2001/07/02 - 2001/08/07
2825位(同エリア3874件中)
ryoさん
そういえば‥、思い出した。
ローマからフィレンツェへ列車で移動するとき、切符を買うために窓口で並んでて、ずいぶん待ってやっと2、3人で私の番てときに、派手なスーツのおばちゃんがやって来て、急いでいるから順番を譲ってくれないかといきなり言ってきた。おばちゃんは当たり前のように言うから、かなりムカついて、後ろの人たちみんながYesって言ったら私もYesって言うよ!って言ったら、後ろの方に行って、並ぶのかと思ったらまた他の外人さんの女の子に聞いていた。彼女もあきれたように首を振っていた。
あきれたおばちゃんだったけど、何で前の人じゃなくて私に聞くんだろうと思ったらまた腹が立った。
日本人て見られるとなめられんのかなぁ‥。
旅をしているともちろんイヤなことにも出会うものですよね‥。
そして気を取り直して、フィレンツェに向かったけど‥、到着するなり怖い思いをしてしまいました。
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イチオシ
ドゥオーモ(サンタ・マリア・デル・フィオーレ)
フィレンツェの象徴!! -
白と緑とピンクの大理石で装飾された壮大なゴシック建築の大聖堂。
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外観の華麗さとは対照的なシンプルな印象の内部。
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イチオシ
クーポラへは、二重構造の壁の間の心臓破りの階段を登って上がることができる。
途中、最後の審判を間近に見れるスペースがあり、かなり感動。
いろんな教会に上ったけど、この階段はほんとにほんとにキツかったぁぁ!もちろん心臓の弱い方はご遠慮下さいって入り口に大きく書かれていた。 -
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そして‥
やぁぁっとたどり着いたぁ!
美しい!超カンドー!!
なんてキレイな町並み!
だけどしばらく息切れがおさまらなかった‥。 -
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ジョットの鐘楼。
ドゥオーモの南側に立つ、同じく白とピンクと緑の大理石でできたあでやかな鐘楼。
画家のジョットの設計で、1334年に着工し、彼の死後1359年に完成した。イタリアでもっとも優美な鐘楼と言われている。
さすがにこっちにはもう上る気にはならなかった‥。 -
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サン・ジョヴァンニ礼拝堂。
ドゥオーモに面して立つ、中世トスカーナロマネスク様式の礼拝堂。10世紀頃の建物と推定され、フィレンツェの聖堂建築の中で最古のものとされる。
南北と東の扉にはブロンズのレリーフ装飾が施されている。
北側の扉はギベルティが制作したもので、キリストの生涯が描かれている。 -
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東側の扉。
ギベルティによる。
旧約聖書からの10の場面が描かれていて、ミケランジェロはこれを天国の扉と呼んで称賛した。 -
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内部は8角形で、天井はクーポラになっている。
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クーポラは「最後の審判」「洗礼者ヨハネ伝」「キリスト伝」などの金地のビザンチン風のモザイクでびっしり覆われている。
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バルジェッロ国立美術館。
で、次にアカデミア美術館にも行った。
閉館時間が近かったので、ダヴィデ、ダヴィデ‥と急ぎ足で、とある広場を横切ろうとすると、パン、パンって乾いた音が聞こえた。
周りの歩いてた人がみんな咄嗟に道に伏せたので、えっ!!と思って私もあわてて伏せた。
まさか銃声だとは思わなかった‥。聞いたことないもん。
見ると、10人以上の黒人の人たちと数人の警察官がもめていて、警察官が威嚇のために撃ったのか(そんなのってアリなのか?!)空砲なのかわからないけど、とにかく怖い経験だった。黒人の一人は地面にうずくまってたし、警察官は殴られてる人もいた。ブランド物の偽者のバッグとかを路上で堂々と売っている黒人を取り締まろうとしてトラブルになったらしかった。
しばらく怖くて動けなかったけど、別にこちらに銃が向いているわけでもないし‥あ、ダヴィデ!と思って走ってアカデミア美術館に行った。
町中のパトカーか?っていうくらいのパトカーとすれ違った。
今、スリにあったら大変!とか自分の事だけ考えて走ってった。
美術館は何事もなかったかのように(なかったんだけど)平和で、ダヴィデは素晴らしかった‥。 -
ヴェッキオ橋。
フィレンツェ最古の橋。
現在の橋は、1333年の洪水で壊れた橋に代わって造られたもの。
橋の上に商店が並ぶのは13世紀以降で、15世紀には肉屋などが軒を連ねるようになって悪臭を放ったため、フェルディナンド1世がそれらを立ち退かせて、代わりに貴金属や宝石商が集められた。 -
宝石店がいっぱい並んでいて、興味が無いので素通り‥。
と思ったら、おんぶされてるワンコ発見!
