2011/11/07 - 2011/11/08
86位(同エリア1420件中)
エンリケさん
ミャンマー旅行5日目。
マンダレーから飛行機に乗って3日ぶりにヤンゴンに戻ってきました。
ぶらぶらと夜の街歩きに繰り出しますが、とんでもない事態が発生。
そのせいもあって翌日の観光も楽しめず、ヤンゴンという街については、初日と2日目のぼったくりタクシーのこともあって、嫌な思い出だけが残りました・・・。
今回のミャンマー旅行、かろうじてバガンだけがまあよかったという印象でしょうかね。
期待通りにいかなかった初めての海外旅行かも・・・。
<旅程表>
2011年
11月2日(水) 成田→ハノイ→ヤンゴン
11月3日(木) ヤンゴン→バガン
11月4日(金) バガン→ポッパ山→バガン
11月5日(土) バガン→マンダレー
○11月6日(日) マンダレー(アマラプラ→サガイン)→ヤンゴン
○11月7日(月) ヤンゴン→ハノイ
○11月8日(火) ハノイ→成田
- 旅行の満足度
- 1.0
- 観光
- 1.0
- ホテル
- 2.0
- グルメ
- 2.0
- ショッピング
- 2.0
- 交通
- 2.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 航空会社
- ベトナム航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
11月6日(日)
17時にマンダレーを飛び立ったエア・バガン504便は、18時30分、ヤンゴンに無事到着。
マンダレーのホテルタクシーがあまりに高額でミャンマーチャットが少なくなっていたため、まずは隣にある国際線の建物まで移動してUS$から両替(ミャンマーは街なかでのUS$の通用度が著しく低いです。)。
そしてこの日の宿、ダウンタウンに位置するセントラルホテルまでタクシーで移動。
空港の出口に向かおうとすると何人もの若い客引きたちが言い寄ってきますが、ぼったくりばかりなので無視してタクシーカウンターで手配。
ぼったくられた初日と異なり(ミャンマー紀行(1)、(2)参照)7,000チャット(700円)の標準価格で手配してもらえました。
タクシーカウンターの若い男性がタクシーを案内しに外に向かう途中、客引きの若い男がその男性をすごい形相で睨み、その男性は客引きをこづいたりして・・・優しい国ミャンマーはどこへ行ったのやら。 -
空港からダウンタウンまでは15kmほどあり、タクシーは30分ほどでホテルに到着。
この間、ドライバーはおしゃべりな男性で、ミャンマーなまりの英語で“明日はどこへ行くのか?メーラム・パヤーはいいぞ。チャーターするか?”とか“空港まで同じ料金で迎えに来るよ”とか、いろいろと話を持ちかけてきます。
ヤンゴンのタクシーには初日の件もあり、信用を失っていたので話を進めずやんわりとお断り。
それでも、ホテルまで送り届けてくれた後は笑顔で別れました。
チェックインの手続きをし(現地旅行会社の手配で25US$)、部屋で少し休んだ後の20時、夕食を食べに夜の街に繰り出します。
ここダウンタウンはミャンマー最大の都市ヤンゴンの中心部のはずですが、街灯が少なくなんとなく暗い印象・・・。 -
セントラルホテルのあるダウンタウンのこのあたり(ボージョーアウンサン・マーケットの南)はインド人街とのことで、個人的に大好きなインド料理でも食べようと、“地球の歩き方'11〜'12”にも載っている“ゴールデン・シティ・チェティ・レストラン”(Golden City Chetty Restaurant)を目指しますが、ビルが取り壊されてなくなっている模様・・・。
仕方ないので、美味しい純ミャンマー料理を食べさせてくれるレストランと評判の、ダヌピュー(Danuphyu-Daw Saw Yee Myanmar Restaurant)へ。
メインストリートの脇のディープな街角へ入っていきます・・・。 -
20時30分、ようやく目当てのレストランを発見。
暗い夜道の中、一際明るい光が差しているお店があり、そこがダヌピューでした。
店内はテーブルが5、6卓ほどと意外と狭く、地元の方と外国人旅行者が一組ずつ座っていました。
中に入るとさっと案内してくれて、さすが“地球の歩き方”に載るだけあって、外国人旅行者の扱いには慣れているようでした。
これまでチキンカレーばっかりだったので、ここではマトンのカレーセット(3,000チャット=300円)とミャンマービール(2,000チャット=200円)を注文。
スープは今まで飲んだことがないような独特の味でしたが、肉もあわせ、まあ美味しかったです。 -
食後はそのまま夜の街を散策。
ダウンタウン中心部の交差点(ラウンドアバウト)の中央にあるスーレー・パヤー(Sule Paya)の辺りまで行くと、ライトアップされた黄金のパゴダの姿が闇に浮かび上がっていました。
・・・辺りが暗い分、黄金に輝くパゴダの姿が一層際立ちます。 -
スーレー・パヤーの周りで写真を撮っていると、日本語がペラペラで胸に漢字が書かれたTシャツを着た若いミャンマー人の男性に話しかけられました。
“日本語勉強してるんだけど、ちょっと話しない?”
