2010/12/02 - 2010/12/15
32位(同エリア43件中)
taroukbさん
- taroukbさんTOP
- 旅行記92冊
- クチコミ56件
- Q&A回答72件
- 107,964アクセス
- フォロワー34人
謎の石壷群とモン族の村々を訪問したくて
さらに何回かラオスを訪れている内に大好きに
なったラオスの人々との交流が持てたら良いなと・・
そしてBEER LAO片手に年輩もなくバンビエンと
遷都400年を迎えたビエンチャンを訪れました
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 自転車 タクシー 飛行機
- 航空会社
- タイ国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
BKKから取り敢えずビエンチャンに入りました
BUSはきついので週3便飛んでいるラオス航空で
シェンクワン空港へ向かいます -
到着した空港ビル?
まるで掘立小屋(失礼)
週3往復しかないので無理ないか・・・ -
国内線なのに小さなPPTコントロールが
あり名前を記録されます -
空港からボーンサワンの村迄トウクトウクで
20分今回の宿ワンサナホテルに到着です。
NETで一泊25$でした。ここで4泊しました。 -
ボーンサワンのメイン通。フランス植民地時代の
面影が残ります。人通や車は殆どありません。 -
車を一日チャーターして取り敢えずメインの
石壷群へ
広大な平原の中石壷が散在します
何のため作られたのか今でもはっきり
していないそうです。
棺桶説・米壷説・酒または水瓶説・・・ -
興味深い蓋のある石壷・・
-
石壷群は大きな処で3か所、他にも数多く存在
しているとの事 -
ジャ―ル平原に今も残されたベトナム戦争時の
アメリカ軍によるボムクレーター
傍に立つ人と比べるとその巨大さが・・・ -
道には今も残された不発弾危険のプレートが
赤の側は危険白い側を歩いて行く -
ボーンサワンから車で40分ムァンクーンの村へ
米軍の爆撃で屋根や側壁が破壊された
ワットピアワット -
爆弾の破片で大仏の目も抉られていて・・・
-
傍にはフランス統治時代の病院の建物も
無残に破壊されて残っている -
昼食に食べた揚げ春巻き
一人寂しくビアラオで・・・ -
さらに車で40分ベトナム戦争時の悲劇の洞窟が
あるムァンカムへ
1968年11月24日タムピウの洞窟に逃げ込んだ
女性や子供達が中心の374人が潜む中に
ロケット弾が撃ち込まれ一瞬にして・・・ -
悲劇の洞窟内から外の景色を見る
-
洞窟内は当時のまま保存されている
-
洞窟の入り口
-
悲劇を伝える小さな博物館が建てられている
-
案内を頼んだドライバーとガイド
-
シェーンクワンから再びビエンチャンへ
バトウサイを見ながらタラートサオ
バスターミナルへ -
韓国製のオンボロバスにてバンビエンへ
向かいます
悪路を訳時間かけてバンビエンへ
途中のトイレストップは野原の中 -
バンビエンの街は混沌
-
宿泊したタボンスックリゾート
一泊30$
ナムソン川に面した山小屋風のホテルです -
ホテルから綺麗な夕陽が望めます
-
ラオスの桂林と呼ばれる山並み
-
ベトナム戦争時の米軍の飛行場跡が
今でも村に隣接して残されています -
チュービングの川下りが人気で
欧米の若者達が押し寄せ夜は
バンコクのカオサンと化しています -
村の周囲には多くの洞窟があり
自転車でのんびり回る事が出来ました -
ナムソン川ではファランが水遊び
-
昼間は眠った様なバンビエンのメイン通り
-
のんびり川沿いのハンモックで読書
-
4日間の滞在を終え再びビエンチャンの
バスターミナルへ帰って来ました -
メコンに沈む夕日を見ながら・・・
-
川沿いは区画整理の為すっかり寂しくなった
屋台街で・・・ -
一人寂しくビアラオで夕食です
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
36