2011/11/18 - 2011/11/23
11位(同エリア249件中)
またぬきさん
今日は朝7時集合で紹興へ一日周遊に出かけます。
当初は列車、バス、タクシーと乗り継いで行こうかとも思いましたが市内を外れるとタクシーが拾えないみたいだし、効率的に廻るにはこの方が便利かと思い、昨日市内観光の店で周遊バスを申し込みました(165元也)。(#^_^#)
表紙のワンちゃんは、朝ホテルの前でチョコンとオイラを待っていた様にお出迎えしてくれたので、思わずパチリと激写しました。(*^▽^*)ゞ
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
紹興一日遊覧はこの小さなバスでお出かけで〜す♪
これに30人ほど(オイラ以外は全部中国各地から来ている観光客)が乗車して一日廻ってきました。 -
高速道路を突っ走って紹興に到着で〜す♪
道中カーチェイスが楽しめます。(><;) -
最初は定番のこちらから♪
-
中興南路に面しており、路上には観光用の三輪車が待機しています。
これに乗って市内をゆっくり廻るのも趣がありそうです。(今度来た時はそうしよう♪) -
入り口にある壁画、記念写真のスポットです。
中国人観光客の皆さん、いっせいに写真を撮っています。 -
この傍にあるオブジェ、
-
魯迅故里の案内板。
-
魯迅故里へと入って行きます。
杭州市内で参加者を迎えにあちこちと廻りまして、7時半頃出ましたから今はまだ9時過ぎ、空いています。 -
入ってすぐのところにある、「三味書屋」
その前を流れる水路。 -
紹興名物の脚漕ぎ船「烏篷船」が泊まっています。
-
「三味書屋」に入って来ました。
-
ここは、清代の紹興政府が建てた著名な私塾である。都昌坊口11号に位置する。三味書店は、三室あり、寿家の書斎でもあった。建物の東に立ち、西を見ると、北側に小川が望める。周家の老台門も川を隔てて望めた。魯迅は、12歳から17歳までここで学んでいた。(インターネットより抜粋)
-
魯迅の時代(清朝末期)、私塾というものに通っていたということ自体、すごいことらしい。
-
軒に下がる行灯。
-
「三味書屋」の中庭。
過去に西塘、同里、蘇州の屋敷を訪ねたが、清の時代の建物の様式は皆同じようで、このように中庭を設けて奥へ奥へと建物があります。
-
書屋の真ん中に先生の机と椅子があり、両側は客席で、窓の前の壁際が学生の席でした。魯迅の席は、部屋の東北の角で、この机は、魯迅が実際に使用していたものである。机の右隅に”早”の字が刻まれている。ある日、魯迅が遅刻したためひどく先生に叱られた。魯迅は、これから遅刻しないよう注意するため机に”早”と彫った。その後、遅刻はしていない。(インターネットより抜粋)
-
塾の先生は、寿鏡吾(後の曙鏡湖)で、純粋で博学な人であった。彼は、人のために学問を治めるという精神を持っていたので、魯迅には、忘れ難い印象を残したのだった。寿鏡吾は、60年教員を勤めた。建物の建設から室内の配置、周囲に至るまで、ほぼ、当時のまま残っている。三味書店の裏には、小さな庭が一つあり、木犀の木が二本、南京梅が一本植えられており、南京梅は、樹齢百年程経っている。。(インターネットより抜粋)
-
これもまた清の時代定番のくぐり門。
-
「三味書屋」を一巡りして、外へ出てきました。
-
紹興名物の臭豆腐。
これをつまみに紹興酒が飲みたいです。 -
「紹興黄源館」紹興酒の館、中で紹興酒を販売しています。
紹興酒は黄酒のブランドの一つです。 -
次は魯迅故居の方へと向かいます。
その途中に牌坊がありました。 -
その両側には、これまたお馴染みの獅子の像があります。
この獅子は雌、子供をあやしています。← あやすって言うより悪ガキを押さえつけてるように見えるんだけど・・・。(・・;)
そういや、山神様に似ているッ!(><;) -
牌坊(はいぼう パイファン paifāng)は、中国の伝統的建築様式の門の一つである。牌楼(はいろう ぱいろう pailou)または略して坊(ぼう ボウ fāng)と呼ばれることもある。海外では中華文化のシンボルの一つとされている。世界各地の中華街には牌坊がしるべとして建てられている。
一般的に牌坊と牌楼は同じ意味で使われるが、屋根や斗拱(ときょう:斗組・軒などを支える木の組み物のこと)のないものが牌坊と呼ばれ、あるものが牌楼と呼ばれる。(wikipediaより抜粋) -
反対側は雄の獅子、こちらは玉を持っています。← そりゃあオスだもん、当たり前!
