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土浦城(つちうらじょう、茨城県土浦市中央)は上野駅から快速電車で約1時間10分、土浦駅西口から徒歩15分の地にあります。<br /><br />往時は広域城郭でしたが現在は既に市街化により周辺は警察署、消防署、検察庁、裁判所等の官公庁が建て並び、中央部を貫通する亀城通りを隔てた所に本丸並びに二の丸の一部が亀城公園として整備されています。<br /><br />地勢的には筑波山を西に、霞ヶ浦を東に面し南北は水戸街道が走り、昔から物資の集散地及び水運を利用した交通の要所として発展しています。<br /><br />築城者は15世紀中葉小田氏の重臣、今泉三郎と言われています。16世紀には北条氏康と上杉謙信の関東での覇権争いに当然ながら小田氏も巻き込まれ土浦城も度々攻撃を受けることになります。小田原の戦い後、当城は秀吉命により養子として結城氏に入城した結城秀康(徳川家康の二男で主従の証として秀康を秀吉に差し出していたと言われている)の支配下となります。<br /><br />関ケ原合戦の戦功により、秀康は越前福井に転封、その後松平氏、西尾氏、朽木氏と城主が替わり、1867年土屋正直が入封し土屋氏10代時に版籍奉還、廃藩置県の為廃城となったそうです。                 <br /><br />自分の訪問は今回で2回目ですが当日は梅雨明けの蒸し暑い日でした。以前と同様に本丸及び二の丸は綺麗に維持管理され清清しい印象を受けました。しかしながら今回は東日本大震災の影響で本丸の太鼓櫓門は閉門され立入禁止、そして展示館を兼ねている東櫓は休館・立入禁止、西櫓についても白壁が所々剥がれた状況で立入禁止となっていました。歴史的遺産だけに被害を受けやすく又修復にも相当の時間とコストが必要かと心配でなりません。<br /><br /><br />2022年2月28日追記<br /><br />城跡に掲示された案内板には下記の説明があります。<br /><br />「土浦城 西櫓<br />由来<br />本建造物は、17世紀初頭元和6・7年頃城主西尾氏の時代に本丸土塁上に<br />東西の櫓が建立されたとされ、西櫓はその一方の櫓である。<br /><br />土浦城は、その後土屋氏の居城として明治の廃藩置県に至るまで幕藩政治における土浦の中心、象徴として存在していた。<br /><br />土浦城内の建造物は、明治以降、本丸館を始め多くの建物が火災や移築、取り壊しにより失われ、昭和・戦後に至り、本丸には、太鼓櫓、霞門、西櫓を残すのみとなった。<br /><br />そして、この西櫓も老朽化と昭和24年のキティ台風により、小破し、昭和25年に復元を前提として解体された。<br />を<br />その後復元を見ず今日に至り土塁上には礎石のみが残され、僅かに往時をしのばせるのに過ぎなかったものを、市民の浄財をもとに復元したものである。<br />      平成4年7月<br />                土浦市教育委員会」            <br />

常陸土浦 東に霞ヶ浦、西に筑波山、南北を水戸街道が走る商業の要地に幾重にも水堀を巡らせて城下町と共に発展した『土浦城』訪問

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2011/06/28 - 2011/06/28

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滝山氏照

滝山氏照さん

土浦城(つちうらじょう、茨城県土浦市中央)は上野駅から快速電車で約1時間10分、土浦駅西口から徒歩15分の地にあります。

往時は広域城郭でしたが現在は既に市街化により周辺は警察署、消防署、検察庁、裁判所等の官公庁が建て並び、中央部を貫通する亀城通りを隔てた所に本丸並びに二の丸の一部が亀城公園として整備されています。

地勢的には筑波山を西に、霞ヶ浦を東に面し南北は水戸街道が走り、昔から物資の集散地及び水運を利用した交通の要所として発展しています。

築城者は15世紀中葉小田氏の重臣、今泉三郎と言われています。16世紀には北条氏康と上杉謙信の関東での覇権争いに当然ながら小田氏も巻き込まれ土浦城も度々攻撃を受けることになります。小田原の戦い後、当城は秀吉命により養子として結城氏に入城した結城秀康(徳川家康の二男で主従の証として秀康を秀吉に差し出していたと言われている)の支配下となります。

