2012/02/04 - 2012/02/05
19位(同エリア1037件中)
旅猫さん
今年から、五街道を歩き始めようと思い、まずは、五街道を整備した徳川家康公所縁の駿府を訪れることにした。往復新幹線も味気無いので、往きは沼津駅まで小田急経由で向かうことにする。駿府では、家康公が最後に住んだ駿府城にまずは足を運び、静岡浅間神社にも参拝をする。翌日は、バスで久能山下まで行き、江戸時代までは唯一の参拝道だった1159段の石段を登って久能山東照宮に参拝。久能山東照宮は、駿府で死去した徳川家康を最初に葬った場所。境内には、徳川秀忠によって創建された当時の社殿が建ち並び、その壮麗さは見事であった。帰りは、日本平ロープウェイで日本平へと抜け、日本平山頂からの富士山を観ることにしていたのだが、雲が掛かり、その姿を拝むことは出来なかった。
(2024.02.08投稿)
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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小田急の新宿駅を10時15分に出る特急『あさぎり3号』に乗車。『あさぎり』に乗るのは、実に21年ぶりである。とは言え、当時とは車両がまったく違いうので、同じ列車とは言えない。
※現在、『あさぎり』は運転されていません。 -
定刻に出発したのだが、小田急線内で、理由も分からないまま遅れだし、御殿場線に入るころには10分近くの遅れとなっていた。そして、御殿場駅を出ると、車窓には富士山が綺麗に見えて来た。職場のある新宿からも見えるのだが、やはり、御殿場あたりから望む富士は雄大であった。
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結局、終点の沼津駅には、8分遅れの12時26分に到着。乗り継ぎの12時37分発の東海道本線の島田行普通列車も、2分ほど遅れてやって来た。それでも、静岡駅には定刻の13時31分に着いた。
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とりあえず、駅ビルに入っていた『驛麺通り』と言うラーメン屋でお昼を食べることにする。この店は、各地のご当地ラーメンが食べられる店で、悩んだ挙句、和歌山ワーメンを注文した。食べてみると、以前、和歌山で食べた本場のものと、遜色のない味わいだった。
※『静岡 驛麺通り』は、現在、閉店となっています。 -
食後、観光案内所に立ち寄り、市内の地図を入手した。そして、まずは徳川家康公の隠居城であった駿府城跡へ向かうことにする。駿府城跡へは、駅前から15分間隔で発着している『駿府浪漫バス』に乗り、東御門バス停で下車した。
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降り立つと、目の前には、平成元年(1989)に再建された巽櫓と、平成8年(1996)に再建された東御門が見える。どちらも、伝統的な工法により、木造で建てられたものだそうだ。
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東御門から城跡内に入る。入ってすぐのところには、以前訪れた時には無かった堀の跡のようなものがある。説明版によれば、駿府城の一番内側にあった本丸堀の一部だそうである。すぐ近くには、二の丸を横切っていた水路の跡もあった。
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本丸跡に入ると、『家康手植のミカン』と言うものがあった。家康公が駿府城へ隠居の折り、紀州和歌山藩より贈られた鉢植えのミカンを、本丸に植え替えたものと云われているそうだ。
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そのミカンの近くに、家康公の像が立っていた。駿府城の本丸跡は、明治時代に天守台や建築物がすべて取り壊されてしまったため、何も残っていない。家康公も、さぞや落胆のことだろう。
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二の丸跡を北御門跡から出る。北御門跡の石垣は、江戸時代の姿をよく留めているそうだ。さらに、深草御門跡で外堀を渡り、外へ出た。
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草深御門跡から西へ少し行った外堀沿いに、三加番稲荷神社がある。駿府城は、三代将軍家光の実弟で城主であった忠長が蟄居させられて以来、城代、定番が置かれていた。その定番の下に小大名や旗本が務めた加番と言う役があり、城下の警備を行っていたそうである。この稲荷神社は、由井正雪の乱の後に増設された三加番の屋敷に祀られていたものである。
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その稲荷神社から、駿河国総社である静岡浅間神社へと向かう。その途中には、銭湯や昔ながらの床屋があり、風情のある商店街もあった。
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さらに歩いて行くと、突き当たりに静岡浅間神社が見えて来た。訪れるまで知らなかったのだが、ここで、徳川家康が元服したそうである。文化13年(1816)に竣工した朱塗りの楼門を潜り、境内へと入った。
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静岡浅間神社は、神部神社、浅間神社、大歳御祖神社の総称である。正面に立つのは、神部神社と浅間神社の大拝殿で、文化11年(1814)に竣工した浅間造りと呼ばれるものである。二階拝殿とも呼ばれるそうだ。境内には、その大拝殿を含め、26棟もの重要文化財の社殿が建ち並んでいる。
