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JR横須賀線衣笠駅から京急バスに乗り「衣笠城跡」下車、更に徒歩15分衣笠城(きぬがさじょう、神奈川県横須賀市衣笠町)を訪問しました。<br /><br />築城者は相模武士の中では名門氏族三浦氏で天喜4年(1056)前九年の役(奥州安部氏討伐)で手柄を立て源頼義(みなもと・よりよし、988~1075)から三浦郷に所領を得てその一族は周辺に支城を造って勢力を拡大します。<br /><br />治承4年(1180)伊豆に配流の源頼朝(みなもと・よりとも、1147~1199)が平家に対し挙兵しますが石橋山の戦いで敗北、安房にひとまず逃れ態勢を立て直します。<br /><br />他方三浦義明(みうら・よしあき、1092~1180)ら一族は頼朝挙兵に接し合流すべく軍勢を自ら引き伊豆に向かいますが途中で酒匂川氾濫で行く手を阻まれ合流できずやむなく引き返します。<br /><br />武蔵武士でも畠山氏ら平家恩顧の反頼朝派に衣笠城を攻められ、老雄義明は敢えて衣笠城にて応戦して敗死、遂に落城しますが嫡男義澄(よしずみ、1127~1200)らは一族共々頼朝に合流すべく安房に逃れ、合流後は頼朝を支え幕府創設に大きく貢献します。<br /><br />鎌倉時代開設とともに三浦氏は頼朝の信任を受けて有力御家人として発展を遂げ、頼朝以降でも北条氏とともに幕府内での影響力を高めます。<br /><br />然しながら3代目実朝(さねとも、1192~1219)死去後は京都から名ばかりの将軍を仰ぎ合議制を取りつつも権力強化を狙う北条氏の餌食となります。<br /><br />すなわち宝治元年(1247)謀反の疑いありとして第5代執権北条時頼(ほうじょう・ときより、1227~1263)と外戚安達景盛(あだち・かげもり、生誕不詳~1248)によって三浦氏は攻められ、泰村(やすむら、1184~1247))を当主とする三浦氏は滅亡し衣笠城は廃城となります。<br /><br />地勢的には三浦半島内部の馬蹄形の丘陵地に大谷戸川と深山川の天然外堀に囲まれた山城で、本丸までの道は長く傾斜が急な為攻撃する立場ではかなり骨を折った事だろうと思われます。事実沿道の住民も厳しい坂道で車輌利用が生活の大前提となります。<br /><br />自分か訪問した時は城郭跡入口が全く不明で2人目のお婆さんに教えてもらう事でどうにかたどり着いたのが実情です。<br /><br /><br />2022年3月16日追記<br /><br />「 横須賀市指定史跡<br />       衣 笠 城 跡<br />             昭和41年6月15日 指定<br /><br />山麓の右を流れる大谷戸川と左手の深山川に挟まれ東に突き出た半島状の<br />丘陵一帯が衣笠城跡である。源頼義に従って前九年の役に出陣した村岡平太夫為通が戦攻によって三浦の地を与えられ、所領となった三浦の中心地である要害堅固のこの地に、両川を自然の堀として、康平年間(1958~1064)に築城されたといわれ、以後為継・義継・義明の四代にわたり三浦半島経営の中心地であった。<br /><br />治承4年(1180)8月源頼朝も旗揚げに呼応して、この城に平家側の大軍を迎えての攻防戦は、いわゆる衣笠合戦として名高い。丘陵状の一番裾が衣笠城の大手口で、ゆるやかな城を登って滝不動に達する。居館は水の便の良いこの付近の平場にあったかと推定され、一段上に不動堂と別当大善寺がある。さらに、その裏山がこの城の最後の拠点となる詰めの城であったと伝えられる平場で、金峯山蔵王権現を祀った社が存在した。また、その西方の最も高い場所が、一般に物見岩と呼ばれる大岩があり、その西が急峻な谷になっている。要害の地形を利用して一部に土塁や空堀の跡が残っている。<br /><br />このように、この地一帯は平安後期から鎌倉前期の山城で、鎌倉時代の幕開けを物語る貴重な史跡である。<br /><br />平成3年3月3日 <br />             横 須 賀 市 教 育 委 員 会 」

相模横須賀 源頼義時代からの家人で鎌倉幕府創設には頼朝の信任を背景に重鎮に登りつめるも北条氏の策謀に敗れ衰退した三浦氏本拠の『衣笠城』訪問

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2011/10/28 - 2011/10/28

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滝山氏照

滝山氏照さん

JR横須賀線衣笠駅から京急バスに乗り「衣笠城跡」下車、更に徒歩15分衣笠城(きぬがさじょう、神奈川県横須賀市衣笠町)を訪問しました。

築城者は相模武士の中では名門氏族三浦氏で天喜4年(1056)前九年の役(奥州安部氏討伐)で手柄を立て源頼義(みなもと・よりよし、988~1075)から三浦郷に所領を得てその一族は周辺に支城を造って勢力を拡大します。

