2011/09/09 - 2011/09/11
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五黄の寅さん
戊辰戦争最大の激戦 北越戦争 の総指揮を摂り、官軍に敗れた 長岡藩重役 河井継之助(司馬遼太郎先生の 峠 を読み初めて存在を知りました。) の故郷 長岡市を、事跡を訪ねて半日散策しました。
河井継之助記念館散策後、山本五十六元帥の記念館が付近に在るという事で訪ねてみました。記念館から少し歩いた所に生家が再建されていましたのでそちらにも足を伸ばしました。
山本五十六元帥の生家を出て、再び河井継之助の事跡を訪ねて墓所である栄涼寺に向いました。
旅行記その3 河井継之助記念館の様子を紹介します。
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ホテルから徒歩10分程の所に記念館は在ります。
先の予定が有るので車で向います。2、3分で河井継之助邸跡に建つ記念館に到着です。写真上が駐車場。
右手が河井継之助邸の庭、その右手に記念館が建っています。
左手から中央に見える塀には長岡藩時代の文物や建物(城)の解説が掲示されています。
写真下:駐車場の一角に河井継之助邸跡の碑が建っています。向こうに見える白い建物が記念館です。 -
駐車場の塀に掲示されている解説の一つです。ここでは長岡藩の旗指物が絵と共に解説されています。
こちらは城の三の丸の様子を描いた絵と解説。 -
記念館の正面はこんな具合です。入口に河井継之助の写真が立って出迎えてくれます。
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小生も時代の偉大な先駆者と記念撮影。
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記念館の中に入ってみましょう。
河井継之助記念館
長岡市長町一丁目甲1675−1 0258-30-1525
入館料 大人 200円 休館日12月28日 〜 1月4日
http://tsuginosuke.net/
平成21年に製作された河井継之助像。写真に見える 蒼龍窟 は河井継之助の号。 -
長岡藩の家紋と旗指物。
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左:河井継之助が買い入れたガトリング銃のレプリカ。右上に弾丸をこめた弾倉らしき物も写っています。
右:ガトリング銃を後ろから見たところ。
撮影は以上の物のもOKで、後は不可でした。
時代が違っていれば有能な経済人か政治家になっていた人と思いました。
次に山本五十六記念館に向かいましょう。 -
河井継之助記念館から徒歩10分くらいの所にあります。
丁度ハーレーの一団が来ていました。
中は全て撮影禁止でした。山本五十六に関しては以下のホームページに詳しいです。
http://www.ym56.net/ -
左上:山本五十六記念館から徒歩10分程の所に在る、生家を復元した公園に向かいました。
左下:公園入口に解説板が設置されています。
右上:長岡駅を中心に史跡巡りのルートが紹介されています。
右下:公園の中、向こうに山本五十六の胸像が立てられています。左手前に生家が復元されています。 -
復元された生家の全景。
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中に入ってみます。玄関先の様子。
玄関を入って右手の部屋に、公園に立っている胸像の石膏像が有りました。 -
左上:長岡藩の藩訓・藩風「常在戦場」の扁額が掛かっています。
左下:押入れとその向こうに一部屋有ります。
右上:二階の様子。向こうの部屋で幼少の頃勉学に励んでいたそうです。
右下:山本五十六記念館を出て米百俵の碑に向かいます。
米百俵については以下のウィキペディアに詳しいです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E7%99%BE%E4%BF%B5 -
途中なにやらテントが通りの両側に並んでいる所に出ました。
農産物などの産地直送販売や、衣料品などのテントが並んでいました。 -
米百俵の碑。
車を置いてある河井継之助記念館に戻る途中に 長岡戦災資料館 が有りましたので
立ち寄ってみました。
長岡市城内町二丁目六番地17森山ビル 0258−36−3269
入場無料 月曜日休館 -
長岡戦災資料館を出た所で12時、昼食をとる事にして駅ビルの中へ向かいました。
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越後に来て「へぎそば」を食べないといけないでしょう。と言う事でこちらの店にお邪魔する事に決定。
http://www.kojimaya.co.jp/
入口の様子。
店の中の様子。奥の席に着席。 -
頂いたのは 天へぎそば @1,680 也。
店の案内書には 越後の代表的へぎそば 「越の海藻挽き へぎそば」と書かれていましたが、風味も良くつるつると喉越しも良いそばで美味しく頂けました。天麩羅も美味しく頂けました。 -
駅前に2尺玉と3尺玉の打ち上げ筒が飾られていました。
筒の上には3尺玉が下がってます。
人と比較してその大きさが分かると思います。
と言う事は4尺玉と、その打ち上げ筒はどんな大きさなのでしょうか。 -
上:駅前からぶらぶらと歩き、河井継之助記念館に戻ってきました。記念館と継之助邸の庭です。
下:この辺り二本の松が生えており、その姿が昇り龍の様だった事から、河井継之助が 蒼龍窟 と名乗ったとの説が有るようです。 -
左上:こちらは河井継之助の墓の在る 栄涼寺 です。左の碑に河井継之助の名が刻まれていました。
左下:寺の由来や長岡藩との関わり、葬られている方たちの名前などが記載されています。
右上:鐘楼、先の大戦で供出され戦後復元された様子が鐘に刻まれていました。
右下:本堂。 -
本堂の前にも寺の縁起と境内の案内が記された案内板が立てられています。
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河井継之助の墓と表示柱。境内の奥にひっそりと建っていました。
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その横に説明板が在ります。
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北越戦争の発端となった 小千谷会談 に河井継之助に同行した長岡藩士 二見虎三郎 の墓と説明板。
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左上:長岡市内を出て小千谷方面に向かいます。
左下:R17を小千谷方面に向け走ります。
右上:長岡の山並みを横に見て北越戦争の激戦地、榎峠に向かいます。
右下:上越線の向こうの山並みの何処かで北越戦争が戦われた事を思いつつ、信濃川の辺、越の大橋の先の榎峠に向って車は走ります。
旅行記 4 戊辰の痕跡を求めて榎峠から滋眼寺へ に続きます。
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