2012/03/08 - 2012/03/12
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prinprinさん
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15年ほど前から花粉症になったのですが、不思議なことに、北九州に帰省すると、4~5時間で花粉症が治まります。
北九州は花粉が少ない? 杉の種類が違う? 花粉症って心因性?
それで、この時期に飛行機を予約したのですが、
今年は花粉の飛散が遅いらしく、まだ花粉症になっていません。 (*^^)v
ファインダーを覗いて写真を撮ると、自分の目で見る時間が減って、旅の充実感がなくなるので、長い間カメラを持ち歩いていませんでした。
昨夏初めてデジタルカメラを買った、時代遅れの私は、
ミラノでは青いフィルターがかかり、アルハンブラ宮殿は暗くてボケボケ、成人式の赤い着物はオレンジ色になり・・・(泣)
次の旅行に備えて、写真を撮る練習をしようと思います。
- 交通手段
- JRローカル 徒歩 スターフライヤー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
いつもは、マイレージの特典航空券で帰省するのですが、今回貯まっておらず、初めてスターフライヤーに乗ることにしました。
SFJ73便、羽田7:40発、北九州行き。 カウンターは第1ターミナルの一番奥らしい。
本当に奥! 搭乗口も遠いんだろうなぁ。 -
元々カウンターが端っこだから、それほど遠くなかった。 (^o^;)
JALやANAのように、バスに乗せられて雨の中をタラップ上がるよりいいかもしれない。
ANAから買うと、マイレージがついたみたい。
そういえば、学生の頃、北九州空港は東亜国内航空だけでした。
旅行代理店で航空券を買うと、「東亜国内航空しかないけど、いいですか?」って必ず言われました。
どういう意味? 危ない飛行機なの?って、怖かったです。 -
始発便だけ軽食が出るらしい。
空弁を買って乗ってもいいけど、隣の人が食べてないのに、食べ物の匂いをさせるのは気が引けるので、機内食が出るのはやはりうれしい。
サンドイッチ2切れ(ポテトサラダとミートソース)と、大きなりんごマフィン。飲み物4種。
解凍みたいだったけど、味は美味しいじゃない。
←思わずガッツイテしまったので、撮るのを忘れた!
小さなコーヒーのお替わりも頼んで、女性ならお腹も十分。
フットレストがあるのも、うれしい。(短足だから?) -
小倉駅行のノンストップバスが来たので、小倉駅まで行こう。
高速道路を乗り継いで、一般道に降りたら、小倉駅の海側(新幹線口)だった。
空港から35分。 空港が遠くなったから、ルートが変わったのね。
南口(小倉城口)で降りて、モノレールの写真を撮ろうと、待ってみたけど。 残念(-_-;) -
駅の向いは昔、そごうでした。その後、伊勢丹になり、今は、地元のデパート井筒屋のカジュアル館「コレット」と、「I'm アイム」専門店街になっています。
北九州経済の地盤沈下、感じるなぁ。
「小倉駅バスセンター」は、コレットと小倉駅の間にあります。
「センター」というと建物があるみたいですが、屋根がある屋外です。 -
【到津の森公園】
西鉄の前身が、路面電車の利用を促進する為、昭和7年(1932年)小倉と八幡の境界線に、遊園地と動物園の複合施設「到津遊園」(いとーずゆーえん)を作り、長く市民に親しまれていました。
父が子供の頃は、由紀さおり(安田)姉妹が童謡歌手として、来ていたそうです。
路面電車は、北九州本線、戸畑線、枝光線、北方線の4路線ありましたが、(1980年から順次廃止され)、到津を通っていた北九州本線も1992年無くなってしまいました。 -
私は、ここで夏休みに行われる「林間学園」に参加していました。
小学生が5日間通うのですが、大学生をリーダーとして同じ学年の25人位が1班になり、「森の音楽堂」という木陰のステージで「オリンピック大会」をしたり、10ヘクタールもある園内で「スケッチ大会」とか、毎日とても楽しかった。
うちの子も、母に申し込んでもらって、参加させていただきました。昨夏は第72回だったそうです。 -
到津遊園は、子供の減少や、山口と大分にサファリパークができ、八幡にはスペースワールドができて、累積赤字で西鉄が持ちきれなくなり、平成12年(2000年)に一度閉園しました。
それで「林間学園」の卒業生たちが声を上げ、市民の4人に1人に相当するほど多くの署名が集まって、北九州市に継続を嘆願しました。
市も財政が苦しい中、再整備を行い、2年後、北九州市経営の【到津の森公園】として、開園しています。 -
何年か前、NHKのテレビ番組で、北海道の旭川動物園との親交を紹介されていました。
私は、今回入らなかったのですが、子供が「きれいになっていて、大型動物もいるし、体験型の動物園になって楽しくなった。」と言っています。
今度私も、入ってみたいと思います。
遊園地のペラッペラの乗物券、まだ使われてるかなぁ?