あまり楽チンそうに見えませんが‥。
甘やかしすぎでしょ〜。
でもカワイイ♪ -
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アルノ川。
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パラティーナ美術館。
ラファエロ「小椅子の聖母」
じっとしていられない様子のわが子を抱く慈しみにあふれた母親の表情のマリア、右側には十字架を持って手を合わせている聖ヨハネが描かれている。
聖母の衣装には赤い上着に青いマントという決まりがあり、ラファエロの聖母像でもほとんど例外なくそうなっている。ここでは肩に緑と赤のスカーフを掛けているが、その下は赤衣で、膝の方に青いマントをたぐっている。 -
イチオシ
ラファエロ「大公の聖母」
1504年、ペルージャからフィレンツェに移ってきた頃のラファエロの作品。
視線をわずかに下に向けることによって、優しさ、内面的な高貴さと表現している。
この作品は1799年にトスカーナ大公、フェルナンド3世が購入し、旅行の折にも携行するほど常に手元に置いて賛美していたので、この名称で呼ばれた。 -
ラファエロ「ヴェールの女」
1516年頃、ラファエロがローマに移ってから描いたこの絵のモデルは、ラファエロが死ぬまで愛した女性であったパン屋の娘のフォルナリーナとされている。
ラファエロの作品には珍しく、白を主張とした肖像画。 -
ルーベンス「戦争の恐怖」
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ムリーリョ「聖母子」
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ウフィツィ美術館。
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イチオシ
ボッティチェリ「春」
右の月桂樹の林から姿を現している翼を生やした精霊は春風のゼフュロス。彼はニンフのクロリスに花を生み出す力を与えながら自分の花嫁にしようと彼女を捕まえている。クロリスの口からは花があふれ出し、フローラに姿を変えている。フローラは矢車草やなでしこ、バラを散りばめた衣装を身に着けて微笑んでいる。
画面中央ではヴィーナスが姿を現し、衣装にはロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコの紋章をつけている。
上部では目隠しをしたキューピッドがオレンジの林を飛び回っている。左側には柔らかなヴェールで覆われた三美神と、翼が生えた靴を履いたメルクリウスが上空にある雲を杖で追い払っている。 -
ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」
海から生まれたという女神アフロディテが陸地に到着した場面が描かれている。
ヴィーナスは画面中央で貝殻に乗って立ち、古代以来の恥じらいのポーズで視線は少し下に向けられている。
左側ではアウラ(微風)とゼフュロス(春風)が抱き合って、ヴィーナスを岸のほうに押しやっている。一方岸ではホライ(時)が春の花で飾られたマントを彼女の肩にかけようとしている。ホライの衣装には矢車草の模様が見られ、首にはミルトの輪飾りがある。ミルトは低木の常緑樹で、ヴィーナスの木とされる。 -
ラファエロ「自画像」
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イチオシ
ラファエロ「鶸の聖母」
聖母子はにこやかに微笑む幼児聖ヨハネに伴われている。
フィレンツェの守護聖人である洗礼者ヨハネの手には五色鶸がいて、幼児イエスがその頭をなでている。聖母は穏やかな表情で石の上に座り、左手に本を持ち、右手でヨハネを抱き寄せている。 -
レンブラント「青年時代の自画像」
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ティツィアーノ「ウルビーノのヴィーナス」
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サンタ・マリア・ノヴェッラ教会。
ドゥオーモに先駆けて1246年に工事が始められたドミニコ派の聖堂。
ここでもフィレンツェ独自のスタイルを確立していて、白、ピンク、緑の大理石で構成されている。 -
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サント・スピリト教会。
アゴスティーノ修道会の教会で、ブルネッレスキの設計によって15世紀半ばに建築されたが、ブルネッレスキが工事の開始直後に亡くなったため、実際の工事には数々の変更が加えられ、ファザードは未完のまま残されたために地味な外観となっている。 -
オーニサンティ教会。
13世紀半ばに建てられ、17〜18世紀に大幅に手直しされた。
ロッビア風の彩色テラコッタ「聖母戴冠」は以前のファザードを飾っていたもの。 -
内部にはボッティチェリの墓がある。
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聖堂左の扉からは修道院に入ることができ、突き当たりの壁面には、後にダ・ヴィンチに影響を与えたというギルランダイオの「最後の晩餐」が残っている。
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サンタ・クローチェ教会。
本堂は1385年に完成したが、鐘楼と色大理石で装飾されたファザードは19世紀半ばのもの。
多くの文化人がここに埋葬されていることでも知られる。 -
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ミケランジェロの墓(ヴァザーリ作)。
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ガリレオ・ガリレイの墓。
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シニョリーア広場。
ネプチューンの噴水。 -
ヴェッキオ宮の前には、ミケランジェロのダヴィデ像のレプリカなどの彫像が並ぶ。
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ヴェッキオ宮。
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オルサンミケーレ教会。
外部壁面には、14〜16世紀にわたるフィレンツェの優れた彫刻家たちの作品が並ぶ。 -
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メディチ家礼拝堂。
ミケランジェロ「聖母子」 -
ジュリアーノ・デ・メディチの墓。
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ロレンツォ・デ・メディチの墓。
ロレンツォ豪華公の息子、教皇レオ10世の弟に当たるジュリアーノ・デ・メディチは1516年3月17日に37歳で亡くなった。
さらにロレンツォ豪華公の孫で、レオ10世の甥に当たるウルビーノ公、ロレンツォ・デ・メディチの死は、聖職に身を捧げたメディチ家の人々の心に深い悲嘆となり、死後この新聖具室を建造して彼らの墓を置こうと決め、ミケランジェロにその制作を依頼した。
ミケランジェロはその制作にあたり、大地だけでは彼らの偉大さにはふさわしくないと考え、この世界のあらゆる部分を従えたようにしようと、ジュリアーノの墓に「夜(左)」と「昼(右)」を、ロレンツォの墓に「黄昏(左)」と「曙(右)」を置いた。
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