この日はもうすることもなく暇だったし、現地の人と交流できるいい経験になるなと思って行動をともにすることに。 -
その若い男性は日本の若者のようなぼさぼさ頭で、肌の色が濃いことを除けば日本人によく似たちょっと好感のもてそうなタイプだったので、ざっくばらんにいろいろなことを話しました。
本人いわく、雑誌の翻訳の仕事をしていて、日本語もそのかたわら勉強し、これまでも何人もの日本人観光客と交流してきたそうです。
デジカメももっていて、日本人とチャイティーヨーのゴールデンロックに行ったときの写真も見せてくれました。
彼は露店でチャイをおごってくれたり、金ピカのパゴダには飽きているだろうからと中国人街を案内してくれたり、わたしも“ミャンマーにはやっぱりいい人がいるんだなあ”と心を許すようになってきました。
“夕食はどう?”と彼は言ってきますが、先ほど食べたばかりだったので遠慮すると、“じゃあ女の子のいる店に行かない?”と言ってきます。
“いくら?”と聞くと、“最初のドリンクが5,000チャット(500円)であとは注文制だよ”とのこと。“君はどうするの?”“僕は案内したら帰るよ”
ちょっと怪しい気もしましたが、“ちょっとのぞいてから決めてもいい?”と言うと、“じゃあ店の入り口まで行こう”ということになり、エレベーターに乗ってその店(キャバクラ?)の入口へ・・・。 -
店に入ると、露出の多い衣装を着た女性たちが入れ替わりでエレベーターに入っていき、奥の方の部屋からは何やら楽しそうな歌声やら喧騒が聞こえてきます。
・・・とここでその男性は豹変し、“さあ、お金払って、もう戻れないよ、中を見たんだから戻ったらミャンマーの法律で逮捕されるよ”
“あなたはどうするの”
“わたしの分もあなたが払うんだよ、一杯じゃダメだよ、何杯も頼まないとダメだよ”
そんな話聞いてないよと突っぱねると、“あなた言ったでしょ、見たいって”
なんなんだコイツはと思い、もう戻ると言うと、“じゃあ金置いていけ”とわたしのポケットに手を入れてこようとします。
周りで見ていたお店の人たち(彼とグルではなかった模様)も、何をもめているんだという雰囲気になり、彼と一緒に下まで降ろされます。
そして、ビルの外でわたしと彼、双方の言い分を聴取され(店員の中に日本語の分かる方がいました)、そのまま放免。
彼は店員に向かっても何やらビルマ語で吠えていましたが、店員は冷静で、わたしが彼に騙されて連れて来られたのだと悟ったようでした。
わたしももうこんなヤツとは一緒にいられないので、彼に一方的に別れを告げてこの場を去ることにしました。 -
そして嫌な事件の口直しに、もう一度夜景を撮りながらぶらぶらと街歩きをしていると、スーレー・パヤーに戻ったところで彼とばったり。
彼はカップラーメンをぶら下げていて、わたしの顔を見るなり“日本人はウソつき、日本人にダマされた〜”と泣き落しにかかります。
今度は泣き落しかよとさすがに呆れ、“ダマしたんじゃないよ”と彼の肩を叩きつつ、また豹変しないうちに“じゃあな”と言ってその場を離れました。 -
ホテルに戻るともう23時過ぎ。どっと疲れが出てきます。
・・・こうして旅行記を作成するのに思い出すだけでも、腹が立ってくると同時にダマされそうになった自分が情けなくなる嫌な事件でした。
海外旅行でこんな手の込んだ詐欺みたいな目にあったのはミャンマーが初めて。
(エジプト・ルクソールのファルーカ乗りからも似たような目に遭いましたが(エジプト紀行(1)参照)、エジプトはそういうお国柄というのが事前にわかっていたし、ある意味ダマされた明るさがありました。)
これも、ミャンマーは治安がよくて人々が優しい国という思い込み、心の隙があったためでしょう。
わたしのわずかな経験で言うと、ほかの多くの方が旅行記で書いているような、“ミャンマーは人がいい国”、“優しい国”というのは少なくとも“ヤンゴンの若者”については当てはまりません!
都市化する生活の中、そして欧米諸国から経済制裁を受け、暮らし向きがどんどん悪くなる中、ヤンゴンの若者たちが仏教への信仰心を捨て、金持ちの外国人を見ればだまして金をふんだくってやろうと考えるに至ったことは想像に難くありません。
ミャンマーの人の良さに憧れてヤンゴン(バガンではなく)を訪れようとする方はくれぐれもご注意を! -
先ほどの事件のせいでなかなか寝付けず、テレビを見て時間をつぶします。
ちょうどこの時期に起こっていたバンコクの洪水のことやら、ミャンマーが東南アジアで最も賃金水準の低い最貧国であるということやら、アウンサンスーチーにかける民主化の期待のことやら(NHKワールドのASIA 7 DAYSですが)。
【NHK WORLD TV / ASIA 7 DAYS / Myanmar : Promising Signs】
http://www3.nhk.or.jp/nhkworld/english/tv/asia7/archives201111040600.html
あんなことがあった後だと、ニュースの内容を本当に実感できます。
そしていつの間にか眠りに落ち・・・。 -
11月7日(月)
ミャンマー最後の朝です。
昨晩の事件が尾を引いていて(まだそんな時間も経っていないのだから当たり前ですね)、“さあ、観光行くぞ!”という気分でもないのですが、せっかくの海外旅行、気を取り直していきましょう!
7時、ホテルのレストランで朝食。
アメリカンブレックファストの形式ですが、左上に見える独特の姿をした麺はミャンマー名物のモヒンガー。
米の麺に魚ベースのスープをかけた、ミャンマーの国民食と言っても過言ではないものです。
独特の風味で美味しいともなんとも言えない代物でしたが・・・おそらく日本の味噌汁と同様、店によっても違うのでしょうね。
ちなみにホテルの客は、ミャンマー人なのか他の東南アジア諸国の人々なのか、アジア系が多い印象でした。 -
朝食後の9時、チェックアウトし、荷物をフロントに預けていざ街歩きへ。
この日は19時にハノイへの便があるため、それまでヤンゴンの有名どころを観て回ります。
まずはダウンタウンを南へ、スーレー・パヤーの方向へ歩いていきます。
周りはロンジー(スカート状のはき物)をはいたミャンマー人ばかりで、ジーンズをはいてカメラを持っていると浮いてしまいそうなディープな感じ。
ミャンマーの経済の中心部がこうもディープとは・・・。
そしてメインストリートに架かる歩道橋に登り、南のスーレー・パヤーへ向かってパチリ。 -
スーレー・パヤーをズームアップしてまたパチリ。
こうしてファインダー越しに遠めに見るヤンゴンの街はとてもきれいに見えますが・・・。 -
実眼で建物をよく見ると、排気ガスなのか湿気から来るものなのか黒い汚れが目立ち、お世辞にもきれいな街とは言えません。
自動車も20年以上前の日本車ばかりで、ぼろぼろの街と言った印象・・・。
