2012/01/27 - 2012/01/29
393位(同エリア718件中)
HIROさん
高校時代の友人 Jくん&Pくん&HIRO の3人で、わがまま女子旅に出かけました。
Jくん&Pくんと伊丹で合流。那覇へ。
二泊三日、レンタカーで、気ままな旅です。
ガイドブックを見て体験したかったニライ・カナイ橋のドライブ。
斎場御嶽でパワーをもらって・・・
次は、HIROの一番行きたかった平和祈念公園です。
沖縄への旅では、いつも、平和を考えない訳にはいきません。
1日目 那覇空港→ニライ・カナイ橋→斎場御嶽→平和祈念公園→那覇 国際通り
2日目 那覇→北中城→許田 道の駅→名護 森のガラス館→本部 沖縄そば 美ら海水族館→今帰仁城跡 お花見→恩納村 夕日→沖縄市 友人宅→那覇
3日目 那覇 首里城→那覇空港→神戸空港→三宮→鶴橋→奈良・三重・岐阜
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- レンタカー ANAグループ 私鉄
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
【平和祈念公園】(糸満市字摩文仁)
那覇から、19kmくらいです。
駐車場のヒュンダイ君とフクギの木
今日は、曇り・・・平和祈念公園を歩いている間は、雨が降りませんでした。
でも、帰ってきて、ヒュンダイ君に乗った途端、ポツポツと降り出し、出発したら、本格的に雨になりました。
先ほど訪れた斎場御嶽でも、車に乗ったら降りだして、平和祈念公園に着いたら、止んで・・・私たちって、なんだかパワー持ってる?! -
平和祈念公園には、広い敷地に慰霊の施設が建っています。
ここは、沖縄戦最終の激戦地であり、「終焉の地」でもあります。
「摩文仁の丘」は、HIROが小さい頃から、深く心に刻み込まれた地名です。
「ひめゆり部隊の最後」という本を小5のときに父に買ってもらいました。
その中には、沖縄戦のことが書かれていて、牛島司令官の最後の地でもある「摩文仁の丘」(まぶにのおか)という名前が、その悲劇の象徴のように思えるのです。 -
沖縄平和祈念堂
7つの海と合掌の形を現し人種・国家・思想・宗教に関係なく、聖秋平和を訴えるモニュメントでもあるそうです。 -
平和の鐘
-
「戦いに散った魂を鎮め
人類の悠人平和を誓い
この平和の鐘は
とはに耐えることなく
司法に響きわたる
摩文仁の丘より
万人の祈りをこめて」
と刻まれていました。 -
式典広場
6月23日 沖縄戦終結の日
ここで、式典が開かれます。 -
イチオシ
合掌。
平和の礎(いしじ)の中央の通路は、6月23日の日の出の方向に伸びているそうです。 -
ながぁく続いた平和の礎の中央の通路の一番端っこに刻まれた文字をみつけました。
「↑硫黄島1370.48?」
この先には、玉砕の島、硫黄島があるのですね。
合掌。 -
平和の広場
平和の火
沖縄戦の始まった座間味村阿嘉島で採取した火と広島の「平和の灯」、長崎の「誓いの灯」を合わせて灯した火です。
丸い水盤には、日本列島から南方、中国大陸までの地図。
太平洋戦争の戦禍の地。
ちょうど沖縄の辺りに平和の火が灯っています。 -
刻銘碑
沖縄戦で亡くなった全ての人々の氏名を刻んである祈念碑です。
太平洋戦争沖縄戦終結50周年を記念して建設されました。 -
軍人・米軍・海外の外国出身者、そして罪もない沖縄県民約10数万人を含む23万余りの住所地別に名前が刻まれています。
国ごとに、県ごとに、沖縄県内は町内別にその名前が刻まれています。
刻まれている文字は決して大きくはありません。
でも、家族ごと亡くなって弔うこともできなかった人、亡くなってもその遺骨すら見つからない人、その一人一人が生きていたという証でもあるのです。
この日、小さなヘラと雑巾を手にしたおじさんたちが、この刻銘碑を掃除してくださっていました。
本当にきれいに掃除が行き届き、碑はきれいに磨かれて、島の人たちの思いが込められているのを感じました。 -
「平和の礎」建設趣旨
私たち沖縄県民は、さる沖縄戦などで尊い命を失った全ての人々に哀悼の意を表し、悲惨な戦争の教訓を後世に正しく継承するとともに、沖縄の歴史と風土の中で培われた「平和のこころ」を広く内外にのべ伝え、世界の恒久平和を願い、太平洋戦争、沖縄終戦50周年を記念して、ここに「平和の礎」を建立する。
1995年6月 沖縄県 -
平和の礎
沖縄戦で亡くなられた全ての人々の氏名を刻んだ記念碑