-
魯迅故居にやって来ました。
-
屋根の上の飾り物、オイラ変なものに興味を惹かれるんです。(・・*)ゞ
-
魯迅故居
周家新台門(周家の新屋敷)は、周氏一族が揃ってすんでいた住居で、清の嘉慶年間に建築されたもので、、1881年9月25日、魯迅はここで生まれました。1918年、周氏一族はこの家と後ろの百草園をすべて東の隣の朱氏に売り渡しました。家の主人が変わってから、ほとんどのものが改築されましたが、、西側にある魯迅の故居は幸いにも保存されました。現在の周家新台門は2003年に周氏の親戚・友人たちの記憶に基づいて建て直されたものです。(インターネットより抜粋) -
魯迅は1881年(清、光緒7年)に浙江省紹興に生まれた。本名は周樹人という。
魯迅の生家である周家は、紹興の中心から少し南東寄りの東昌坊口にあった。現在わかっている限りでは、14代前の先祖が、明の正徳年間(1506〜21)に2人の息子を連れて移住してきたのが最初という。やがて商業によって富を蓄え、第6代の祖が官吏登用試験である「科挙」に合格して「挙人」となった。このころまでには地主にもなっていたものと思われる。そして祖父周福清は、科挙の最高段階の試験にも合格したエリートの「進士」で、北京で役人をしていた。(『魯迅と日本』(魯迅生誕110周年仙台記念祭実行委員会編)魯迅とその時代 東京大学文学部教授丸山 昇より抜粋) -
周家は数代前に大きく三つの家に分かれ、それぞれ近くに屋敷を構えていたが、魯迅の属した「新台門」も、広い屋敷地に白い塀を巡らしたかなりの邸宅だった。
昔の中国の、旧家の例にもれず、周家も大家族だった。新台門だけでも、魯迅の曾祖父の従弟の曾孫、つまり魯迅からみて十親等にあたる人までが同居していた。当然そこにはよどんだ空気と、陰湿な人間関係、偽善で飾った蔭での利害の争いがあった。(『魯迅と日本』(魯迅生誕110周年仙台記念祭実行委員会編)魯迅とその時代 東京大学文学部教授丸山 昇より抜粋) -
1893年(光緒19年)秋、一家にとっての大事件が起こる。祖父の入獄である。この年の初め、祖父の母、魯迅からいえば曾祖母が死去したため、祖父は帰郷していたが、秋に行われた郷試を受験する息子(魯迅の父)鳳儀と友人たちの息子数名のために、かねて知り合いだった試験官に賄賂を贈ろうとしたことが発覚したのである。旧暦の年末、「斬監候」の判決が下った。斬刑だが執行を延期し、あらためて決定があるまで拘禁しておく、というもの。減刑になる可能性もあるが、逆に毎年死刑が行われる季節である秋には、執行を恐れなければならない。それを避ける工作に、周家はかなりの財産を費やしたようである。一方魯迅も、累が及ぶことを恐れた親たちの配慮で、母の実家に預けられた。(『魯迅と日本』(魯迅生誕110周年仙台記念祭実行委員会編)魯迅とその時代 東京大学文学部教授丸山 昇より抜粋)
-
翌年の初夏のころ家に帰るが、その冬、追いうちをかけるように父が重病にかかる。魯迅の小さいころ、家にはまだ4、50畝(2.4〜3.0ヘクタール)の田があったが、父の発病のころには20畝あまりになっていた。祖父の事件の打撃がわかる。こうして、父の医師と薬の費用のため魯迅が質屋と薬屋に通う生活が始まる。「まずまずの暮らしから貧窮に陥った人なら、その過程で、たぶん世間の人の本性を見ることになるだろう」(「吶喊自序」)と彼は後年書いている。
結局父は96年秋に死去、祖父は1901年春に釈放され、04年死去した。(『魯迅と日本』(魯迅生誕110周年仙台記念祭実行委員会編)魯迅とその時代 東京大学文学部教授丸山 昇より抜粋) -
こちらは応接室、当時の家具が保存されています。
-
1910年7月から1912年2月まで、魯迅は紹興に戻って教師をしていました。ここはそのときの彼の寝室でした。魯迅の初めての文語小説「懐旧」もここで書かれたものでした。(インターネットより抜粋)
-
こちらは魯迅の母の住居。
-
ベッドや家具が並んでいます。
-
こちらは台所のようです。
