2011/08/13 - 2011/08/16
93位(同エリア133件中)
ムヒカさん
長春最大の見どころ、偽満皇宮博物館。
ラストエンペラーこと溥儀が過ごした宮殿は、ヨーロッパの宮殿に匹敵する美しさ!
しかし! 広すぎる敷地内!
映画ラスト・エンペラーのロケで使われた同徳殿ホールに辿り着いたのは、チケットを購入して3時間後でした。
そして、隣接された東北淪陥(りんかん)史陳列館。
東北淪陥とは、満州事変から満州国崩壊までを表します。
偽満皇宮博物館の趣旨は、日本軍が旧満州で行った占領政策の展示。
美しい宮殿を見て、浮かれてばかりもいられません。
偽満皇宮博物館、後半の展示は、傀儡国家である満洲国臭さを存分に味わう見学となりました。
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(チャンチュン・リポート7からの続き)
勤民楼奥の先祖を祀った懐遠楼を出たあたりに、溥儀の紫禁城用品の展示がありました。
こちらは、豪華な温湿度計。 -
門の扉ではありません。
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美しいです。
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似たようなものが、中華街の雑貨屋さんにありそう。
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紫禁城用品を見終え、順路に従い同徳殿を目指します。
同徳殿へつながる長い廊下には、偽満皇宮博物館を訪れた、各国の要人の写真が飾られています。 -
元日本の顔。
中曽根さんが若い!
他にも、時代を感じる写真が見れたりしました。 -
イチオシ
見学を始めて3時間。
やっと同徳殿のホールに辿り着きました。 -
溥儀の前で跪く第4婦人。
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同徳殿の階段は、高さがあります。
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同徳殿は日本人による設計。
盗聴を疑った溥儀は、利用しなかったとあります。
こちらも、使われなかったのかな。 -
イチオシ
中国らしさ全開の美しい椅子。
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こちらの階段も高さがあります。
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強引にねじ曲げられたような手すりがユニーク。
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遊んでますが、実際はかなり疲れています。
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和室にあった猫脚ちっくなテーブル。
長時間の見学で、腰が痛い!
ここで寝転んで休憩したい!と思ってしまいました。 -
最後に階段を上って、もう一度ホールを見学して同徳殿を出ました。
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同徳殿の前では、イベントがあるせいか踊りの練習が行われていました。
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外には、美しい中庭があったりします。
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防空壕があったので入ってみました。
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さすが、皇帝一家が逃げ込んだ防空壕は造りが違いますわ。
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中は寒いし暗いし、地面は水浸し。
金庫の扉みたいな場所までは、階段を下ったりで距離がありました。
怖いもの見たさで、ひたすら前進でしたが、あまりの恐怖で気が狂れそうになりました。
もう絶対に入りたくないわ! -
防空壕のすぐ近くにはプールがあります。
なかなか深いプールで、水があったら溺れてしまいそうです。
奥の建物は、東北淪陥(りんかん)史陳列館。 -
プールの説明文です。
国語のテストではありませんが、□(四角)部分に当てはまる漢字を書きたくなります。
文字化けされたままなので、意味不明な文章になっています。 -
東北淪陥史陳列館の傍らには、川底から引き上げられた東清鉄道のSLが展示。
こんなのが川底に埋まってたなんてスゴイですわ。 -
東北淪陥(りんかん)史陳列館の入り口。
東北淪陥とは、満州事変から満州国崩壊までを表します。
中国にとっては、東北地方が日本軍に占領された屈辱的な時代。
そのきっかけとなる満州事変は、1931年9月18日に勃発。
中国では、9.18事件として、忘れ難き歴史となっております。
入り口には、9.18を忘れるなと記されています。
私にとっては自分の誕生日なので、忘れることはありません。 -
展示は、写真のパネルのようにテーマに沿って流れていきます。
日本語の説明には、「日本軍は下心を持って侵略を計った・・・」などと、偽満皇宮博物館同様、少々変わった表現がされています。