こういうのを“味があっていい”と言う人もいますが、わたしにとっては彼らが快適な都市生活を営んでいるとは到底思えず、欧米諸国の経済制裁から来る発展の遅れや物価高など、厳しい日常にあえぐ市民の息遣いが伝わってくるようで、なんだか重い気分になってしまいました。
・・・この辺は社会主義を貫くゆえにアメリカから経済制裁を受け、古いアメ車が多く走っているキューバの街も似たようなものなのかもしれません。
向こうはラテン系の明るさや日本から遠く離れた異国情緒がそれを打ち消しているようにも見えますが(行ったことはないので想像ですが)。
経済制裁と言えばイランもそうですね。
かつて“世界の半分”と言われ、壮麗なペルシャ様式のイスラム建築の残るイスファハンの現在の息遣いを確かめてきたいものです。 -
スーレー・パヤーの北西側、汚れの染みついた右側の建物は最上階に“1923”と銘打ってあり、建築から90年近く建っていることをうかがわせます。
左側の白を基調としたお城のような建物は、何かと思ったらイスラム教のモスク(Bengale Sunni Jameh Mosque)。
新大陸ペルーでは見当たらなかった、久々の世界のイスラム建築シリーズです(笑)。
スーレー・パヤーの西側はインド人街となっていることから、ムスリムのインド系移民が利用するものなのでしょう。
中には入りませんでしたが、入口の奥がちょうど西のメッカの方向を指すミフラーブ(壁に設置されたくぼみ)になっているものと思われます。
しかしミャンマーでは、仏教寺院にしてもモスクにしても宗教系の建物は資金が潤沢なのか、一般市民の建物に比べて見違えるほどきれいです・・・。 -
こちらはスーレー・パヤーの北東に位置する市庁舎。
やはり政府系の建物はきれいで立派。 -
さて、そろそろ交差点(ラウンドアバウト)のど真ん中にそびえるスーレー・パヤーに入ってみます。
夜はライトアップされて黄金に輝いていますが、昼間見る姿も太陽の光が反射して金ピカです。 -
スーレー・パヤーは他のパゴダ同様、基本的には無料で入れますが、カメラを持っていると撮影料として1US$を徴収されます。
入口の階段を登っていくと・・・ここでもたくさんの仏女たちが仏像に向かって熱心にお祈りを捧げていました。 -
中央に位置する金箔を貼られた高さ46mの黄金のパゴダ。
他のパゴダと違い、角張ったシルエットが印象的です。
スーレー・パヤーの“スーレー”とはパーリ語(上座部仏教経典に用いられる言語)で“聖髪”という意味で、パゴダ内には仏陀の遺髪が納められているそうです。
【Sule Pagoda〜Myanmar Travel Information】
http://myanmartravelinformation.com/yangon-where-to-visit/sule-pagoda.htm -
中央のパゴダの周りはこんな開けたスペースになっていて、平日にもかかわらずお参りに来たたくさんの人々がぶらぶらと歩いていました。
日なたにいると、まだ午前9時台にもかかわらず、容赦ない日射しが照りつけてきて汗だくになってしまいます。
ヤンゴンはバガンやマンダレーと比べて南にあり、海にも近いため、湿気が多く蒸し暑い印象です。 -
一角にはこんな達磨(?)のような置物もありました。
仏像以外のミャンマーの偶像はどれもマネキンチックで面白いですね。
・・・とここで写真を撮っていると、すぐそばで、欧米系の気弱そうな若い一人旅らしき男性が、ミャンマー人の若い男から話しかけられているのが聴こえてきました。
ミャンマー人の男は何やら優しい口調でガイドをするようなことを言っている模様・・・。
しばらく話した後、欧米系の若い男性は、ミャンマー人の男に連れられてどこかへ行ってしまいました。
まるで前日の夜の自分を見る思いです・・・。
そのミャンマー人は、平日の昼に仕事もせずパゴダでぶらぶらしているようでは、どうぜロクな男ではなく、きっと外国人観光客のお金が目当てなのでしょう。
欧米系の若い男性が、わたしが前日の夜にされたようなことをされていなければいいのですが・・・。
ヤンゴンではこのスーレー・パヤーのほかにも、シュエダゴォン・パヤーでも“日本人か”とか“ガイドするぞ”と言い寄って来る輩が多く、一人旅の旅行者にとっては親切心かと思ってうっかりOKすると後で予想外のガイド料を請求されることもあるので要注意です。
ミャンマーは“地球の歩き方”でも“概して安全で人心もよく、安心して旅行できる国”と紹介されていますが、わたしが経験した限り、ヤンゴンではほとんど当てはまりません!
長い軍事政権下の人権抑圧と貧困で人心も荒んでしまったのでしょうか・・・。 -
9時40分、スーレー・パヤーを後にし、次はエーヤワディー川の支流であるヤンゴン川沿いにあるボータタウン・パヤーを目指します。
川沿いのストランド通りには写真に見える税関など、イギリス植民地時代に建てられた重厚な建物が並んでいます。 -
スーレー・パヤーからボータタウン・パヤーまでは2kmほどあり、日陰もない暑い中を歩きに歩いて10時、ようやく到着。
入口の門をくぐると参拝者が集うお土産物屋が並んでおり、お供え物のバナナなどが売られていました。 -
ボータタウン・パヤー(Botahtaung Paya)は、これまであちこちで目にしてきたようなオーソドックスタイプのパゴダのシルエットをしています。
そもそもこのパゴダの歴史は、2500年以上前、8人の僧がインドから仏陀の遺品を持ち帰ってここに安置したことから始まるそうです。
パゴダの名前にもなっている“ボータタウン”とは、その8人の僧の警護にあたっていた1000人(tahtaung)の兵士達(Bo)を意味するとのこと。
【Botahtaung Pagoda〜Myanmar Travel Information】
http://myanmartravelinformation.com/yangon-where-to-visit/botahtaung-pagoda.htm -
お堂の中に入ると、えんじ色の僧服を着た僧侶の3人組に出会いました。
何やら欧米系の外国人観光客と一緒に記念撮影を行っている模様。
その様子を見ていたら、彼らから写真を撮ってくれないかと言われました。
求めに応じてパチリ。
ミャンマーでは僧侶にかかわらず、外国人と一緒に記念撮影をすることが流行りなのだそうです。
そういえばインドでもそうだったな・・・。 -
こちらのお堂ではやはり仏女たちが熱心にお祈り・・・。
マンダレーでもそうでしたがお参りするのは男性よりも女性の方が多いですね。
やはり男性は稼ぐことが第一で信仰心が薄くなっているのかも。
・・・そんな状況の中、平日の昼間からパゴダに入り浸っている若い男性は、ひと癖ありそうなのが多いのでしょうね。 -
このボータタウン・パヤーには、中央に金ピカのジグザグ状の通路でつながった仏陀の遺髪を祀る部屋があります。
祭壇のある部屋は立入禁止となっているため、その手前のガラスの扉越しにお祈り。
こちらも女性を中心に皆熱心に祈りを捧げています。
