![長年 長安のイメージを勝手に持ち、いつの日にか 訪れたいと希望を持っていた。<br />格安パック旅行の手頃な内容で 季節もよく 中二日の旅行を楽しんできた。<br /><br />中国 内陸部初訪問記。<br /><br />(パック総費用 一人 57,360円・・・安い)](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/10/61/97/650x_10619744.jpg?updated_at=1321088317)
2011/11/05 - 2011/11/08
367位(同エリア1562件中)
アーサーさん
長年 長安のイメージを勝手に持ち、いつの日にか 訪れたいと希望を持っていた。
格安パック旅行の手頃な内容で 季節もよく 中二日の旅行を楽しんできた。
中国 内陸部初訪問記。
(パック総費用 一人 57,360円・・・安い)
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 1.5
- 交通
- 2.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- 中国東方航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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-
1)-① 11月5日(土)
出発の成田空港までの経路で アクシデントに遭遇。
地下鉄の高輪台駅を出たところで 人身事故発生。運転打ち切り。
集合時間に余裕を含んでいなかった為 焦る。
旅行の断念も覚悟して 旅行社に電話。
航空会社のカウンターでの搭乗手続き締め切りまでなら 待ってくれるとのこと。
タクシーで品川駅に行き 別ルートで 日暮里に駅に向かう。
写真は 京成日暮里駅スカイライナープラットホーム。
電光掲示板に事故の影響が出ていた。
旅に出れば 何があるか分からないと実感。 -
1)-②
初めて 新しいスカイライナーに乗車経験。
速い。快適。
お蔭で 定刻に45分位遅れたが 問題なく 搭乗手続き終了。
経済的余裕が許せば スカイライナー利用も良いものだと思う。
写真は スカイライナーの車内から。 -
1)ー③
飛行機は「中国東方航空」MU0522便。
機材は少し古く、前方のTV画面はほとんど見えない。
だが 空席も多く ゆったり。夕飯も問題なし。
搭乗受付時、係員の方からJALマイレージの受付も申し出てくれる。
発券クラスVの為 50%換算?(無いより益し。満足。) -
1)-④
上海浦東空港で国内線に乗り継ぎ。
降機後の「トランスファー」の表示、係員の案内も 分かりやすく、簡単。
(観光ツアーへの 中国側の配慮?)
写真は 入国手続きへの 通路で。
(多くの日本人客。) -
1)-⑤
国内線の搭乗ゲート近くで 軽い夜食。
小龍包とラーメン 約700円。
支払う段となって、クレジットカードのPINが入力できない。
(理由不明)
日本円だと 1000円札でお釣りは出せないと 冷たく言われる。
前回中国旅行の残金の中に 100元札が一枚残っていて それで支払う。少し 焦る。 -
1)-⑥
西安行の飛行機は 横6人席の小型で 最終便だけれども結構満席。
乗客の三分の一位が 日本人の感じ。
飛行機は 定刻より少し早く 現地時間 23時30分頃 到着。
成田を 16時55分出発したので、 約8時間の総所要時間。
現代の感覚では 遠い感じだが、遣隋使、遣唐使、の時代の苦難から考えると 夢の様な速さだろう。
(空海は 804年5月12日摂津を出発し、7月6日肥前松浦から海を渡り、福州に8月10日上陸、12月23日長安に入ったとか。所要日数215日。)
成田で積み込んだキャリーバッグも速やかに出て来て 通関もノーチェック。
空港の出迎え場では 日本の旅行社の旗が 数社出迎えてくれていた。
写真は 西安行きの機内。
現地ガイドさん(張さん)が ホテルへのバスの中で テキパキと 連絡事項などを処理。 ホテルの部屋のキーも車内で渡してくれる。
ツアーの人数は31名。大体同じような年配の夫婦連れ。 -
1)-⑦
ホテルは シェラトン西安。
西門から2キロ位の 少し寂れた」ところに立地。
私の部屋は11階で 良さそうな部屋。(ツアー費用の割には満足。) -
1)-⑧
現地時間 1時には 風呂に入ってから就寝。 -
2)-⑨ 11月6日(日)
7時30分過ぎ 起床。よく寝た。
