2010/10/06 - 2010/10/10
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2010/10/02~2010/10/11にてポーランドを訪問してきました。撮った写真が800枚を超えたため、各訪問地ごとに旅行記を起こしたいと思います。こちらは旅行記5(ワルシャワ)となります。ポーランドはショパン生誕の地で、偶然にも訪問した2010年はショパン生誕200周年の年でした。出国前に参加した旅博(www.tabihaku.jp/)でショパンの足跡をたどるデジタルオーディオガイドを入手しましたので、こちらを活用しながらワルシャワ散策をしました。
写真はショパンの心臓が眠る正十字架教会内部と柱(右側です)
-訪葡旅行記2010(1.クラクフ~”シンドラーのリスト”と古都~)
-訪葡旅行記2010(2.オシフェンチム~アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所(アウシュビッツ編)~)
-訪葡旅行記2010(3.オシフェンチム~アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所(ビルケナウ編)~)
-訪葡旅行記2010(4.ヴィエリチカ)
-訪葡旅行記2010(5.ワルシャワ1~ショパン生誕200周年記念~)
-訪葡旅行記2010(6.ルブリン~マイダネク強制収容所~)
-訪葡旅行記2010(7.トルン)
-訪葡旅行記2010(8.ワルシャワ2~街の風景とオマケ~)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 4.0
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- LOTポーランド航空 アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
クラクフから電車に揺られること約2時間半。首都ワルシャワにやってまいりました。
地球の歩き方のワルシャワの地図がだいぶ荒く、早速現地のインフォメーションにて地図をゲットすることに。地球の歩き方にはワルシャワ中央駅の地上2階当たりにインフォメーションがあると言うことなのですが、それらしき建物は工事中のようなのですが・・・・・ -
15分近く歩き回って分かったのですが、駅全体が地上階位以上を全面改修中で入れなくなっているようです。
聞いてないよ。トホホ・・・。 -
とりあえずホテルに。今回は奮発してインターコンチネンタルです。ワルシャワ中央駅から徒歩10分くらいです。
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ちなみにワルシャワ中央駅内にあるはずだったインフォメーションは文化宮殿の近くにありました。
-
それではショパンをめぐるツアースタートです。
1.サスキ公園噴水前
ショパンはパリ出身と思われている方が多いようなのですが、ショパンの出身地はここワルシャワなのです。ショパンは近くの町で生まれ、生後7ヶ月でワルシャワに引っ越し、亡命までの青春時代をここで過ごしました。 -
1.サスキ公園
ショパンは1810年、フランス人の父とポーランド人の母との間で生まれました。出生はポーランド(当時のポーランド、ワルシャワ公国)の中央に位置するジェラゾヴァ・ヴォラという地で生まれ、7歳のときにワルシャワに引っ越してきました。 -
1.サスキ公園
サスキ公園は1727年にできた、ワルシャワで最も古い公園です。
サスキ公園は18世紀当時、一般にも公開された宮廷公園でした。(一般公開と言っても身なりの悪い人は入園を禁止されたそうです。)
当時のサスキ公園では若者たちや上流階級の人たちが散歩や休息、社交の場となっていました。
ショパンは子供の頃、ここでよく遊んでいました。 -
2.サスキ宮殿
サスキ宮殿は18世紀当時のポーランド王の住まいでした。パリのベルサイユ宮殿を参考に当時は非常に大規模な建物が建っていたそうです。
時代時代で様々な用途に用いられ、第1次大戦と第2次大戦ではポーランド軍の参謀本部が置かれていました。 -
2.サスキ宮殿
第2次大戦末期に起こしたワルシャワ蜂起が失敗に終わり、ナチス・ドイツにサスキ宮殿は破壊されてしまいました。現在残っているのは一部分のみです。 -
2.サスキ宮殿
その現在残っている一部分がここ、無名戦士の墓です。この墓は、ポーランド軍兵士が国を守るために戦った、その命がけの戦いのシンボルとなっています。中央に瓶があり、中にはポーランド兵士の遺骨や、外国で戦って戦死した戦場から運び込まれた土が入っています。
ここでは国の重要な行事が行われます。 -
2.サスキ宮殿
無名戦士の墓は24時間衛兵に守られ、永遠の炎がシンボルとして灯されています。 -
2.サスキ宮殿
話がそれましたが、ショパン一家は当時このサスキ宮殿に住んでいました。
ショパンの父はフランス人でポーランドでフランス語教師をしていました。当時、サスキ宮殿内の一部を高等学校とし、同様にサスキ宮殿内に住居が提供されました。 -
3.カジミエシュ宮殿
カジミエシュ宮殿は現在のポーランド大学の敷地内にあります。父が勤めていた高等学校がこちらに移ったため、ショパンの住まいもこちらに移ってきました。 -
4.チャプスキ宮殿
現在のワルシャワ美術大学。
ワルシャワの最後の住居。
カジミエシュ宮殿内の住居が他の用途に用いられることになったため、こちらに引っ越してきました。
