2011/05/13 - 2011/05/19
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アルデバランさん
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アングロ・サクソン七王国の一つウェセックス王国の首都だった、ウィンチェスターはその地位をロンドンに奪われるまで紛れもなくイングランドの最重要都市でした。
そこに刻まれた歴史は大聖堂以外はほんの2,3しか残っていませんが、大聖堂を中心にコンパクトにまとまり、しかも街を横切るイッチン川の美しい環境に恵まれた、静かな落ち着いた街でした。
大聖堂をでて、グレート・ホール→大聖堂→ウルヴジー城→大聖堂と歩きソールズベリーに向かいます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
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大聖堂からグレート・ホールまでは10分程度だそうで、
だいたいの方向を勝手に決めて、路地を歩いてゆくと通りにでました。
目抜き通りのハイ・ストリートです。 -
微妙に傾斜しているハイ・ストリートを上ってゆくとウエスト・ゲートの城門です。
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城門をくぐるとロムジー通りに出ますが、さらに上って左(南側)を見ると、正面にいかにもそれらしい建物が…
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グレート・ホール
決して大きくはないけど、周りの建物を圧倒する存在感です。 -
それはこの鹿の子模様になった石壁の壁面と白い縁取りがアクセントの尖頭アーチのなせる業でしょうか…
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オリバー・クロムウェルによる破壊を免れた11世紀のウインチェスター城の様子を残す唯一の場所です。
うれしいことに入場は無料です。 -
入ってその空間に驚きました。
ハンマービーム天井の為か非常に広く感じます。 -
そしてお目当ての円卓
ドでかいダーツのように壁にかかってます。 -
13世紀に造られたというので、オリジナルではないけどアーサー王の円卓
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反対側の壁です。
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その壁一面はイングランド諸王の系図をあしらった模様で埋め尽くされています。
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西側の母屋から外に出る裏側になり小洒落た庭がありました。
クイーン・エレノア・ガーデンです。 -
正面から外に出たところです。
周りはこのような建物ばかりです。 -
グレート・ホールの前庭にはローマ時代の遺跡があります。
さすが、イングランドでも屈指の歴史を誇るウインチェスターです。 -
ローマ時代の遺跡を見ようとしましたが、既に4時50分。
残念ながら閉館です。 -
今度はハイ・ストリートを下ります。
道が狭くなる手前に立つバター・クロス -
バター・クロスから先は建物の2階が通りに迫り出してアーケード街になってます。
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木造のぶっとい梁がむき出しのアーケード街
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またウインチェスター大聖堂まで戻ってきました。
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次に大聖堂の横を通って、ウルヴジー城に行きます。
地図をしっかり確認すればよかったんですが、こちら方面だと勝手に思い込んでました。 -
大聖堂の南面の控え壁を中に入ってゆきます。
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南面から十字に交差する箇所です。
ウインチェスター大聖堂は基本的にゴシック様式による建築ですが、側廊部分が高くないため控え壁もこのように小さ目です。
交差廊に建つタワーも控えめです。
もっとも、その昔のタワーは崩壊したということですが… -
正面からは奥行きはわかりませんが、横にまわるとここの売りのひとつの縦長の身廊の長さを実感できます。
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南側の庭は一段高くなっており「ディーン・ガーニエ庭園」です。
ここからは大聖堂の長大な側面の魅力を堪能できます。 -
南翼廊部分です。ちょうど閉館で入れなかったライブラリーとトリフォリウムの辺りです。
この部分は古くて、半円アーチと窓が小さいノルマン・ロマネスク様式の特徴がよく出てます。 -
ゴシック様式の長大な身廊部分に様子が違うロマネスク様式の翼廊が突き出てます。
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ディーン・ガーニエ庭園(DEAN GARNIER GARDEN)に隣接する古めかしい家。
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最奥のレディ・チャペルの外側の芝生にはお墓が…
