2012/04/01 - 2012/04/01
3395位(同エリア5606件中)
ひま人さん
「神戸にひろがる平清盛の夢」。貴族たちが政治・経済・文化の実権を握っていた平安時代の末、強い意志としなやかな行動力で、時代を切り拓いた男・それが平清盛です。桓武天皇を継ぐ伊勢平氏の嫡流として生まれ、武家の棟梁として、その才覚や器量を発揮していきます。保元の乱、続く平治の乱を通して、その力を朝廷内部で培いながら太政大臣まで昇りつめ、日本で初めて武家による政治を司ります。英傑・清盛が愛してやまなかった場所が、ここ神戸です。太政大臣を辞した後、出家した清盛が京都から移り住んだ地です。彼の夢は、日宋貿易の振興、神戸はその拠点となりました。わずか半年とはいえ、清盛によって新しい都となった神戸。現在の国際港湾都市・神戸の源流はここにあったのです。
清盛ゆかりの地に立ち、遥か八百年ものいにしえに思いを馳せ、清盛の関連した遺跡巡りをしました。大輪田泊地区の8カ所を3時間余をかけ散策しました。
写真は能福寺・兵庫大仏です。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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大河ドラマ「平清盛」放映に際し設けた「歴史館」、清盛が生きた平安時代の歴史と神戸のあゆみを紹介、遺跡や出土品の展示などを核として、約800年前の神戸を紹介しています。
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歴史館内部、清盛時代の神戸を紹介しています。
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来迎時・らいごうじ(築島寺)、もとは三川口にあったが、湊川合戦や太平洋戦争で焼失し現在の地に建立されました。
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来迎時、松王丸(まつおうまる)供養塔。平清盛が経ケ島(きゅがしま)を築造する際、竣工直前の暴風雨によって二度にわたって破壊されたため、陰陽博士に占わせ人柱をたてることになりました。この時、身代わりになったのが「松王丸」という清盛の小姓で、その犠牲によって無事に経ケ島が築造されたと謂われています。
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来迎寺、清盛が愛した白拍子妓王・妓女の五輪塔。
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古代大輪田泊の石椋(こだいおおわだとまりのいわくら)。日宋貿易の拠点とするために清盛は、奈良時代に行基が造営した大輪田泊を修築しました。これにより日宋貿易は盛んになり、日本からは
鉱物や木材、宋からは宋銭や書物、香料などが交易され、平家の隆盛を支えました。昭和27年に出土した20数個の巨石(約4t)と一定間隔に打ち込まれた松杭とともに発見された一石です。 -
古代大輪田泊の石椋の説明版。巨石の組み方などが説明されている。石椋(いわくら)とは、石を積み上げた防波堤(波消し)や突堤の基礎などの港湾施設であったと考えられています。その構造は出土状況から、港の入口にこのような巨石を3〜4段程度積み上げ、松杭で補強し、堤を構築していたものと推定されます。
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金光寺(こんこうじ)。ある夜、清盛の夢枕に童子が現れて、「ここから五町ほどの沖の海底に、尊像が沈んでいる」というお告げを残していきました。早速、大輪田泊に網を下ろしてみると、海中からまばゆい黄金の薬師如来像が出現しました。その霊験に感心した清盛が、「これぞ当地の守護仏ならん」と大伽藍を建立したのが金光寺の草創とされています。
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宝積山能福寺・月輪影殿(本堂)。天台宗の仏教寺院で、本尊は最澄作の秘仏・薬師如来像です。延歴24年(805年)、唐に留学していた伝教大師最澄が帰途、兵庫の和田岬に上陸し自作の薬師如来像を安置し、日本で最初の教化霊場・能福護国蜜寺としたのが開創であると伝えられています。
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能福寺・兵庫大仏。日本三大大仏(奈良、鎌倉)の一つです。身丈11m、重量約60t、連台高3m、台座高4m、総高18mあります。大仏座の下には永代祠堂があり、ここに安置されている十一面観世音菩薩立像は平安初期に造られた檜の一木造りで、国重文に指定されています。
治承4年(1180年)、福原京遷都にともない清盛が能福寺で剃髪入道(淨海)し、平家一門の祈願寺に定められ大伽藍が建設され八棟寺と称されました。 -
能福寺、平相国廟(平清盛廟)・平清盛公墓処。平清盛が京都で荼毘にふされたとき、この寺の住職円実法眼が清盛の遺骨を持ち帰り寺領内に葬ったと伝えられています。
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清盛塚三重の塔、清盛の死後、100年以上経った弘安9年(1286年)に時の執権・北条貞時が清盛を弔うために建立したと伝わっています。高さ8.5mの石造で、県重要文化財。
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清盛塚、三重の塔と琵琶塚の隣の立つ清盛像。昭和43年(1968年)に建てられたものです。
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清盛塚、三重の塔と清盛像の隣に建つ「琵琶塚」。「平家物語」で琵琶の名手として謳われた平経正(敦盛の兄)の塚といわれています。
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薬仙寺、天平18年(746年)、行基菩薩が開基したと伝えられています。薬仙寺の名は後醍醐天皇が隠岐より兵庫の福厳寺に泊られたとき、ここの霊水を服用薬に奉り、病が回復したところから付けられました。
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薬仙寺、萱の御所跡。福原遷都の際に、清盛は自ら「萱の御所」に後白河法皇を幽閉しました。別名「牢の御所」とも呼ばれる屋敷は、薬仙寺の近辺にあったとも伝えられています。もとは寺の北にありましたが、昭和28年運河拡張工事の際、水中に没したため現在地に移したと謂われています。
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