた。
西出丸から入城していくが、桜は葉桜・・・
昨夜はまだ見られると云っていたのだが・・ -
葉桜とお城
桜が満開ならば、良い絵に成るはずだった。
残念。
それでも、青空の天守は美しい。 -
八重桜とお城
ソメイヨシノは葉桜だったが、八重桜は満開だった。
八重桜を探して、天守とツーショット。
やはり、桜とお城はよく似合う。 -
武者走り(むしゃばしり)
武者走りを通って天守に向かう。
この石垣は、鶴ヶ城の大手門の櫓(やぐら)に簡単に昇り降りが出来るようにV字型に造られている。 -
ここの石垣は粗い
自然石をそのまま積む「野面(のづら)積み」の様だ。
鶴ヶ城を築いた400年前の蒲生氏郷の時代と思われる。
この後、立派な石垣が出てくる。
石垣の歴史にも注目したい。 -
天守へ
先ずは天守が見たくて入城する。
鶴ヶ城の天守は、蒲生氏郷によって1593年(文禄2年)望楼型7重が完成した。
1874年(明治7年)に解体されて、1965年(昭和40年)に鉄筋コンクリート造により再建された。天守の瓦は昨年に黒瓦から昔の赤瓦に戻した。 -
昔の天守
城内に有ったパネル。取り壊す前の明治5年西側から撮影したもの。
明治元年戊辰戦役に薩摩・長州などの官軍の攻撃にあい、籠城戦を展開し、その名城ぶりを発揮したが、九月に遂に開城した。
写真で見てもお城は官軍の砲撃を受けてだいぶ傷んでいるように見える。
-
お城ボくん
お城の前には、会津若松観光PRキャラクターのお城ボくん。
お城がロボットに成っている。 -
2013年NHK大河ドラマは「八重の桜」
城の前に大きな看板が有り、天守内で
パネル展 幕末会津と新島八重
紙芝居 新島八重物語
が有り興味深く見た。
白虎隊の悲劇はあまりにも有名だが、新島八重はまったく知らなかった。 -
天守を登って行く
鉄門(くろがねもん)、干飯櫓(ほしいやぐら)が見える。 -
各階には
「天守閣博物館」に成っており、会津の歴史や展示物がある。会津藩の学習をしながら天守を登って行く。 -
天守の最上階は望楼に
360度見渡せる。 -
眺望は
磐梯山や飯盛山、天井に説明のパネルが有るのでよく分かる。
飯盛山は戊辰戦争の際、負傷者を抱えながら逃げ延びた白虎隊(15〜7歳の武家の男子で編成された部隊)がこの山から見た戦闘による市中火災の様子を、若松城が落城したものと誤認し全員で自刃したという悲しい話が残る。 -
飯豊連峰も
やや霞んでいるが。
冬の澄んでいる日はさぞ良い眺望だろう。 -
下には
手前より、走長屋、鉄門、南走長屋、干飯櫓。
天守から降りて行ってみる。 -
南走り長屋(みなみはしりながや)へ
南走長屋はかつての武器庫であり、平成12年に再建された。
その前の走長屋はすっかり土産物屋に成っていた。ここを通らないと進めない。 -
会津藩と新島八重の説明が続く
松平容保(まつだいら かたもり)、戊辰戦争で1か月の籠城むなしく敗れたが、命は助けられた。
新島八重については、次の紙芝居でよく分かった。 -
新島八重物語 紙芝居
2013年のNHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公、新島八重の物語。20分に亘る紙芝居を見た。 -
新島八重は
戊辰戦争、最後の籠城の時に若い女性でありながら得意の鉄砲で大軍に挑んだ凄い人。(ドンドンと太鼓の音が入る)。
八重は、武田信玄の軍師である山本勘助の家柄で、代々砲術を教える武士の山本家に生まれた。 -
八重は鉄砲の指南役
会津藩は徳川幕府と天皇のために働いた。しかし、薩長が幕府に反抗して大政奉還を成し遂げる。1868年、官軍の薩長は江戸城を開城して会津に向かった。
八重は、白虎隊の少年、伊東貞次郎にも鉄砲を教えていた。ドンドン。 -
髪を切って戦う八重
八重は、先の鳥羽伏見で戦死した弟や処刑されたする兄のうらみで、形見の服と刀をさして城へ向かった。
ろう城して、働きやすくするために、会津藩士高木盛之輔の姉「とき」から脇差で髪を切ってもらう。ドンドン。 -
すさまじい戦いが
すさまじい砲撃の中、負傷した藩士のところにおにぎりを運ぶ八重。砲弾の砂ぼこりで目も口も開けられず、顔は土人形そっくりに。
「顔が土人形みたい・・・」と笑う。ドンドン -
ついに降伏
八重の鉄砲隊の活躍で、1か月も西軍の攻撃に耐えたが、これ以上の犠牲者を出したくないと殿様の決断で降伏する。
二の丸から三の丸に向かう手をにぎり屈辱の八重。ドンドン
その夜、会津藩の提灯が西軍の提灯に変わる。月を見て八重の一首。
明日の夜は 何国(いずこ)の誰が ながむらん
慣れし御城に 残す月影 -
その後の八重 八重はハンサムウーマン