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社殿には、多くの彫刻が施されている。社殿の艶やかな紅色が、それらの彫刻を際立たせていた。徳川家所縁の社寺は、朱塗りではなく紅色に塗られた社殿や門が特徴なのである。
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神部・浅間神社の西隣には、境内社八千戈神社が鎮座している。徳川家の造営した建物は、東照宮など、極彩色で壮麗なものが多いが、この社もかなり煌びやかである。
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その八千戈神社の脇から、急な石段が続いている。その石段を登ると賤機山である。戦国時代までは、賤機山城が築かれていたところだそうだ。
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石段を登り切ると、右手奥に境内社麓山神社がある。静岡浅間神社の別宮で、『山宮』と呼ばれるそうだ。本殿や拝殿(写真)、中門を含め、重要文化財に指定され、本殿はやはり極彩色に飾られていた。
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麓山神社の脇からは、散策路が続いていた。歩いてみたかったが、陽が傾いてきたので、今回は諦めることにした。
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賤機山には、この地方の豪族の墓と伝わる賤機山古墳もある。6世紀頃に造られた円墳で、石室には、かなり大きな家形石棺が置かれている。盗掘により、副葬品などはほとんど出なかったそうである。
賤機山古墳 名所・史跡
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静岡浅間神社を後にして駿府城跡へと戻る。途中の馬場町には、鷹乃森二加番稲荷神社がある。鷹乃森の名は、当時付近を流れていた阿部川の畔に、鷹が集まる森があったからだそうだ。
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駿府城跡の南側まで来ると、大手門の跡があった。しかし、石垣の修復中で、中に入ることは出来なかった。その奥には、三の丸跡に建つ静岡県庁本館も見える。昭和12年(1937)に建てられたもので、洋風の外観だが、屋根は瓦葺きと言う和洋折衷の建物である。
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大手門跡の向かいには、静岡市役所がある。その本館は、昭和9年(1934)に、県庁本館と同じ建築家中村與資平による設計されたもので、ドームが特徴的な洒落た建物であった。
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市役所前から、静鉄の新静岡駅の方へ歩いて行くと、一加番稲荷神社がある。寛永10年(1633)に、伏見稲荷を勧請し、一加番屋敷内に建立された神社である。今は、町内の氏神として信仰されているようだ。
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その近くで、黒猫に出会った。きりりとした精悍な顔立ちで、野性味すら感じる。微動だにせず、一点を睨んでいた。
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神社からすぐのところにある静鉄の新静岡駅から、16時46分発の電車に乗り、新清水駅へと向かう。今宵の宿は、JRの清水駅近くにあるのだ。電車はのんびりと走り、20分ほどで新清水駅に到着した。
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駅を出て、JR清水駅の方へと歩いて行く。その途中、商店が建ち並ぶアーケード街を通り抜けた。個人経営の店が元気な街は好きである。
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10分足らずで清水駅に着いた。駅前では、青い電飾が船の帆のように、夜空を背にして輝いている。その空には、月も浮かんでいる。いつしか、夜の帳が降りて来ていた。
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宿は、国道に面した『ホテルクエスト清水』である。手軽な料金のビジネスホテルであったが、思ったよりも部屋は広く、綺麗であった。
ホテルクエスト清水 宿・ホテル
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宿に荷物を置き、夕食を求め、いつものように街へ出る。裏道を辿りながら探すと、店の前に菰樽が置かれた居酒屋があった。少々立派な作りであったが、地酒がありそうなので、入ることにした。
福助 グルメ・レストラン
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まずいただいたのは、『正雪 活性生酒』。静岡と言えば『正雪』と言うくらい有名な酒だが、これは初めてであった。活性らしく、呑み口はシュワっとしている。濁り酒だが、やや辛口の酒であった。
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二杯目は、『英君 純米吟醸 緑』を頼んだ。地元清水区由井の酒で、五百万石を使用している。つまみは、名物の黒はんぺんをいただいた。明日は、久能山東照宮を訪れるので、今宵はさくっと呑み、あとは宿でのんびり寛ぐことにした。
