2011/11/21 - 2011/11/21
132位(同エリア247件中)
滝山氏照さん
地下鉄都営三田線「志村坂上」下車徒歩15分の志村城(しむらじょう、東京都板橋区熊野町)を訪問しました。
当城は荒川に沿った現在の東京都北部周辺を本領とする豊島(としま)氏の一族志村氏が平時代末期に築城したと言われており、城跡内に建立されてる熊野神社は長久3年(1402)、当時の城主志村将監が紀州熊野から神社を勧請したと伝えられています。
康生2年(1456)享徳の乱に乗じて挙兵した叔父の馬加康胤(まくわり・やすたね、1398?~1456)によって下総市川城を追われた千葉氏嫡流の千葉自胤(ちば・よりたね、1446~1494)は武蔵赤塚城に逃れ、自胤の弟である信胤(のぶたね、生没不詳)は志村城に入り赤塚城の前衛拠点として守衛を果たします。
大永4年(1524)、江戸城在主の扇谷家当主上杉朝興(うえすぎ・ともおき、1488~1537)は小田原北条氏2代目当主氏綱(うじつな、1487~1541)の攻撃を受け、志村城も同時に北条軍勢の追撃にあい落城します。
その後については明らかではありませんが、恐らく豊臣秀吉によるいわゆる小田原征伐によって小田原北条氏の滅亡に連動して当該城も開城後廃されたと思われます。
地勢的には城の北側は荒川に臨み、西及び南側は荒川支流の出井川に面し東西に広がる丘陵地に位置し、郭は3郭で構成され熊野神社境内が二郭に当り、それ以外は既に市街化されており主郭は西隣の志村小学校、三郭は熊野神社の東側の保育園等に当ると思われます。
自分が訪問した日は所用の関係で都営三田線志村坂上駅下車しましたので時間が経過しましたが途中「志村一里塚」、「見次公園」及び「延命寺」をも訪問することができまして幸運でした。
2022年3月29日 追記
城跡の途中には下記内容の説明板が建てられています。
「 志村城跡と熊野神社
志村城は、康生2(1456)年に千葉自胤が赤塚城に入城した際、一族の千葉隠岐守信胤が入城して、赤塚城の前衛拠点とした。
本丸は志村小学校を中心とする一帯の丘陵地で、出井川と荒川をめぐらせ、「守に易く攻めるに難し」といわれる堅城であったが、大永4(1514)年に北条氏綱に責められて落城した。
熊野神社は志村城二の丸にあたり、社殿は古墳上に建てられている。長久3(1042)年、志村将監が紀州から勧請したと伝えられており、千葉自胤が志村城の守護神と定めた。現在の社殿は昭和32年に改築されたものである。社殿の西側には今でも空壕の跡を見ることができる。
平成5年2月
板橋区教育委員会 」
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
-
周辺地図
城山通りから城山公園に入るようになっています。最寄の駅は志村三丁目が利便性が高いといえます。(帰路は志村三丁目から乗車しました) -
熊野神社
右手は保育園となっており、その為細い参道となっています。そもそも当該神社は志村城の二廓跡に設置されています。 -
熊野神社石柱
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志村城跡・石標
板橋区史跡に指定されています。 -
志村城跡と熊野神社説明板
拝殿の西側には主郭と二郭の間にあった空堀が見られます。 -
熊野神社・拝殿(全景)
長い参道から拝殿を望みます。 -
熊野神社・拝殿(近景)
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熊野神社・説明板
天喜年間中(現住所に移転する前)、八幡太郎義家が父頼義と共に奥州追討の途中、武運長久の祈願をした由です。 -
空堀
かなり崩れていますが良く残っています。 -
空堀
こちらはしっかりした深い空堀となっています。 -
空堀と土塁
長い空堀が走っています。左右には土塁が確認できます。 -
荒川方面
薮の向こうには崖下が見られます。 -
土塁
拝殿裏手に土塁があります。 -
境内右手
境内右手は広いスペ−スが確保されています。 -
熊野神社の樹林説明板
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熊野神社・境内
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イチオシ
志村城跡石碑
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志村小学校
通りから撮影しましたが、この校舎の中央部が主郭であったと言われています。 -
志村一里塚
志村坂上駅から通りで出ますと交差点の一隅に一里塚が眼に入ります。
国の史跡に指定されています。 -
志村一里塚
一里塚の裏手に回ります。 -
志村一里塚説明
一里塚は徳川家康時代に主要街道の整備が行われ里程の目安として造られました。 -
志村一里塚(向かい側)
国道17号の両側にあって江戸日本橋から数えて3番目、つまり3里の場所を示しています。元は旧中山道にあったものですが新中山道が造られた際現在に移築されています。 -
貝次公園
周囲約400mの円形状の公園で、区民の散歩コ−スとなっています。
この公園の池は台地の縁から湧き出る水が溜まったものだそうです。 -
貝次公園説明
「見次」の由来は延命寺の開祖である志村城に在城していた藤田五郎の家臣見次権兵衛からきています。 -
延命寺全景
北条氏の攻撃を受けて息子を失った見次権兵衛が菩提を弔うため屋敷を寺院にしたと言われています。
1524年(大永4年)の創建で本尊は地蔵菩薩とされます。江戸時代には将軍の鷹狩の際の御膳所でもあったそうです。 -
延命寺石碑
当寺の開祖である見次権兵衛の名字を採って「見次山」としています。
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