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出張の機会を得て昨年夏に続き浜松城(静岡県浜松市中区元城町)を訪問、JR浜松駅北口から遠州鉄道高架をくぐり市役所前交差点を左折しますと右手に市役所があり、その西側の小高い丘に公園化された浜松城(はままつじょう、静岡県浜松市中区元城町)が視界に入ります。<br /><br />永禄11年(1568)三河から遠江に領土を広げた徳川家康は遠江経営に集中するため、三方原台地東南部に浜松城の築城に着手し、それまでの岡崎城を嫡男信康に譲り、自ら当地に移り本拠地とします。<br /><br />家康は29歳に当城に移り、天正14年(1586)の45歳で駿府城に入城するまで17年間の在城の間姉川の戦い、長篠の戦い、小牧・長久手の戦いに勝利するも三方原の戦いでは上洛する武田信玄に徹底的に打ちのめされ、家臣も次々と討死し家康自身もほうほうの態で浜松城に帰りつくありさまでした。<br /><br />天正10年(1582)武田氏滅亡並びに本能寺の変に乗じ、家康は武田氏遺領を自領に編入し、ここに駿河・遠江・三河・甲斐・信濃を有する大大名となり領国経営を考慮して天正14年(1586)本拠地を浜松から駿府(静岡)に移すことになります。<br /><br />天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原征伐により北条氏は滅亡、その結果家康は関東へ移封、浜松城には秀吉の命を受けて堀尾義晴が12万石で近江佐和山から入城、慶長5年(1600)の関ケ原の戦い後は家康に遠ざけられ出雲松江に転封、代って美濃金山から譜代大名の松平忠頼が入封となります。<br /><br />以降浜松城は代々譜代大名に委ねられ、その石高は5万石前後で松平、水野、高力、太田、青山氏等が在城し井上氏になって明治維新を迎えるに至ります。<br /><br />浜松城は家康ゆかりの城という経緯により岡崎城と並び「出世城」と称せられ、浜松城主になることが幕閣への登竜門とされ、事実「天保の改革」を行った水野忠邦は栄達を望み、すすんで浜松城主になったと言われてます。<br /><br />城郭については三方原台地の斜面に従い、天守閣の他本丸、二の丸、三の丸がほぼ横に並んでおりますが、なんと言っても見所は特徴ある石垣で、この現存する石垣は、築城当時のもので戦国時代の城にふさわしい「野面積み」、いわゆる自然石を上下に組み合わせた積み方となってます。<br /><br />この「野面積み」の石垣は見るからに荒々しく粗雑で一見崩れやすいように見えますが400年以上の風雪に耐え現在でも戦国時代の面影をしっかりと残して、この風景を見れば自分としては頼もしく思えてなりません。<br /><br /><br />2022年4月16日追記<br /><br />現地で入手した「浜松城と家康公」題した冊子によれば下記の通り説明がなされています。<br /><br />「 浜 城 の 沿 革<br /><br />浜松城は、三方原台地の東南端にあって、徳川家康が築いた。家康は天文11年(1542)、三河国岡崎城内に誕生し、父は松平広忠。母は生別、駿府に少年時代を過ごすが、岡崎に戻り、永禄11年(1568)に三河から遠江に入り、各地を転戦して、引馬城をはじめ諸城をしたがえると共に、浜松城の築城に着手した。元亀元年(1570)長子の信康に岡崎城をゆずって、自らは浜松へ移り、駿遠経営の本拠と定めた。<br /><br />家康は、29歳の時この浜松城に移り、天正14年(1586)45歳で駿府城(静岡市)に入るまで、在城17年に及んでいる。有名な姉川、長篠、小牧・長久手の戦いもこの期間におこなわれ、特に元亀3年(1572)の三方ヶ原合戦は、家康の生涯における難戦で、関ヶ原合戦以上の戦であった。家康にとって、この浜松在城17年間は、徳川300年の歴史を築く試練の年でもあったわけで、浜松城が出世城といわれるのもけだし当然と言える。<br /><br />城郭は、南北約500m、東西約450mで、三方ヶ原台地の斜面に沿い、天守閣、本丸、二の丸、三の丸がほぼ一線に並び、梯郭式の築城法に属している。その他作左曲輪、出丸等もあり、古城と称する箇所は、引馬城郭といわれている。また現存する石垣は、築城当時そのままのもので野戦城にふさわしく粗削りの岩を使い、頑丈に構築してある。<br /><br />家康の後、浜松城は豊富の家臣堀尾氏が城主となるが、江戸に幕府が開かれてからは、代々譜代大名がこれを守らせた。その石高は、おおむね5万石前後で、松平(大給、本庄、大河内)、水野、高力、太田、青山氏等が在城し、井上氏になって明治維新を迎えた。城主で特に有名なのは天保改革を行なった水野越前守忠邦で、忠邦は肥後唐津にいたが、その栄達を望んで、すすんで浜松城主になったといわれている。<br /><br />明治維新後は、城郭はこわされ、すっかり荒廃に帰し、苔むす石垣にわずかに当時の面影をしのぶばかりだが、昭和34年6月1日市の史跡に指定された。昭和33年春、浜松市民の努力が結実し、旧天守閣跡に立派な新天守閣の再建を見るにいたった。<br /><br />この3階建展望台は海抜50m余あり、浜松市内は勿論、東に天竜川、南に遠州灘、北の赤石連山も指呼の間に眺められ、そぞろに元亀天正の昔がしのばれる。」<br />