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翌朝、起きて窓の外を見ると、曇り空であった。この日はまず、駅前のバス乗り場を8時16分に出る久能山下行のバスに乗車する。普通、久能山東照宮を訪れる場合には、日本平からロープウェイに乗って行くのだが、初めてなので、家康公に敬意を表し、江戸時代の参拝順路を辿ることにしたのである。久能山下バス停までは、30分ほどの道のりである。
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終点が近付くと、車窓左手に駿河湾が見えてきた。雲間から降り注ぐ陽の光が神々しく、その光に照らされた海も、とても綺麗であった。
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久能山下バス停の周りにはビニールハウスが広がっていた。この辺りは、石垣イチゴの産地である。ビニールハウスの中では、美味しいイチゴが育っているのだろう。ただ、最近の栽培品種は、章姫が主力だそうだ。
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バス停から、のんびり歩いて5分足らずで久能山東照宮の表参道の入口に着いた。両側には、土産物屋が軒を連ねていたが、表参道を歩いて登る参拝客はあまりいないようだ。
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鳥居を潜ると、つづら折りの石段が続いている。その数は、1159段もあるそうだ。下の方はかなり幅が広く、一つの段の高さも低いのでとても登りやすい。
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見上げると、まだ先は長い。久能山への参拝は、こちらが表参道だが、江戸時代もこのような石段があったのだろうか。
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かなり登って来た。眼下には、駿河湾が広がっている。
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そして、一ノ門に到着。ここまで、909段であった。
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一ノ門の前からは、駿河湾とイチゴ栽培のビニールハウスが広がる久能の街並みが望めた。その風景は素晴らしく、それは、頑張って登って来た者へのご褒美のようであった。
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一ノ門を潜ると、目の前に門衛所が建っていた。東照宮を警護する与力たちが詰めていた場所である。門衛所の前からさらに石段を登って行くと、土産物屋やロープウェイ乗り場などが建つ場所に出る。そこから先は、参拝料が必要となる。まず見えてくるのは楼門である。後水尾天皇の宸筆による扁額が掲げられているため、勅額御門とも呼ばれているそうだ。
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楼門を潜ると、左手に家康公の愛馬を飼っていた神厩舎が、右手には江戸城内にあった太鼓を奉納したという鼓楼がある。鼓楼は、江戸時代までは鐘楼であったものを、明治の神仏分離令で変えられてしまったそうだ。
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その先に、五重塔の跡がある。五重塔は、三代将軍家光によって建立されたもので、久能山東照宮の象徴であったそうだが、神仏分離令のために取り壊されてしまったそうだ。現存していれば、間違いなく国宝だったと言える。明治新政府による極端な国家神道政策により、明治期に多くの重要な文化財が失われたことは非常に残念なことである。
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正面には、青銅製の灯篭と唐門が見える。久能山東照宮では、境内に立つ唐門など13の建物が国の重要文化財に指定されている。そして、そのほとんどが、二代将軍秀忠公によって元和年間に建立されたものである。それらの建物は、日光東照宮にも劣らないほどの壮麗さである。
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神楽殿や日枝神社の前を通り、東門へと向かう。東門は、玉垣で囲まれた御社殿に入る門である。最近修復されたらしく、極彩色を纏っていた。よく見ると、瓦の一つ一つに葵の御紋が付けられている。
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御社殿は、本殿、石ノ間、拝殿からなる権現造である。元和3年(1617)に建立された最古の権現造で、江戸時代に普及した権現造の元となった社殿である。平成22年に国宝に指定された際に修復され、創建当時の壮麗さを取り戻したそうである。
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拝殿で参拝。その拝殿に施された装飾は、見事と言う他ない。
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本殿の側面に描かれた絵も見事である。
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御社殿の左奥にある廟門を潜ると、そこには家康公の廟所へ続く参道があった。その参道の両側には、家臣が奉納した石灯籠が建ち並ぶ。
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家康公の廟所に辿り着いた。今回の旅の目的は、五街道を歩く前に、五街道を整備した家康公にご挨拶をすること。しかし、ここは最初に葬られた場所であり、現在は日光東照宮に改葬されている。ここへ来たのは、個人的なけじめのようなものである。
