2011/09/29 - 2011/10/01
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frau.himmelさん
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旅行2日目
今日のスケジュールは、ホテル8時出発、バスにて倉敷まで行き、大原美術館と倉敷美観地区を自由散策、各自にて自由昼食、そして宿泊地皆生温泉に到着が4時となっています。
倉敷での美術館と美観地区散策に3時間半しか時間が配分されていないのが少々気になるところです。
◇◆
昨夜は私もI女史もお部屋での飲み物(もちろんアルコール)を調達するのをすっかり忘れていました。
おかげで早めに就寝。朝は気分よく目覚めました。
でも、今日の天候が気になります。
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- JALグループ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
鳴門市 ホテル・ルネッサンスナルト。
朝5時半に起きて、真っ先にベランダに出ます。
目の前に広がる瀬戸内海…。なんだかどんよりした海です。
でも、雲の隙間から少し陽が差していますね。 -
急いで西の方向(たぶん?)を見ると…、よかったー、明るくなっています。
この分では今日は大丈夫かもしれない。 -
朝食は、洋食か和食の好きなほうを選べます。
期せずして3人とも洋食に意見が一致しました。
朝食会場は海の見えるとても広々とした天井の高いお部屋です。
ベランダからは瀬戸内海がぱーっと広がっています。
お天気が良かったら、さぞかしキレイでしょうね。
でも今日は…。 -
食事はバイキング。
どちらかと言うと、旅行では日本よりヨーロッパの食事が多い私、なんだかドイツで朝食をしているような気分になりました。
フルーツ入りのヨーグルト、ハム、チーズや野菜など。それにジュースとパンとコーヒーのいつものドイツの朝食のパターンです。 -
8時にホテルを出発。
バスは四国を縦断して、瀬戸大橋から本州に入り、倉敷まで走ります。
ツアーのバスの席は日替わりで交代です。
私達は今日は後ろの席です。
ここ鳴門にはお遍路さんの「四国八十八ヶ所霊場巡礼」の1番札所があるんだそうです。
沿道には彼岸花があちこちに見られました。 -
ここから1番札所、霊山寺に入るようです。
実のところ、私にはあまり札所は興味ないのです。
それよりこの近くにある「鳴門市ドイツ館」「ドイツ村」が見えないかと、キョロキョロしています。 -
このツアーに参加しようと思ったのは、三つの美術館もさることながら、鳴門に行けばドイツ村にも行くかもしれないという淡い期待もありました。
そのために下調べもしてきました。
しかし残念ながら今回は寄らないようです。
道路標識には「ドイツ村」や「第9の里」などの名前が見えます。
せめてせめて車窓からそれらの姿だけでも見えないかしら…。 -
期待もむなしくバスは高松自動車道に入ります。
車窓からは穏やかな瀬戸内海の風景がみえてきました。
添乗員さんは「二十四の瞳」の小豆島も見えると言っていました。 -
バスは高松市の傍を通っているようです。
添乗員さんの説明によると、あの平たい島は「源平の戦い」で有名な「屋島の合戦」があったところだと。
那須与一が扇に的を命中させた物語で有名なところでしょう? -
バスは日本地理でしか知りえなかった坂出市や丸亀市などを通って、いよいよ瀬戸大橋にはいります。
近くには造船所などの大きな工業も見えてきて、活気に満ちています。 -
さあ、いよいよ瀬戸大橋に突入です。
あちら側は本州、倉敷市です。 -
バスは瀬戸大橋が見える与島パーキングエリアでトイレタイムにはいるようです。
-
3階の展望台に登ります。
ここは瀬戸大橋が一望できるので観光スポットとしても人気が高いそうです。
わぁー素晴らしい景色。
みんなここで記念撮影をします。 -
瀬戸大橋。
-
展望台の黄色いハイビスカスがとてもキレイでした。
展望台で時間をとりすぎて、売店には寄る時間がなくなりました。 -
バスが倉敷に着いたらとうとう雨が降り出しました。
傘を差しての観光です。
3人のうち、誰も「晴れ男・晴れ女」はいませんでした。仕方がないですね…