ちなみにこの遺髪は、このパゴダが第二次世界大戦中に爆撃を受けて破壊された後、再建工事をしている最中に聖歯など他の宝物とともにガレキの山から発見されたものなのだそうです。
聖遺物にはこういった伝説がつきものですね。 -
10時30分、ボータタウン・パヤーの見学を終え、次はこの旅の初日に黄金に輝く夜景を見たこの国最大のパゴダ、シュエダゴォン・パヤーを目指します。
シュエダゴォン・パヤーまでは5kmほどあり、さすがに歩いては行けないのでタクシーを探しますが、見かけるのはすでに乗客を乗せたタクシーが多く、うまい具合に流しのタクシーがつかまりません。
歩いているうちにダウンタウンの路地に入り込んでしまい、その雰囲気をパチリ。
今こうして見ると、パステルカラーのカラフルな建物が並んでいて味がありそうにも見えますが、肉眼で見た際はもっと汚れが目立ち、悪臭(きつい食べ物の匂いが入り混じった感じ)も手伝ってなんと汚い街並みだと思ったものでした。
この路地を抜けたところで路上に止まっている年配ドライバーのタクシーを発見。
事前交渉して2,000チャット(200円)でシュエダゴォン・パヤーまで乗せて行ってもらうことにしました。 -
タクシーは10分ほどでシュエダゴォン・パヤーの正面へ。
外国人旅行者のわたしでも、このパゴダがほかのどのパゴダよりも立派だということが伝わってくる見事なシルエットと輝き。
この黄金のパゴダが見えた時、ドライバーのおじさんがハンドルの下で両手をあわせ、何かつぶやいて祈りの仕草をとっていたのが印象的でした。
やはり若いドライバーよりおじさんドライバーの方が信用できます。 -
11時、タクシーはシュエダゴォン・パヤー東側の駐車場に到着。
おじさんに約束の2,000チャットを払ってタクシーを降り、脇の入口から立派なとんがり屋根を持った参道に入ります。 -
ミャンマーでいちばんのパゴダだけあって、参道も広く、天井のレリーフも凝っていて立派。
両側にはお土産屋があり、なんだかオシャレなショッピングモールのようです。 -
そして階段を昇った先には、スーレー・パヤーと同様、金ピカの仏像と祈りを捧げる仏女たちの集団が。
男性の参拝客の方は特に徒党を組んではおらず、日陰で体を休めているような感じの人が多いですね。
この脇の受付で入場料5US$を払います。
ドル安のせいか、代わりに5,000チャット(500円)を支払ってくれないかと求められましたが、こちらもチャットが少なくなっていたためUS$の支払いで許してもらえました。 -
そして敷地内を歩いていくと・・・青空に映える黄金のパゴダが見えてきました。
その高さは99.4m、基底部の周囲は433m。あまりにも巨大すぎて全体がカメラに収まりきりません。
中央の大きなパゴダの周りには小さなパゴダが無数に・・・偉大な人物がたくさんの人々を引き連れているようななんとも威厳ある姿ですね。 -
タテにしてようやく上から下までの姿が収まります。
ミャンマー人の参拝客だけでなく外国人観光客もあちこちに(外国人は10数人ほどでバガンのパゴダほど多くはないですが)。
シュエダゴォン・パヤーはミャンマーにおける集客力ナンバーワンのスポットですね。
・・・このシュエダゴォン・パヤーも先ほどのボータタウン・パヤー同様、その起源は2500年前にさかのぼり、タポゥタとパッリカという兄弟の商人がインドで仏陀と出会い、8本の聖髪をもらってその王が紀元前585年にこの地に奉納したことに始まるのだそうです。
その後たび重なる工事で規模が広げられ、15世紀中ごろに現在の大小60余りの塔に囲まれた大仏塔の原型ができあがったとか。
【Shwedagon Pagoda〜Myanmar Travel Information】
http://myanmartravelinformation.com/yangon-where-to-visit/shwedagon-pagoda.htm -
中央にある大仏塔の周囲には、幾つもの仏教にまつわる建物が建てられてます。
これは全長8.5mの寝仏。
横たわる仏陀の周りを何人もの仏陀(弟子?)が見守っている? -
続いてはパーリ語で“偉大なる鐘”という意味の“マハ・ガンタの釣り鐘”(Mahaghanta Bell)。
ビルマ族最後の王朝、コンバウン朝(1752−1886年)の第4代国王シングー王が1778年に鋳造したもので、重さ23トンもある巨大な釣り鐘です。
第1次英緬戦争中の1825年、イギリス軍がこの鐘を略奪して船に積み込もうとしたところ、誤って川に沈めてしまったのですが、後にミャンマーの人々が引き揚げ、現在はこうして元の位置に納められているのだそうです。
・・・鐘の周りでは参拝者たちが強烈な日射しを避けて体を休めており、今では平安の象徴となっているようですね。 -
境内にある大きな木の下の仏像に祈りを捧げる人々も。
-
こちらは山羊の右目と牛の左目を持つ錬金術師の像(Izza-Gawna Tazaung)のある御堂。
入口の左右にある台座の壁にそれぞれ牛と山羊のレリーフがあるのでそれと分かります。
祀られているのは、ミャンマー人なら誰でも知っている一人の錬金術師。
ことごとく実験に失敗した彼は、失意のため自分の両目を潰してしまいます。
その後ひょんなことから黄金の製造に成功し、失明した目の代わりに山羊と牛の目を入れて視力を回復。
その後賢者として人々にあがめられるようになったという物語です。
・・・とはいっても御堂の中央に祀られているのはいつものとおり金ピカの仏像で、どれが錬金術師にあたるのかはよく分からずじまいでした。 -
“3つの音を持つ偉大なる鐘”という意味の“マハ・ティッサダの釣り鐘”(Maha Tisaddaghanta Bell)です。
1824年、コンバウン朝第8代国王のターヤーワディー王によって鋳造され、このシュエダゴォン・パヤーに奉納されたもので、先ほどのマハガンタの釣り鐘より重く42トンもあります。
こちらもたくさんのミャンマー人が外の熱い日射しを逃れて涼をとっていました。
ちなみに、釣り鐘にはパーリ語とビルマ語で仏陀と王の美徳についての文章が刻まれているそうで、欧米系の観光客が鐘の下に潜ってそれを確認しようとしていました(笑)。 -
こちらの御堂には頭の上に傘をさし、仏像を指差す2体の僧侶の像が。
なんだか古き良き日本的な匂いを感じます(笑)。 -
外はこのとおり日陰もなく、日本の真夏のような強烈な日射しが容赦なく照りつけてきて、汗がだらだらです。
ハンカチを持っていないとちゃんと目を開けて歩けません。
なお、中央奥に見えるインドっぽい塔はマハーボディー・パヤー(Mahabodhi Paya)で、バガンにある同名のパゴダと同じく、インドのブッダガヤにある寺院を模したもの。
周りにある他の金ピカのパゴダと違って、塔の四面にカラフルな仏教説話が細かく描かれています。
右奥に見える一際大きな金ピカのパゴダは“兄の仏塔”(Elder Brother Paya)で、左枠外にある巨大なシュエダゴォン・パヤーのミニチュア版。