(園内は、子供が携帯で撮影) -
-
ちょっと寄り道。
動物園から小倉駅方向にバス停1つ進むと、旧電車通りの交差点に、「小倉到津球場跡」という尖がった記念碑があります。
今は紳士服の大型店とショッピングセンターになっているのですが、ここには、到津遊園ができる前から、「小倉到津球場」がありました。(大正12年完成)
昭和9年(1934年)、ここで日米野球の1試合が行われ、
全米チームには、ベーブ・ルース!、ルー・ゲーリック!、ジミー・フォックス!
日本チームは、沢村栄治(のちに戦死)、スタルヒン(亡命ロシア人)、三原脩(のちに西鉄ライオンズ等監督)
雨の中でのドロンコ試合で、ベーブ・ルースは傘を差して守備に就き、ルー・ゲーリックも長靴でプレーして、ファンを喜ばせたそうです。 -
その頃まだ関門トンネルは無く、全米チームは当日の朝、下関に列車で到着し、宿に荷物を置いて、連絡船で関門海峡を渡り、小倉で試合をして、下関で晩餐会の後、夜行列車で京都へ向かうという、慌ただしい日程でした。
8-1で全米チームが勝ったそうですが、当時、力の差は歴然で、ベーブ・ルースの右翼本塁打は、予告ホームランだったそうです。
この球場は、陸上競技場を兼ねていて長方形だったので、左翼85メートル、右翼は125メートルもありましたが、打球は軽々とフェンスを越え、観客は「こんな大きなフライは見たことがない」と興奮したそうです。
左のタイルが、ベーブルースがホームランを打った写真。 右のタイルが、スコアと先発オーダー。
戦争中は軍事訓練に使われており、戦後は国鉄→JR九州の社宅になっていました。
寄り道が長くなってしまいました。 m(__)m -
5年生の「林間学園」工場見学の日、西鉄の路面電車で来たのが、ここサッポロビール九州工場でした。
最後にジュースを飲ませてもらって、大喜びだった。
工場は、2000年(平成12年)大分県日田市・新九州工場の竣工に伴い閉鎖。
2006年(平成18年)から、工場の建築群を【門司赤煉瓦プレイス】として、保存・活用されています。 JR門司駅から海側へ徒歩2分。
右端の平屋は、ギャラリー&カフェ ジラソーレ http://ameblo.jp/girasole-moji/ -
北九州市門司区大里 【門司赤煉瓦プレイス】 駐車場
保存された建物群は、2007年(平成19年)、国の登録有形文化財に指定されました。
また、【門司麦酒煉瓦館】【旧サッポロビール醸造棟】【赤煉瓦交流館】は、2009年(平成21年)、近代化産業遺産に認定されています。
門司赤煉瓦プレイスHP: http://mojirenga.navitown.com/index.html -
【旧サッポロビール醸造棟】
1階は、旧工場内を利用した洋食居酒屋&パーティー会場、カフェ・ド・ブリック Cafe de Brique。
入口は建物の左端、ランチもやってました。
駅でもらったパンフレットを見ると、暗い工場のままで、雰囲気ありそうです。
左奥は、展示室のある【門司麦酒煉瓦館】 -
海の方から、【旧サッポロビール醸造棟】 大正2年(1913年)築
日本に残存する赤煉瓦の建物として、日本最大級の7階建てです。
内部には、貴重なドイツ製醸造機器が残っているそうですが、特別公開の日にしか見られないそうです。
帰ってからホームページを見ると、先週、ガイドツアー(30人×2回)があったばかりのようです。 -
道案内の看板を拡大
次の一般公開は、 2012年5月27日(日)10:30〜
「20〜30名ずつガイドがご案内いたします。棟内、老朽化が激しい為当日は歩きやすい服装での参加をお願いします。 」となっています。
古いままの工場が見れるんじゃないでしょうか。
旅行客は、なかなかこういう日に合わせて来れないのが残念です。
門司赤煉瓦プレイス イベント情報→ http://mojirenga.navitown.com/event.htm -
【北九州市 門司麦酒煉瓦館】
9:00〜17:00(入館は16:30まで) 観覧料:大人100円、4歳以上中学生以下50円
休館日:設備点検日および12/29〜1/3
北九州市門司縛酒煉瓦館HP→ http://mojibeer-mm.jp/ -
【門司麦酒煉瓦館】 大正2年(1913)築 旧サッポロビール九州工場事務所棟(本事務所)