遠江浜松 信長と同盟のもと東進し遠江経営に専念した家康の本拠で江戸時代でも禄高と関係なく譜代大名の出世城と認識された『浜松城』訪問

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2011/08/26 - 2011/08/26

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滝山氏照

滝山氏照さん

出張の機会を得て昨年夏に続き浜松城(静岡県浜松市中区元城町)を訪問、JR浜松駅北口から遠州鉄道高架をくぐり市役所前交差点を左折しますと右手に市役所があり、その西側の小高い丘に公園化された浜松城(はままつじょう、静岡県浜松市中区元城町)が視界に入ります。

永禄11年(1568)三河から遠江に領土を広げた徳川家康は遠江経営に集中するため、三方原台地東南部に浜松城の築城に着手し、それまでの岡崎城を嫡男信康に譲り、自ら当地に移り本拠地とします。

家康は29歳に当城に移り、天正14年(1586)の45歳で駿府城に入城するまで17年間の在城の間姉川の戦い、長篠の戦い、小牧・長久手の戦いに勝利するも三方原の戦いでは上洛する武田信玄に徹底的に打ちのめされ、家臣も次々と討死し家康自身もほうほうの態で浜松城に帰りつくありさまでした。

天正10年(1582)武田氏滅亡並びに本能寺の変に乗じ、家康は武田氏遺領を自領に編入し、ここに駿河・遠江・三河・甲斐・信濃を有する大大名となり領国経営を考慮して天正14年(1586)本拠地を浜松から駿府(静岡)に移すことになります。

天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原征伐により北条氏は滅亡、その結果家康は関東へ移封、浜松城には秀吉の命を受けて堀尾義晴が12万石で近江佐和山から入城、慶長5年(1600)の関ケ原の戦い後は家康に遠ざけられ出雲松江に転封、代って美濃金山から譜代大名の松平忠頼が入封となります。

以降浜松城は代々譜代大名に委ねられ、その石高は5万石前後で松平、水野、高力、太田、青山氏等が在城し井上氏になって明治維新を迎えるに至ります。

浜松城は家康ゆかりの城という経緯により岡崎城と並び「出世城」と称せられ、浜松城主になることが幕閣への登竜門とされ、事実「天保の改革」を行った水野忠邦は栄達を望み、すすんで浜松城主になったと言われてます。

城郭については三方原台地の斜面に従い、天守閣の他本丸、二の丸、三の丸がほぼ横に並んでおりますが、なんと言っても見所は特徴ある石垣で、この現存する石垣は、築城当時のもので戦国時代の城にふさわしい「野面積み」、いわゆる自然石を上下に組み合わせた積み方となってます。

この「野面積み」の石垣は見るからに荒々しく粗雑で一見崩れやすいように見えますが400年以上の風雪に耐え現在でも戦国時代の面影をしっかりと残して、この風景を見れば自分としては頼もしく思えてなりません。


2022年4月16日追記

現地で入手した「浜松城と家康公」題した冊子によれば下記の通り説明がなされています。

「 浜 城 の 沿 革

浜松城は、三方原台地の東南端にあって、徳川家康が築いた。家康は天文11年(1542)、三河国岡崎城内に誕生し、父は松平広忠。母は生別、駿府に少年時代を過ごすが、岡崎に戻り、永禄11年(1568)に三河から遠江に入り、各地を転戦して、引馬城をはじめ諸城をしたがえると共に、浜松城の築城に着手した。元亀元年(1570)長子の信康に岡崎城をゆずって、自らは浜松へ移り、駿遠経営の本拠と定めた。

家康は、29歳の時この浜松城に移り、天正14年(1586)45歳で駿府城(静岡市)に入るまで、在城17年に及んでいる。有名な姉川、長篠、小牧・長久手の戦いもこの期間におこなわれ、特に元亀3年(1572)の三方ヶ原合戦は、家康の生涯における難戦で、関ヶ原合戦以上の戦であった。家康にとって、この浜松在城17年間は、徳川300年の歴史を築く試練の年でもあったわけで、浜松城が出世城といわれるのもけだし当然と言える。

城郭は、南北約500m、東西約450mで、三方ヶ原台地の斜面に沿い、天守閣、本丸、二の丸、三の丸がほぼ一線に並び、梯郭式の築城法に属している。その他作左曲輪、出丸等もあり、古城と称する箇所は、引馬城郭といわれている。また現存する石垣は、築城当時そのままのもので野戦城にふさわしく粗削りの岩を使い、頑丈に構築してある。