伝説によると、今から2500年前のモン族の王オッカラパが、2人の商人から献上された仏陀の聖髪を最初に奉納した場所に建てられたことから“兄の仏塔”と言われているそうです。 -
さて、時計を見ると12時45分。
なんだかんだで2時間近く境内をぶらぶらしていたことになります。
さすがはミャンマー第一のパゴダ。
帰国便に間に合うようそろそろ次の目的地へ移動しなければなりませんが、最後にもう一度、ミャンマー中の人々に崇拝されるその威容をパチリ。
こんな暑い中でも、日傘をさしてお祈りをしている人もいますね。
そうそう、塔の最頂部には5,451個のダイヤモンドや1,383個のルビー、翡翠などの宝石がちりばめられているとか。
それらはすべて信者の寄進によるものですが、東南アジアの最貧国でありながら、こういうところにそんな富が蓄積されていると思うと何だか複雑な気分です・・・。 -
帰り道も屋根の付いた立派な参道を通って外へ。
こんな巨大な仏教絵画も掲げられています。 -
外の売店でペットボトルのスプライトを補給し(400チャット=40円)、13時、シュエダゴォン・パヤーのすぐ南にあるマハウィザヤ・パヤー(Maha Wizaya Paya)へ。
これまた金キラキンの巨大なパゴダです。 -
門番の金のヨロイ(たてがみ?)をまとった2頭のライオンの後ろ姿も、なんだかちょこんとしていてかわいらしいですね。
-
マハウィザヤ・パヤーの内部は空洞になっていて、壁には青々とした森林、天井には星座のような人間や動物のレリーフがあり、なんだか今までのパゴダにない不思議な空間です。
シュエダゴォン・パヤーと違い、数人の参拝客たちが静かな雰囲気の中で祈りを捧げています。
“地球の歩き方”には解説がされていないパゴダですが、ミャンマーにありきたりのパゴダに飽き飽きした方は、静かな雰囲気に浸れておもしろいところかもしれません。
【Maha Wizaya Pagoda〜Myanmar Travel Information】
http://myanmartravelinformation.com/yangon-where-to-visit/maha-wizaya.htm -
13時30分、帰りの便を考えるとヤンゴンの市内観光ももう1か所くらい。
最後に色っぽい巨大な寝仏で有名なチャウッタージー・パヤー(Chauck Htat Gyee Paya)を目指すことにします。
地図を見ると、シュエダゴォン・パヤーから2kmもなさそうな距離だったので、せっかくだからヤンゴンの街並みを見ながら歩いていくことに。
これが失敗で、迷ってしまい、地元の人に道を聞いたりして結構な時間がかかってしまいました。
人々はだいたい英語が分かり、ちゃんと話を聞いてくれるいい人ばかりでしたが。
やっぱりタクシーや観光地で待ち受けている輩と違い、普通に生活している人は優しい人が多いですね(それはミャンマーに限らずどこの国でも似たりよったりでしょうが)。
途中、地震が来たら倒壊しそうなこんなぼろぼろの建物をいくつも見かけます・・・。 -
上はきれいな青空なのに下はぼろぼろの汚れた建物・・・。
今までに訪れた都市の中でヤンゴンはいちばん一般市民の建物がぼろかった都市かもしれません。
街のいたるところにあるパゴダはあんなにきれいで金ピカなのに。
こんな建物に住んでいることを市民はどう思っているのでしょう。
日本人の感覚からは、とても楽しい都市生活を送っているとは思えないのですが・・・。 -
こちらは道中みかけたパゴダの入口。
2頭のライオンの白い肌は一点の汚れもないほどきれいに磨かれており、先ほどの汚れた俗な建物となんと違うことか。
そんなことを考えていると気持ち悪くなってきます・・・。 -
歩道はこんなに狭く、欠けたまま補修もされず、ところどころ悪臭がただよっています。
アメリカの平和基金会が2005年以来毎年発表している“失敗国家ランキング”なるものがあるらしいですが、それによると、ミャンマーは2011年、177か国中18位にランクされています(1位ソマリア、2位チャド、3位スーダン、7位アフガニスタン、9位イラク、12位パキスタン、22位北朝鮮、35位イラン、45位エジプト、48位シリア、72位中国、76位インド、82位ロシア、86位キューバ、99位ペルー、108位チュニジア、158位アメリカ、164位日本、177位フィンランド)。
アメリカ人の目から見ると北朝鮮より上位なんですね・・・。
欧米寄りの価値観でランキングされているとは言え、こうして街を眺めていても感じ入るものがあります。
【失敗国家ランキング〜平和基金会(The Fund for Peace)】
http://www.fundforpeace.org/global/?q=fsi-grid2011 -
14時30分、ようやく市街北東部にあるチャウッタージー・パヤーに到着。
参道の入口で、おじさんから“日本人か?”と話しかけられますが、これまでのミャンマーの旅でいい人かぼったくりか見分けるのに疲れていたので無視して中に入ります・・・。
そして修復中の参道を行ったところにある建物の中に、全長70m、高さ17mの巨大な寝仏が姿を現しました。
寝仏はてかてかな真っ白な肌をしていて顔はまつ毛が長く、女性的な優美な表情をしています。
また、寝仏を覆っている建物は鉄骨がむき出しで、ミャンマーには似つかわしくない現代アートのようでもあります。
そもそもこの寝仏は1907年に造られたのですが、その後傷んだため1966年に再建されたものだそうです。
建設費は信者の寄付でまかなわれ、建物の壁には寄付者の名前が記された(中には日本人の名前もあります。)一角もありました。
ちなみに、“チャウッタージー”とはビルマ語で“6階建て”という意味だそうで、この寝仏の巨大さを言い表しているのでしょう。 -
ぐるっと回り込むと、寝仏の大きな足の裏が。
ここには、金ピカの仏教宇宙観図が描かれていました。
暑さにまいっていたのともうミャンマーの観光に飽きていたのとで、ふーんという感じでそれほど感動も・・・。
【Chauk Htat Gyi Pagoda〜Myanmar Travel Information】
http://myanmartravelinformation.com/yangon-where-to-visit/chauk-htat-gyi-pagoda.htm -
15時、帰国の準備をするため荷物を取りにホテルへ戻ります。
帰り道はタクシーを使用。
流しのタクシーなら相手を選べるので安心です。
事前交渉して2,500チャット(250円)で約6km離れたホテルまで乗せて行ってもらいました。
街と同様にぼろぼろなタクシーの様子を記録に留めようと車内を撮影しましたが、こんな車でも一生懸命仕事をしているドライバーに悪い気がして・・・反省。 -
10分ほどでダウンタウンのセントラルホテルに到着。
30〜40代くらいの無口ないいドライバーでした。