写真は朝食のバイキング会場。
種類も多く 満足。さすがシェラトン。 -
2)-⑩
中華のおかゆが美味しかった。
朝食後 館内のCDで 500元 引き出す。
問題なく 現金が出て来て 安心。
8時40分 ホテルをバスで出発。 -
2)-⑪
最初に 南門から4キロ位離れた 陝西省歴史博物館を見学。
ガイドの張さんの説明から
陝西省は黄河が流れ 先史時代から文明発祥の地として 中国の中心だったと
誇りを持っているのは 理解できた。
写真は 入口から 博物館全景をを写す。 -
2)-⑫
最初に 日本人観光客が身近な 2階の第3展示室 (隋、唐から清まで)に案内される。
「絹」の素晴らしさと「交易」」文化の交流を改めて実感。
焼き物の表現性にも感動。 -
2)-⑬
彩色にも驚く。 -
2)-⑭
唐時代の美人モデル。
何となく ふくよかで さもありなんと納得。 -
2)-⑮
ラクダの上の人物像もユーモラス。 -
2)ー⑯
仏像も 西域から伝わり、中国的表現を加味された雰囲気。 -
2)-⑰
その他の展示室も素晴らしい。
何となく 地中海側の影響を感じる壺。 -
2)-⑱
秦時代の「兵馬俑」の発掘物。 -
2)-⑲
博物館には 中国の若い人がたくさん見学に来ていた。
昔に見た 「革命」の展示館とは大分違い、
中国の長い歴史を実感できる 良い博物館だった。
希望を言えば 時代 時代で区分をして 「西安」の街を表現したものが 欲しかった。 -
2)-⑳
それから 東側の郊外「驪山」のふもと 楊貴妃の温泉地「華清池」へ行く。
1300年前と背景の山や温泉は変わっていないのだろうが
今は現代風の観光地の雰囲気が漂う。 -
2)−21
記念に温泉で 顔を洗う。
熱くはなかった。
中国で温泉文化が広く根付かなかったのは何故だろうと素朴に思う。 -
2)‐22
それから 近くの町で 「田舎料理」を食べに行く。
一帯は 柿と柘榴の収穫期か 道路に農村の露店がいっぱい出店。
農村の住宅も鉄筋コンクリートの集合住宅。
付近に観光資源もあり、農村の近代化は進んでいる。
写真は 昼食レストランの前で写す。 -
2)-23
「田舎料理」の円卓。野菜中心だが 私の口には あまり油濃くなくて 合っていた。 -
2)-24
食卓に出された「柘榴」の残り。
久しぶりに食したが 懐かしくはあったが、美味しいものではなかった。
食後 露店で柿を買い求めて(1元)食べたが 小振りで 過熟気味で
もう一つ。
ただ 日本の柿も この中国から伝えられたのだろうと想像して 満足。 -
2)-25
階下の土産物店では 1974年兵馬俑を発見した農民の方が 記念撮影と署名に応じていた。
農民の方の身なりは随分豊かそう。年齢もあるのだろうが余裕を感じる。
写真中央で腰かけている黒服の老人がその人。 -
2)-26
それから 近くの「秦始皇帝兵馬俑博物館」へ。
一帯は公園になっていて、途方もなく広い。見学客も多い。
中国人の国内旅行集団も多く見かける。
幸い バスは1号館の前まで行けたが それでも入口まで遠い。
写真は入場門のところから 1号館を写す。 -
2)-27
1号館の内部。(東西239m、南北62m 約2000体)
とにかく デカイ。
2300年前によく作ったもの、と感心する。
エジプトのピラミッドを思い出す。
説明によれば 覆いのドームはドイツが提供したとのこと。
写真は入口から奥に向かって写す。 -
2)−28
両側の見学通路に沿って歩く。
発掘される前には 列の土壁の上に 丸太を通し、土をかけて埋めていたそうだ。丸太は朽ちて無いが、土壁の上に 丸太の跡が残っている。
発掘 陳列されているのが約三分の一。後は埋め戻されているそうだ。(写真後部) -
2)-29
奥の反対側から 入口に向かって写す。
奥は 発掘された兵馬俑を修復、再生している作業スペース。
(日曜日で作業をしていなかったが。)
修復が終了した兵馬俑が並んでいる。 -
2)-30
2号館は戦車や騎馬兵などの軍団。
深く、上から見下ろすかたち。 -
2)-31
3号館は指揮部隊のイメージ。
発掘中 または発掘前の崩れた土に埋まった兵馬俑の様子がよく分かる。
2300年の間に地震も在ったであろうし、兵馬俑が原型を保たれていないのは
よく分かった。 -
2)-32
3号館には発掘され 修復された兵馬俑の数体が展示され まじかに見られる。
馬もアラブ系の精悍な感じがよく出ている。(ガラスケース越しに) -
2)-33
それから 近くで発掘された「銅馬車」を展示している 新しい博物館へ。