中央部の玄関の上に、三角の切妻(きりつま)のある塔屋(とうや)が、縦線を強調するように配置され、左右対称にまとめられています。 -
【門司麦酒煉瓦館】1階、大正浪漫の部屋
門司大里地区には、明治後期には国際港門司の繁栄を背景に、一大工場地帯が形成されました。
明治45年、大里町に工場用地を取得し、「帝国麦酒」を設立
大正2年、醸造所が竣工し、「サクラビール」の発売を開始
サクラビールは、ドイツの製造方法を導入した近代工場で、内地産の契約栽培の大麦、ドイツの最高級ホップ、水質の良い門司上水を主原料にして製造されました。
ガラスが光るから、フラシュを使えませんでした。m(__)m -
【門司麦酒煉瓦館】1階、大正浪漫の部屋
大正3年、第1次世界大戦が勃発すると、ヨーロッパ→アジアのビール輸出の道がとだえ、サクラビールの需要は急増しました。
大正5年、醸造場の拡張工事が完了。
大正5年、パナマ平和博覧会で、金賞を受賞。
販路は、近隣諸国だけでなく、インド、シャム(タイ王国)、アフリカ、北米などへと拡大していきました。 -
【門司麦酒煉瓦館】 大正7年、大里の海岸に広がるビール工場
大正7年、年間製造能力4万石の製麦場が竣工し、大里地区で最大級の工場になりました。
大正期、日本の4大工業地帯の1つに数えられ、大里地区は北九州一の工場都市として発展を続けました。
なかでも「帝国麦酒」は、大正9年まで拡張・新設し、大里地区最大級の工場として、海岸線を占有するまでになりました。
国際港や鉄道など交通の要衝という立地条件にも恵まれ、「サクラビール」の国内外の需要は拡大していきました。 -
【門司麦酒煉瓦館】
手すりの親柱には、「サクラビール」の象徴である桜の花弁の彫刻が施されています。
また、階段には、ケヤキの一枚板が使用されています。
段板を受け支える、階段両側の斜めの板材(ささらげた)は、一本木が使用された貴重なものです。
復元にあたって、旧材を再利用しましたが、板は曲がり、(ささらげた)はねじれて変形しており、少し上がりにくくなっています。 -
【門司麦酒煉瓦館】2階、昭和・平成浪漫の部屋
明治45年、「帝国麦酒」を設立
大正2年、醸造所が竣工し、「サクラビール」の発売を開始
昭和4年、「桜麦酒」と社名を変更。
第二次世界大戦(昭和18年)の戦時統合で、札幌ビール(大日本麦酒会社)に合併。
戦後(昭和24年)、サッポロビール(日本麦酒)と、アサヒビール(朝日麦酒)に、分割。
平成12年、大分県日田市に新九州工場が竣工され、九州工場は閉鎖となり、この地における87年間のビール製造の歴史に幕を閉じました。 -
【門司麦酒煉瓦館】2階、昭和・平成浪漫の部屋
昭和46年(1967)のポスター
昭和50年代のサッポロビール
なつかしい人、多いですよね。 -
【門司麦酒煉瓦館】2階から、
向いは、【赤煉瓦交流館】 旧倉庫棟
手前は、保護樹の黒松 -
【門司麦酒煉瓦館】2階、交流サロン
鋳物で作られた暖炉。
迎賓館的な役割を兼ねていたため、マントルピース(暖炉)が多く、設立当初は1階に5か所、2階に3か所ありました。
星形のシャンデリア。
天井は漆喰塗りではなく、細かな模様が型押しされた鉄板を組み合わせて塗装したもの。
現在ではこのような鉄の打ち出し細工による装飾板は製造されておらず、非常にめずらしいものです。復元においては、取り外してかつての天井の色に塗装しなおしました。 -
【門司麦酒煉瓦館】は、日本における最初期の鉱滓煉瓦(こうさいれんが)建物で、現存する最古の本格的鉱滓煉瓦建築です。
鉄鉱石を精錬して鉄鋼を製造するときにでる「かす」が「鉱滓」で、 1901年(明治34年)に開業した八幡製鉄では、溶鉱炉で発生する鉱滓を廃棄処分するのに、多大な費用と労力を要していました。
鉱滓を、煉瓦や高炉セメントの製造に利用できることがわかり、ドイツより技術を導入して、鉱滓を主原料とする「鉱滓煉瓦」が明治40年から製造されていました。 -
この煉瓦は、粘土を焼成して作られる赤煉瓦に比べ安価ということもあり、建材として広く使われていました。
鉱滓煉瓦を使った建物は、ほとんど取り壊されてしまいましたが、塀は今でも住宅街にたくさん残っています。
←ご近所の塀です。