最後にホテル周辺の散策へ。 -
ホテルのすぐ北側にあったボージョーアウンサン・マーケット(Bogyoke Aung San Market)。
イギリス植民地時代の1926年に建てられた歴史ある建物で、入口の正面中央にあるドームが特徴的です。
この日は月曜のため残念ながら休業。
ここで日常の買い物にいそしみ、生活を楽しむ人々の姿を見ていれば、ヤンゴンの印象も変わっていたかもしれません・・・。 -
ボージョーアウンサン・マーケットの正面の通りは広くて比較的きれいな通り。
トーキョー・フライド・チキン(Tokyo Fried Chicken)なるニセモノもあります。 -
でもちょっと細い脇道に入ると、色褪せて汚れのこびりついた建物が。
ヤンゴンではきれいな通りを見つけるのが難しいですね。 -
メインストリートのスーレー・パゴダ通り(Sule Pagoda St.)は朝と同じくロンジーをはいた人がたくさん。
外国人の姿はほとんど見かけず、相変わらずディープな雰囲気です。 -
バス停の裏側には“オキ”という日本語が書かれた洗剤の看板も。
JAPANESE TECHNOLOGYはミャンマーでも有名です(笑)。 -
ヤンゴン中央駅に近い市の中心部は比較的きれいな建物も多く、広告も多くて栄えているように見えるのだけれども、ここを離れるとすぐにぼろぼろの通りが・・・ヤンゴンの街はカオスですね。
-
15時30分、もう何もすることもなくなったので、ホテルのボーイにタクシーを止めてもらって空港へ。
来た時よりも1,000チャット安く6,000チャット(600円)で済みました。
ベトナム航空のチェックイン手続きが始まる17時まで待ち、手続き後は2階の出国審査場へ。
壁面にはおそらくインレー湖をイメージしたこんなきれいな絵が描かれていましたが、やっぱりミャンマーの魅力は都市部ではなく田舎にあるのかも・・・。
日本人に人気のカンボジアのアンコール・ワット観光のように、ハノイやホーチミンからヤンゴンを経由せず直接バガンに飛べれば、ミャンマー都市部の生々しい現実を見ずにテーマパーク的な観光を楽しめ、旅の満足度も高まるのではないかと思いました。
それではミャンマーを知ったことにはならないですけどね・・・。 -
出国審査後、搭乗ゲート前のお土産屋で最後の買い物。
値段はすべてUS$表示でしたが、ミャンマーチャットも使えます(1US$=1,000チャット)。
木彫りのレリーフや操り人形といった民芸品や、翡翠などの石が多い模様。 -
ちなみに余ったお金でわたしが買ったのがこれ。
この旅でいちばん美味しかったミャンマービール6本セット(9,000チャット=900円)とついでにインドっぽいチョコレート(3,000チャット)、それに安物の翡翠(ミャンマーのカチン高原は翡翠の産地として有名)の亀のアクセサリー(600チャット)。
最後の亀のアクセサリーは、“残り600チャットで何か買えるものない?”と言ったら、優しそうな女性の店員さんが笑顔で選んでくれました。 -
19時10分、20人ほどを乗せたがらがらのVN956便は定刻通りヤンゴンを離陸。
ハノイ−ヤンゴン間の便は乗客が少ないせいか、フライトキャンセルが多いので要注意です。
本当はこの旅も前日にヤンゴンを発つ予定で航空券を手配していたのですが、1か月近く前にフライトキャンセルになってしまい、1日後の便に変更する羽目になりました。
そのおかげでバガンの滞在日数が一日伸び、熱気球に乗ったりポッパ山ガイドツアーでガイドからいろいろ現地の話を聴くことができ、今回の旅行でよかった部分が増えたわけですが。
・・・ベトナム航空の機内食は相変わらずあまり美味しくない感じ。
コーヒーも注ぎに来るのは1回だけでのどが渇きます。 -
21時30分、ハノイ到着。
ヤンゴンでは成田までの航空券を発券してもらえなかったので、空港建物1階の乗り継ぎカウンター(ミャンマー紀行(1)参照)で発券。
カウンターが開くまでは少し待ちましたが、いったん開いた後は、青いアオザイ姿の女性係員がテキパキと手続きを行ってくれました。
2010年の年始に利用したホーチミンのタンソンニャット国際空港の発券手続きよりも効率的。
その後2階にあがって荷物検査をした後は、深夜の出発の時間までお土産屋を回ります。
行きはおとなしかった女性店員も、ほかにベトナムツアー帰りの日本人が多いこともあって積極姿勢。
食品などは値段も安く数ドル程度なので、今回ベトナムで降りていないにもかかわらず、職場等へのお土産用にコーヒーやドライマンゴーなどいくつも買ってしまいました。 -
日付が変わって11月8日(火)0時10分、VN310便はたくさんの日本人を乗せ、満席となってハノイを離陸。
そして7時10分、成田着。午後からいつもの会社生活に戻りました。
・・・今回のミャンマー旅行、バガンはまあまあでしたが、ヤンゴンなど都市部は“笑顔で人々が優しい国”という(他のトラベラーの方の旅行記を見て勝手に作り上げた)想像とあまりにもかけ離れていて、とても街歩きをしていて楽しいと感じられるものではありませんでした。
それはこの年の7月に念願のペルー旅行が実現して、もう旅行にかける気力が萎えてしまったせいなのか、それとも“アジアの最貧国”、“失敗国家”と呼ばれるように、ミャンマー自体に内在するもののせいなのか。
また次回の旅行で確認してみたいと思います。 -
最後に、現在連邦議会の補欠選挙に立候補しているアウンサンスーチーを“最後の女神”に見立てて、この国の民主的改革が進み、経済が発展して人々が本当の笑顔で暮らしていけるようになることを願ってこの歌を・・・。
いちばん最後に 見た夢だけを
人は 覚えているのだろう
幼い日に見た夢を 思い出してみないか
・・・
ああ あれは 壊れたオモチャ
いつも いつも 好きだったのに
僕には 直せなかった
夢の中で 今も泣いてる
言葉にならない SOSの波
受け止めてくれる人がいるだろうか
ああ あれは 最後の女神
まぎれもなく 君を待ってる
ああ たとえ 最後のロケットが
君を残し 地球を捨てても
心は変わる 誰もが変わる
変わりゆけ 変わりゆけ もっと好きになれ
・・・
(ミャンマー紀行−終わり−)
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この旅行記へのコメント (14)
-
- 備前屋ねこさん 2014/01/19 22:40:06
- スーレーパヤーの怪しいミャンマー人
- エンリケさん、旅行記にご訪問&ご投票いただいてありがとうございます。
スーレーパヤーに入った所で「日本語を勉強したい」と言ってきたミャンマー人に私も遭遇しました。
私の時は日本語は話していなかったので同じ人じゃないのかもしれませんがエンリケさんの書いていた「日本の若者のようなぼさぼさ頭で、肌の色が濃いことを除けば日本人によく似たちょっと好感のもてそうなタイプ」、そう、まさにそんな感じの人でした!