関ケ原合戦の戦功により、秀康は越前福井に転封、その後松平氏、西尾氏、朽木氏と城主が替わり、1867年土屋正直が入封し土屋氏10代時に版籍奉還、廃藩置県の為廃城となったそうです。                 

自分の訪問は今回で2回目ですが当日は梅雨明けの蒸し暑い日でした。以前と同様に本丸及び二の丸は綺麗に維持管理され清清しい印象を受けました。しかしながら今回は東日本大震災の影響で本丸の太鼓櫓門は閉門され立入禁止、そして展示館を兼ねている東櫓は休館・立入禁止、西櫓についても白壁が所々剥がれた状況で立入禁止となっていました。歴史的遺産だけに被害を受けやすく又修復にも相当の時間とコストが必要かと心配でなりません。


2022年2月28日追記

城跡に掲示された案内板には下記の説明があります。

「土浦城 西櫓
由来
本建造物は、17世紀初頭元和6・7年頃城主西尾氏の時代に本丸土塁上に
東西の櫓が建立されたとされ、西櫓はその一方の櫓である。

土浦城は、その後土屋氏の居城として明治の廃藩置県に至るまで幕藩政治における土浦の中心、象徴として存在していた。

土浦城内の建造物は、明治以降、本丸館を始め多くの建物が火災や移築、取り壊しにより失われ、昭和・戦後に至り、本丸には、太鼓櫓、霞門、西櫓を残すのみとなった。

そして、この西櫓も老朽化と昭和24年のキティ台風により、小破し、昭和25年に復元を前提として解体された。

その後復元を見ず今日に至り土塁上には礎石のみが残され、僅かに往時をしのばせるのに過ぎなかったものを、市民の浄財をもとに復元したものである。
      平成4年7月
                土浦市教育委員会」            

一人あたり費用
1万円未満
交通手段
JRローカル 徒歩
  • JR土浦駅<br /><br />大きな駅ビルです。店舗が多数入居しています。

    JR土浦駅

    大きな駅ビルです。店舗が多数入居しています。

  • 駅前「市街地ガイド」<br /><br />霞ヶ浦が近くに迫っています。<br />新川と桜川が土浦城を囲むように霞ヶ浦に流れます。<br /><br /><br />

    駅前「市街地ガイド」

    霞ヶ浦が近くに迫っています。
    新川と桜川が土浦城を囲むように霞ヶ浦に流れます。


  • 亀城公園前・道路案内<br /><br />同名のバス停があります。<br />

    亀城公園前・道路案内

    同名のバス停があります。

  • 土浦城案内<br /><br />一名亀城とも呼ばれ、平城で、幾重に巡らした濠を固めとする<br />水城でもあった。(説明文より一部抜粋)<br />

    土浦城案内

    一名亀城とも呼ばれ、平城で、幾重に巡らした濠を固めとする
    水城でもあった。(説明文より一部抜粋)

  • 「土浦城跡と櫓」の石標

    「土浦城跡と櫓」の石標

  • 水堀越しに見る東櫓<br /><br />

    水堀越しに見る東櫓

  • 霞橋から水堀を展望<br /><br />画面右は「亀城通り」で駅からバスが通ります。<br /><br />

    霞橋から水堀を展望

    画面右は「亀城通り」で駅からバスが通ります。

  • 水堀で遊んでいる亀たち<br /><br />別名亀城と呼称されている理由でしょか。

    水堀で遊んでいる亀たち

    別名亀城と呼称されている理由でしょか。

  • 土浦城・霞門<br /><br />霞橋を渡ると迎えてくれる橋です。

    土浦城・霞門

    霞橋を渡ると迎えてくれる橋です。

  • 土浦城・本丸(全景)<br /><br />高い樹木群がバス通の騒音を遮っています。広々とした佇まいです。

    土浦城・本丸(全景)