その前に 中華文明に圧倒された余波の為か 博物館の記念品売り場で 兵馬俑4体のセットを日本円4000円で購入。訪問の記念にと思って買ったが 確かに無駄な買い物。(後で後悔。) -
2)-34
一台目の「銅馬車」
2分の一の縮尺だそうだが、リアル。
2300年前の文化水準に 参ったなの一言。 -
2)-35
二台目の「銅馬車」
馭者の表情も豊か。装飾の細工物も信じられない水準。
秦の始皇帝の巨大さも思い知ったが、没後約50年で「秦」王朝が滅亡したのも
歴史の事実。 -
2)-36
それから 近くの「秦始皇陵」公園に行く。
写真の後方に見える丘(人工)が陵だそうだ。
現代の調査では 地下宮殿が埋設されているそうだが 安全に発掘する技術がまだ未開発の為 後世の課題として そのままにしているそうです。 -
2-37)
それから 西安市にもどり、火鍋料理の夕食。
日本のシャブシャブ風で美味しかった。
食後 食卓でお酒、食品等の売り込み。少し下手な商売。興ざめ。
ノルマがあるらしい女性販売アルバイト?の方に気の毒で
チップ代わりに 500円のザーサイ購入。
帰途のバスの中から見える街中は
至る所 ライトアップされ 綺麗といえば綺麗だが、昼間見た「凄さ」と比較して 何となく薄っぺらい文化。
オプショナルツアーには参加せず、ホテルの近くを軽く散策して 早めに就寝。
-
3)-38 11月6日(月)
天気予報通り小雨。
朝食バイキング会場は別のレストラン。
中国人旅行者のグループ、アメリカの女性二人連れと同席。別の席では韓国人グループも。
今日も朝食は美味しかったが、西安では生野菜サラダの種類が少なかったような気がする。
昨日と同じ 8時40分 ホテルをバスで出発。
街は出勤の車で渋滞。(確かに 車の台数は多いが それなりに動く。)
ツアー参加の皆さんも 旅慣れた人達の様子。 -
3)-39
最初に 城内の中心「鼓楼」へ。
途中「西門」の辺りを通る。
昔、西域に向かう人が 此処で 別れの宴を開いたところ、
現代の公園になっていて 雨に濡れる柳だけが 昔の風情を偲ばせる。
写真は 明時代に建設された「鼓楼」の下から -
3)-40
「鼓楼」の下に 回族の商店街が続く。
昔風の家並みに 回族関連の商品を陳列している。
雨の朝 店は開いているが 客は少ない。 -
3)-41
「鼓楼」の横の鐘鼓楼広場から写す。
鼓楼の外の回廊に太鼓が並んでいるのが見えた。
広場は現代の公園。
反対側に鐘楼が 雨の為か 遠くに見える。
周りのビルも 風致保存地区か瓦屋根風の屋上。 -
3)-42
それから 近くの書院門の古文化街へバスで移動。骨董品、書画や切り絵などを扱う街並みを歩く。観光用の屋台店舗も多く見られたが、朝早く 雨の為か無人。
個人旅行ならば ゆっくり時間を取って見て回りたいところ。
写真は書院門。 -
3)-43
側道に何かの古くからの学校みたいなものが見える。 -
3)-44
「文昌門?」から明時代建設の城壁に上る。高さ12m。
写真は 文昌門と城壁へ登る階段。上に城楼が見える。 -
3)-45
城壁の上は広い。幅約13m。戦車や軍団が行き交う広さだと言う。
総延長約14キロだそうだ。レンタサイクルの貸し出し、電気自動車の運行があるみたい。
当日は観光客が少なく閑散としていたが。 -
3)-46
城壁の上から 城内の古い町並みを写す。
価値ある遺産だと思うが
上からではどのように利用されているかが分からない。 -
3)-46
城壁の上を 約500m歩く。
南の城門の楼閣が見えている。
遠くに 城外の新しい高層ビルが乱立している。
700年前の明の時代には約20平方キロで都市が収まっていたのであろうが、
現在は10倍以上に拡大しているのがわかる。 -
3)-47
南門を下から写す。
門の通路は大型バスが通り抜ける幅しかない。 -
3)-48
それから 旅行社が事前に配布されていた案内スケジュールでは「工芸品店」となっていたが、実際は 公立の「西安美術館?」へ向かう。
建物は新しく円形のビルで、それなりのセキュリティチェックもあり 堂々たる構え。
日本留学経験者の学術員らしき人物から 現代美術の案内をしてもらう。
写真は 3階からホールを写す。 -
3)-49
案内人の説明はそれなりに聞けるが、実際の展示絵画などには それほど感銘しない。
現代中国美術のレベル?
写真は展示されていた絵画。
別室で 貴石、半貴石の工芸品の販売。
好きな人には好いだろうが、私の感覚には合わない。 -
3)-50
それから 「精進料理」の昼食。
日本人のツアー客多し。日本人僧侶が経営とか?