他のミャンマー人ではあまり見かけないようなちょっと垢抜け感があって好感持てそうな風貌ではありましたが「日本語を勉強したい」といきなり言って近づいてくる人にロクなのはなさそうな気がして「ついて来ないで〜」と言いながら避けまくりつつも、ちょっとだけ罪悪感も感じてしまいましたがやっぱり避けて正解だったんですね。
後になってガイド料を請求してくるつもりかと思ったけれど、エンリケさんの話を読んでいるとそれよりも少々悪質な感じがしますね。
お店の人がグルではなかったようで良かったですね。
私の知人もヤンゴンに行って知り合ったミャンマー人にカメラを盗まれたそうで、ミャンマー人は全体的に穏やかで親切だとは思いましたが中にはそういった悪い人もいるのでやはりどんな場所でも気は抜けませんねぇ。
どうしても気が抜けてしまうときもあるので、そんな時はそういう話を思い出して気を引き締めたいと思います。
備前屋ねこ
- エンリケさん からの返信 2014/01/25 19:17:00
- 備前屋ねこさんも会いましたか・・・。
- 備前屋ねこさん
こんばんは。こちらこそご訪問ありがとうございます。
備前屋ねこさんのミャンマー旅行記、わたしの行けなかったスポットが満載で、たいへん興味深く拝見しております。
> スーレーパヤーに入った所で「日本語を勉強したい」と言ってきたミャンマー人に私も遭遇しました。
備前屋ねこさんも会いましたか・・・。
おそらく同一人物の可能性大ですね。
日本語はしゃべらなかったとのことですが、日本人に研究されてきたので手口を変えてきてるんですかね。
ミャンマーはガイドブックや他の方の旅行記を見ると、現地の人々の優しさばかりがクローズアップされていて、時折現れるこういう輩にうっかりダマされてしまいがちになってしまいますので、注意していかないといけないですよね。
ひとつのスポットでもこういうことがあると、旅行全体の思い出が悪いものになってしまいますから・・・。
わたしの場合、東南アジアはこんなぼったくりに遭遇したりと全体的にいい思い出がないので、いつかリベンジしたいものですね。
備前屋ねこさんのミャンマー旅行記、続きもまた拝見させていただきます!
-
- まーきゅりーさん 2012/06/08 14:49:44
- 遥かなるミャンマー
- ミャンマーってどんな国?という想いから旅行記を拝見させていただきました
軍事政権、アウンサンスーチーぐらいしか思い浮かばない私ですが、エンリケさんの豊富な知識に基づいたコメントから、ミャンマーの現状を垣間見ることが出来ました
エンリケさんの行動力と語学力で周られたミャンマーの旅だと思います
拝見させていただいて、うまく言えませんが色々な思いが、交錯して考えさせられました
エンリケさんには、今後教えて頂きたいこともありますので、宜しくお願いいたします
まーきゅりー
- エンリケさん からの返信 2012/06/13 22:16:46
- ミャンマー旅行記読んでいただきありがとうございました!
- まーきゅりーさん
こんばんは。ミャンマー旅行記、全部読んでいただきどうもありがとうございました!
わたしは昨年、“笑顔が優しく仏教への信仰が篤い国”という他のトラベラーの方がよく言っているフレーズに魅かれてミャンマーへ行ったわけですが、そこで見た現実は、もちろんそんなフレーズが似合う人もいましたが、それよりも政治のひどさからくる人々の暮らしの貧困ぶりの方が強烈に目に焼きつき、一時はもう海外旅行をするのをやめようかと思うほど落ち込んだこともありました。
もちろん、ミャンマーを旅した人の中にはミャンマーに対して好印象をもっている人も少なくないので、わたしの見方は一面的なものに過ぎないのかもしれません。
それでも、世界にはこんな国もあるんだと、わたしの旅行記を通じて考えてくれる人が増えるのはとてもうれしいことですね。
まーきゅりーさんのコメント、本当にありがたかったです。
ミャンマーの政治や経済の改革はいまだ道半ばですが、これからも世界経済の一員となれるよう、いい方向に進んでいってもらいたいものです。
-
- mariusさん 2012/04/22 09:52:44
- 楽しく拝見させて頂きました
- エンリケさん
ミャンマー旅行記を興味深く、そして楽しく拝見しました。昨年、バンコク、チェン
マイ、シェムリアップを訪ね俄仏教系遺跡ファンになり次はバガンかボロブドールにす
るか考えていましたが、心はバガンで決定しました。
仕方ないと諦めたら何も変わらないですが観光客からは少しでも高くふんだくってや
ろうみたいなところが何度も見えると私も気落ちしてしまいます。いろいろ参考にな
りました。
marius
- エンリケさん からの返信 2012/04/22 22:18:59
- ご訪問ありがとうございます。
- mariusさん
こんばんは。ミャンマー旅行記にご訪問ありがとうございます。
バガンは欧米のバックパッカーの最後の楽園みたいなところがあって、自分なりのペースでのんびり過ごせると思います。
たくさんある赤レンガのパゴダを、馬車で巡るもよし、レンタサイクルで巡るもよし、それぞれ趣のある風景が見られるのではないかと。
ただ、わたしも旅行記の中で書いたように、田舎だから穏やかで優しい人ばかりと思っていると、ときどきぼったくりに遭遇しますので、十分気をつけてください。
日本の物価と比較すると大した被害ではないですが、やはりダマされたという精神的ダメージが残り、楽しい思い出が傷ついてしまいますから。
mariusさんがいつかバガンを楽しく旅行されることを、そして素晴らしい旅行記を残されることを期待してます!
-
- しょーきちさん 2012/03/10 00:47:12
- 青空と黄金の寺院、バッチリですね
- エンリケさま
しょーきちです。
ミャンマー旅行記楽しませていただきました。
ポツダムのサンスーシと違って、本物の黄金と青空、素敵ですね。
シュエダゴォン・パヤーは黄金の寺院の建物だけでなく、フロアも鮮やかできれいですね。
ミャンマーの道は車道は広そうですが、歩道はとても歩道とはいい難いですね。
エンリケさま
機内食で飲み物が1杯だけだったと嘆いてはいけませんよ!
オーランド旅行記で書きましたが、
私はJAL成田発シカゴ行で食事時の飲み物サービス無しでしたから・・
たまたまのことだったとは思いますが・・・
- エンリケさん からの返信 2012/03/11 23:19:31
- いつもご訪問ありがとうございます!
- しょーきちさん
こんばんは。ミャンマー旅行記、読んでいただきありがとうございます!
シュエダゴォン・パヤー、確かにパゴダだけでなくフロアもピカピカで、それだけ見るととても美しく見えるのですが、ぼろぼろの街並みとのミスマッチがどうもわたしには気持ち悪く、ヤンゴンの街全体では評価が下がってしまったところです・・・。
旅先の評価は人それぞれですが、ミャンマーという国はわたしにとっては相性が悪かったようです・・・。
しょーきちさんは2月にオーランドに出張だったんですね!
でも、シカゴ行きのJAL便でそのようなことがあったんですか・・・。
わたしもこの2月にJALの台北便に乗ったのですが、行き帰りともサービスについては機内食含め大満足の内容でした。
わたしはJALの米国行きの便には乗ったことがないのですが、サービスが悪いと評判の米国の航空会社にあわせて経費節減のためサービスの質を下げているのでしょうかね??