この下心の発案者兼実行者が、関東軍作戦主任参謀の石原莞爾(かんじ)。
関東軍とは、日露戦争後に獲得した中国東北部の遼東半島の先端地域・関東州にちなんでいます。
主として関東州の防衛や南満州鉄道の警備を担当していましたが、次第に増強され、かなりの軍力を擁するまでに成長します。 -
こちらは、満州国の勲章かな。
小学校時代、同級生に莞爾くんという男の子が居たが、彼の名前はきっと石原莞爾にちなんで名付けられたのだろう。
しかし、同級生の莞爾くんは、完全に名前負けしていました。
勉強が全く出来ず、参謀どころではありませんでした。
終いには、難しい名前をからかわれる始末。
当時は、子供も教師も残酷でした。
周囲に反論することもなく、小学1年生ながらに莞爾という難しい漢字を書いていた彼は、立派だなぁと思ったものです。 -
政府主催の紀元二千六百年祭は、初代天皇・神武天皇の即位から2600年に当たる、1940年11月10日から14日までの5日間にわたって開催。
私の父の名前は、紀元二千六百年祭にちなんだ数字の名前。
1937年の廬溝橋事件をきっかけに始まった日中戦争。
戦争の拡大により、国民の生活は逼迫し、鬱憤も溜まっていきます。
この国民の憂さ晴らしの為に開催されたのが、紀元二千六百年祭。
期間中のみ宴が許されました。
政府によって押し付けられた、一瞬のお祭り騒ぎでした。
以前は、同級生の莞爾くん同様、名前負けしていると思っていた父の名前。
しかし、政府によって踊らされたイベントだったと知れば、名前負けどころか、可笑しささえも覚えてしまいました。 -
紀元二千六百年祭が開かれた年に、日独伊三国同盟が結ばれます。
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こちらは、満州国、日本、中国が並んでおります。
満州国建国の理念は五族協和。
国旗の5色にもその理念が反映されているそうです。
五族とは、日本・満州・蒙古・漢・朝鮮で、これらが互いに協力しあい、満州国皇帝を中心にアジアの理想国家を建設する事。
満州支配という下心を抱いていた関東軍にとって、五族協和とは名ばかりのものでありました。 -
写真は、不二子ちゃんを襲おうとするルパンではない。
見学途中にあった巨大レリーフは、日本軍による侵略が描かれていると思われます。
レリーフ前には椅子があり、暫しここで休憩。
巨大レリーフは、次へ向かう足取りが重くなるようなシーンばかりです。 -
聖地とは驚きです!
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広い東北淪陥史陳列館ですが、このコーナーがいちばん賑わっていました。
パネルの写真右下は、旅順の日露監獄旧跡博物館にある拷問台です! -
反満抗日運動を徹底的に弾圧した関東軍。
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拷問部屋が再現されています。
トゲの生えた拷問台は、恐ろしさ全開です! -
100部隊についての展示もありました。
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関東軍の細菌戦部隊といえば、ハルビンの731部隊があげられますが、長春には100部隊なるものが存在しました。
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表向きは「関東軍軍馬防疫廠」と名乗っていましたが、実際は家畜や人間を殺し、作物を病気にさせる細菌を大量に生産。
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731部隊とは、密接な関係になります。
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100部隊の展示を見終えた辺りで、デジカメのバッテリー残量が僅かに!
朝からずっと撮りっぱなしだから無理もないか。
こちらは、満鉄マークの入った腕章かしら。 -
国策として行われていた満州開拓移民の募集。
世界恐慌による不況や凶作が重なり、国民の間にも新天地・満州に活路を見い出す機運が高まっていました。 -
侵略の様子が再現された巨大ジオラマ。
見学中は悲鳴や犬の鳴き声が響き、気分のいいものではありません。
うつむき加減に足早に通過。
東北淪陥史陳列館の見学には、1.5時間ほどかかってしまいました。
膨大な展示は、恥ずかしながら知識がなくて理解出来ない箇所もありました。 -
東北淪陥史陳列館を出ると、長屋のような造りのお土産屋さんが道沿いに並んでいます。
ほとんどが漢方薬のお店だと思います。
鹿の角とか売られてました。
なぜかこのお店には、剥製の上に裸婦像の絵が売られていました。 -
朝鮮人参も多かったです。
一部のお店では、満州時代の写真絵葉書やトランプなどのグッズが売られていました。
私が淡く期待していた、東北淪陥史陳列館で見た三国同盟バッジのレプリカとか、当時のポスターの絵葉書集なんかはありませんでした。
(無くて当然か・・・)
満州事変の起こった9月18日は、私の誕生日。
Happy birthday by myselfとして、こちらの旅行記を投稿出来たのは、良い記念となりました!
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