治承4年(1180)伊豆に配流の源頼朝(みなもと・よりとも、1147~1199)が平家に対し挙兵しますが石橋山の戦いで敗北、安房にひとまず逃れ態勢を立て直します。

他方三浦義明(みうら・よしあき、1092~1180)ら一族は頼朝挙兵に接し合流すべく軍勢を自ら引き伊豆に向かいますが途中で酒匂川氾濫で行く手を阻まれ合流できずやむなく引き返します。

武蔵武士でも畠山氏ら平家恩顧の反頼朝派に衣笠城を攻められ、老雄義明は敢えて衣笠城にて応戦して敗死、遂に落城しますが嫡男義澄(よしずみ、1127~1200)らは一族共々頼朝に合流すべく安房に逃れ、合流後は頼朝を支え幕府創設に大きく貢献します。

鎌倉時代開設とともに三浦氏は頼朝の信任を受けて有力御家人として発展を遂げ、頼朝以降でも北条氏とともに幕府内での影響力を高めます。

然しながら3代目実朝(さねとも、1192~1219)死去後は京都から名ばかりの将軍を仰ぎ合議制を取りつつも権力強化を狙う北条氏の餌食となります。

すなわち宝治元年(1247)謀反の疑いありとして第5代執権北条時頼(ほうじょう・ときより、1227~1263)と外戚安達景盛(あだち・かげもり、生誕不詳~1248)によって三浦氏は攻められ、泰村(やすむら、1184~1247))を当主とする三浦氏は滅亡し衣笠城は廃城となります。

地勢的には三浦半島内部の馬蹄形の丘陵地に大谷戸川と深山川の天然外堀に囲まれた山城で、本丸までの道は長く傾斜が急な為攻撃する立場ではかなり骨を折った事だろうと思われます。事実沿道の住民も厳しい坂道で車輌利用が生活の大前提となります。

自分か訪問した時は城郭跡入口が全く不明で2人目のお婆さんに教えてもらう事でどうにかたどり着いたのが実情です。


2022年3月16日追記

「 横須賀市指定史跡
       衣 笠 城 跡
             昭和41年6月15日 指定

山麓の右を流れる大谷戸川と左手の深山川に挟まれ東に突き出た半島状の
丘陵一帯が衣笠城跡である。源頼義に従って前九年の役に出陣した村岡平太夫為通が戦攻によって三浦の地を与えられ、所領となった三浦の中心地である要害堅固のこの地に、両川を自然の堀として、康平年間(1958~1064)に築城されたといわれ、以後為継・義継・義明の四代にわたり三浦半島経営の中心地であった。

治承4年(1180)8月源頼朝も旗揚げに呼応して、この城に平家側の大軍を迎えての攻防戦は、いわゆる衣笠合戦として名高い。丘陵状の一番裾が衣笠城の大手口で、ゆるやかな城を登って滝不動に達する。居館は水の便の良いこの付近の平場にあったかと推定され、一段上に不動堂と別当大善寺がある。さらに、その裏山がこの城の最後の拠点となる詰めの城であったと伝えられる平場で、金峯山蔵王権現を祀った社が存在した。また、その西方の最も高い場所が、一般に物見岩と呼ばれる大岩があり、その西が急峻な谷になっている。要害の地形を利用して一部に土塁や空堀の跡が残っている。

このように、この地一帯は平安後期から鎌倉前期の山城で、鎌倉時代の幕開けを物語る貴重な史跡である。

平成3年3月3日 
             横 須 賀 市 教 育 委 員 会 」

交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩
  • 衣笠駅前・案内地図<br /><br />バス便利用可能かどうかをバス案内所に問合せると、「衣笠十字路から三崎口駅行乗車、衣笠城跡下車」との説明を受けました。<br />(三浦半島は聞きしに勝るとも劣らず山岳地ですから車両・バス利用が条件です。)

    衣笠駅前・案内地図

    バス便利用可能かどうかをバス案内所に問合せると、「衣笠十字路から三崎口駅行乗車、衣笠城跡下車」との説明を受けました。
    (三浦半島は聞きしに勝るとも劣らず山岳地ですから車両・バス利用が条件です。)

  • 衣笠城跡・案内板<br /><br />衣笠城跡下車、案内板に沿って歩きますが途中で方向を失います。<br />2人目でお婆さんに教えてもらいます。(その間10分歩きました。)

    衣笠城跡・案内板

    衣笠城跡下車、案内板に沿って歩きますが途中で方向を失います。
    2人目でお婆さんに教えてもらいます。(その間10分歩きました。)