    高い樹木群がバス通の騒音を遮っています。広々とした佇まいです。

  • 土浦城・本丸

    土浦城・本丸

  • 土浦城・東櫓と階段<br /><br />残念ながら展示館は「地震の為臨時休館」と表示されてます。

    土浦城・東櫓と階段

    残念ながら展示館は「地震の為臨時休館」と表示されてます。

  • 本丸から西櫓を遠望

    本丸から西櫓を遠望

  • 白壁が剥がれた西櫓<br /><br />東日本大震災の影響によるものです。

    白壁が剥がれた西櫓

    東日本大震災の影響によるものです。

  • 土浦城・本丸太鼓櫓門(裏側)<br /><br /><br />縄が張られ立入禁止となっています

    土浦城・本丸太鼓櫓門(裏側)


    縄が張られ立入禁止となっています

  • 土塁と大樹<br /><br />

    土塁と大樹

  • 本丸太鼓櫓門(表側)<br /><br />本丸への正門で当時の藩主が桜門に改築、桜上に太鼓を置き時刻を知らせたので太鼓櫓と呼ばれたそうです。<br />(白壁が一部剥がれ、縄が張られ立入禁止となっています。)

    イチオシ

    本丸太鼓櫓門(表側)

    本丸への正門で当時の藩主が桜門に改築、桜上に太鼓を置き時刻を知らせたので太鼓櫓と呼ばれたそうです。
    (白壁が一部剥がれ、縄が張られ立入禁止となっています。)

  • 本丸太鼓櫓門(表側)<br /><br />水堀越しに展望します。

    本丸太鼓櫓門(表側)

    水堀越しに展望します。

  • 二の丸標柱<br /><br />芝の手入れがよくされてます。

    二の丸標柱

    芝の手入れがよくされてます。

  • 土浦城・二の丸(全景)<br /><br />芝がきれいです。この日も清掃作業がされていました。

    土浦城・二の丸(全景)

    芝がきれいです。この日も清掃作業がされていました。

  • 土塁と大樹<br /><br />二の丸の東側に崩れた土塁が見えます。

    土塁と大樹

    二の丸の東側に崩れた土塁が見えます。

  • バス通側から本丸跡を展望<br /><br />土塁はもっと高かったのでしょう。

    バス通側から本丸跡を展望

    土塁はもっと高かったのでしょう。

  • 土塁と大樹

    土塁と大樹

  • 水堀と大樹

    水堀と大樹

  • 静寂な水堀<br /><br />当時の水堀はもっと広かったのでしょう。

    静寂な水堀

    当時の水堀はもっと広かったのでしょう。

  • 土塁<br /><br />時間の経過で崩れているのでしょうか。

    土塁

    時間の経過で崩れているのでしょうか。

  • トイレ全景<br /><br />バス通から見た姿で周辺状況を考慮して建てられています。

    トイレ全景

    バス通から見た姿で周辺状況を考慮して建てられています。

  • 霞ヶ浦の水運説明<br /><br />江戸時代の水陸交通に恵まれた土浦をよく紹介しています。<br />商品の運搬仕組みがよく理解できました。

    霞ヶ浦の水運説明

    江戸時代の水陸交通に恵まれた土浦をよく紹介しています。
    商品の運搬仕組みがよく理解できました。

  • (補)うんちく板<br /><br />帰路、道路の途中に「うんちく版」なるもの掲示されていました。<br />保立食堂の創業当時の写真と記事掲載されてます。<br />現在でも営業中です。

    (補)うんちく板

    帰路、道路の途中に「うんちく版」なるもの掲示されていました。
    保立食堂の創業当時の写真と記事掲載されてます。
    現在でも営業中です。

  • (補)うんちく板<br /><br />1924年旧土浦警察署の火の見櫓から撮影された川口川にかかる桜橋跡です。<br />

    (補)うんちく板

    1924年旧土浦警察署の火の見櫓から撮影された川口川にかかる桜橋跡です。

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