2001/07/02 - 2001/08/07
4876位(同エリア6084件中)
ryoさん
ヴェネツィアからウィーンへまたまた寝台列車で移動。
ウェスタンの男性二人組みと同室でちょっとびっくりした。でも、もうここまできたらちょっとのことじゃそんなに動揺しないぞっ。だけど彼らはゲイのカップルだった‥。わたし邪魔者ですね‥って感じで。
まあ、良い人たちだったけど。
ウィーンといえばクリムト、シーレ、そしてフンデルト・ヴァッサー‥♪
ウィーンでは久しぶりにYHAに泊まった。やっぱり私はドミトリーの方が落ち着く(笑)。
オーストリアのYHAはドイツと同じく、ビュッフェスタイルの朝食付きらしい。なので、また朝食ついでにランチ用のサンドイッチも作って(←ホントはルール違反だと思います‥)、お昼は公園で‥。
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イチオシ
クンストハウス・ウィーン。
ウィーンのガウディと呼ばれた建築家で芸術家のフリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサーが自身で設計した美術館。
ウィーン生まれのフンデルトヴァッサー(1928〜2000)は日本人女性と結婚していたこともあり、フンデルトヴァッサーを和訳した「百水」の雅号も持つ。 -
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フンデルトヴァッサーハウス。
1986年に完成したこの建物の内部はウィーンの52戸の市営住宅になっている。(中も見学してみたいなぁ〜)。 -
パッチワークのような外壁がすごくかわいくて、窓一つ同じものはない。
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イチオシ
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カルケ・ヴィレッジ。
フンデルトヴァッサーのおみやげものなどを売るショップ。 -
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プラーター公園。
ドナウ川とドナウ運河に挟まれた緑豊かな広大な敷地の公園。
もともとはハプスブルク家の狩猟場だった森で、1766年に皇帝ヨーゼフ2世によって市民に開放された。
映画「第三の男」に登場した観覧車の15個ある客車は、一つに12人が乗れる珍しい形。
私にとっては「恋人までの距離」の舞台の方が印象的。イーサン・ホークがカッコ良かった♪ -
カールスプラッツ駅。
オットー・ワーグナーの設計。 -
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カールス教会。
1713年にウィーンを襲った17度目のペストの流行が沈静することを祈念して、女帝マリア・テレジアの父カールス6世が建てさせた教会。1716年に着工し、完成は1739年。
青いドームの両脇に2本の大円柱を携え、バロック建築の傑作とされる。 -
大円柱には、ペストを鎮めた聖人カール・ボロメウスの物語が刻まれている。
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イチオシ
セセッシオン。
ウィーンの芸術家グループ分離派が築いたアールヌーボーの至宝といわれる展示館。
19世紀末の造形美術界は、保守的な擬古典主義が主流でアカデミーを支配し、革新的な作品を芸術院の展示会から締め出していた。
クリムトも若い頃は擬古典派の絵を描いていたが、1897年に他の芸術家たちと保守派から分離し、独自の展示活動を始めた。
絵画、建築、工芸、デザインなど幅広い芸術活動の中心が、作品発表の場として建てられたセセッシオン(フランス語で分離)だった。 -
黄金のキャベツといわれる天球をかたちどった金のモニュメントは月桂樹の葉をモチーフにした透かし彫りになっている。その下には「時代にはその芸術を、芸術にはその自由を」という分離派のスローガンが刻まれている。
青銅の扉はグスタフ・クリムトの弟、ゲオルク・クリムトの作。 -
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地下にはクリムトがベートーベンの第九「歓びの歌」をテーマに描きあげた壁画「ベートーベン・フリーズ」が展示されている。
「幸福への憧れ」
場面の主役は金色に輝く鎧を着けた騎士で、その背後の二人の人物は憐れみと野望を象徴する寓意像で、騎士の運命を司っている。 -
「詩」
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「歓喜」
騎士は甲冑を捨て、背を向けて女性の両手に抱かれた一人の裸の男として描かれている。 -
イチオシ
マジョリカハウス。
色鮮やかな花がモチーフのマジョリカ焼きのタイルを壁面に用いた美しい集合住宅。
1898〜1899年、オットー・ワーグナーによるもの。 -
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アールヌーヴォーの本質である“植物が象徴する生命感”が特徴付けられている。