私は子供の頃、この灰色の煉瓦が普通の煉瓦で、赤い煉瓦は「赤煉瓦」という特殊な物だと思っていました。 -
旧醸造棟と、旧事務所棟(門司麦酒煉瓦館)の間は、【赤煉瓦写真館】 旧組合棟
大正6年(1917)、工場拡張のため、受変電施設の上屋として建設されたと言われています。
その後、労働組合の事務所として利用されていました。
Fu.(赤煉瓦写真館)
赤煉瓦の館内・周囲のロケーションを利用して、婚礼写真など一般撮影・モデル撮影・コマーシャル撮影など。
http://www.famousundergrounds.com/
卒業式の帰りに袴をはいて、なんて良いですよね。 -
【赤煉瓦写真館】 旧組合棟
半円アーチの欄間付き窓に、要石(アーチの最頂部に差し入れて、全体を固定するくさび形の石)。
窓台に花崗岩が使用され、軒蛇腹の下にも色違い装飾が施されています。 -
カフェバー&ライブホール&レンタルホール
【ブリックホール】は、【赤煉瓦写真館】の裏にあります。 -
ブリックホールと赤煉瓦写真館の間
ブリックホールは、赤煉瓦写真館の奥、ローズコートにあります。(わかりにくい) -
ローズコート (旧サッポロビール醸造棟の裏)
写真の右が、【ブリックホール】のひさし
Cafe&Music BRICK HALL http://www.brickhall.com/
ランチもあるようですが、この日は終日貸切になっていました。
店内は煉瓦の壁だそうですが、工場の壁に囲まれて、海は見えませんね。 -
中央に戻って来ました。
【赤煉瓦交流館】 旧倉庫棟
古くから本州と九州を結ぶ交通の要だった門司は、太宰府政庁が置かれたことでさらに重要性が増しました。
1183年大里に、安徳天皇 (母方のお婆様(平清盛の妻)に抱かれて壇ノ浦に沈んだあの子です)を伴った平家一行が、「柳の御所」を設けて滞在。
御所を設けたことでこの地を「内裏(だいり)」と呼ぶようになり、現在の住所も「大里(だいり)」といいます。 -
【赤煉瓦交流館】 長崎番所趾の碑
1799年(寛永11年)、江戸幕府(長崎奉行所)は大里浦出張所をここに設置しました。
当時、玄界灘に出没した密貿易船の取り締まりと、対唐貿易の代物を長崎に送る為、保管仲継の基地としました。 -
豊前大里宿絵図
藩主・細川忠興公は、本土への渡航には大里が最適の地とし、宿駅を設置しました。
参勤交代が始まると、九州の諸大名が本州に渡るため、宿をとったのが大里宿でした。
江戸中期以降は、九州の参勤大名の8割以上が、大里宿より渡航往来し、九州の街道の起点かつ終点として、幕末まで大いに繁栄しました。 -
【赤煉瓦交流館】 旧倉庫棟
1階は赤煉瓦ホール。 ステージを見下ろすタイプですね。
他に、貸会議室が3室ありました。
【門司赤煉瓦プレイス】地区では、年に4回、
「大里こだわり食市」という催しがあるそうです。
門司の知る人ぞ知るご当地B級グルメの「ちゃんらー」とか、
作るとすぐに売切れる門司港で噂の幻の「タコス」とか、
おもしろそうです。
昨11月27日(日)は、これに併せて旧サッポロビール醸造棟の特別一般公開があったようです。
問合先 門司区役所総務企画課
093−331−1881 内線262 -
1階、九州最大級ビュッフェレストラン「ARK」
2階、Live・Wedding・Party「フィーアヴェレ Vier Welle」
この2軒、道路をはさんで、海に面しています。
戸畑区の【旧松本家住宅】(国指定重要文化財)も良いですよ。 地元では「西日本工業倶楽部」と呼びます。
アールヌーボー様式の炭鉱主の木造洋館ですが、ここも特別公開の日しか見られません。
今年は、竣工100年だそうです。
ホームページ→ http://www.nkc.or.jp/
ランチ付き館内見学→ http://www.kcta.or.jp/koko/wp/?p=194 -
ここから、明治後期から工場製品を積み出し、
その昔は、ここから下関に渡っていたんですね。
関門海峡は、日に4度も潮流が変わり、
「早鞆(はやとも)の瀬戸」という、強い潮流(最高10ノット)で名高い場所ですから、手漕ぎで渡った頃は大変だったと思います。
(宮本武蔵が巌流島に舟を漕いで、2時間も遅れたことは有名ですね)
遅くなったけど、まだ食べたことが無いので、「焼きカレー」を食べに門司港まで行こうかな。