この台所は、魯迅が転居した後も、一部を除き当時の状況のまま保存されています。 -
農機具が置かれています。
-
これらの住居が中庭を挟んで建っています。
-
奥の住居へはこのように狭い通路でつながっていました。
-
百草園へと向います。
-
百草園はもとは周家新台門の族人が共有した荒れた菜園で、魯迅はかつて追憶して「家の後ろにとても大きい園があり、聞くところによると百草園だそうです。確かその中には野草しかありませんけど、その時、そこは私の楽園でした」といいました。少年時代の魯迅はいつも仲間達と一緒にその園で遊んで、楽しんでいました。(インターネットより抜粋)
-
ただの空き地に野菜が栽培されてるだけ、って言ったらダメかな? (・・*)ゞ
百草園という名はついていますが、もともとは雑草が茂る空き地で、特に何かが整備されているというものではありません。魯迅は、「百草園から三味書屋へ」の中で、百草園を次のように記しています。
あおあおした野菜の畦(うね)、つるつるした石の井戸枠、大きなサイカチの木、紫色の桑の実はいうまでもない。蝉が葉の茂みで鳴き、肥えた黄蜂が菜の花に止まり、すばしこい雲雀(ひばり)が、ふいに草むらから一直線に空の果てに飛び立つことなんかもいうまでもない。……
まさに自然と戯れる魯迅の少年期を、この百草園は想起させてくれます。(インターネットより抜粋) -
百草園の模型。
-
こちらも門をくぐって・・・。
-
トイレで〜す。
-
このトイレ、入ってビックリしました。
あの悪名高き中国のトイレとは大違い!
個室の戸には紹興の名所がプリントされています。 -
手洗いもお洒落になっています。
最近の中国、以前のように料金がかかるところが無くなって来ています。しかし、管理人(清掃員?)は常駐しているので綺麗なトイレが増えました。 -
今度は、筆下風情園の方へと廻って行きます。
-
魯迅先生の筆下風情園は環境の優雅さ、古蹟さが古建築物の花園式台門中で保存最も完備の一つ。地元の生活様式や「紹俗祝福」(紹興の伝統の賜物)、「越俗漫話」(古代越国の滑稽話)、「迎神賽会}(神を迎える競い合い)、結婚式など人々の暮らしについての伝統をより深く学ぶことができる。魯迅先生の筆下人物によって、生き生きと紹興の独特な風土と人情を再現しました。皆さんに紹興に昔から根づく様々な習慣を学ぶことができる。(インターネットより抜粋)
-
水在苑、池の中の東屋。
-
太湖石もチャンとありました。
この時代のシンボルなのでしょうね。 -
舞台では、当時の衣服を着た女性が舞いながら歌っています。
-
一日に何度か催されるみたいです。
-
祝福庁
-
魯迅故居の中庭。
ひとつの屋敷を抜けると中庭、続いて次の屋敷を抜けるとまた中庭。(◎_◎;) -
こちらはお土産用の紹興酒の瓶に絵付けをしています。
-
正月に神様にお供えをしている光景をあらわしており、男性しか入れず、料理も男性が作る。
-
お供え物は、豚の頭! ←タヌキでなくて良かった。(><;)
-
筆下風情園から出ると、この通りに出てきます。
-
先程の牌坊があった通りです。
-
壁には模様入りの風通しの穴?
-
十二支が壁に飾られているが、犬は痩せさらばえた野犬で、猪は豚であった。
中国では、ブタさんはお金持ちの象徴! 金のブタの貯金箱がいっぱい売られてま〜す。← そこのお嬢さ〜ん、ブタになっても中国だとモテますよ〜♪(シバクぞ、このくそタヌキめがッ!)(-゛-メ) -
こちらは龍で〜す。(#^_^#)
-
虎で〜す。タヌキはありませ〜ん。(ノ_・。)
-
先程の牌坊のところまで戻って来ました。
-
魯迅故里歩行街へ出てくると、土産物屋さんの前の陽だまりで・・・。
-
どんな夢見ているのかな。可愛い♪
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (4)
-
- きっちーさん 2011/12/07 14:37:43
- またぬきさん、こんにちはー!