量も少なく、私には 満足して普通に食べれた。
写真は店の前景。 -
3)-51
それから 東の城壁のそばの「興慶宮公園」へ。
唐代三大宮殿の跡地の広大な公園。
前は 「西安交通大学」。
(交通大学の意味は 別に日本語の「交通」とは異なり、理科系の大学で、中国最古の大学の一つ。)
写真は 交通大学側から「興慶宮公園」入口を写す。 -
3)-52
公園内一角にある 「阿倍仲麻呂」の1979年建立の石碑。
百人一首の例の一句がなければ ここまで 日本人観光の焦点にはならなかったのではないのかなぁと思った。 -
3)-53
次に 南東の1973年再建された「青龍寺」へ。
写真は お寺の入口。 -
3)-54
お寺の庭。どことなく日本風。 -
3)-55
空海記念碑。
実際に空海がこの寺の地に滞在したのは 約8か月。その短い間に「伝法阿闍梨位の灌頂」を受けている。凄い才能だったのだろう。
それと この地が 唐代の宮殿「興慶宮」から 2キロ位しか離れていないのに驚く。山の中の「高野山」に金剛峰寺を建立した空海なのに。 -
3)-56
それから 絨毯店へ。
シルクの玄関マットを購入。640元。
トルコの絨毯店の商売より下手の感想。
ツアーの他の人も玄関マット位しか購入していなかった。 -
3)-57
次に城外 南東4キロの大雁塔へ。
前の立像は「三蔵法師玄奘」
広場には観光客目当ての物売り多し。 -
3)-58
現在 慈恩寺の境内は約1万坪。
当たり前だが 日本の境内のような手を洗うところは無い。僧侶の姿も見かけない。観光施設の感じ。 -
3)-59
拝殿の内部の仏像。 -
3)-60
7層高さ64mの「大雁塔」
三蔵法師玄奘がインドから持ち帰った経典 仏像を保存する為に 建立されたとか。
現在のものは 1050年頃建造されたらしい。 -
3)-61
「大雁塔」の最上層まで階段を上り、
北方向 市の中心城壁側を写す。
高層ビル群が遠方に見える。 -
3)-62
東方向 を写す。
-
3)-63
南方向を写す。
-
3)-64
西方向を写す。
どの方向も 高層ビル、高層アパートが見える。
それから 別の部屋で お寺の住職の書いた掛け軸の購入を勧められたが 購入する気分になれなかった。 -
3)-65
次にバスで移動し、ラテックス寝具店に立ち寄り、勧誘を受ける。
たぶんツアーの誰も購入しなかった。
格安ツアーで仕方がないが お互いに時間の無駄。
写真は寝具店のベッド。 -
3)-66
夕食は 西安名物「餃子宴」
種類の異なる 約30個の餃子を食す。(殆んど蒸し餃子で、一口サイズ)
楽しめられた。
レストランは満席。
写真は餃子セイロが運ばれてくる前に 円卓を写す。 -
3)-67
夕食会場の一階が「唐歌舞ショー」の会場。
そこでのオプショナルツアーには 参加せずに 明日が早いので ホテルに帰る。 -
4)-68 11月8日(火)
朝5時からホテルで用意してくれた暖かいバイキングを美味しく頂き、
5時40分ホテル出発。
バスの中で 旅行社が前日予約受注していた お土産のお菓子類を受け渡し。
私は利用しなかったが お土産購入の必要な人は調法していた。
今回のパック旅行は現地アテンドがスム−ズだった。
その意味で ガイドの張さんの努力に感謝する。
但し 連れて行かれたショッピングは まだ中国が顧客マーケティング重視の
段階ではなく 販売機会ロスを起こす稚拙な段階だなという気がした。
西安空港の搭乗手続きもスムーズで 無事出発できた。
写真は出発カウンター周辺。朝から多くの中国人旅行客。 -
4)-69
西安から上海への飛行の中で 思いがけず 朝食BOXのサービス。満足。 -
4)-70
上海の浦東空港での成田空港への乗り継ぎ、出国手続きも 少し歩く距離は長かったが スムーズ。(写真は成田への出発ゲート付近)
待ち時間に免税店を覗いたが、同じ セブンマイルドの価格は成田が断トツに高く、西安が次で、上海が一番安かった。
現在の経済環境の一面を表わしているのかと思った。
今回の短い西安旅行で思ったこと。
(1)日本の京都、奈良と違い西欧の遺跡旅行によく似ている。
遣隋使、遣唐使等の「長安」イメージから 中国の古都と長年思っていたが
、日本の奈良、京都とは大分異なっていた。
考えてみれば 日本では仏教文化、皇室文化等が現在と重なり 連続性を感じるが、西安にはそれは無い。異民族支配を含め 王朝が断絶して 文化が破壊された為か 西安には遺跡はあっても 西安文化の永続性を感じない。
(2)中国は広く 大きいと 改めて思った。
中国湾岸部都市と内陸部都市の発展の方向の同一性と結果の格差を感じる。
また回族をはじめ多民族の構成国家であることを。そして中国は3000年の長い歴史を有することを。現在の北京共産党政権からだけの表層的な判断がすべてではないことを。
旅に出れば それなりに得るものもある。
夕刻 無事に我が家に帰った。
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