2012/03/17 - 2012/03/17
1184位(同エリア1804件中)
ハンクさん
3月のサンクトペテルブルク滞在中の週末の午後、クロンシュタットを訪れた。ガイドブックによれば、ドイツ語で「要塞の町」を意味し、1997年までは外国人の立入りは禁止されており、およそ観光地とは言い難い要塞の町である。「クロンシュタットの反乱」は歴史の授業で聞いた覚えがあり、かのバルチック艦隊の軍港がある。一種の「怖いもの見たさ」であろうか。電車とバスでもアクセスはできるようだが、この日は車を使って片道約40分ほど、10kmほどの長い橋を渡って到着した。
クロンシュタットは、サンクトペテルブルク中心から北西に約32km、フィンランド湾に浮かぶコトリン島に位置しており、約5万人が住んでいる。1703年ロシア帝国軍はスウェーデン領であったコトリン島を占領、ピョートル大帝によって首都ペテルブルク防衛のための要塞が築かれ、1720年代にはバルチック艦隊の主力基地となった。1904年に開戦した日露戦争で、バルチック艦隊の36隻が極東に向けて出航、1905年5月の日本海海戦で壊滅的な打撃を受けたことはよく知られている。
雪で覆われていることもあるが、崩壊前のソヴィエト時代を垣間見ることができる寂れた町である。まずは錨広場にある船乗りの信仰を集めたと言う海の大聖堂を目指す。しかし改修工事のため壁で囲われており、近づくことすらできず、外から撮影するしかない。次に要塞博物館は、知人から聞いていたとおり閉鎖中。軍艦が停泊しているバルチック艦隊の母港を歩いた。多くはないが家族連れの観光客もちらほら散策しており、子供たちが高射砲や大砲に触ったり、写真を撮ったりしている。
「クロンシュタットの反乱」とは、1921年クロンシュタットの水兵たちが独裁化しつつあったボリシェヴィキ政権に対して、自由選挙の保障、言論・出版の自由、政治犯の釈放、個人の財産の所有権などを要求して蜂起した。政府はただちにクロンシュタットに赤軍を送り、この蜂起を鎮圧させた。この事件によりソヴィエト政府の政策を変える大事件であったという。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 2.0
- 交通
- 2.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- タクシー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
コトリン島に渡る約10kmの橋、3車線もある
-
マーケットの横にあるソヴィエト的な勲章を持つ胸像
-
海の大聖堂に渡る吊り橋
-
吊り橋の上でシャボン玉遊びをする子供たち
-
海の大聖堂は改修中で立入り禁止
-
改修中の海の大聖堂の正面の近景
-
海の大聖堂の改修の工事用機械
-
海の大聖堂の遠景
-
人気のないクロンシュタットの市街地、ソヴィエト時代の象徴「ヴォルガ」が見える
-
同上人気のない町並み
-
バルチック艦隊の母港の風景
-
高射砲も錆付いて機能していない
-
港の灯台に続く道
-
氷ついた海の上を歩く野犬の群れ
-
軍港の雰囲気をかもすクレーン
-
灯台の近景
-
大砲を覗き込む子供たち
-
大砲の写真を撮る子供
-
クロンシュタット中心部にあるキリスト教会
-
キリスト教会のファサード
-
メインストリートと呼ぶには余りにも寂しい
-
橋の上から眺める海の大聖堂
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
サンクトペテルブルク(ロシア) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
22