(沖縄出身者:満州事変に始まる15年戦争の期間中の戦没者を対象) -
2011年6月現在の刻銘者数 241,132人
そのうち沖縄出身者が、149,233人です。
県外者77,327人。
アメリカ人は、14009人。
国内外、敵も味方も無く、全ての人々の名前が刻まれています。
戦時遭難船舶名には、対馬丸という名前もあります。 -
現在、国定公園に指定されています。
穏やかなきれいな海です。 -
太平洋に臨む海岸線
沖縄戦が始まったとき、この海一面に米軍の戦艦が埋め尽くし、沖縄半島に艦砲射撃を無差別に打ち込んだのです。 -
摩文仁の丘(平和の広場から望む)
追い詰められ、逃げ回った末に、この丘から身を投げた島の人は数え切れない・・・
合掌 -
イチオシ
摩文仁の丘
切り立つ断崖の下の白い波
足がすくみます。
ここから身を投じた人たちは、どんなに恐かったか・・・
合掌 -
丘に手向けられたように白い花が咲いていました。
摩文仁の丘には、国立沖縄戦没者墓苑があります。
沖縄の各地で見つかった遺骨を集めて弔われたそうです。
平和の礎から、階段を上ります。
そこには、各県や団体の建立した慰霊碑がたくさんありました。
今回、時間が無くて、それらを一つ一つ訪れることは、できませんでした。
手前から、合掌。 -
摩文仁の丘に立ちたかったHIROが突然消え、J&Pに心配をかけました。
探していたら、作業をしていたおじさんが、「あっちへ走って行ったさぁ。」と教えてくれたそうで・・・
でも、階段上るのもしんどいし・・・と階段下で待っていてくれました。
またまた、気まま、わがままし放題の3人旅です。 -
イチオシ
この木なんの木?
輪→和→平和 -
ハイビスカスは、沖縄では垣根などにも植えられるとか・・・
-
名前はわからないけど、南国らしい花。
-
大きなエンドウ豆のような実(?)をつけた木。
名前はわかりません。 -
平和祈念公園
広い敷地です。
激戦地だった場所だと思うと胸が痛い。。。 -
フクギ
リゾートや観光で訪れる沖縄。
この地で起った出来事を決して忘れてはいけないと改めて思いました。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- はなかみno王子さん 2012/03/08 22:32:05
- さすが、社会派のHIROさんですね
- HIROさま
こんばんは。
沖縄=リゾートのイメージの旅行記かと思えば、戦争の歴史が
つづられてる。決して忘れてはいけない事ですからね。
東北大震災から一年、一万五千人もの方が亡くなったり未だ行方不明。
自然災害とは言えそれは甚大な被害だったのに。。
人間が起こした災い戦争で24万人。。ほんとうに絶句です。。
この現実に目を背けてはいけませんね。
王子もいつかは沖縄、この事実を体感してきたいと思います。
HIROさんはやっぱり王子にとってサプライズの女神やねーー。
感謝!!
87王子
- HIROさん からの返信 2012/03/09 01:18:21
- RE:意外だったでしょうか?
- 87王子様
こんばんは。
投票とコメントありがとうございます。
沖縄=リゾートのイメージは、私の中では、新しいイメージでして・・・
沖縄=戦争のイメージがとっても強いのです。
それと、沖縄=琉球という異文化のイメージもあって憧れのようなものもありました。
子どもの頃、まだ、沖縄は、アメリカでした。
琉球郵便の切手を集めていたこともありました。
祖父の家には、琉球からの留学生が下宿していました。
そして、返還。ちょうど、今、ドラマやってますね。
だから、沖縄では、リゾートより琉球を探してしまうのかもしれません。
> 人間が起こした災い戦争で24万人。。ほんとうに絶句です。。
そうですね。わずか3ヶ月で24万人の命が失われたのです。
あの地に立ったら、手を合わさずにいられませんでした。
> この現実に目を背けてはいけませんね。
> 王子もいつかは沖縄、この事実を体感してきたいと思います。
ぜひ、体感してきてください。
体感して欲しいです。
> HIROさんはやっぱり王子にとってサプライズの女神やねーー。
> 感謝!!
えぇ〜?!サプライズでしたか (@_@?
意外だったでしょうか?
沖縄、まだ、一日目が終わってないんです。
笑うしかないです ^^ヾ
HIRO
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