  • 大善寺と不動井戸<br /><br />当寺は全国行脚中の行基によって建立され蔵王権現・不動堂と共に衣笠城の中で三浦一族の学問・仏教信仰について中心的な役割を果たしました。<br />また不動尊は第2代目為継が「後三年の役」に出陣の折戦場に現れ敵の射掛けれる矢を打払って為継を守ったとの伝説があります。<br />ところで行基によって開かれた泉は貴重な生活用水でしたがいつ頃からか不動井戸と呼ばれるようになりました。

    大善寺と不動井戸

    当寺は全国行脚中の行基によって建立され蔵王権現・不動堂と共に衣笠城の中で三浦一族の学問・仏教信仰について中心的な役割を果たしました。
    また不動尊は第2代目為継が「後三年の役」に出陣の折戦場に現れ敵の射掛けれる矢を打払って為継を守ったとの伝説があります。
    ところで行基によって開かれた泉は貴重な生活用水でしたがいつ頃からか不動井戸と呼ばれるようになりました。

  • 衣笠城・説明板<br /><br />滝不動周辺で取水可能であるためこの一帯に居館があったと思われます。

    衣笠城・説明板

    滝不動周辺で取水可能であるためこの一帯に居館があったと思われます。

  • 衣笠城跡を示す石柱<br /><br />途中の路端の石柱で確認をします。フェンスの向こうの路を更に登ってゆきます。<br /><br />

    衣笠城跡を示す石柱

    途中の路端の石柱で確認をします。フェンスの向こうの路を更に登ってゆきます。

  • 城郭への階段<br /><br />更に偽木の階段を登ってゆきます。ここに到達するまで道に迷った為かなりの体力を消耗して足元がぐらつきます。

    城郭への階段

    更に偽木の階段を登ってゆきます。ここに到達するまで道に迷った為かなりの体力を消耗して足元がぐらつきます。

  • 衣笠城跡本丸標柱<br /><br />横須賀風物百選に挙げられています。標柱の向こうが本丸跡と思われます。

    衣笠城跡本丸標柱

    横須賀風物百選に挙げられています。標柱の向こうが本丸跡と思われます。

  • 衣笠城・本丸跡<br /><br />

    衣笠城・本丸跡

  • 衣笠城・土塁<br /><br />本丸の奥にはそれほど高くはありませんが土塁が確認されます。

    衣笠城・土塁

    本丸の奥にはそれほど高くはありませんが土塁が確認されます。

  • 衣笠城・土塁と空堀

    衣笠城・土塁と空堀

  • 衣笠城跡・案内図<br /><br />当山は大谷戸川と深山川がそれぞれ天然の堀の役割をしてこの川にに囲まれた馬蹄形をした大規模の城郭だったようです。

    衣笠城跡・案内図

    当山は大谷戸川と深山川がそれぞれ天然の堀の役割をしてこの川にに囲まれた馬蹄形をした大規模の城郭だったようです。

  • 三浦大介義明石碑<br /><br />頼朝が挙兵し石橋山合戦で敗北安房に逃れますが、その前後に平家の恩を受けていた畠山重忠を中心とする反頼朝軍により衣笠城が包囲されると、老齢の領袖義明は頼朝と合流すべく息子の義澄ら一族を安房に逃し自ら当城に立て籠もり激戦の末自害するに至ります。

    三浦大介義明石碑

    頼朝が挙兵し石橋山合戦で敗北安房に逃れますが、その前後に平家の恩を受けていた畠山重忠を中心とする反頼朝軍により衣笠城が包囲されると、老齢の領袖義明は頼朝と合流すべく息子の義澄ら一族を安房に逃し自ら当城に立て籠もり激戦の末自害するに至ります。

  • 衣笠城跡・石碑<br /><br />本丸から更に登ると物見台跡と思われる高台があります。この付近に衣笠城跡の石碑がひっそりと立っています。

    イチオシ

    衣笠城跡・石碑

    本丸から更に登ると物見台跡と思われる高台があります。この付近に衣笠城跡の石碑がひっそりと立っています。

  • 衣笠城・土塁<br /><br />

    衣笠城・土塁

  • 衣笠城・空堀<br /><br />偽木の向こうは空堀と思われます。茂った樹木や薮等で視界がはっきりしませんがかなり深い空堀が見られます。

    衣笠城・空堀

    偽木の向こうは空堀と思われます。茂った樹木や薮等で視界がはっきりしませんがかなり深い空堀が見られます。

  • 本丸跡の一部<br /><br />物見台から振返りますと本丸がなだらかに低く落ちていきます。

    本丸跡の一部

    物見台から振返りますと本丸がなだらかに低く落ちていきます。

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