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マリア・テレジア像。
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ウィーン美術史博物館。
城壁を取り払った1857年の新都市計画の際にハプスブルク家が収集した美術品を展示するため、1870年から21年の歳月をかけて建設された。 -
エントランスは吹き抜けになった円形のホールが広がり、その奥には黒みがかった大理石と金箔がふんだんに使われた華麗な大階段が続く。
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ティツィアーノ「ブラーヴォ」
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ティツィアーノ「ヴィオランテ」
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ヴェロネーゼ
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ヤコポ・ヴァッサーノ「東方三賢士の礼拝」
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コレッジォ「ジュピターとイオ」
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ラファエロ工房「聖家族と少年聖ヨハネ」
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イチオシ
ラファエロ「牧場の聖母」
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ルーベンス「聖イルデフォンソ祭壇画」
7世紀のトレドの大司教、聖イルデフォンソは聖母崇拝を盛んにした功績により、聖女たちを伴って現れた聖母から感謝のしるしとして祭服を与えられた。 -
ルーベンス「リンゴの木の下の聖家族」
リンゴの木の下に聖母子と聖ヨセフが描かれ、幼い洗礼者ヨハネが母エリザベトに支えられてキリストに歩み寄る。聖母の従姉妹エリザベトは神の恩寵によって高齢でヨハネを産んだ。エリザベトの夫ザカリアはキリストにリンゴの枝を手渡している。リンゴは原罪を象徴し、ここでは原罪から人類を解き放つ救世主としてのキリストの使命を暗示している。
豊かで落ち着いた色調や柔らかな筆致には、ルーベンスがスペインで再会したティツィアーノの作品への共鳴が感じられる。
この絵は本来「聖イルデフォンソ祭壇画」の両翼の外側を成していて、18世紀に本体から切り離されて額に納められた。 -
ルーベンス「自画像」
ルーベンスの自画像は、他の人物と一緒のものも含めて10点ほど知られている。これらは自己省察の目的で描かれたものではなく、何らかの記念として制作された自画像の性格が強い。
ルーベンスの自画像のもう一つの特徴は自らを画家としてではなく、学者の仲間として、あるいは普通の紳士として表しているということである。
油彩では最後の自画像で、60歳頃の作品と考えられるこの絵の場合は、ルーベンスは剣を持った貴族として描かれている。イギリスとスペインの両国王から騎士の位を授けられたルーベンスは、当然自らを貴族として描く資格があった。 -
ルーベンス「ヴィーナスの祭り」
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イチオシ
シェーンブルン宮殿。
繊細なロココ様式の内装を持つ、オーストリアを代表する宮殿。16人の子供を産んだ女帝マリア・テレジアの末娘で、後にフランス国王ルイ16世の王妃となったマリー・アントワネットが嫁ぐまで暮らした。
モーツァルトが6歳のときに初めて御前演奏をした部屋もある。
1805年と1809年、ナポレオンがウィーンを占領した際にはここを宿舎としていた。 -
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シェーンブルン宮殿−ネプチューンの噴水。
グロリエッテの丘にある大噴水。
女神テティスが息子アキレスの航海の無事を海の神ネプチューンに祈るというギリシャ神話を表した力強い彫像から噴水が流れ出る。 -
小高い丘の上にそびえる高さ約20m、幅約80mのグロリエッテは、1775年に軍事的な記念碑として建てられた。
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イチオシ
ネプチューンの泉の後ろへまわると、水幕を通して宮殿を見ることができる。
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ヴォティーフ教会。
1853年、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は暗殺テロに遭遇するが、無傷で助かったことに感謝し、皇帝の弟のマクシミリアン3世がその現場に建てさせた教会。1856年から23年の歳月をかけて建設され、フランツ・ヨーゼフ1世の銀婚式にあたる1879年に完成した。