生きていた兄のもとの京都に行き、必死に勉強する八重。新しいものに積極的に取り組み、新島襄(じょう)と結婚する。新島八重となり、同志社大学を設立し、日露戦争では看護婦として働き、「日本のナイチンゲール」とも呼ばれた。
生涯、会津の正義の心、信念を失わずに、子供のころからの茶目っ気も残しつつ、まっすぐに生きた女性だった。ドンドン。
夫の新島襄が手紙で、誠実に生き抜く彼女の姿を記し、八重を決して美しくはないが「ハンサムウーマン」と称した。 -
綾瀬はるかが主役
この紙芝居、大河ドラマ「八重の桜」の事前取材で主役をやる綾瀬はるかさんが見に来たそうだ。
最後の「美しくは無いが・・・」には思わず苦笑。
来年の大河ドラマ、面白そうだ。 -
干飯櫓(ほしいやぐら)では
干飯櫓は南側の濠に面しており、石落しなどが備えられている。お濠からの敵の侵入を防ぐ点でも、重要な役割を担っていた。 -
櫓から攻撃
八重はこうやって鉄砲を撃った。 -
本丸をぶらぶら
紙芝居を見た後、本丸をぶらぶら歩く。
天守と走り長屋が一体となって、立派な鶴ヶ城になっている。 -
天守と松
やはりお城は松が似合うか。 -
天守とさくら
枝垂れザクラももちろん天守と合う。 -
茶室 麟閣
モミジと。紅葉とマッチするだろう。
会津領主・蒲生氏郷は、千利休が豊臣秀吉切腹を命じられ、利休の茶道が途絶えるのを惜しみ、息子の少庵を会津にかくまった。そして、徳川家康と共に「少庵召出状」を作成して、秀吉に千家復興を働きかけ、3年後、京都に戻ることを許された。少庵は、利休の茶の湯を忠実に継承した。 -
茶室のさくら
桜もキレイに咲いていた。 -
茶室の桜と天守
八重桜が満開。新島八重の紙芝居を見た後なので、八重桜を見て、新島八重を想う。 -
枝垂れ桜と天守
茶室の枝垂れ桜も天守と。 -
城内の喫茶コーナーで
一休みして、昼食には会津ラーメン。
麺もチャーシューも美味しかった。 -
北出丸から太鼓門
再び城内をぶらぶらと、北出丸から太鼓門。
右側の石垣が「遊女石」。 -
太鼓門脇の遊女石
ほぼ中央の大きな石(横 2.8 m、縦 2.6 m)が、鶴ヶ城の中で一番大きい石である。遊女を石の上に乗せて運んだと『新編風土記』にあるので遊女石。この石は鏡石ともいい、魔よけの意味があるそうだ。 -
ここの石垣は立派
この辺の石垣は「打ち込みハギ」で整然としている。石の角を平らにして、石と石の間に小石を入れる。
加藤氏の時代に築いた。 -
鉄門(くろがねもん)の石垣はさらに立派
「切り込みハギ」で、石を四辺形に加工して隙間を無くす。
鶴ヶ城の石垣を見てるだけで、石垣の進歩が分かる。
鉄門は鋼鉄で覆われ、強固で表門として最後の防壁となっている。 -
鉄門から天守を
桜も見える。 -
ここでも八重桜と天守
やっぱり、桜と天守は良い。 -
鐘撞堂(かねつきどう)
城下に時を知らせる鐘。戊辰戦争でも砲弾の標的にされたが、最後まで正確に時を刻んだ鐘の音は、あきらめず戦う会津の人たちを勇気付けたといわれている。 -
お堀は
お堀は一面、散った桜の花びらで花筏が漂っている。 -
花筏が集まって
ピンク一色に。
これで、会津若松鶴ヶ城ともお別れ。
ソメイヨシノは散っていて残念だったが、八重桜と「八重の桜」が楽しめた。 -
御薬園へ
鶴ヶ城からすぐの御薬園へ。
室町時代に葦名盛久がこの地に別荘を建てた。徳川時代の代表的な大名型山水庭園である。各種薬草を栽培する薬草園が御薬園の名前の由来。
お城とは打って変わって静かな佇まいを見せている。
-
重陽閣
薬草園の向うに重陽閣。
秩父宮妃勢津子殿下が宿泊された東山温泉の旅館を御薬園に移設し、妃殿下が名前にちなんで重陽閣と命名した。
一般の会席に利用されている。 -
心字の池の池辺に立つ御茶屋御殿
藩政時代には藩主の休息のほか上席役人らがお褒めの言葉を賜る時なとに利用した。お抹茶席も用意している。
江戸時代に返った様。 -
心字の池の中央にある楽寿亭
主として、茶席、書院等に用いられていた。
会津戦争中の御薬園は、西軍傷病者の診療所にあてられていた。それの刀傷などが残っている。 -
これが刀傷跡
楽寿亭の欄干に外から切りつけた。 -
猪苗代湖を見ながら宿泊地へ
会津若松から、猪苗代湖の湖畔へ。人も少なく静かな湖畔だった。そこから磐越自動車道でいわき湯本へ。 -
温泉で宿泊
いわき湯本の「松柏館」で泊まる。
一日の疲れを温泉と地酒でほぐした。
旅館は、震災後しばらく使えず、復旧した後も現在も原発関係者に宿を提供している。がんばって福島。
続きは以下です。
http://4travel.jp/traveler/stakeshima/album/10668426
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