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その横を通ってウルヴジー城に向かいます。
(方向はちょいと違っていたけど) -
この辺りの塀は牡蠣ガラでしょうか。
膨大な量の貝を貼り付けた塀が続きます。 -
イッチン川に出ました。
方向がわからなくなり人に聞くと…
川に沿って左に行けば「シティミル」、右に行けば「ウルヴジー城」「ウィンチェスター・カレッジ」
1対2で右の勝ちです。 -
イッチン川は川幅こそ数メートルですが水量が多く、水ががんがん流れてました…
実はこの旅行で釣り道具を持参するかさんざ迷いました。
針と糸と竿だけなので荷物にはならないけど時間があるか…。
結局持ってこなかったけど、この流れではとても太刀打ちできないと思いました… -
目を凝らしましたが、魚影の確認はできませんでした…
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ウィンチェスターと言えば「ジェーン・オースティン」の他にロマン派を代表する詩人「ジョン・キーツ」です。
彼は結核療養のためにここを訪れ、このイッチン川のほとりを病院まで散歩したと言われてます。
このあたりは雰囲気も良く詩人が歩くのにもってこいの道です… -
やがて、城壁らしきものが現れました…
ウルヴジー城が近いのかな… -
入口の案内板です。
「Medieval bishop's palace」の文字が見えます。
イングランドを無政府状態に陥れた一方の当事者スティーヴン王の弟で、おフランス育ちのウィンチェスター司教ヘンリー・オブ・ブロア。爺ちゃんはあのムッシュ・ウィリアム。ほらあの、大聖堂に聖スウィジンの穴をつくって観光客を倍増させたやり手。
彼が、何百人もの家来を収容できる途方もない司教館を建てた所がどこあろうここです。 -
かつて栄華を誇ったのでしょうが、現在は廃墟となったウルヴジー城です。
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中庭には「ザ・クリンク」という小さな牢獄もあったそうです。
その当時、このウィンチェスター司教館の周り一帯は新宿歌舞伎町顔負けの、人生の基本的な楽しみごとを堪能できる場所として有名だったそうです。 -
ヘンリー1世の後継者争いでいとこ同士のスティーヴン王とモード王が争った内戦時代、
ウィンチェスターはスティーヴン王の根拠地だったはずです。
NHKBSで放映した、ケン・フォレットの『大聖堂』でもそのシーンが出てきました。 -
でも、いまはこの有様です。
のちに「ブラッディ・メアリー」として有名になる、ヘンリー8世のお嬢ちゃんイングランド女王「メアリー1世」とスペインの「フェリペ2世」の結婚式は大聖堂で行なわれ、それに続く披露宴はここウルヴジー城で催されたとか…
でも、オリバー・クロムウエル率いる清教徒軍に破壊されてしまったんでしょうね、見る影もありません。 -
隣接する立派なお屋敷は現在の大聖堂の主教のお屋敷です。
Bishop's palace(private)と看板にありました。 -
ウルヴジー城の前はウィンチェスター・カレッジです。
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ウィンチェスター・カレッジはカレッジ・ストリート沿いに塀がずっと続いて、広大な敷地を占めてます。
入ろうとしたら時間が時間なのか、もともと公開してないのか門番に断られてしまいました。
もう5時半を過ぎてるもんね… -
そのウィンチェスター・カレッジに隣接する、ジェーン・オースティンがすんでいた家…
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入り口の上の壁が語ってます。
「この家にジェーン・オースティンは住みそしてここで亡くなった…」 -
カレッジ・ストリートを更に行くとすぐにキングスゲート・ストリートにぶつかりそこを右折すると城門です。
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城門をくぐると…
あーら又城門です。 -
こんな家があちこちに建ってます。
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大聖堂の敷地内に戻ってきました。
1キロ四方近辺をちょうど、ぐるっと回った感じです。
さ、駐車場に戻りましょう…
駐車場は運のいい事に大聖堂のすぐ裏手です。
6時までのチケットを買ってましたが、15分オーバー。でも誰もいないからそのまま出ます。
ナビの行く先をソールズベリーにして出発…
どこをどう行けばいいかわからないからね。 -
ナビに従い、ハイストリートに出てギルドホールの横を通ります。
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早速大きなランナバウトが現れました。やっとの思いでナビどおりに直進。
アルフレッド大王の像の交差点ですが、像を見る余裕は全くありません。
50mほど行くとイッチン川の橋で、水車小屋のシティ・ミルですが、それどころではありません。
なんせその先には、またこのようにランナバウトが見えているので… -
郊外に出て、ウィンチェスターを後にします。ソールズベリーまでは30キロ弱。一本道ですので迷う心配はありません。
少し車に慣れました。と言うより道はガラガラなので余裕がでました。
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