ショパンはここで始めて自分の個室を持ちました。 -
5.ヴィジトキ教会
この教会は第2次大戦の戦火を免れた数少ない教会です。
当時、毎日曜日に高等学校のためのミサが開かれていましたが、ショパンはここでオルガンを弾いていました。
尚、この教会にはショパンの弾いたオルガンが残されており、今でもミサの際に弾かれているそうです。 -
6.ラジヴィウ宮殿
現在のポーランド大統領府で、ショパンが8歳の時に始めての公開演奏会を開いた場所です。 -
7.コンセルバトリウム跡
1819年〜1831年頃まで、コンセルバトリウムという音楽学校がありました。当時ワルシャワ大学と共同で運営されており、実技のレッスンが主に行われ、その他の授業は大学で行われていました。ショパンも1822年〜1829年まで学んでいました。 -
8.Miodowa通りのカフェ「ホノラートカ」
ショパンの時代、この通りにはたくさんのカフェがありました。
当時カフェは社交の場として非常に重要でした。
建物は第2次大戦の爆撃で破壊されてしまいましたが、カフェ「ホノラートカ」は当時からあったカフェで、現在レストランになっています。 -
8.Miodowa通りのカフェ「ホノラートカ」
当時はカフェによって客層が異なっていました。当時のポーランドはロシア配下にありましたので、客層は異なるものの、どのカフェでも話題は反ロシアで盛り上がっていたそうです。 -
8.Miodowa通りのカフェ「ホノラートカ」
ショパンは病弱でしたがカフェにはよく顔を出していました。
病弱の癖にカーニバルの際は深夜2時まで遊んでいたという・・・・。 -
9.クラシエンスキ広場
現在ワルシャワ蜂起の記念碑と最高裁判所が立つこの場所は、以前はここに国立劇場がありました。当時ショパンによるワルシャワ最後のコンサートが開かれました。そして最後のコンサートの8ヵ月後、彼はポーランドを永遠に離れます。 -
10.Kozia通り
この通りは静まりかえっていますが、当時(19世紀)は活気のあった通りでした。この先にサスキ郵便局があるのですが、そこからショパンはウィーンへの旅に出ます。
当時のワルシャワはロシア配下で自由が全く無く、自他共に成長が難しいと感じていたようです。
ワルシャワ市民蜂起のわずか4週間前にショパンは旅立ちました。 -
11.サスキ郵便局
ショパンはここから、二度と戻ることの無い旅に出ました。
現在は検事局ですが、当時は人が行き交うターミナルのような場所でした。
ショパンはお別れパーティーで銀の器に入ったポーランドの土を送られました。
当時は辺りは暗く、万聖節のろうそくの明かりだけだったそうです。
町を出る門のところで、音楽学校に送られ、先生からカンタータを送られました。カンタータのタイトルは下記でした。
「ポーランドで生まれた君の才能が、世界で花開くことを祈っている。」 -
12.聖十字架教会
ワルシャワを離れた後のショパンは1830年にパリに入りました。
ショパンはパリでも名声を上げ、有名人になりました。
ショパンはロシア国民になるのがいやで、ポーランドに帰国のための書類を書かず、自身で帰国しないことを選びました。
ショパンは女流作家のジョルジュ・サンドと結婚し、ショパン死の2年前に関係が終わりました。
ショパンは39歳で亡くなりました。 -
12.聖十字架教会
聖十字架教会内部にショパンの心臓が埋蔵されています。
(写真右柱の中)
ショパンはパリで亡くなり、埋葬されたのですが、心臓は姉の手により国境検問をすり抜けてワルシャワに帰ってきたのです。(ロシアは反ロシアの態度を取るショパンのワルシャワ入国は、たとえ一部でも許さないと考えられていました。)この心臓は国境検問を通過する際、姉のスカートの下に入れられて通過したそうです。
何とも感動な話です。
ちなみにこの柱を探してうろうろしていたら、参拝のおばあさんが場所を教えてくれました。ワルシャワ市民の心の温かさにも感謝です。 -
13.ザモイスキ宮殿
ここにはショパンの妹であるイザベルが住んでおり、ショパンのピアノを含む遺品を保管していました。
1863年5月、ロシアの将軍暗殺事件がありました。その暗殺事件は将軍がこの建物の下を通過した際に行われました。その結果、ロシア軍はこの建物から全員追いだし、あらゆるものを燃やし、破壊しました。その中で、ショパンの遺品も見つかってしまい、特別の憎しみを込めて破壊されたと言うことです。 -
14.ワジェンキ公園
ザモイスキ宮殿からバスで15分ほど行くとワジェンキ公園に着きます。
1回目は到着が夜となってしまい、都合2回訪れました。 -
14.ワジェンキ公園
当時はまだロシア支配下だったのですが、ある貴婦人がロシア皇帝に嘆願してショパン像の制作が行えるようにしました。
ロシアの策略によりポーランドの芸術家が選ばれにくくするため、世界中から芸術家が募集されたのですが、結局当選したのはパリ在住のポーランド人芸術家でした。
第1次大戦を通じてポーランドはナチス支配下の国となり、1940年に完成した像は破壊されてしまいました。
第2次大戦後、銅像の再建が計画され、改めて募集されましたが、いい作品が見つからず、同じ記念碑を作ることとなりました。最初に作成された記念碑は破壊されてしまいましたが、ミニチュアが見つかり、ポーランド国内の芸術家により再建されました。
夏にはこの周りでピアノコンサートが開かれるようです。
私が行ったのはちょうどシーズンが終わった秋口でした。
是非この公園で生のピアノコンサートを聴いてみたいです。
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