2本の尖塔がそびえる重厚なネオゴシック様式の建物は、フランスの大聖堂を手本にしていて、外壁には石灰質の石が用いられている。 -
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ミヒャエル教会。
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ショッテン教会。
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ミノテリン教会。
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ペーター教会。
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シュテファン寺院。
ウィーンの町の中心にそびえる大寺院。
1147年にロマネスク教会として建設が始まり、14世紀にルドルフ4世の命によって大々的に改築され、現在見るような後期ゴシック様式となった。
1359年に完成した寺院のシンボルである南塔は高さ137mあるが、南塔と同じ高さになる予定だった北塔は財政難で未完成のままとなり、60mしかないが、プムメリンと呼ばれる大きな鐘が吊るされている。プムメリンは1683年にトルコ軍が敗退したときに置き去りにした大砲を溶かして作られたが、第二次世界大戦で消失し、1952年に作り直された。 -
内部はゴシック様式やバロック様式の彫刻や色鮮やかなステンドグラスで飾られ、主祭壇には聖シュテファンを題材にした絵画がある。
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イチオシ
石造りの透かし彫りの説教壇は、アントン・ピルグラム作で、定規とコンパスを持った作者自身の姿もある。
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モザイク画にも見える屋根の東側にはハプスブルク家の紋章である双頭の鷲が描かれている。
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イチオシ
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王宮。
ハプスブルク家が13世紀後半から1918年まで約600年以上に渡って住居としてきた。 -
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イチオシ
エンゲル薬局。
16世紀創業の古い薬局で、現在も営業を続けている。
外壁の天使像がとっても美しい♪ -
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ベルデヴェーレ宮殿。
ベルデヴェーレとはイタリア語で美しい眺めという意味。
トルコ軍からウィーンを救った英雄プリンツ・オイゲン公の夏の離宮として建てられた。
オイゲン公は、フランスのサヴォイ出身で、レオポルト1世から3代に渡ってハプスブルク家の皇帝に仕え、芸術への造詣が深かった人物。
宮殿内部は、19〜20世紀のオーストリア絵画を展示した美術館になっていて、特にグスタフ・クリムトのコレクションは世界最大。 -
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エゴン・シーレ「妻エーディトの肖像」
1917年初めに描かれたシーレの妻エーディトの肖像画で、エーディトは居心地悪そうに座っている。頭部の向きは両肩の向きとは逆になっているし、その肩も腰の向きからはねじれている。
当初エーディトは、その頃ウィーンで流行していた明るい格子のスカートをはいていたが、スカートの色があまりにも装飾的で、労働者風だとみなされ、シーレは署名をする前にスカートを暗い色に塗り替えた。 -
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クリムト「アデーレ・ブロッホ・バウアーの肖像」
無数の幾何学形態を寄せ集め、金と銀で玉虫色に輝いた宝石箱に入れられたかのようなこの女性のドレスもまた華やかに装飾され、ドレスと椅子は背景の中に溶け込んでいるが、それらとは対称的に手と顔の描写だけが写実的に描かれている。
アデーレ・ブロッホ・バウアーはクリムトの愛人の一人であったといわれる。 -
クリムト「接吻」
クリムトの最高傑作!
華やかなモチーフの一つ一つも、官能的な構図や女性の表情もとても美しい‥。
本物はホント感動した〜! -
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庭園もとても美しい。
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朝作ったサンドイッチをベンチで食べてたら、隣のベンチの男の子にすっごい顔してじぃーっと見てた。
そんなにヘンなもん食べてませんよーだ。
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