2011/11/14 - 2011/11/14
649位(同エリア2802件中)
みにくまさん
欧州旅行31日目は、フランクフルトの街歩きに出かけました。
レーマー広場の西側に面した切妻屋根の美しい3軒の建物を見つけ、これが旧市庁舎だということが分かりました。
調べてみると、この中には「皇帝の間」という綺麗な部屋があるとか。
わくわくしながら入口を探しましたが・・・↓
■■□□■■ ヨーロッパ旅行 2011 〜ダイジェスト版〜 ■■□□■■
http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10611562/
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Roemer (旧市庁舎レーマー)
15世紀に建造された3つの切り妻屋根が特徴的な建物。
かつてイタリア商人の住居であったことから「レーマー」と呼ばれている。
歴代の神聖ローマ皇帝が戴冠の祝宴を行った「皇帝の間」には、52人の皇帝の肖像画が飾られているので必見。
フランクフルトのシンボル的な存在でもあり、2006年サッカーW杯で準優勝したドイツ代表の選手たちがここのベランダで市民の歓迎を受けたことでも知られている。 -
Roemer (旧市庁舎レーマー)
さて、旧市庁舎レーマーはすぐに見つかったのですが、「皇帝の間」にはどうやって行ったらいいのかよく分からない。
とりあえず建物の中から入口が開いているところを探して入ってみましたが、よく分からないことを言われて追い返されてしまう。
どうやら入口はここではないようです。 -
Roemer (旧市庁舎レーマー)
紋章 -
Roemer (旧市庁舎レーマー)
入口に飾られた銅像 -
Roemer (旧市庁舎レーマー)
非常に重厚感のあるドアの取っ手。 -
Roemer (旧市庁舎レーマー)
建物の中に入ることができたのですが、どうやら全然違う場所に迷い込んでしまったみたい。。 -
Roemer (旧市庁舎レーマー)
ここはちょっと変わった雰囲気の図書館でした(^_^;)
日本のコミックもたくさん並んでいました。
しかしここは入口が違うみたいなので、引き返すことに・・・。 -
Roemer (旧市庁舎レーマー)
仕方がないので、近くにいる人に聞いてみると、何となく建物をぐるっと回って裏側に行けみたいなことを言われました。
そしたら横の方に、こんな入口が。
黄色い看板には何となく皇帝の間と書いてある気がします。 -
Roemer (旧市庁舎レーマー)
先ほどの入口を入ると中庭があり、周囲を建物が囲んでいるのですが、皇帝の間への入口が非常に分かりにくいです。
写真をよく見ると、左下のところに小さい看板があり、”Kaisersaal=カイザーザール”皇帝の間と書かれているのですが、もっと分かりやすく大きく書いてほしいです。
(あらゆる意味で不親切なのは、ここに限ったことではないが・・)
しかも入口横には拝観チケットを買うための自販機があったらしいのですが、それにも気づかずに建物の中に入りました。 -
Roemer (旧市庁舎レーマー)
建物1階
とりあえず無事旧市庁舎の中に入れました。
この部屋をうろうろしている時に、係員の方が近づいてきて、入場料を払うように言われました。
料金はたしか1人2ユーロ(210円)でした。 -
Roemer (旧市庁舎レーマー)
建物の壁に飾られていた絵(タペストリ?) -
Roemer (旧市庁舎レーマー)
★ トップ写真 ★
建物2階に来たらありました。
この部屋が「Kaisersaal 皇帝の間」です。
等身大のローマ帝国皇帝写真がズラッと並んでいて壮観です。 -
Roemer (旧市庁舎レーマー)
◎ Kaisersaal 皇帝の間 -
Roemer (旧市庁舎レーマー)
◎ Kaisersaal 皇帝の間 -
Roemer (旧市庁舎レーマー)
◎ Kaisersaal 皇帝の間 -
Roemer (旧市庁舎レーマー)
◎ Kaisersaal 皇帝の間 -
Roemer (旧市庁舎レーマー)
◎ Kaisersaal 皇帝の間 -
Roemer (旧市庁舎レーマー)
◎ Kaisersaal 皇帝の間 -
Roemer (旧市庁舎レーマー)
◎ Kaisersaal 皇帝の間
ここには52人の皇帝の肖像画が飾られているので、全てを撮影したら大変なことに。
そこで、ほんの一部だけ選抜してみました。
選別基準は、あくまで私の好みです(*^_^*) -
Roemer (旧市庁舎レーマー)
◎ フランツ2世(神聖ローマ皇帝) Franz II
1792−1806