お目当ての店は、門司港駅から少し離れているようなので、門司駅からバスで町を見ながら・・・・ -
JRで行った方が速かった (>_<)
15:00 あ〜、喫茶店「こがねむし」お休みだぁ。
門司港レトロは、3度目なので、サラッと見て行こう。
お目当ては、前回時間がなくて読めなかったアインシュタインの手紙と、(中2並みの英語力ですが)、
秋から工事になるらしい、門司港駅。 -
海の方へまっすぐ歩いたら、ここに出ました。
左が【旧門司税関】、
右が【国際友好記念図書館】と【門司港レトロ展望室】のある、31階建ての分譲マンション(黒川記章氏設計)
高層マンション、デカすぎです。現代と門司港が栄えた時代の経済力の違いを見るようです。 -
北九州市立【国際友好記念図書館】
門司港は、かつて大連と国際航路で結ばれ、交流が盛んでした。
これは1902(明治35)年、帝政ロシアが大連市に、東清鉄道会社の事務所として建てた建物の複製で、
1994年(平成6年)、北九州市と大連市の友好都市締結15周年を記念して、ここに建てられました。
東清鉄道 Chinese Eastern Railways は、ロシア版満鉄、というか満鉄の前身のような会社で、
日清戦争(1894年)の後の三国干渉で清国に恩を売ったロシアは、
1896年に清代表・李鴻章と露清密約(同盟)を結び、
シベリア鉄道からウラジオストックへの敷設権、ロシアの役人や警察の治外法権、鉱山、市街地や鉄道から離れた都市まで手に入れました。 -
1897年東清鉄道? が設立され、
1901年鉄道を開通させ(シベリア鉄道のハルピンから、長春、奉天、大連、遼東半島南端の旅順へと南下する線)
1902年大連港も完成して、欧州・日本からの船が利用しました。
1904年日露戦争が始まると、大連はわずか3ヶ月で日本軍に占領され、
戦後1905年ポーツマス条約でロシアの租借地が日本に譲渡されて「関東州」となり、
東清鉄道南部線の長春?大連とその支線も譲渡され、
明治32年(1906年)満鉄を設立して、経営を引き継ぎました。
日本はロシアの都市計画を受けつぎ、都市の建設が続きましたが、耐火建築しか認められなかった為、煉瓦による洋風建築が増えました。 -
(建物)
設計者はドイツ人と言われ、上部はドイツ伝統のハーフティンバー様式を取り入れ、煙突や小さな屋根窓、尖塔を設けた複雑な屋根になっています。
大連市の工場で10万個の煉瓦を焼き、その中から約4万5000個を選んで使用しました。
煉瓦は、一列ごとに交互に大小2種類のサイズの煉瓦を積み上げていく「イギリス積み」です。
1902年当時、屋根には中国瓦が葺かれていたことから、日本の気候にあった瓦を国内で特注し、使用されています。
平瓦と平瓦を交互に組み重ねる「反瓦葺」は、現在でも大連市郊外の農村でよく見られる葺き方です。
外壁の石材は、大連市近郊で採れた御影石(花崗岩)で、5000個を輸入したものが使われています。
石の表面に平行に走る削り跡は、大連市の石工の協力で原形通りの石ノミの跡を再現したものです。
石や煉瓦の目地が、山形に盛り上がった「覆輪形状」なのはめずらしく、遠くから建物を見たときに立体感を出すために、独特のコテを使って仕上げています。 -
大連市にあるオリジナルは、1907年大連倶楽部、1926年に日本橋図書館と用途を変え、第二次世界大戦が終わるまで日本人ご用達の施設として利用されていました。
昭和7年(1932)満洲国建国
昭和16年(1940)日米開戦 → 昭和21年(1945)終戦
昭和25年(1949)ソ連は中国に、長春鉄道を返還
戦後は庶民向けの集合住宅になっていましたが、解体撤去され、門司港「国際友好記念図書館」が建設された後、日本から建材を逆輸入して、「東方歴史芸術展覧館」として再建されています。
周囲には復元建築が並び、「大連・ロシア風情街」という観光地になっているそうです。 -
2階が、中国・東アジアの文献を収蔵した図書館
3階は、資料展示室
1階は、中華レストラン
現地の説明板が読めます→ http://www.geocities.jp/joysunny/moji/moji06.htm
今日は外観だけ。 -
おにいさん、いいとこに来たわ、写ってって!
