2012/01/22 - 2012/01/22
1042位(同エリア2030件中)
滝山氏照さん
武蔵国八王子地域の有力武士集団(後世呼称として「武蔵七党」と言われた)横山党の中心的存在である横山氏が創設した八幡八雲神社(はちまん・やくもじんじゃ、東京都八王子市横山町)を散歩しました。
源頼朝が鎌倉幕府を創設した時、横山党の一族はこぞって頼朝の下に参加し、当時の首領横山時広・時兼父子も御家人の任を得ることになります。
御家人として特筆すべき活躍ぶりは次の通りです。即ち寿永元年(1182)に嫡男頼家の誕生の際、時兼は他の有力御家人とともに御護刀を献じる役割を担います。
文治5年(1189)の奥州征討には時広・時兼父子とも従軍し、特に頼朝の命令により藤原泰衡の首を獄門に掛ける役を果たします。更には頼朝の再上洛にも随行して御家人として働きます。
然しながら建保元年(1213)、和田義盛(わだ・よしもり、1147~1213)と2代執権の北条義時(ほうじょう・よしとき、1163~1224)との戦い(和田義盛の乱)には横山時兼は一族郎党を率いて義盛に与しますが結果義盛は息子と共に討死、時兼は逃走先で自刃するに至り横山氏は滅亡します。
横山氏が和田氏に加担したのは姻戚関係にあった訳で、当時の婚姻の持つ重要性は極めて絶対的な意味を持っていますので選択の余地はないと言えると思います。
加えて頼朝死後の幕府は求心力を失い不安定な状況にあり、御家人同士の政争は日常茶飯事でありましたから合戦は想像に難くありません。
この合戦により横山氏所領は没収、旧領は大江氏広元(おおえ・ひろもと、1148~1225)に引継がれ、北条氏はこれを機に他の有力御家人排除に弾みをつけてまいります。
現地にて入手の「八幡八雲神社由緒略記」には下記のごとく記述されています。
「 八幡神社の創立
八幡神社は延長2年(924)、武蔵守隆康が国司の時、この地へ石清水八幡宮を祀り、国土安全を祈願したのが起源であります。
天慶3年(940)、隆康の長子小野義孝は武蔵権之守に任ぜられて当地に来り、父の意思を継いで、八幡宮を再建し、任期が満ちたので、この地に永住する事になったのであります。
そして先ず小野氏を横山氏と改め、追々当地を開拓して遂には一村落をを形造り横山村と呼びました。これが八王子の始まりであります。
義孝は八満宮を中心に祭政一致を行いました。この人が武蔵七党の一つである横山党の始祖で横山義孝と申す方であります。
八幡神社は実に、八王子草創の神で、当時は横山之庄(八王子を中心に方数里)の総鎮守でありました。
又境内にある横山神社は開祖横山義孝公を祀った社で、その創設は健保年間(1213~1218)であります。」
- 交通手段
- 徒歩
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