2011/11/07 - 2011/11/07
189位(同エリア8494件中)
みにくまさん
欧州旅行24日目は、フォンテーヌブローとバルビゾン半日ツアーに参加しました。
このツアーでは、バルビゾンに到着後、希望者はミレーのアトリエを見学できます。
入場料が少しかかるのですが、せっかくなので私たちは見学していくことにしました。
■■□□■■ ヨーロッパ旅行 2011 〜ダイジェスト版〜 ■■□□■■
http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10611562/
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Atelier de Millet (ミレーのアトリエ)
◎ バルビゾン
バルビゾン (Barbizon) はイル=ド=フランス地域圏セーヌ=エ=マルヌ県の村(コミューン)。フォンテヌブローの森に隣接している。
19世紀にはジャン=フランソワ・ミレーに代表される風景画家たちが集まり、バルビゾン派と称された。このため、小さな村ではあるが世界中から観光客が訪れており、村は「画家たちの村バルビゾン(Barbizon Village de Peintres)」と名乗っている。 -
Atelier de Millet (ミレーのアトリエ)
ミレーのアトリエは、ミレーが家族と共に住んでいた家。
ここにはミレーの作品が展示されています。 -
Atelier de Millet (ミレーのアトリエ)
◎ ジャン=フランソワ・ミレー
Jean-Francois Millet
(1814年10月4日 - 1875年1月20日) -
Atelier de Millet (ミレーのアトリエ)
こちらのアトリエに入場する場合は、一人4ユーロが必要です。
この料金はツアーには含まれていないので、希望者だけの観光となりました。
この時のツアーでは、参加者のうち約半数が入場した感じです。 -
Atelier de Millet (ミレーのアトリエ)
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Atelier de Millet (ミレーのアトリエ)
◎ ジャン=フランソワ・ミレー
Jean-Francois Millet
バルビゾン派の中でも、大地とともに生きる農民の姿を、崇高な宗教的感情を込めて描いたミレーの作品は、早くから日本に紹介され、農業国日本では特に親しまれた。ミレーの代表作のひとつである『種まく人』が岩波書店のシンボルマークとして採用されたのは1933年(昭和8年)のことであった。
1977年(昭和52年)、その『種まく人』がサザビーズのオークションで競り落とされ、日本に請来された時は大いに話題になった。 -
Atelier de Millet (ミレーのアトリエ)
◎ ジャン=フランソワ・ミレー
Jean-Francois Millet
1814年、フランスノルマンディー地方ラ・マンシュ県の海辺にあるグリュシーという小さな村に生まれた。8人兄弟の長男、父は農民であり村の教会の合唱指揮者でもあった。大原美術館にあるパステル画『グレヴィルの断崖』は、晩年の1871年頃の制作ではあるが、故郷の海岸の風景を描いたものである。
19歳の時、グリュシーから十数キロ離れたシェルブールの街で絵の修業を始め、22歳の1837年、パリへ出て、当時のアカデミスムの巨匠であったポール・ドラローシュ(1797−1856)に師事する。デッサンや模写のほか、聖書や神話など画題となる古典文学にも学ぶ。
26歳の時、肖像画がサロン(官展)に初入選するが、奨学金が停止されていたため、生活は貧く肖像画や裸体画を描いた。この頃の画風はマニエル・フルーリ(華やかな手法)と評されており、繊細で柔らかなタッチと明るい色彩が特徴で、神話画などを多く手がけている。 -
Atelier de Millet (ミレーのアトリエ)
◎ ジャン=フランソワ・ミレー
Jean-Francois Millet
1841年、シェルブールで仕立屋の娘ポーリーヌ=ヴィルジニー・オノと結婚しパリに住むが、彼女は3年後の1844年に肺結核により病死する。
1846年には同棲中だったカトリーヌ・ルメートルという小間使いの女性との間に第1子が誕生。このカトリーヌと正式に結婚するのはかなり後の1853年のことであるが、それ以前の1849年、パリにおけるコレラ流行を避けて、ミレーはパリの南方約60キロの、フォンテーヌブローの森のはずれにあるバルビゾンへ移住し、以後同地で制作を続けた。この頃には共和国政府からの依頼もあり、経済的にも安定して農民画に専念し、『種まく人』をサロンへ出品するのは翌1850年のことである。
ミレーの代表作に数えられる『晩鐘』『落穂拾い』などの代表的農民画は、バルビゾン移住後の作品である。
また、ミレーは十九世紀における広まった月暦画以来の伝統を持つ「四季」の主題の連作にも取り組み、ドラクロワやその弟子アンドリウとも交流している。 -
Atelier de Millet (ミレーのアトリエ)
こちらのアトリエ内は写真撮影は自由でした。
管理人の方がいろいろと説明をしてくれていましたが、私たちは言葉が分からなかったので、ほとんど聞かずに撮影をしていました。 -
Atelier de Millet (ミレーのアトリエ)
部屋はいくつかに分かれており、その中には現代の画家の作品なども展示されていました。
部屋の一部がアトリエとして新鋭の画家に解放されているようです。 -
Atelier de Millet (ミレーのアトリエ)
この時ここで作品の制作をしていたのは、韓国の画家の卵だと言っていたかな? -
Atelier de Millet (ミレーのアトリエ)
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Atelier de Millet (ミレーのアトリエ)
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Atelier de Millet (ミレーのアトリエ)
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Atelier de Millet (ミレーのアトリエ)
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Atelier de Millet (ミレーのアトリエ)
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Atelier de Millet (ミレーのアトリエ)
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Atelier de Millet (ミレーのアトリエ)
部屋の中のあちこちを不規則に撮影しているため、写真の順番がめちゃくちゃになっています。 -
Atelier de Millet (ミレーのアトリエ)
ミレーが使用したパレット。
絵の具がまだ残っていたりします。 -
Atelier de Millet (ミレーのアトリエ)
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Atelier de Millet (ミレーのアトリエ)
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Atelier de Millet (ミレーのアトリエ)
JFMの文字があることから、これらは全てミレーの作品(下書き?)だと思われます。 -
Atelier de Millet (ミレーのアトリエ)
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Atelier de Millet (ミレーのアトリエ)
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Atelier de Millet (ミレーのアトリエ)
彫刻もありましたが、誰の作品なのか分かりません。 -
Atelier de Millet (ミレーのアトリエ)
椅子 -
Atelier de Millet (ミレーのアトリエ)
椅子の背もたれに描かれた絵。
これはミレーの作品ではありません。 -
Atelier de Millet (ミレーのアトリエ)
恐らくバルビゾン派と言われる方の写真だと思われます。 -
Atelier de Millet (ミレーのアトリエ)
こちらもバルビゾン派の方々。 -
Atelier de Millet (ミレーのアトリエ)
◎ 落穂拾い 1857
ミレーの作品の中で最も有名な一枚。
オリジナルはオルセー美術館に展示されているそうです。 -
Atelier de Millet (ミレーのアトリエ)
不明 -
Atelier de Millet (ミレーのアトリエ)
不明 -
Atelier de Millet (ミレーのアトリエ)
ミレーの自画像など -
Atelier de Millet (ミレーのアトリエ)
時間的には10分ちょっとでこちらの見学は終了。
ガイドさんの説明をしっかり聞いていたら、本当に写真を撮る時間なんてありません。
ツアーで訪れた場合は、写真を撮るか、説明を聞くかの2択をせまられることでしょう。
私は写真を選んだのですが、説明を聞いていないのと元々ミレーのことをあまりよく知らなかったことで、肝心なものを撮影していないかと思います。
やはりある程度の予習は必要ですね。
◎ おしまい
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