【旧門司税関】
1階は、天井吹き抜けの広々としたエントランスホール、休憩室、喫茶店レトロカフェ、税関PRコーナー。
2階は、美術ギャラリー、関門海峡や門司港レトロを一望できる展望室になっています。 -
明治42年門司税関が発足したのを契機に、明治45年(1912)に建設されたもので、
昭和初期までは、税関庁舎として使用されていました。
昭和20年の門司大空襲で屋根は焼け落ち、2階が崩れ落ちて廃墟化していました。
空襲の跡は、壁面の所々にある焦げ跡に見ることができます。
平成7年、門司港レトロ地区ができる際、既に設計図は散逸して完全な復元は不可能だった為、数種類の写真をもとに(12億円かけて)、残存部分の外観が解体復元されました。戦前の庁舎はもっと大きいものでした。
内部は吹き抜けの大空間で、独立した木組みを新たに入れて床を設け、
漆喰がはげ落ちた煉瓦の壁面は、そのまま残しました。 -
右から、門司港ホテル。
その奥が、赤レンガの旧大阪商船。(見えない?)
真ん中、黒い屋根が、旧門司三井倶楽部。
左端が、海峡プラザ。 -
赤レンガの旧大阪商船が見えました?
(黒い船の横)第1船だまりの桟橋に、門司港レトロクルーズ「遊覧船SANTA」という小さな白い船があります。
始発は11時、15分間、500円。 ナイトツアー、20分間、800円。
船長のガイド付きで、これから暖かくなるし、良いかもしれないですね。 -
【海峡プラザ】
1階は、おみやげ、地元の海産物、雑貨のお店があります。
2階には眺望の良いレストラン等があります。 -
シャッターチャンスを逃した!(赤いバスの後ろに、小型のディーゼル機関車が隠れてます。)
観光トロッコ列車「潮風号」は、ヨーロッパみたいな汽車型バスではありません。
平成17年に休止された貨物線を利用した列車です。
門司港レトロ地区と、和布刈(めかり)地区を結ぶ、2kmちょっとの路線で、片道10分位です。
潮風号HP→ http://www.retro-line.net/
関門海峡をぐるっと一周できる「クローバーきっぷ」もあります。 -
出光美術館が近いので、歩いて行ってみます。
トロッコ列車の駅は閉まっていました。
さっきのトロッコ列車は、来週土曜日から週末運行のための、試運転のようです。冬はお休みです。 -
出光美術館に向かって歩いていたら、長い煉瓦壁がありました。
時間のある方にお奨めのポイント
トロッコ列車で、ノーフォーク広場駅または関門海峡めかり駅で降りて、海沿いに歩くと、
関門橋の下に、【ノーフォーク広場】、【めかり観潮遊歩道】、【和布刈(めかり)神社】、【関門トンネル人道入口】があります。
レトロ地区の展望台から見下ろすのも良いですが、下から関門橋を見上げるのもダイナミックで良いですよ。
布刈神社の奥に、禊(みそぎ)神事の為に海岸に降りる階段があって、潮の流れがよく見えます。 -
角を曲がったら、上のほうに「邑」の屋号があるので、倉庫のようです。
-
あらら!