家康の後、浜松城は豊富の家臣堀尾氏が城主となるが、江戸に幕府が開かれてからは、代々譜代大名がこれを守らせた。その石高は、おおむね5万石前後で、松平(大給、本庄、大河内)、水野、高力、太田、青山氏等が在城し、井上氏になって明治維新を迎えた。城主で特に有名なのは天保改革を行なった水野越前守忠邦で、忠邦は肥後唐津にいたが、その栄達を望んで、すすんで浜松城主になったといわれている。

明治維新後は、城郭はこわされ、すっかり荒廃に帰し、苔むす石垣にわずかに当時の面影をしのぶばかりだが、昭和34年6月1日市の史跡に指定された。昭和33年春、浜松市民の努力が結実し、旧天守閣跡に立派な新天守閣の再建を見るにいたった。

この3階建展望台は海抜50m余あり、浜松市内は勿論、東に天竜川、南に遠州灘、北の赤石連山も指呼の間に眺められ、そぞろに元亀天正の昔がしのばれる。」

交通手段
高速・路線バス 新幹線 徒歩
  • 浜松駅ステーションビル<br /><br />静岡県西部の主要都市で東海道新幹線停車駅にふさわしい駅ビルです。

    浜松駅ステーションビル

    静岡県西部の主要都市で東海道新幹線停車駅にふさわしい駅ビルです。

  • 駅ビルからの通路<br /><br />政令指定都市として設備の整った駅舎です。

    駅ビルからの通路

    政令指定都市として設備の整った駅舎です。

  • 駅北側の地下広場<br /><br />ゆったりした中庭で明るい雰囲気です。

    駅北側の地下広場

    ゆったりした中庭で明るい雰囲気です。

  • 公園入口<br /><br />市役所から浜松城公園に入ります。

    公園入口

    市役所から浜松城公園に入ります。

  • 市役所から遠望<br /><br />浜松城公園が見えます。

    市役所から遠望

    浜松城公園が見えます。

  • 浜松城公園案内図<br /><br />

    浜松城公園案内図

  • 浜松城案内

    浜松城案内

  • 本丸への入口<br /><br />なだらかな登り口を歩きます。<br /><br />

    本丸への入口

    なだらかな登り口を歩きます。

  • 浜松城石垣<br /><br />登る途中左手に石垣が垣間見えます。

    浜松城石垣

    登る途中左手に石垣が垣間見えます。

  • 「本丸跡」石柱

    「本丸跡」石柱

  • 浜松城・本丸説明版

    浜松城・本丸説明版

  • 家康像<br /><br />かなり老けた像です。イメージに違和感があります。<br /><br />

    家康像

    かなり老けた像です。イメージに違和感があります。

  • 浜松城・石垣<br /><br />荒々しく素朴な「野面積み」が最高です。

    イチオシ

    浜松城・石垣

    荒々しく素朴な「野面積み」が最高です。

  • 石垣<br /><br />気持ちのいい石垣が魅せます。<br /><br />

    石垣

    気持ちのいい石垣が魅せます。

  • 出世城<br /><br />浜松藩政約300年の間に再任を含め25代の城主が在城、内老中に6人、大阪城代に2人、京都所司代に2人、寺社奉行に4人(含む兼務)が登用されています。(財団法人浜松市公園緑地協会)

    出世城

    浜松藩政約300年の間に再任を含め25代の城主が在城、内老中に6人、大阪城代に2人、京都所司代に2人、寺社奉行に4人(含む兼務)が登用されています。(財団法人浜松市公園緑地協会)

  • 天守への入口<br /><br />午前中から子供達来城者が大勢です。<br />入場料は大人150円です。<br />

    天守への入口

    午前中から子供達来城者が大勢です。
    入場料は大人150円です。

  • 天守と石垣<br /><br />下から見上げると素晴らしい景色です。

    イチオシ

    天守と石垣

    下から見上げると素晴らしい景色です。

  • 天守からの展望<br /><br />眼前のネットが邪魔ですが市街がよく見えます。

    天守からの展望

    眼前のネットが邪魔ですが市街がよく見えます。

  • 天守からの展望<br /><br /><br />天気に恵まれ展望は抜群です。

    天守からの展望


    天気に恵まれ展望は抜群です。

  • 天守と石垣<br /><br />

    天守と石垣

  • 石垣の説明板<br /><br />野面積み石垣説明が判り易く説明されてます。

    石垣の説明板

    野面積み石垣説明が判り易く説明されてます。

  • 浜松城の石垣<br /><br />具体的に説明されてます。

    浜松城の石垣

    具体的に説明されてます。

  • 天守周辺

    天守周辺

  • 天守周辺

    天守周辺

  • 天守周辺

    天守周辺

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