- 先日は、ご投票をありがとうございました。
またぬきさんの旅行写真、すっごく趣きがあって素敵ですね。
行ってみたくなりましたv
- またぬきさん からの返信 2011/12/07 19:45:18
- RE: またぬきさん、こんにちはー!
- きっちーさん、こんばんは〜♪ 書き込みありがとうございます。m(*- -*)m
> 先日は、ご投票をありがとうございました。
こちらこそ大量にお返しを下さいまして、謝々!
> またぬきさんの旅行写真、すっごく趣きがあって素敵ですね。
> 行ってみたくなりましたv
あのぅ〜、オイラの写真のどの辺りに趣があるのでしょうか・・・????
「他のトラベラーさんみたいに旨く写真が撮れたらなぁ〜」っていつも思っているのですが、記念写真みたいなものばかりしかなくて呆れているのに・・・。(x_x;)
まあ、写真のコンクールでも無し、自分なりに楽しめた旅行の記録って事で慰めてはおりますが、こんなに褒められたら木の上に上がっちゃいますよ〜♪
きっちーさんは、オイラなんかより中国各地へもっと多く行っておられるのに、やはりしばらく中国へ行っていないと禁断症状が現れるのでしょうか?
ママ上を口説いてお出かけ下さい、これからは寒いですから南の方が良いかも・・・。そして旅行記を一杯アップしてください、楽しみにしています。(*^^)v!
中国にハマってしまった、またぬきより。
- きっちーさん からの返信 2011/12/08 10:31:41
- どもども
- 真ん中チョイあとくらいの水上にかかった橋を挟んだ、舞台のような建物写真が萌えましたv
お手洗い写真も(笑)?
あれやっぱりご当地陶器製か!
CMも兼ねているのか、トイレ!
中国は漢字が通用するので、言葉が不自由でもコミュニケーションがしやすくて、ひとり旅でも安心な部分がおっきいです。
勝手のわからない土地で見知らぬ人から親切にされると、それだけで「来たかいあったなーv」って思います。
またぬきさんの旅行記を拝見していると、団体観光客の方もけっこう大勢いらしてるんですね。
いーなー。
真剣に禁断症状出そうです(笑)。
またお邪魔しますね。
ありがとうございました!
- またぬきさん からの返信 2011/12/08 17:47:07
- どもども
- きっちーさん、早速のお返事ありがとう♪
> 真ん中チョイあとくらいの水上にかかった橋を挟んだ、舞台のような建物写真が萌えましたv
魯迅記念館の中にある、筆下風情園と呼ばれる建物です。
当時の衣装を着た女性が、この舞台で歌っていました。
> お手洗い写真も(笑)?
あれやっぱりご当地陶器製か!
CMも兼ねているのか、トイレ!
中国のトイレ事情は、皆様ご指摘の通りとんでもない所が多かったです。
でも最近は整備されて、綺麗なトイレも増えてきましたよ。
そんな中でも、ここのトイレは感動ものでした。ドアには紹興の名所がプリンとされ、手洗いも陶器の手水鉢、中国とは思えぬセンスの良さに現代を感じました。
> 中国は漢字が通用するので、言葉が不自由でもコミュニケーションがしやすくて、ひとり旅でも安心な部分がおっきいです。
それは中国旅行における最大の利点です。きっちーさんも中国語は話せるのでしょうが、オイラも聞き取れなかったり、通じないときにはメモとペンが大活躍です。(正しい発音も覚えられるし、新たな言葉も覚えられます。)
> 勝手のわからない土地で見知らぬ人から親切にされると、それだけで「来たかいあったなーv」って思います。
ホントですよね〜♪ だから止められない、止まらない!
地方へ行くと皆さん優しい人が多いです。きっちーさんも、けっこう大胆にディープな所に一人で入り込んでいますね。
> またぬきさんの旅行記を拝見していると、団体観光客の方もけっこう大勢いらしてるんですね。
近年の中国の経済発展の証か、経済格差では恵まれていない筈の田舎のお百姓さん夫婦(衣服のセンスや顔の日焼けで分かります。)がこの地まで沢山旅行に来ていました。
> いーなー。
真剣に禁断症状出そうです(笑)。
へっへっへ! のた打ち回って苦しメ〜! オイラもうすぐ、また行くもんネ〜♪
憎たらしい、またぬきでした。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
またぬきさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
4
68