最後の神聖ローマ皇帝(在位:1792年 - 1806年)であり、最初のオーストリア皇帝フランツ1世(在位:1804年 - 1835年)である。父は神聖ローマ皇帝レオポルト2世。母はスペイン国王カルロス3世の娘マリア・ルドヴィカ。父方の叔母にマリー・アントワネットがいる。 -
Roemer (旧市庁舎レーマー)
◎ ルートヴィヒ4世(神聖ローマ皇帝) Ludwig IV der Bayern
1314−1347
バイエルンのヴィッテルスバッハ家の出身の神聖ローマ皇帝で、上バイエルン公兼ライン宮中伯ルートヴィヒ2世とドイツ王ルドルフ1世の娘マティルダの次男。上バイエルン公兼ライン宮中伯ルドルフ1世の弟。
上バイエルン公(在位:1294年 - 1347年)、神聖ローマ皇帝(在位:1314年 - 1347年)。ライン宮中伯(在位:1319年 - 1329年)、ブランデンブルク辺境伯(在位:1320年 - 1323年)、下バイエルン公(在位:1340年 - 1347年)、ホラント伯、エノー伯、ゼーラント伯(在位:1345年 - 1347年)も兼ねていた。 -
Roemer (旧市庁舎レーマー)
◎ フリードリヒ3世(ドイツ王) Friedrich III
1314−1330
ハプスブルク家のオーストリア公(フリードリヒ1世)、ローマ王(ドイツ王、対立王)。フリードリヒ美王(Friedrich der Schöne)と呼ばれる。神聖ローマ皇帝(ドイツ王)アルブレヒト1世と王妃エリーザベト・フォン・ケルンテンの次男。オーストリア公ルドルフ3世の弟、レオポルト1世、アルブレヒト2世、オットーの兄。
1313年にルクセンブルク家のハインリヒ7世が死んだ後、ヴィッテルスバッハ家のルートヴィヒ4世と皇帝位を争ったが、選挙でルートヴィヒ4世に敗れた。その後数年間、弟レオポルトの助けを得てルートヴィヒ4世と戦い、勝利を目前としたが、1322年9月、ミュールドルフ近辺の戦いで大敗し、多くの貴族と共に捕虜となった。1325年まで捕囚の身だったが、妥協が成立し、ルートヴィヒ4世が神聖ローマ皇帝およびイタリア王としてイタリアを治め、フリードリヒ3世がドイツ王としてドイツを治めることになった。
1330年にフリードリヒが死去した後は、ルートヴィヒ4世の単独統治となった。以後、1438年に弟アルブレヒトの曾孫アルブレヒト5世がドイツ王に選出されるまで100年余りの間、ハプスブルク家は皇帝位から遠ざかることになった。 -
Roemer (旧市庁舎レーマー)
◎ ヴェンツェル(神聖ローマ皇帝) Wenzel
1376−1400
ルクセンブルク家の神聖ローマ皇帝(ドイツ王、在位:1376年 - 1400年)、ボヘミア国王(在位:1378年 - 1419年)、ブランデンブルク選帝侯(在位:1373年 - 1378年)、ルクセンブルク公(在位:1383年 - 1419年)。ボヘミア王としてはヴァーツラフ4世(チェコ語:Václav IV)、ルクセンブルク公としてはヴェンツェル2世またはヴェンセラス2世(仏:Venceslas II)。皇帝カール4世の次男(生存した中では長男)、母はその3番目の妻でシフィドニツァ公ヘンリク2世の娘であるアンナ。
ヴェンツェルはドイツよりボヘミアの統治に力を入れ、ローマ教皇の指名においてフランス王シャルル6世に対して弱腰だった事、イタリア僭主の1人・ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティをミラノ公に叙爵した事にドイツ諸侯は不満を抱き、1400年にプファルツ選帝侯ループレヒト3世を新たな皇帝に選んだ。
皇帝を廃位された後も、ボヘミア王としてヤン・フスとその支持者を保護したが、1415年にフスが処刑されると、ボヘミアはフス戦争へと突入していく。
1370年にバイエルン公アルブレヒト1世(皇帝ルートヴィヒ4世の5男)の娘ヨハンナ(1362年頃 - 1386年)と結婚し、死別後1389年にヨハンナの従兄バイエルン=ミュンヘン公ヨハン2世(アルブレヒト1世の甥)の娘ゾフィー(1376年 - 1425年)と再婚した。いずれの結婚でも子が得られず、ヴェンツェルの死後は異母弟ジギスムントが相続人となった。 -
Roemer (旧市庁舎レーマー)
◎ カール5世(神聖ローマ皇帝) Karl V
1519−1556
ハプスブルク家出身のスペイン国王(在位:1516年 - 1556年)、神聖ローマ皇帝(在位:1519年 - 1556年)。
スペイン王としてはカルロス1世(Carlos I)と呼ばれる。宗教改革期の動乱やオスマン帝国の圧迫といった困難な時代にあっても、当時のヨーロッパから新大陸に広がる広大な領土をたくみに統治した有能な君主であったが、晩年は長年の痛風と相次ぐ戦争に疲れて自ら退位し、修道院に隠棲した。 -
Roemer (旧市庁舎レーマー)
◎ マクシミリアン2世(神聖ローマ皇帝) Maximilian II
