2012/03/10 - 2012/04/13
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ドクターキムルさん
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逗子市久木9に広がる大切岸は長さ800m以上にわたって3〜10mにも及ぶ切り立った崖が尾根に沿ってある。平成14年(2002年)の発掘調査で、14〜15世紀に板状の鎌倉石を切り出した石切場跡であることが確認された。元弘3年(1333年)に鎌倉幕府が滅亡しているから、南北朝頃以降の遺構で、「鎌倉城」などという虚構を支持する産物ではないだろう。逗子市教育委員会発行の「平成23年度 臨時公開資料」には、「ただ、この結果のみをもって、大切岸に防御的な目的は一切なかったと即断することはできません。『吾妻鏡』の記事に見られるように、鎌倉は敵の攻撃を防ぐのに適した地形=要害と認識されていました。あくまでも推測ですが、このような大々的な石切りを行なっても、鎌倉の街を取り囲む尾根を安易に掘り割ることはせず、あえて城壁のような崖を残したのかも知れません。」と推測というよりは寝言を載せている。鎌倉の三方を囲む山が城壁の役割を果たしたというのも単なる寝言に過ぎないが、三浦氏もとっくに滅亡し、三浦半島側からの防御施設などの必要性は低いはずだ。
なお、鎌倉市のホームページ(http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/keikan/100sen/rekisi/20.html)には、「20切岸 見る場所法性寺(逗子市久木9−1)奥 山腹を垂直に削り人工の崖としたものを切岸(きりぎし)といい、切通や掘割(ほりわり)などと同様に、敵の侵入に対する中世の防御施設です。山や海といった自然の地形を利用し、まち全体を城に見立てて鎌倉のまちはつくられたといわれます。 城塞都市・鎌倉の貴重な遺構である切岸は、私たちを中世の時代にいざなってくれます。」とあり、他の自治体の領域にまで踏み込みながら、逗子市の発掘調査の結果を無視した「うわ言」が記載されている。鎌倉市はいつもこの程度であるから開いた口が塞がらない。
鎌倉石は砂岩のため柔らかく加工し易すい。昨年の東日本大震災では、横浜界隈でも大谷石の家塀は剥離したが、鎌倉石はここまではもろくはないようだ。そのために切り出されて利用されただけなのだろう。その跡が大切岸と呼ばれているだけなのだ。
(表紙写真は大切岸)
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