とりあえずは美術館内なのでまあいいでしょう…。 -
駐車場を出て、大通りを渡り、新渓園の中を通って大原美術館に向かいます。
新渓園は大原美術館に隣接している庭園で、大正11年、大原家から倉敷市に寄贈されたものです。 -
大原家とは倉敷紡績(クラボウ)など倉敷を拠点に活躍した大原財閥のことです。
その中でも大原孫三郎(1880-1943年)は、私財を投げ打って西洋近代美術館を作り上げました。
私立美術館としては、日本一の美の殿堂です。
今では大原美術館には、西洋美術だけでなく、日本絵画、陶芸、工芸など多岐にわたってコレクションが展示されています。 -
入口を入ります。
雨に濡れたツタが一面に絡まった入口の門は、とてもすてきな雰囲気です。 -
ギリシャ神殿風の石造り建物です。
威厳に満ちた玄関の大きな大理石風の円柱と、三角形の屋根の形がいかにもギリシャ風。 -
この美術館は、1930年、実業家大原孫三郎が私財を投じて建設したものです。
ところで当時日本は昭和恐慌の真っ只中でした。
この立派な円柱も一見大理石に見えますが、実はセメントに石の粉を混ぜた人造石だそうです。
昭和の不景気は大原孫三郎にも無縁ではありませんでした。
でも、彼の強い志は、設計者と創意工夫を重ね、限られた費用の中でこのような堅牢かつ重厚な美術館を造り上げました。 -
歴史的な玄関のランプ
◇◆
折からの恐慌で世情は騒然としている中、田舎町に忽然と現れたギリシャ神殿建築は世間からは奇異な目で見られました。
開館当時は訪問者ゼロの日もあったという美術館も、創業以来80余年の今は年間の来館者が40万人を越えるそうです。 -
入口のブロンズ像は、ロダン「カレーの市民」
-
さあ、添乗員さんから入場券をいただいて中に入ります。
中の一番目に付くところに、この美術館の最大の功労者、児島虎次郎の「ベルギーの少女」の作品が飾られています。 -
別室でOHPを使っての学芸員さんからレクチャーがありました。
この美術館に集められた作品は、画家の児島虎次郎が大原孫三郎の意を汲んでヨーロッパで集めたものです。
この児島虎次郎作「ベルギーの少女」の絵は、大塚美術館のテーマであると言っていました。
和服を着たベルギーの少女は少しも奇異に感じられません。
西洋と日本の文化の融合、多様な文化を理解すること、それこそが大原美術館のテーマなのだそうです。 -
「里の水車」(ネット画像より)
岡山の旅館の次男坊として生まれた児島虎次郎は、20歳で東京藝術大学に入学します。
大原財閥の奨学金制度で、学生時代に描いたこの「里の水車」と次の「情けの庭」が1等賞に入選し、ヨーロッパに留学できることになりました。
その後も児島は、大原の援助で渡欧しましたが、画業の研鑽だけに飽き足らず、日本に西洋名画の実物をもたらしたいと考えました。
パトロンの大原も児島の考えに賛同して、現在の大原美術館のコレクションとなる多くの作品を買い付けました。 -
「情けの庭」(ネット画像より)。
後に児島の出世作のこの絵は、明治天皇の皇后陛下に気に入られ、宮内庁買い上げとなります。
◆◇
この後に行った「児島虎次郎館」で係の女性に、
「どうして皇后陛下はこんな地味な絵を気に入られたんでしょうね」と聞いたら、
「あれは孤児院のことを描いた作品なのです。皇后陛下は慈善事業に力を入れていらっしゃいましたから、そんな関係で御買い上げになったのではないでしょうか」という説明でした。
そして、こんなことも。
「この絵を描くに当たり児島は岡山孤児院に1ヶ月泊まりこんで完成させました。そこの創始者が石井十次という児童福祉の先駆者でした。児島は後に石井の娘と結婚しています」 -
美術館の中は撮影禁止なので写真はありません。
その代わり、作品の名前のメモだけはしっかりとって来ました。
ありとあらゆる画家の作品が並んでいました。
マネ、モロー、ロートレック、コロー、クールベ、ピサロ、ボナール、セザンヌ、ゴーギャン、ゴッホ、ルノワール………。
◇◆
小島は気に入った絵に出合うと、「モネ カウ カネオクレ」と大原に打電したそうです。
すると大原から金が送られてきたそうです。
◆◇
通路の途中で見た日本庭園。
外観はギリシャ風の建物なのに、ふと窓の外に目をやると白壁と瓦葺きの日本風佇まい…、これがよくマッチしているのです。