中は、駐車場になっていました。壁しか残ってなかった。 -
駐車場の向いが、【出光美術館】です。
今日は、時間がありません。 -
海峡プラザに、戻って来ました。
門司港は、「バナナのたたき売り」発祥の地。
海峡プラザの前には、バナナマンと、(腐れ?)バナナマンブラック。撮影スポットになっているようです。 -
おにいさん、また会ったね。
【旧門司三井倶楽部】の裏側
急勾配の三角屋根の妻面が複雑に並んでいます。
右に、日本家屋がくっついているようです。
出かけてくるのが遅かったので、今日入るのは、あそこだけと決めていました。
2階に、アインシュタインが泊まった部屋があるんです。
海側から回って行くことにします。 -
【旧大阪商船】の前を通ったら、ふぐ提灯が見えました。
1階の外壁は、オレンジ色のタイルと、白い石状の帯になっています。 -
【旧大阪商船】
あら、いいじゃない。
入口扉の手前です。 -
【旧大阪商船】
入場無料と書いていたので、のぞいてみました。
1階、多目的ホール「海峡ロマンホール」 2/4〜3/25、ふぐと灯りとひなまつり -
【旧大阪商船】
せっかくだから、入ってみました。階段の踊り場にあった、大正時代の雛人形
フラッシュ使ってないけど、ガラスが光ります。 -
【旧大阪商船】2階、「海のギャラリー」
どこから撮っても、天井の照明がガラスに映ります。
「照国丸」昭和5年(1930)欧州航路の貨客船として竣工。
昭和14年(1939)欧州海域で機雷に触れ沈没。
「ぶらじる丸」1939年竣工。戦時中は海軍御用船。
1942年、空母へ改装の為、内地へ回航中にトラック島とグァム島の中間付近で米潜水艦の雷撃により沈没。
「畿内丸」昭和5年(1930)ニューヨーク行き高速船。
昭和18年(1943)サイパン島付近で魚雷攻撃を受け沈没。
どれも、かわいそうな最後をおくっていますねぇ。
戦争当時約70隻の商船が軍用艦に改造され、その7割が撃沈されました。 -
【旧大阪商船】
「わたせいぞうギャラリー」だけ、有料(100円)です。(北九州市小倉北区出身のイラストレーター)
フラッシュで撮影したら、受け付けの人が「絵は撮らないでください」と言いに来たので、絵はぼかしておきました。(インターネットでいくらでも見られます。) -
【旧大阪商船】
1階、エレベーター横に、こんな写真がかけてありました。
見えにくいですが、アインシュタインがバイオリンを持っています。
アインシュタイン博士夫婦
「改造社(出版社)の招きで大正11年11月27日に来日し、東京、仙台、名古屋、京都、大阪、神戸での講演を行い、
福岡での最後の講演のため、12月23日門司三井倶楽部に宿泊した。
翌日、福岡市の大博劇場で講演した後、同市の栄屋旅館に1泊し、25日夜門司の基督教青年会館(門司YMCA)で催されたクリスマスパーティーに出席した時のものです。」
アインシュタインが日本に着いた時、鈴木メソッドの子供たちがバイオリンを弾いて出迎えたのは知っていましたが、
アインシュタインはバイオリンを弾いたんですね。
急がないとアインシュタインの部屋が閉まってしまいます・・・・・ -
【旧大阪商船】 “木造”2階建て
大阪商船門司支店として、大正6年(1917)に建てられ、
2階はオフィスとして、1階は大陸航路の待合室として多くの旅人で賑わっていました。
屋根には八角形の塔屋(とうや)が設けられ、灯台の役目も果たしました。
当時、門司港からは、台湾、中国、印度、欧州へ、1ヶ月に60隻もの客船が出航していました。
1991年まで大阪商船三井船舶 門司支店として使われた後、移転計画により解体される所を北九州市が買い取り(ちょうど門司港レトロを計画したところでした)、
設計にあたった建築事務所が、建築当時の完全な形で復元しようとしたところ、予算の倍以上になり、外観のみの復元保存になりました。
平成6年(1994)に修復が完成し、翌年、門司港レトロがグランドオープンしました。 -
1本の旅行記にしたかったのですが、長くなりすぎてしまいました。
続きは「②門司港駅長室を見せてもらえた!~八幡~小倉」にしました。
見てくださって、ありがとうございます。
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旅行記グループ 2012北九州 帰省の旅
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