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廟所の右奥には、愛馬の亡骸が埋められたとされる場所もある。家康公の愛馬は、夜になると、この廟所で眠っていたそうだ。ある日、昼間になっても神厩舎に戻らないので来てみると、廟所で眠るように亡くなっていたと云われている。
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この日、境内では、河津桜が咲き始めていた。
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挨拶を無事に終え、帰りは日本平ロープウェイに乗る。ロープウェイからは、大規模な崩落の跡が多く見られ、地質的に脆いことがよく分かる。東照宮のある久能山と日本平(有度山)は、昔は一つの山であったらしく、浸食で今のような姿になったようである。最近では、台風により大きな被害が出たそうだ。
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日本平の山頂付近には、テレビの電波塔が建っていた。その日本平は通称で、正式には有度丘陵(最高地点は有度山で308m)と言うそうだ。山頂付近からは、本来なら駿河湾越しに富士山や伊豆半島が見えるのだが、この日は雲が多く、その姿を見ることは出来なかった。
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静岡駅行のバス停がある場所に向かうと、そこにレストハウスがあった。その前に立つ売店で、桜エビ団子なるものを見つけたので食べてみる。しかし、大したことは無かった。その近くで解凍した生の桜エビも食べさせてもらったが、こちらはとても美味しかった。そこで、土産として干した桜エビを購入した。
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バスの時間まで間があったので、桜エビのアイスを買い、駿河湾の景色を眺めながら味わう。景色は良かったが、アイスは失敗であった。そして、11時33分発の新静岡行のバスに乗り、静岡駅前で降りた。帰りの新幹線まで時間があるので、土産物を漁ることにした。
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13時19分発の『こだま156号』で静岡を離れる。久しぶりに乗る『こだま号』なので、少し嬉しい。しかも、やって来たのは、最近少なくなった300系と呼ばれる車両であった。発車後すぐ、駅で買い込んで来た東海軒の『元祖鯛めし』をいただく。570円と言う安さが魅力の駅弁だ。190円足せば、『特製鯛めし』が買えるのだが、個人的には量も味もこちらで十分である。
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食後、一緒に購入したいちご大福も食べてみる。見た目に吊られて買ってしまったのだが、大きなイチゴの酸味と餡子の甘さが相まって、とても美味しかった。
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『こだま』は、駅に停まる度に『のぞみ』に抜かれるので、新幹線にしてはのんびり出来る。ホームへ出て伸びが出来るのが嬉しい。さて、あとは寝て行こう。
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この旅行記へのコメント (2)
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- あるき虫さん 2024/02/10 09:10:11
- 五街道歩き。。
- 旅猫さん、こんにちは。
五街道歩き…という響きに魅力を感じ、旅行記を拝見しました。とりわけ舞台が私の住む静岡県とのことで、とても興味深く読ませていただきました。
出発のところで、371系特急電車が出てきて、おや!?っと思いました。本稿は、過去帳だったのですね。特急あさぎりの沼津行き、思えばひと昔前のモノとなりました。なぜ現在のあさぎりを御殿場止まりにしてしまったのでしょう、沼津延伸復活を願いたいところです。
正雪の活性生酒、おいしそうですね。発泡性のある日本酒は、私も好きです。でもここ10年来吞む機会に恵まれていません。会津の地酒「飛露喜」の発泡性地酒を過去に吞んで以来、好きな地酒のジャンルですが、正雪でも味わえるとなれば、近いうちに酒蔵を訪ねて、買い求めてみようかと思いました。
旅猫さんの旅行記は、歴史、地酒、温泉、鉄道と、私も関心のあるテーマが満載なので、これからも投稿を愉しみにしております。
あるき虫
- 旅猫さん からの返信 2024/02/11 08:56:01
- RE: 五街道歩き。。
- >あるき虫さん、こんにちは。
書き込みありがとうございます。
この旅行記は、以前投稿し、その後お蔵入りしていたものです。
最近、あまり旅に出ることが出来ないので、蔵出ししています。
とは言え、文章はすべて書き換えているので、ほぼ新作となっています。
当時は、ご街道歩きを始めようと意気込んでいましたが、この後、4月から仕事が忙しくなり、結局、ご街道歩きもお蔵入りとなりました(^^;
なので、序章のみなのです(笑)
『あさぎり』も過去となり、沼津行も無くなり不便になりましたね。
ぜひ、復活して欲しいものです。
あるき虫さんも、活性のお酒がお好きでしたか!
美味しいですよね。
『飛露喜』の発泡酒を飲まれたとは羨ましい。
昨年、会津坂下を訪れた時に立ち寄りましたが、『泉川』しかありませんでした。
私の旅は、基本的に公共交通機関が足で、温泉と史跡巡り、そして地酒で晩酌が定番となっていますので、これからも、よろしくお願いします。
旅猫
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