やっぱり飛行機の良し悪しもその旅の思い出に大きく関わってきますからいい空の旅を楽しみたいですよね〜。
しょーきちさんのオーランド旅行記、美しい写真が多くてこれまた大作になってますね!
とてもすぐには読み切れないのでじっくり読ませていただきます!
-
- liberty-libertyさん 2012/03/07 00:56:09
- 勉強になります!
- こんにちは♪
遅ればせながらようやく最終章読ませて頂きました。
実は私、今年のGWにバリ島へ行くつもりで
今、色々手配中、&情報収集中なんですが
ガイドブックや色んな人の旅行記に
「詐欺に注意!」と書かれていて
でも、まぁ怪しげな場所にさえ行かなければ大丈夫だろうと
今まであまり真剣に考えていませんでしたが・・・・・
国は違えど同じ東南アジア
こんなに分かりづらい方法で
いかにもいい人ぶって近づいて来られるなんて(>_<)
私だったらあっけなくひっかかって
有り金全部巻き上げられているのかも・・・・・。
日本が安全すぎて
海外旅行初心者にはこうした犯罪をどう警戒したらよいか
不安なところもありますが
とりあえず
初心者のうちは
親しげに話しかけてくる現地の人に近づかない
それを肝に銘じておこうと思いました。
ミャンマーという国の良いところも悪いところも
すごく冷静に丁寧に紹介していただいて
本当に色々勉強になる旅行記でした。
次回はどちらへ行かれるのでしょう。
新作もお待ちしています(^o^)/
- エンリケさん からの返信 2012/03/11 22:16:50
- 最後まで読んでいただきありがとうございます!
- liberty-libertyさん
こんばんは。ミャンマー旅行記、最後まで読んでいただきありがとうございます!
GWにバリ島に行かれるんですか?楽しみですね!
しかし、やはり日本人は外国では金持ちと思われていますから、海外旅行では注意しなければなりません。
ヨーロッパであれば、気を付けるのはスリぐらいでいいのですが(スペインでは強盗やひったくりにも注意)、東南アジアではスリよりも親切を装って近づいて来る輩が多いので要注意ですね。
怪しげな場所に行かなくても、普通に路上で声をかけてきますから気を付けてください。
英語もそうですが、特に日本語で声をかけられると気を許してしまいがちです。
でも、英語や日本語が公用語でもないのにそういう語学が達者な輩は99%怪しいと考えた方がよいです。
欧米諸国から経済制裁を受け、観光客の少ないミャンマーでさえそういう輩がいますので、金持ち観光客がたくさん訪れる東南アジアのほかの国ではもっと多いのだと思います。
気を付けて楽しい旅行の準備をなさってください!
旅行記、楽しみにしています!
-
- 川岸 町子さん 2012/02/27 23:19:23
- 無事に、おかえりなさい
- エンリケさん
大変な思いをされたのに、それをよく伝えて下さいましたね。
きっと、ご自分と同じ目にあわないようにとの、お気持ちからではないでしょうか。
精神的なダメージはあっても、お身体は無事で本当に良かった、良かった!
読んでいて、お店の人達がちゃんと判断してくれ、被害がなかった事に、ホッとしました。
何よりもそんな状況なのに、挨拶をして別れるところが、エンリケさんのお人柄が表れていると感じました。
私は若い頃、モロッコを旅した後、モロッコからスペインへ船で渡りました。
その時一緒だった日本人達は、全員モロッコで何らかの被害にあっていました。
3人グループからは、恐怖体験を聞かされ・・・。
私も、モロッコにあまりなじめず、もしそのグループと一緒に行動していたら、同じ目にあっていたと思います。
旅先では、ちょっとしたタイミングで何かが起こるんですよね、良いことも悪い事も。
アドバイス、ありがとうございます。
ミャンマーへ行く時は、必ずエンリケさんのお話を思い出しますね。
川岸 町子
- エンリケさん からの返信 2012/02/28 20:44:40
- 最後まで読んでくださってありがとうございます!
- 川岸 町子さん
こんばんは。ミャンマー旅行記、最後まで読んでくださってありがとうございます。
日本語ペラペラ男の事件のことは書くかどうか迷いましたが、自分自身への戒めとこれからミャンマーを訪問する方々への注意喚起の意味もこめて、起こったとおり書くことにしました。
本当にミャンマーはスリやひったくりの気配がなく、治安が良くて油断してしまうので、たまに起こるこういった事件を掲載することで、今後の被害を防止して、旅行される方のいい思い出づくりに貢献できればと考えています。
どんなにいい景色を見ても、こういう事件が起こるといい思い出が台無しになってしまいますものね。
・・・モロッコもそういう話、よく聞きますよね。
はるか西のマグリブの国、ということで、エキゾチックでいつか行ってみたいと思っているのですが、いろいろ情報収集して気をつけたいと思います。
さて、次の旅行先はどこになるのやら(笑)。
-
- ガブリエラさん 2012/02/26 20:49:43
- プンプン(>_<)ですね〜!!!
- エンリケさん☆
こんばんは♪
旅行記を拝見して、ポチッとしたら、出かける時間になってしまい、書き込みだけ遅くなりました(^_^;)
せっかくの楽しい旅行で、親切な人のふりをして、だまそうとする人、これは許せませんね<`ヘ´>
楽しい旅行も、一人の変な奴のおかげで、テンション下がっちゃいますよね・・・。
でも、お店の人がきちんと対応してくれたのが、まだエンリケさんのミャンマーのイメージをマシにしてくれたのでは(*^_^*)
パゴダ、とってもキラキラしてて、夜だとますます綺麗ですね♪
なにはともあれ、エンリケさんがご無事でよかったですヽ(^o^)丿
ガブ(^_^)v
- エンリケさん からの返信 2012/02/26 21:58:20
- 最後までお付き合いいただきましてありがとうございます!
- ガブリエラさん
こんばんは。いつもご訪問ありがとうございます。
ミャンマー旅行記、最後まで読んでいただきありがとうございます!
ミャンマー、バガンのようにサバンナの中にレンガのパゴダ群が林立する素晴らしい景色があったり穏やかな優しい人々がいたりする一方で、ヤンゴンのような都市部は街並みがぼろぼろで金持ち外国人をだまそうとする輩がいたりと、本当にカオスを感じさせる国でした。
訪れる人によっても評価が分かれるところだと思います。
個人的には、今まで訪れた国の中で最低ランクの評価をつけざるをえないのですが、国の豊かさや政治のありようについて考えるきっかけになりましたね。
そういう意味で、今回のミャンマー旅行はわたしの中で意義があったと思っています。
次回の旅はもっと純粋に楽しいものにしたいですけどね(笑)。
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