これがさっき学芸員さんが言っていたこの美術館のコンセプト「異なる文化の融合」なのですね。 -
建物の中央に1点だけ特別扱いの絵が飾られていました。
400年前のエル・グレコの「受胎告知」です。(絵葉書より)
1922年、児島はパリの画廊でエル・グレコの「受胎告知」が売りに出されているのを見つけました。
とても高額な値段でしたが、児島はどうしてもこの作品を買いたいと思いました。
さすがに「カネオクレ」ではなく、こればかりは「グレコ カッテヨイカ」と大原に打診したそうです。
ヨーロッパは当時第一次世界大戦後で不況にあえいでいました。孫三郎は、名画の収集は今がチャンスと考え決断したのです。
現在、このエル・グレコの「受胎告知」が日本にあることは奇跡であるとさえ言われています。
◇◆
ここでも、学芸員さんから「受胎告知」について説明を受けました。「百合の花」、「白い鳩」、「燃える芝」がみんな備わっていますね。 -
ここだけ撮影OKです、と。
窓の下は新渓園(旧大原家日本庭園)。
その向こうは美術館分館です。 -
窓の外の新渓園の庭は、木々が雨に濡れていっそう鮮やかに見えます。
-
ジョバンニ・セガンティーニ「アルプスの真昼」1892年
(絵葉書より)
1点だけ私の好きな絵を紹介させてください。 -
出口には小学校の子供たち。
こんな小さいうちから名画に親しむと言うのはとても素晴らしいことですね。 -
再び新渓園の中を通って分館に行きます。
分館入口。
分館は、1961年に建てられました。
藤島武二、青木繁、岸田劉生などの日本の洋画界を代表する画家の作品が展示されています。 -
入口で同じツアーの元気な3人組のご年配の方々とバッタリ!。
同行のH氏が「今回の参加者の中では私が一番年寄りだろうね、あの人たち(3人組)はどっこいどっこいくらいかな。」と言っていました。
そこで私が聞きました。
「あのー、つかぬことをお聞きします。ウチのツレが、皆様方のお年を気にしていますが、まだお若いですよね?」
すると、「私は82歳、この人たちは83歳と81歳です。囲碁の仲間なんですよ。」と。
H氏「いやーお若いですね。とても80歳以上とは思えません」。
彼らも「いえいえ、あなたこそお若いです。お顔もツヤツヤでとてもとても適いません……」なんて誉め合いっこ。
Hさ〜ん、先に行きますよ〜!
男性だっていくつになっても若く見られるというのは嬉しいものなんですね。
ちなみにH氏は78歳です。 -
分館の中に入ると、デーンと大きな虎の図が展示してあります。
屋内は全館撮影禁止なので、早速メモメモ…。
「丸山応挙の猛虎図、1773年、六如慈周賛」
道理で立派な絵と思った。
あー残念ね、絵は撮影禁止というのは分かるけど、せめて、屋内の雰囲気だけでも写せないかしら?
近くにいた係の人に聞きました。
そしたら私達を手招きして、ここなら写しても大丈夫ですよ、一応屋外ですから。
と、坪庭のようなところを指差されました。
ユーモアのある方でした。 -
分館を出て、今度は工芸東洋館の方に向かいます。
陶器館をざっと見て出てきました。
中には河井寛次郎、バーナードリーチ、濱田庄司、それに棟方志功などの有名な作者の工芸品がびっしり並んでいました。
でも何分にもゆっくり鑑賞する時間がありません。
工芸館の周りに「モネの睡蓮の池」があります。 -
睡蓮の花が1輪。
そういえば本館でモネの『睡蓮』の絵を見ました。
先ほどの学芸員さんの説明では、児島が直接ジヴェルニーにモネを訪ねて、彼のお気に入りで長年手元においていた作品を無理に譲ってもらったものだったそうです。
その時にスイレンも株分けしてもらってきたのだとか…。
日本贔屓だったモネのことですから、草葉の陰から、あの絵が日本に行ってよかったと思っているでしょうね。 -
こちらの瓦葺で白壁の日本的佇まいの館は「工芸館」のつながりです。
美術館の案内図には、それぞれに濱田庄司室、河井寛次郎室、棟方志功室など名前がついています。
中庭に敷かれるているこの鉄板も工芸なのでしょうか? -
さて、これから私達は児島虎次郎記念館に向かいます。
その後、倉敷美観地区を観光して…、昼食の時間も必要だし…。
集合時間まで残すところあと2時間ちょっとしかありません。
忙しいですね。
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