2010/10/08 - 2010/10/08
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B-SONさん
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2010/10/02~2010/10/11にてポーランドを訪問してきました。撮った写真が800枚を超えたため、各訪問地ごとに旅行記を起こしたいと思います。こちらは旅行記6(ルブリン)となります。ルブリンへはワルシャワから列車で日帰り旅行(片道2時間半程度)をしてきました。世間は狭いとよく言いますが、マイダネク強制収容所見学中にアウシュビッツで遭遇したイスラエルご一行と再遭遇しました。
-訪葡旅行記2010(1.クラクフ~”シンドラーのリスト”と古都~)
-訪葡旅行記2010(2.オシフェンチム~アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所(アウシュビッツ編)~)
-訪葡旅行記2010(3.オシフェンチム~アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所(ビルケナウ編)~)
-訪葡旅行記2010(4.ヴィエリチカ)
-訪葡旅行記2010(5.ワルシャワ1~ショパン生誕200周年記念~)
-訪葡旅行記2010(6.ルブリン~マイダネク強制収容所~)
-訪葡旅行記2010(7.トルン)
-訪葡旅行記2010(8.ワルシャワ2~街の風景とオマケ~)
- 旅行の満足度
- 5.0
-
ルブリン駅。
ルブリンへはワルシャワから列車で片道2時間20分くらいです。
強制収容所へはここから20〜30分くらい歩きます。
バスでも行けるようですが、乗り方がよく分からんので歩いて行きました。 -
Monument to Struggle and Martyrdom
ルブリン駅から歩くこと30分弱。
マイダネク強制収容所のモニュメントが見えてきました。
アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所に次ぐ規模だけあって、広大な敷地後が広がっています。 -
Monument to Struggle and Martyrdom
モニュメントの接写。
このモニュメントの健在には犠牲者の遺灰が入れられています。
普通のモニュメントと比べると心に重くのしかかるものがあります。 -
Monument to Struggle and Martyrdom
ナチス親衛隊がつけた当時の正式名称は「ルブリン強制収容所」でした。しかし、周辺住民は近隣の村マイダンの名前を取って「マイダネク」と呼び習わしていました。戦後はこの名前で有名になりました。
マイダネクには総計で50万人もの人々が収容され、内36万人以上が死亡したそうです。
志望者が最も多いのはポーランド人でユダヤ人、ロシア人がそれに続きます。後で犠牲者の出身国一覧が出てくるのですが、中国人もいました。 -
White House
通称ホワイトハウスといわれるこの建物は、当初はSS退院向けの医者の住居でしたが、後に収容所管理人の住居となりました。
※収容所敷地内にありますが、ゲートの外です。 -
収容所全体図
モニュメントは左下の凸の形のやつ。
そこから右斜め上に行く途中にWhite House、更に右上に行くと収容所ゲートにたどり着きます。 -
The entry to the exhibition
収容所入り口のゲートです。
右手に男性用浴室建屋が見えます。 -
SS用住居
入り口ゲート左手にはSS隊員用の宿舎が見えます。 -
No.41 A male bath barracks
男性用の浴室棟です。
左端にイスラエルからの団体様ご一行が見えます。 -
No.41 A male bath barracks
中に入ってみます。
ここに送られてきた囚人はまずこの建物で衣類を着替えさせられました。 -
No.41 A male bath barracks
チクロンBはガス殺用使われるのでそのイメージが強いのですが、元々は殺虫剤でして、衣類の消毒等にも使われていました。
新人囚人の衣類の消毒にチクロンBを利用するのですが、気化性が高く天井にはチクロンBのシミが残っています。 -
No.41 A male bath barracks
チクロンBの缶の山。ここマイダネクだけで7711キロのチクロンBが使用されました。 -
No.41 A male bath barracks
いきなりガス室です。
どうも、囚人の犯罪者はいきなりここでガス殺していたようです。
扉に内部を覗ける穴があります。 -
No.41 A male bath barracks
バラックの裏側。
出口が二つあります。
片方がガス室で片方がシャワー室なのでしょうか・・・・・。 -
Barracs No.43
ここのバラックでは囚人の当時の状況を学ぶことができます。 -
Barracs No.43
囚人の日課。
-AM5:00〜AM6:00-
・起床
・掃除
・朝食
・仕事の準備
-AM6:00〜PM6:00-
・仕事
-PM6:00〜PM9:00-
・夕食
・自由時間
-PM9:00-
・消灯 -
Barracs No.43
囚人の食器 -
Barracs No.43
囚人の服 -
Barracs No.43
SSの監視小屋 -
Barracs No.43
SS(ではないかも知れない)の服装 -
Barracs No.43
SS隊員の服装 -
Barracs No.44
ここでも囚人たちの当時の生活状況を垣間見ることが出来ます。 -
Barracs No.44
当時の写真。
恐らくゲート前の風景と思われます。 -
Barracs No.44
絞首台(たぶん) -
Barracs No.44
チクロンB
下のケースにはチクロンBの実物が見られます。
アウシュビッツでは公開されて無く、初めて見ました。 -
Barracs No.45
ここには何があるのでしょう・・・・・? -
Barracs No.45
ここには収容所全体のミニチュアがありました。
入り口からも全体を見渡せましたが、ミニチュアを見るだけでも十分広いことが分かります。 -
Barracs No.45
ちなみに高台から全体を納めようと試みた写真。
全部は入り切りません。 -
Barracs No.45
監視塔付近から撮ってみました。
先が見えません・・・・・。 -
Barracs No.52
建屋のNoは歯抜けになっているようです。 -
Barracs No.52
何かが積み上げられています。 -
Barracs No.52
囚人の靴でした、
アウシュビッツではすべての物がガラスケースに覆われていたのですが、
ここではそこまで厳重に管理されていないようで、触れることも可能でした。
怖くて触れられませんでした・・・。 -
The entrance gate to field III
中に更にゲートがありました。
この先が第3エリアになるようなのですが、それ以前にどこが第1エリアでどこが第2エリアだか分かっていません・・・・・。 -
Crematorium
当初マイダネクにはガス室は無く、独ソ戦のロシア人捕虜やポーランド侵攻の際のポーランド人捕虜の収容先として考えられていました。
ガス室は1942年に設置されました。 -
Crematorium
死者は当初埋められていたそうです。
そしてガス室周辺にあるこの不自然な溝。
つまりこの溝は・・・・・・ -
Crematorium
Crematoriumに入ってみました。
まず最初に台が・・・。
この台では死者から金品を撮るための台だったそうです。
衣類とか金歯とか・・・・・ -
Crematorium
焼却炉跡
ソ連軍進行時に建物は基本的に爆破処理されますが、この焼却炉は爆破しきれずにそのまま残っていたようです。 -
Crematorium
当時のままだけあって、生々しいです・・・・。 -
Crematorium
奥に可動式のような焼却炉もありました。 -
Crematorium
被害者の出身国の立て札が並んでいます。
言葉になりません。 -
Crematorium
中国人も犠牲になっていたんですね・・・・・。 -
Mausoleum
こちらは記念碑です。 -
Mausoleum
メッセージが書いてあります。
ポーランド語なので分からんなーと思っていたのですが、
ガイドブック(英語)に書いてありました。
"Let our fate be a warning you" -
Mausoleum
内部には何かが盛られています。
ドームは盛られたものを守る役目を持っているのですね。
ここまででだいたいの察しはつくと思いますが、
この盛られたもの、遺灰でございます。 -
約2時間の見学を終えて帰途につきました。
帰り道で偶然見つけた鐘です。
犠牲者の冥福をお祈りします。
(逆光でスイマセン)
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