1564−1576
神聖ローマ皇帝(在位:1564年 - 1576年)、ボヘミア王(在位:1562年 - 1575年)、ハンガリー王(在位:1563年 - 1572年)。フェルディナント1世と皇后アンナの息子。
マクシミリアン2世は宗教改革における争いでルター派に共感を抱いていたが、父が廃嫡を仄めかしてそれを禁じたため、カトリックに留まり、プロテスタント派の諸侯を失望させた。
皇帝になった後、マクシミリアン2世はプロテスタント派に宗教の自由を認め、同時にカトリックを改革しようとしたが、スペインの反対により失敗した。ハンガリーにおいてはオスマン帝国の駆逐に失敗し、スルタンにキリスト教徒に対する保護金を払い続けていた。
1570年には軍の実権を握ろうとしたが、これを警戒するプロテスタント諸侯の反対で失敗した。同年、ハンガリーの対立王ヤーノシュ・ジグモンドが王位請求を放棄、マクシミリアン2世の王位を認めた。これと引き換えにヤーノシュ・ジグモンドをトランシルヴァニア公とした。
1573年に一旦ポーランド王に選出されたが、これを実効支配することはできなかった(ポーランド王位は宿敵ヴァロワ家のアンリ3世に奪われる)。 -
Roemer (旧市庁舎レーマー)
◎ コンラート3世(神聖ローマ皇帝) Konrad III
1138−1152
ホーエンシュタウフェン朝の神聖ローマ帝国初代君主(ドイツ王、在位:1138年 - 1152年)。シュヴァーベン大公フリードリヒ1世と皇帝ハインリヒ4世の長女アグネスの間に次男として生まれた。シュヴァーベン大公フリードリヒ2世の弟、オーストリア辺境伯兼バイエルン公ハインリヒ2世、レオポルト4世の異父兄に当たる。
1125年にザクセン公ロタールがドイツ王ロタール3世に選出されるとこれを認めず、兄と共に反乱を起こし、1127年に対立王に選出されたが、1135年に和睦、王位を放棄した。1137年にロタール3世が死去、ロタール3世には継嗣が無かったため、選帝侯達は次の皇帝を選出するため、コブレンツにて1138年3月7日、皇帝の選挙を行なった。ロタール3世は自分の後継者に婿でヴェルフ家のバイエルン公兼ザクセン公ハインリヒ10世を望んでいたが、投票ではホーエンシュタウフェン家のコンラート3世が最多票を得て新たな君主として選出された。選帝侯達は強力な皇帝の出現を望んでいなかったため、当時は弱小勢力に過ぎなかったコンラート3世を選んだのである。
即位後はハインリヒ10世を捕縛、公位を没収してザクセンをバレンシュテット伯アルブレヒト熊公、バイエルンを異父弟のオーストリア辺境伯レオポルト4世に与えた。コンラート3世はローマ教皇から戴冠を受けられず、正式な皇帝に即位することなく終わっている。
1147年、教皇エウゲニウス3世の呼びかけに応じて第2回十字軍に参加し、ダマスカスを包囲したが、イスラム軍との戦いに敗れて命からがら撤退している。また、ハインリヒ10世の子・ハインリヒ獅子公とも皇帝の地位をめぐって争うなど、その治世は多難を極めた。しかしコンラート3世は皇帝権力の強化、ホーエンシュタウフェン家の領土拡大に成功を収め、巧みな外交戦略をもってドイツ諸侯と提携を図るなどしている。
1152年、病に倒れて死を悟ったコンラート3世は、甥のフリードリヒ1世(バルバロッサ)を後継者として指名し、間もなく世を去った。コンラート3世には父より先立った長男ハインリヒ5世と次男フリードリヒ4世がいたが、甥のフリードリヒ1世の能力を高く評価していたため、あえて後継者として指名したである。 -
Roemer (旧市庁舎レーマー)
◎ カール大帝(フランク王)Charles the Great(英)
768−814
フランク王国の国王(在位:768年 - 814年)。カロリング朝を開いたピピン3世(小ピピン、714年 - 768年9月28日)の子で、カール1世ともいう。768年に弟のカールマンとの共同統治(分国統治)として彼の治世は始まったが、カールマンが771年に早逝したため、以後43年間、単独の国王として長く君臨した。
800年には西ローマ皇帝(皇帝在位:800年 - 814年)を称したが、東ローマ帝国はカールのローマ皇帝位を承認せず、僭称とみなした。
日本ではドイツ語風にカール大帝と呼ぶことが一般的であるが、フランス語風にシャルルマーニュと呼ぶことも多い。これは、カールが後にフランク王国から分かれた神聖ローマ帝国およびフランス王国の歴史において重要視されており、ドイツ史とフランス史の中で共に偉大な国王とみなされているからである。また、古典ローマ、キリスト教、ゲルマン文化の融合を体現した人物として評価されている。
◎ おしまい
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